女将同行

 賑やかなのが大好きなトメが女の申し出を断るはずがない。そしてトメの決定は全員の決定である。帰りの山道は十人で下りることになった。増えた二人は四つ手駕籠を担ぐ雲助くもすけだ。女の草履が汚れていなかったのは駕籠を使っていたからだった。


「出雲から来たのかい。あたしは江戸だよ」


 女の名はギン。連れの男はカクとスケ。吉原遊郭の女将だが最近は亭主が連れ込んだ妻妾に店を任せて、物見遊山に興じてばかりいるらしい。


「西国巡礼はこれで八度目だよ。少し飽きちまった」

「おギン様、三度目です」

「カク、言わぬが花って言葉を知らないのかい」


 ギンも二人の従者もお大尽だいじんぶりを鼻に掛けることもなく気さくに話をする。マツ以外の四人は次第に打ち解けていった。


「ところでおマツだっけ。あんたの歌はたいしたもんだねえ」

「吉原でもこげ上手な娘はおらんだらぁね」

「おキミちゃん、それは言い過ぎだよ」

「いいや。そうでもないさ」


 それからギンはご高説を垂れ始めた。歌が下手な娘は三味線も下手。弦が弛んで音が狂っていても全然気付かない。狂ったまま平気で引き続ける。伴奏を付けずに歌わせれば、高い音は上がり切らず低い音は下がり切らず、聞いていて気持ち悪くなる。


「それに比べればおマツの歌は月とスッポンさね。なにしろ巡礼者が外した音さえそのまま歌っちまうんだから。人一倍耳がいいんだね」

「おらも稽古すればおマツちゃんみたいにうまくなれっかな」

「ある程度はね。だけどそれにも限界ってもんがある。持って生まれた才がなきゃどれだけ稽古を積もうが駄目なのさ。おマツにはその才がある。稽古次第では江戸で一番の芸者にだってなれるんじゃないかねえ」


 ギンは駕籠の上からマツに熱い視線を送っている。マツの才能によほど惚れこんでいるのだろう。幾分のお世辞を含んでいるにしても吉原の女将に仲間を褒められたのだからトメたち四人は悪い気はしない。だが当の本人のマツは顔を強張らせてキミにしがみつくように歩いている。


「おやおや嫌われちまった。少しお喋りが過ぎたようだね。ちょいと、そこで降ろしておくれ。喉が渇いちまった」


 トメたちが股のぞきをした場所でギンは駕籠を止めた。カクが草履を置き、スケが竹筒を差し出す。駕籠を降りたギンは水を飲みながら絶景を眺めていた。


「これで八回目だけど何度見てもいいもんだねえ」

「おギン様、三回目です」

「カク、知らないのかい。八ってのは多いって意味なのさ。八百屋、八千代、八百八町。みんな正確にその数だけあるわけじゃないだろ。八回目ってのは何度も来たって意味で使ってんだよ」


 カクという男はかなり几帳面な性格のようだ。間違いを正さずにはいられないらしい。


「そうだカク、あれをお出し。娘たちにも分けてあげな」

「ははっ」


 カクは振り分け荷物を開けて紙包みを取り出した。


「おひとついかがかな」

「うわあ、きれい」


 紙包みの中では彩り鮮やかな飴が宝石のように輝いていた。五人はひとつずつ摘んで口に入れた。キミが感動の咆哮を放つ。


「う、うんまいなあ」


 これまでに味わったことのない甘さが舌の上に広がっていく。強張っていたマツの顔もたちまち微笑みに変わった。


「おいしいだろう。それは有平糖、砂糖を煮詰めて作った飴さ。江戸で芸者になれば毎日飽きるくらい食えるんだけどねえ」


 笑顔になったマツの顔がたちまち曇る。有平糖の効果は一瞬で終わってしまった。


「だけどさ、芸者になったら色を売らなきゃいけないんだろ。吉原はそういう所だって聞いたことがあるぜ」

「おフユちゃんはそんなこと知らなくてもいいの」

「子ども扱いはやめろよ。おいらはもう十五だ」

「ははは、そりゃ立派な大人だ、見てくれはともかくね。だけどあんたは大変な勘違いをしているよ。色を売るのは遊女の仕事。芸者が売るのは色じゃない、芸さ」


 吉原芸者は江戸で唯一お上が公認した芸者である。そのため監視が特に厳しかった。もし隠れて客を取りでもしたら最悪の場合追放されることもあった。着物の裾を持つのは芸者が左、遊女は右。左で持てば長襦袢の合わせ目と逆になるので男の手が入りにくくなる。それほど芸者は身持ちが堅いのだ。ギンからそんな話を聞かされて五人の娘は感心するばかりだ。


「知らなかったなあ。芸事だけに専念できるってちょっと楽しそう」

「そうでもないさ。芸の道に終わりはないからね。耳の肥えた大店の旦那のお座敷なんぞに呼ばれたら大変さね。少しでも調子を外せば次からは呼ばれなくなる。完璧な芸を披露し続けなきゃならないってのは結構つらいもんだよ」

「おギン様、そろそろ参りませんと」

「ああ、待たせているのを忘れていたよ。おマツもなかなかいい顔をしてくれないし、この話はこれで終わりにしようかね」


 休憩を切り上げて再び山を下りる十人。そこからは西国巡礼の話になった。


「そうかい。あんたたちはここが最初の札所だったのかい。で、これからどうすんだい。せっかく近江まで行くんなら先に京の札所を回っておいた方がいいんじゃないのかい。どうせ番号順には回ってないんだし、先に済ませておいた方が気が楽だろ」

「それについてはいろいろありまして」


 トメは洛中五寺の巡礼を諦めた経緯を説明した。ギンは釈然としない様子で聞いていたが、満願成就より大事にしたいものがあるというトメの考えには納得してくれた。


「ああ、わかるよ。あんたらの気持ち。上方のヤツらの高慢さときたら本当に鼻につくからねえ。知ってるかい京十代って言葉。京の都に十代住んでようやく人として認めてくれるんだよ。このあたしでさえただの田舎者扱いさ。そんな場所、行かないのが正解だね」


 ギンほどの者ですら都では嫌な思いをするらしい。自分たちが洛中に足を踏み入れる時は決してやって来ないに違いない、五人の誰もがそう思った。


「おギンさんはやっぱり番号順に回っているんですか」

「そうさ。回ってくれるのはあたしの足じゃなくて駕籠だけどね」


 東国からの巡礼者のほとんどはまず伊勢参りと熊野詣を済ませ、それから西国巡礼の一番札所へ向かう。ギン一行もそれにならって旅をしていた。つまり次の目的地はトメたちと同じ二十九番札所の松尾寺だ。


「それならあたしたちと一緒に回りませんか。こうして親しくなれたのはきっと観音様のお導きですよ」

「有難い申し出だけど無理だねえ。ここからは船で行く予定なんだ。あんたらまで乗せる余裕はないよ」

「そうかあ、がっかりだあ」


 二匹目のドジョウを狙っていたキミは情けない声を出した。ギンたちと同行すれば、飲み食いし放題だった雲水との旅を再現できるかもしれないと期待していたのだ。


「ここまででいいよ。はいお駄賃」

「こりゃどうも」


 成相本坂道を出て府中の海岸まで来たところでギンは駕籠を降りた。目の前に停泊しているのは渡し船ではなく大きな屋形舟だ。想像を遥かに超える長者っぷりにトメたちは驚きを通り越して呆れ返ってしまった。


「いつも船で巡礼しているんですか」

「いいや、今回が初めてだよ。八度目ともなると飽きちまうからね。ちょっと変わったことがしたくなったのさ」

「おギン様、三度目です」

「カク、八は末広がりで縁起のいい数字なんだよ。言う方も聞く方も気持ちよくなれるんだから遠慮なく使えばいいのさ」


 カクの几帳面さは筋金入りのようだ。


「おソメ殿、少しよろしいかな」


 これまで一言も口を利かなかったスケがソメに話し掛けてきた。しかも他人に聞かれたくないのかトメたちから距離を取ろうとしている。ソメは若干の疑心を抱きつつスケに従うことにした。少し離れた松の木陰まで来てようやくスケが歩みを止めた。


「それで、ご用件は」

「用心されよ。そなたたちは見張られている」

「なっ、まことか!」


 ソメは神経を研ぎ澄まして周囲の気配を読んだ。いた。トメたちから二十間程離れた松の木陰に、一人の男が何をするでもなくじっとトメたちを見ている。


「あれは我らではなくおギン殿を見張っているのではないですか」

「いや、狙いはそなたたちで間違いない。あの男が跡を付け始めたのは成相寺を出てから。つまりそなたたちと同行を始めてからだ」


 ソメはもう一度男の風体を確かめた。着古した筒袖の半着に頬かむり。見覚えがある。


(そうだ、境内でおマツ殿が御詠歌を歌っている時、見守る人々の中にあの姿があったではないか)


 ソメは自分の未熟さを嘆かずにはいられなかった。何故もっと早くあの男の存在を察知できなかったのか。ただ者ではないカクとスケに気を取られていたにしても、ここに来るまで気付けなかったのは迂闊すぎる。


「あの男は何者であろう。何故我らを見張っておるのだろう」

「それはわからぬ。だが用心するに越したことはない。くれぐれもご油断召されるな」


 話はそれで終わった。トメの元へ戻るとキミがにやついた顔をしている。


「おソメさん、二人っきりで何を話しちょったんだ。ええ雰囲気だなぁ」


 キミは何か勘違いをしているようだ。直ちに誤解を解きたいところではあるが、だからと言って正直に話すわけにもいかない。


「いやなに、これからの巡礼路について教えてもらっていたのだ。八回も巡礼している先達であるからな」

「おソメ殿、三回です」


 カクは他人に対しても容赦なく几帳面さを発揮するようである。


「さてとここでお別れだね。あんたたちの無事を祈っているよ」

「はい。おギンさんたちも気を付けて。また会えるといいですね」

「運が良きゃ会えるだろうさ。行く先は同じなんだから。出しとくれ」


 穏やかな海面を滑るように屋形船は遠ざかっていく。一緒にいた時間はわずかだったが親友と別れたような寂しさだ。

 だがいつまでも別れを惜しんではいられない。トメたちは歩き出した。天橋立から渡し船で文殊まで戻り、今日中に由良の辺りまで進んでおきたい。


(まだ付いてくる。やはり狙いは我らか)


 ソメは警戒を怠らなかった。五人の殿しんがりを務めながら常に意識を集中させていた。


「あいつ気に入らないな。ちょっと脅してやろうか」


 ソメの前を歩いていたフユがいきなり立ち止まって振り返った。例の男を睨み付けている。


「おフユ殿、気付いていたのか」

「当たり前だ。成相寺を出た時から獲物を狙う山犬みたいにおいらたちを付け狙いやがって。追剥でもするつもりか」


 フユは山に住んでいる。猪や猿、時には熊に出遭うことも稀ではない。獣の存在をいち早く察知できなければ自分の身を守ることなど到底できない。そんな環境で暮らしているうちにフユは気配を敏感に感じ取れるようになったのだ。


「今手を出すのはよくない。仲間がいるかも知れぬ。まずは相手の出方を窺おう。このまま何もせずに去ってくれればそれに越したことはない」

「まあ、おソメがそう言うんなら」


 ソメとフユは知らぬ顔で歩き続けた。男は五人が渡し船に乗った時点で引き返していった。ソメはひとまず安堵した。







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