剛力予言

 峠を越えて但馬の国に入った六人は少し早いが湯村で宿を取ることにした。ここにも古くからの温泉があり、川沿いの湯壺からは白い湯気がもうもうと立ち上っている。


「うむ、ここにしよう」


 雲水が選んだのは大きな旅籠はたごだ。どうやら一人だけで泊まるつもりらしい。


「雲水さん、また明日ね」


 トメたちが立ち去ろうとすると雲水は驚いて引き留めた。


「どこへ行く。そなたたちもここに泊まればよかろう」

「無理だよ。路銀を持っていないんだもん。ここはあたしたちを泊めてくれるような宿じゃないよ」

「銭の心配は無用だ。さあ、参ろう」


 雲水に付いて中に入ると出迎えの掛け声とともに番頭が出てきた。が、その顔からはすぐ愛想が消えた。


「悪いね。あいにくうちは無銭の者を泊める宿屋じゃないんだ。他を当たっておくれ」

「失礼なことを申すな。銭はある」

「おや、そうですか。では前払いでお願いします」


 番頭の言い値は少し高かったが雲水は文句を言わずに払った。銭を貰った以上客として認めぬわけにはいかない。


「男四名、女二名お通しして」

「誰が男だ。男はその雲水だけだ」


 またも間違えられたソメ、フユ、マツである。


 通された部屋は畳敷きの立派な部屋だった。五人は歓喜した。畳のある家に住んでいる者など一人もいなかったからだ。

 温泉に浸かって浴衣に着替え、米の飯がぎっちり詰まったお櫃を見て五人は再び歓声を上げた。普段は麦飯、あるいは雑穀や野菜を混ぜたかて飯で腹を膨らませているのだから無理もない。宍道宿でご馳走を堪能した時でさえ、茶碗に盛られていたのは雑穀飯だったのだ。


「こっちの道を選んでよかったなあ」


 食いしん坊のキミは飯を山盛りにしてぱくついていた。トメは飯より色鮮やかな煮物に目を引かれている。


「この煮物、甘辛くておいしい。お豆腐もコクがあるし」

「それはこの地方の郷土料理じゃぶだ。冬に熱々のまま食うとさらにうまい」


 雲水は料理を味わいながら当たり前のように酒を飲んでいる。今ではすっかり打ち解けてしまったフユがすかさず突っ込みを入れた。


「坊さん、酒なんか飲んでいいのか」

「これは酒ではない。般若湯はんにゃとうという湯だ。何も問題ない」

「この煮物、鶏肉が入っている。坊主が肉を食っていいのか」

「これは鶏肉ではない。かしわという植物だ。何も問題ない」

「やれやれ。とんだ生臭坊主だな」


 フユと雲水は気が合うらしい。話が弾んでいる。二人とも型に囚われない性格なので相性がよいのだろう。


「しかし坊主のくせに金持ちだな。どうやって稼いでいるんだ」

「ん、気になるか。まあそのうちわかるだろう」


 雲水はそれ以上話そうとしなかった。フユもそれ以上は訊かなかった。


 翌日も五人は雲水と一緒に旅を続けた。聞けば雲水は和田山から丹波篠山へ向かうらしい。一方トメたちは和田山より先の夜久野からなりあい道を通って丹後の成相寺を目指す予定だ。


「ならば和田山までは同行できるな。よろしくお頼み申す」

「そりゃこっちの台詞だあ。雲水さんの力と銭、頼りにしちょるよ」

「おキミが頼りにしているのは銭というより食い物だろ」


 フユの突っ込みを聞いてみんな笑い出した。


 六人は山陰街道をゆるゆると進んだ。雲水の忠告に従って坂道は上りも下りも意識して遅く歩いた。その日は春来峠を越えて村岡で宿を取り、翌日は八鹿ようかに宿泊。そして三日目の昼過ぎに和田山へ到着した。


「騒がしいな。何かあったのかな」


 前方に人だかりができている。覗いてみると二人の男が言い合いをしていた。一人は町人風の若造。もう一人はあわせ羽織を着た旦那だ。


「おまえが盗んだに決まっている。観念して財布を返しなさい」

「だから知らねえって言ってるだろ」

「ならば裸になって調べるまでだ。脱げ」

「断る」

「ふむふむなるほど」


 様子を見ていた雲水は勝手に推理を始めた。


「財布が無くなったのに気付いた旦那。そう言えば先程若造とすれ違った時に体をぶつけられた。奴にすられたに違いないと後を追いかけ問い詰めている真っ最中。差し詰めこんなところか」

「驚いたね、その通りだよ」


 横で聞いていた男が感心している。雲水は誇らしげに胸を反らすとずかずかと二人に近付いた。突然大男が現れて驚く二人。


「なんだね、おまえさんは」

「旅の雲水だ。お二方の揉め事、拙僧にお任せあれ」


 雲水は頭陀袋から水晶玉を取り出した。


「いかなる失せ物であろうと我が法力にかかれば立ち所にその所在は知れる。紛失した財布の、占って進ぜよう」

「おう、そりゃいいな。やってくれ」


 若造は乗り気だ。しかし旦那は渋い顔をしている。


「ふっ、インチキに決まっている。余計なお世話だ。帰っておくれ」

「試しにやってみても損はないだろ」

「失礼ながら損はある」


 雲水はにこやかな顔を若造に向けた。


「占いは無償ではできぬ。さらに多く払えば払うほど的中率は高くなる」

「なんだ、銭が要るのか。一文も持ってねえよ」

「ほら見たことか。金目当ての騙りだよ」

「その銭、私が出そう」


 見物人の中から声が上がった。その姿を見て誰もが驚いた。羽織袴と腰の刀。騒ぎを聞きつけてやって来た陣屋の役人だ。


「そこの雲水、そちの法力とやらで財布の在り処がわかるのだな」

「いかにも」

「ならばやってみろ。ほれ、受け取れ」

「うむ、引き受けた」


 役人から銭を貰うと雲水は水晶玉に顔を近付けた。


「おん・くちぐち・ぐやりしゃりしゃり・しゃりれい・そわか。我に在り処を知らしめせ」


 呪文を唱え終わっても雲水は水晶玉を凝視し続けている。瞬きひとつしない。岩にでもなったのかと疑いたくなるくらい微動だにしない。少し時間がかかり過ぎるのではないかと文句のひとつも言いたくなった頃、ようやく口を開いた。


「ははは。これはおかしい。財布は失せてはおらぬ。持ち主の懐にある」

「なんだと!」

「う、嘘だ、でたらめだ」

「そうか。オレの着物を脱がせたどさくさに紛れて財布を忍ばせ、盗人に仕立て上げるつもりだったんだな。この野郎!」

「うわわ」


 捕まえようとした若造の手を払い、逃げ出そうとする旦那。しかし役人の手下が素早く取り押さえ懐を改めた。雲水の言葉通り財布が出てきた。


「騙りはそちのほうであったか。引っ立てい!」


 旦那は縄を掛けられ連れて行かれた。若造も取り調べのために同行する。役人が礼を言った。


「相変わらず見事な手際だな。それにしてもあの男、何故あのような嘘をついたのだろう」

「相手に恨みがあったか、あるいは誰かに頼まれたか。銭を払うなら占ってやってもよいが」

「それは要らぬ。責めて吐かせるゆえ。では」


 親し気に話す様子を見ると二人は知り合いのようだ。役人が立ち去ると雲水は水晶玉を高く掲げた。


「さて皆の衆。困りごとはないか。失せ物、探し人、金運、縁結び、いかなる難事も拙僧の法力にて解決して進ぜよう」


 たちまち雲水の周りは黒山の人だかりになった。目の前でこれほど鮮やかに一件落着を見せられたのだ。誰もが「次は自分の番」と思いたくなるのは自然の成り行きと言える。


「坊さんにしては金持ちだと思っていたがこうやって稼いでいたのか。ここまで俗っぽい坊主も珍しい」


 フユは口では悪く言っているが尊敬の眼差しを向けている。どこまでも気の合う二人だ。


「雲水さんって凄い人だったんだね」

「うむ。あの法力は本物だ」

「もしかしたらあたしと同じで観音様の力を持っているんじゃないのかな」

「それは違うと思う。雲水殿はとっくに三十三……」


 三十三歳を超えている、と言いそうになったソメは慌てて口を閉じた。雲水に注意した過ちを自分も犯しそうになるとはなんたること。油断大敵もはなはだしい。


「三十三がどうかしたの」

「いや、雲水殿は三十三回も不幸な目に遭ってはおらぬのではないかと言いたかったのだ」

「そうだよね。お気楽そうに見えるもんね」


 ソメは納得してくれたようだ。安堵するソメである。


「待たせたな。路銀がなくなりかけていたのでちょうどよかった」


 ようやく人だかりから解放された雲水が戻って来た。頭陀袋はパンパンに膨らんでいる。


「かなり稼げたんじゃないか」

「銭貨が多いのでそれほどでもない。しかしここからは一人旅。当面の路銀としては十分だ」


 この言葉で五人は少なからず落胆した。宿が豪勢だっただけでなく道中も荷物を持ってもらったり背負ってもらったりしていた。それがなくなるのかと思うと気を落とさずにはいられない。


「そのような顔をするな。腹も減ったし団子でも食おう。最後の大判振舞だ」

「大盤振舞が団子とは情けねえ」


 突っ込みを入れたのはフユではなく食いしん坊のキミである。


 六人は茶屋に入り皿に山盛りの団子を食べた。腹が膨れれば気分も陽気になる。陽気になればお喋りも弾む。


「ご馳走もこれで打ち止めと思うと口が寂しんなるな」

「おキミ殿は食べ過ぎに注意されよ。腹八分目が健康の秘訣だ」

「何度も背負っていただいてありがとうございました」

「おマツ殿は軽すぎて背負っている感じがしなかった。もっと食べて太られよ」

「ねえ雲水さん、あの占いってあたしの力とは違うの」

「違う。千手千眼観音に帰依してはいるが、あくまでも修行によって手に入れた法力だ。よって必ず的中するわけではない」

「ふーん、世の中にはいろんな力があるんだね」

「それよりも雲水殿。貴殿のおかげでここ数日は本当に助かった。改めて礼を申し上げる」

「礼を言いたいのこちらだ。五人の若い娘と旅ができたのだからだな。予定の倍の日数がかかってしまったが、なにやら若返った気分だ」

「礼を言いたいのなら、おいらたちも占ってくれよ。この旅はどうなるんだ」


 フユが図々しいことを言い出した。切っ掛けを作ったソメが慌てて取り成す。


「雲水殿の言われた『礼を言いたい』とはただの挨拶言葉に過ぎぬ。これだけ迷惑を掛けておいてそのような頼み事をするとは厚かましいにも程があろう」

「だけどこっちだって酒の酌をしてやったり、おマツは歌まで聞かせてやったりしたんだ。占いくらいただでやってくれてもいいだろ」

「ははは。よいぞ。そなたたち五人の旅、占って進ぜよう。ただしどのような結果になろうとも恨まれては困る。よいか」

「いいぜ」


 フユの言葉を聞いて雲水は水晶玉を取り出した。呪文を唱え凝視する。不安と期待の眼差しで雲水を見守る五人。しばらくして占いの結果が出た。


「水晶には村に帰るそなたたちの姿が映っている。ただしその人数は四」


 一瞬の沈黙の後、フユが叫んだ。


「どういうことだ。誰か一人が帰って来られないってのか」

「そうとは限らぬ。あくまでも同時に帰還するのが四人というだけのこと。一人は遅れて帰るのかもしれぬ。あるいは自ら旅を止めるのかもしれぬ。それ以上のことはわからぬ」

「だが雲水殿は言われた。必ずしも的中するものではないと。我らは必ず五人で村に帰る」


 ソメが静かな、しかし断固とした口調でそう言った。フユも大きく頷いている。雲水は水晶玉を仕舞うと立ち上がった。


「占いとは最も起こりうる事象を示すに過ぎぬ。大人とわらべが相撲を取れば大人が勝つ。占いが示す結果はそのような事象のみだ。だが時には童が勝つこともある。最も起こりうる事象であっても起こらぬことはあるのだ。そなたたち五人の旅が無事に終わることを祈っているぞ」


 雲水は歩き出した。その後姿にフユが声を掛けた。


「坊さん、ありがとな。またどこかで会えるといいな」


 雲水は軽く手を振ったがそれだけだった。何も言わず足早に街道を歩いていった。














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