剛力同行

 五人の旅はまずまず順調に進んでいた。松江を出て中海沿いに西へ進み二日後、米子に到着。そこから海沿いの道をひたすら進んで伯耆ほうきの国を抜け、三月九日、ようやく因幡いなばの国鳥取に到着した。


「話には聞いていたけど鳥取のご城下も立派なものだね」


 鳥取藩は三十二万五千石。藩主の池田家は戦国時代の武将池田恒興の子孫だ。山陰では萩の毛利家に次ぐ大藩である。


「因幡を出ると海ともお別れか。名残り惜しえなあ」


 キミはずっと旅の共をしてくれた海を懐かしむように北の空を眺めている。ここまでは山陰街道を西へ進んできたが、但馬の国へ入ると進路は南西方向に変わる。平坦だった海沿いの道とは違い起伏のある山道が多くなるので、今までのようには進めないはずだ。


「やっぱり海沿いに進んだ方がええんじゃなえかな」

「おキミちゃん、それはもう何度も話し合ったでしょ」


 ここからの進路については旅に出る前の会合でかなり揉めた。最初の目的地である二十八番札所成相寺は丹後半島の付け根辺りにある。従って鳥取から海沿いに久美浜まで行き、そこから丹後半島に入る道が最短となる。キミはそちらのほうがよいと言うのだ。


「距離的には短くなるが本道から外れるのは如何なものか」

「そうだよ。きっと悪路で歩きにくいと思うよ」


 トメとソメは遠回りでも本道を歩いたほうがよいという意見だ。キミはなかなか同意しなかった。しかし「本道沿いの農家ならうまい飯を出してくれるはずだ」というソメの言葉が効いて、ようやく自分の意見を引っ込めた。が、ここに来てまた文句を言い出したのだ。


「おキミ殿。話し合って決めたのだ。守ってもらわねば困る」

「それはわかっちょるけど、思ったより高そうな山が多えけん」

「別に頂上まで登るわけじゃないよ。峠道は一番低い所を越えていくんだから」

「そりゃそうだけんど」

「おキミ、マツが歩けなくなったら自分が背負うとか言っていなかったか。それだけの体力があれば山道くらい余裕だろう」

「あーもうわかった。ほれ、さっさと行かあ」


 フユに止めを刺されてようやくキミも腹を決めたようだ。のしのしと歩き出した。


 その日は峠越えに備えて鳥取の先まで足を進め岩美の辺りで宿を探すことにした。ここには平安時代初期に開湯された山陰最古の温泉がある。トメたち五人も共同の浴場に浸かった。湯に触れた肌を通して幸せが全身に広がっていく。


「ヤレヤレはじまるはじまる、はじめたところは、因州因幡の岩井温泉」


 歌声が聞こえてきた。数人が頭に手拭いをのせ、柄杓で湯を叩きながら歌っている。


「ははは、こりゃ愉快でいい」


 フユが手を叩いて喜んでいると年配の女性が教えてくれた。


「あれは湯かむり唄というもんです」


 この地で古くから伝わってきた風習のようだ。フユも面白半分に手拭いを頭にのせて柄杓で湯を叩く。さすがに歌うのは無理なので鼻歌で済ませている。


「はじまるはじまる」


 歌詞が一巡したところでいきなりマツが歌い始めた。一度聞いただけで覚えてしまったようだ。調子も音程もまったく狂いがない。そのうえ声が美しい。五人だけでなく他の湯治客もすっかり聞きほれてしまった。


「おマツ凄いな。見直した」

「ホントだよ。もっと歌って」

「能ある鷹は爪を隠すとはよく言ったものだ」

「おマツちゃんの子守歌を聞けばどんな子も泣き止むけんね」


 マツは恥ずかしくなったのか一度だけでやめてしまった。その途端拍手が起きた。マツは真っ赤になった顔を鼻まで湯に潜らせた。


「さあ、峠を越えるよ」


 翌朝、五人は夜明け前に宿を発った。因幡と但馬たじまの国境にある蒲生峠は因幡蒲生村から但馬千谷ちだに村まで約一里半の道のりである。距離はさほどでもないが急坂が多いので油断は禁物だ。


「よし通れ」


 峠の番所を無事抜けた五人は山道を登り始めた。最初は余裕の表情で歩いていたが次第にマツが遅れ始めた。


「おマツちゃん、負ぶされ」


 マツの面倒は自分が見ると約束した以上放ってはおけない。キミは道中合羽を外してソメに荷物を預けるとマツを背負った。だがさすがのキミも人を背負っての上り坂はキツイ。徐々に遅れ始めた。力は強くても持久力はないのだ。


「すまねえ。ちょっこし休ませてごしぇ」


 キミはマツを降ろすと木陰に座り込んでしまった。


「やっぱり口先だけか。この程度の坂道でこんなんじゃ先が思いやられるな」

「おフユちゃん、そんな言い方はやめなよ。それにあたしもちょっと疲れてきたし、ここで一服しようよ」

「それは名案」


 トメとソメも腰を下ろしてしまった。こうなっては文句の言いようがない。フユも寝転ぶ。


「ほほう。難儀をしているようじゃな」


 遠くで野太い声がした。見れば体格の立派な雲水がこちらに歩いてくる。


「男三人に女二人の旅仲間とはなかなか珍しい組み合わせじゃ」

「男三人?」


 ソメとフユが顔を見合わせた。股引姿のキミは仕方ないとしても、自分たちまで男と間違われるとは心外にも程がある。当然のようにフユが文句を言う。


「失礼な奴だ。どこが男なんだ」

「おっと失礼。そちらは女剣士であったか。訂正する。男二人に女三人だ」

「違う。いや女剣士は合ってるけど違う」

「おや、ひょっとして三度笠に股引の御仁は女であったか。そう言えばふくよかな体付きであるな。では男一人に女四人だ」

「違うって言ってるだろ。いや股引が女は合ってるけど違う」

「ははは冗談だ。女五人で峠越えはさぞかしつらかろう。手を貸すぞ。そなたたちの荷物、全部持ってやる。そうすれば楽に登れるであろう」

「ありがてえ、頼みますだ」


 何も考えず自分の荷物を差し出すキミ。しかしフユが制した。


「何を馬鹿正直に渡そうとしているんだ。荷物を渡したが最後そのまま逃げ出すに決まっている」

「ほほう。そこの蓑虫殿はなかなか頭が回るようじゃな」

「誰が蓑虫だ」

「荷物が駄目ならその一番小さい娘を背負って進ぜよう。そなたたちの足を引っ張っているのはその子であろう」

「よかったなあ、おマツちゃん。背負ってもらえ」


 何も考えずにマツを差し出そうとするキミ。またもフユが制する。


「だから駄目だって言っているだろう。おマツがさらわれたら一大事だ」

「やれやれ。どうすれば信じてもらえるのか」

「何をやっても信じない。助けなんかいらない。とっと失せろ」

「待って、おフユちゃん」


 トメが立ち上がった。ずっと二人の遣り取りを見ていたが、この雲水が悪人には思えなかったのだ。それにこんな大男に力を貸してもらえればこの峠も簡単に越えられる。


「おソメちゃん、何かいい方法はないかな」

「ふむ、そうだな」


 ソメもまたトメと同じ考えだった。しばらく頭を捻った後、こんな提案をした。


「ではこちらの荷物を預ける代わりに貴殿の往来手形をこちらに預けるというのは如何かな。おフユ殿、どうだ」

「手形を人質にするのか。悪くないな。おい坊さん、手形を渡せば荷物を持たせてやってもいい」

「よろしい。では交換だ」


 雲水は懐から往来手形を出すとソメに渡した。ソメも自分の風呂敷包みを差し出す。他の四人もそれにならった。荷物は必要最小限にしているが、それでも無くなればだいぶ楽になる。トメは飛び跳ねて歓声を上げた。


「うわあ、体が軽くなった気分」

「では参ると致すか」


 雲水は五人分の荷物を持って歩き始めた。逃げる様子はまったくない。本当に気の良いだけの男のようだ。次第にフユも気を許し始めた。


「坊さん、名は何て言うんだ」

「雲水だ」

「それは修行僧の呼び名だろう。そうじゃなくて坊さんの名前を訊いているんだ」

「だから道号が雲水なのだ」

「本当か? おソメ、手形を確かめてくれ」


 ソメは預かっている往来手形を開いてみた。確かに「雲水」と書かれている。


「雲水で間違いござらぬ」

「雲水が雲水やっているってことか。こりゃおかしい」

「おかしいか。しかし我が師から賜った大切な名じゃ。心して呼ぶがよい」

「いや、やっぱりこれからも坊さんと呼ぶよ」


 上り坂は続く。またマツが遅れ始めた。雲水はマツの前にしゃがみ込んで背を向けた。負ぶされと言うのだ。戸惑いながらトメを見るマツ。


「好意は素直に受け取るもんだよ、おマツちゃん」

「ああ、この坊さんなら心配要らない」


 トメとフユの同意を得たマツは「ありがとうございます」と礼を言って雲水に負ぶさった。五人の荷物を預かったままマツを背負って歩き出す雲水。相当な剛力だ。


「上り坂は無理しない。これが鉄則だ」


 雲水は歩きながら坂道の歩き方を皆に教えた。こんなにゆっくり歩いて大丈夫かと心配になるくらいゆっくり歩くべし。吸う息より吐く息を意識すべし。肺に古い息が溜まると体は古い息しか取り込めなくなる。古い息を吐き切ってから新しい息を吸うべし、などなど。


「へえ、さすがは諸国行脚の修行僧だ。だけどどうしてこんなに親切にしてくれるんだ」

「昨晩、湯船で湯かむり唄を歌っていたであろう。あの歌声は見事であった。他の男衆も皆聞きほれておったぞ。体だけでなく心も洗われると申してな。その礼だ」

「よくおいらたちが歌っているってわかったな」

「湯上りに戸口の外で涼んでいたのだが、若い娘はそなたたちしか出て来なかったからな。そして背負う時に礼を言われてわかった。歌っていたのはこの娘だったか」

「はい。褒めていただいてありがとうございます」


 マツは照れながらもう一度礼を言った。素直に嬉しかったようだ。


「それならおマツも堂々と背負ってもらえるな。歌のお礼なんだから」

「ははは、そうだ遠慮はいらん」


 雲水の言動に不自然な点はない。だがソメは違和感を抱いていた。雲水の視線がずっとトメに向けられているのだ。その視線に悪意は感じられない。しかし親愛も感じられない。強いて言うなら畏怖に近い感情だ。


「雲水殿、我らに親切にしてくれる理由は本当におマツ殿の唄だけなのであろうか」

「はて、何故そのようなことを尋ねられる」

「他に気になる者がおるのではないか」


 ソメの問いを聞いた途端、雲水は大声で笑い始めた。


「わはは。そなたは相当な剣の達人であるな。わしの眼差しを見逃さぬとは。いかにも。巡礼姿の娘が気になっておるのだ」

「えっ、あたし?」


 トメは立ち止まると両頬に両手を当てた。男から気になっていると言われたのは生まれて初めてだ。のぼせ上がってしまった。


「そんな、こんな所で告白されても困るなあ」

「勘違いするでない。そなたからは観世音菩薩の気を感じるのだ。何か特別な力を宿しているのではないか」

「そうだよ。あたし観音様の力で人を治せるんだ」

「おトメ!」


 ソメとフユとキミが一斉に声を上げた。会ったばかりの人物に軽々しく教えていい話ではない。マツも驚いた顔で口を押さえている。


「みんなどうしたの。別に知られたからってどうなるものでもないでしょ。治せない人は治せないんだから」

「いや確かにそうではあるが、雲水殿とて人間。おトメ殿の力を自分のために使おうとするかもしれぬ」

「おソメ殿、心配召されるな。そのような真似はせぬ。それにわしは観世音菩薩の力を宿した者をこれまで何人も見てきた」

「へえー。あたしだけじゃなかったんだ」

「ある者は水を清らかにできた。またある者は獣を鎮めることができた。観世音の慈悲の心を宿した者たち、その生涯は、しかし哀れなものだった。なぜなら皆三十三……」

「待たれよ雲水殿!」


 ソメが大声を上げた。その先は五人の中でソメだけが知っている。そして絶対に知られてはならない言葉なのだ。雲水も自分の過ちに気付きすぐ訂正した。


「皆、三十三の不幸に見舞われる運命だからだ。おトメ殿もそうであろう」

「あたしの不幸は三十三どころじゃないよ。怪我したり疲れたり腰が痛んだり。三十三じゃなくて三百三十なんじゃないの」

「ははは、そうかもな。さてそろそろ峠の頂上か。おマツ殿、降りてもらえるか。皆にも荷物を返そう」

「ありがとうございました」


 五人は礼を言いながら預けた荷物を雲水から受け取った。最後にソメが受け取る時、雲水は小声で詫びた。


「すまぬ。うっかりしておった。止めてくれて感謝する。知っているのはそなただけなのだな」

「そうだ。だがこのようなことは誰にでもある。これから気を付けてもらえればそれでよい」

「これから? まだ同行しても構わぬのか」

「蒲生峠の次は春来はるき峠が控えている。その先も山道が続く。同行してもらえれば助かる」

「引き受けた」


 雲水は誠実で頼もしい。それは疑いようがない。しかしソメの心は晴れなかった。この雲水は自分たちに大変なことをもたらすのではないか、そんな予感がしてならなかった。









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