キミの災難

 雲水と別れた五人はなりあい道の分岐点となる夜久野に向かって歩いていた。なりあい道は文字通り播磨の二十七番札所書寫山しょしゃざん圓教寺えんぎょうじから丹後の二十八番札所成相山成相寺へ続く西国巡礼道だ。巡礼者が増えるにつれこの道の往来も盛んになった。今は巡礼者だけでなく多くの旅人が行き交っている。


「おマツ殿。元気がないように見受けられるが疲れたか」

「いえ大丈夫。歩けます」


 雲水の占いを聞いた時からソメはずっとマツを気に掛けていた。「ただしその人数は四」雲水のこの言葉を聞いた時、マツの表情が一変し、握りこぶしが震え出したのをソメは見逃さなかった。明らかに不自然な挙動の変化だった。


(もしや、占いが示した旅から抜ける一人とはおマツ殿なのか)


 マツについては父から聞いていた。清蔵がマツを巡礼の旅に参加させた理由がわからぬゆえ旅の間は気を付けるように、それが新右衛門の言い付けだった。

 これまでの旅でマツに不審を抱かせるような出来事はまったく起きなかった。恐らくは父の思い過ごしなのだろうとソメは思い始めていた。

 しかしここに至ってソメは再び新右衛門の言葉を反芻せぬわけにはいかなくなった。マツは今もまだ何かに怯えるような表情で足を運んでいる。


「元気がないのはおらも同じだあ。あんなご馳走二度と食えねえと思うと足が重くて進まねえ」

「おいらもだ。口喧嘩する相手がいなくなって張り合いがなくなっちまった」


 キミもフユも理由は違えど雲水との別れを惜しんでいた。たった数日ではあったが雲水もまた五人の仲間として迎えられていたのだ。


「みんなしっかりして。最初の五人に戻っただけでしょ。ほら夜久野に着いたよ。今日はここで宿を探そう」


 幸い宿はすぐ見付かった。無料で寝床や食事を提供してくれる善根宿せんこんやどだ。老夫婦が出迎えてくれた。


「ようこそ。よければ納め札をいただけるかのう」

「はいどうぞ」


 トメは頭陀袋から一枚取り出して老婆に渡した。納め札は札所を訪れた際、お堂の柱や壁に打ち付けて巡礼の証しとする札だ。昔は木札だったが今は持ち運びに便利な紙の札を使う巡礼者が多い。トメが渡したのも紙の札で、出発前に檀那寺の住職に頼んで五人の名と住所を書いてもらった。


「どうして宿の主人が納め札を欲しがるんだ」

「それは御利益にあずかるためであろうな」


 不思議顔のフユにソメが説明する。巡礼者を泊めれば巡礼者と同じ功徳を得ることができ、納め札を集めれば集めるほど災禍を免れることができる、そのような言い伝えがあるゆえ宿主は納め札を欲するのだ。全国から集まる納め札の中には意匠を凝らした札もあるので、集めること自体を楽しむ宿主もいるらしい、そんな話だった。


「しかし宿に札を上げたら札所に納める札がなくなるだろう」

「それを見越して住職には五十枚の納め札を用意してもらった。それでも足りなければ拙者が書くゆえ心配は無用だ」


 旅の準備はフユの知らぬところで周到に進められていたのだ。一度も顔合わせに参加しなかったことをフユは少し後悔した。


「蕎麦しかありませんが食ってくだせえ」


 ざるに山盛りになった蕎麦を老婆が持ってきた。蕎麦はこの辺りの名物だ。近くにある宝山の火山灰が降り積もってできた高原で栽培されている。寒暖差が大きいので良質な蕎麦が育つのだ。


「おいしいねえ、このお蕎麦」

「うまいことはうまいが量が少ねえなあ」


 キミは全然食べ足りないようだ。雲水と過ごした数日間、毎日腹いっぱい食べていたので、この程度の量では腹が満足しなくなったのだ。


「おキミ殿、そのような物言いはよくない。食べさせてもらえるだけで感謝せねば」

「太ると歩くのがつらくなる。これくらいがちょうどいい。おキミは太り過ぎだ」


 ソメとフユに諫められてもキミの不満は収まらない。だからと言ってこれ以上食う物がないのだからどうしようもない。麺つゆを飲み干して空きっ腹をなだめるのが関の山だ。


 食事が終われば寝る以外にすることはない。もちろん夜着などない。濡れ手拭いで体を拭き、板の間に敷いたゴザの上に着の身着のまま寝転がるだけだ。

 それでも土間に寝かされるよりずっといい。雲水に会うまでの旅の途中、一度だけ納屋に寝かされたことがあった。すきま風とひどい臭い、そして蚤や虱などに悩まされてほとんど眠れなかった。それを思えば今晩の宿は感謝してもしきれないほど有難い。


「こんばんは。宿をお願いしたいのですが」


 外から女の声が聞こえてきた。老婆が戸を開けると巡礼姿の女が三人立っている。皆、かなりの高齢のようだ。


「宿はええですが飯はねえよ。蕎麦粉が残っておらんで」

「持参しておりますので大丈夫です。かまどを貸していただけませんか」

「ああ、薪も使ってしまってな。割らねばなんねえ」

「まあ。どうしましょう」

「おらに任せて!」


 キミが飛び起きた。狙いはわかっている。巡礼者の薪割りを手伝い、その礼に炊きあがった飯を分けてもらうつもりなのだ。


「あたしたちも手伝ったほうがいいかな。どう思うおソメちゃん」

「おキミ殿一人で十分であろう。向こうも余計な気を遣わずに済む」


 トメたち四人は傍観することにした。外から薪を割る音が聞こえる。十三夜の月明かりの下で斧を振り下ろすキミの姿を思い浮かべてトメはこっそり笑った。

 しばらくして味噌の匂いが漂ってきた。味噌仕立ての麦粥を作っているようだ。トメたちもさすがに食欲を刺激されたが我慢するより他にない。やがてキミが帰ってきた。


「うんまかった」

「おい、おいらたちへの土産はないのか」

「あるわけねえ。もしあってもおらが食っちまうし」

「そうか。じゃあ寝ろ」


 不機嫌丸出しのフユの言葉に悪びれることなく寝転がるキミ。食い物の魅力の前では仲間の友情など無力に等しいとフユはこの夜思い知った。

 満足顔でまぶたを閉じるキミ。しかしその幸福は長くは続かなかった。


「ううう、痛え、気持ち悪え」


 四半刻も経たないうちにキミが呻き声を上げ始めた。


「食いすぎだ。天罰が当たったな」


 自業自得なのだから介抱してやることもないだろう、そう思っていたフユたち四人であったが、一緒に食事をした三人の女たちも苦しみ出したので放ってはおけなくなった。


「おキミ殿、しっかりいたせ。何を食べたのだ」

「ただの麦粥だ。麦飯と刻んだ野菜と味噌と、それだけだ」


 ソメは釜を調べてみた。何も残っていない。流しの碗もきれいに洗われているので何もわからない。だがくず入れには土のついた根が捨てられていた。


「これは、粥に入れたという葉物の根であろうか」


 臭いを嗅いでみる。ほとんど無臭だ。ソメは根を持つと巡礼の女の枕元へ急いだ。


「この葉物はどこで手に入れられたのだ」

「それはニラです。来る途中で見付けたので粥に入れました」

「なんてことを」


 新右衛門の言い付けで日々薬草採取に励んでいるソメは、それがニラではなくスイセンであることがすぐにわかった。花が咲いていなければ両者はほとんど見分けが付かない。そしてスイセンには毒がある。食べてすぐ症状が出始め、多量に摂取すれば死に至る。


「粥に入れたのは毒草だ。すぐ吐き出されよ」


 三人の女はよろよろと起き上がると外へ出て行った。しかしキミは動こうとしない。


「おキミちゃん、聞いたでしょ。間違って毒草を食べちゃったんだよ。早く外へ行って吐こう」

「嫌だ。吐くなんて勿体ない。腹に入れた物を出すくらいなら死んだほうがええ」

「そんなこと言わないで早く」

「雲水様の占いが当たったんだ。一緒に帰れない一人はおらだったんだ。おらを置いて四人で旅を続け……」

「馬鹿!」


 トメは思いっきりキミの頬を平手打ちにした。誰もが驚いた。不機嫌になっても決して他人に手を挙げないトメの振る舞いとは思えなかった。


「何を弱気になってるの。おキミちゃんは絶対にみんなと村へ帰らなきゃいけないの。だからお願い、おソメちゃんの言う通りにして」

「わ、わかったよ。おトメさん」

「さあ、おキミ殿つかまれ。肩を貸そう」


 キミはソメの手を借りて立ち上がると外へ出て行った。


 四人の状態は思わしくなかった。発汗と発熱が続いている。ソメは村から持参した自家製の薬を飲ませたがあまり効果がないようだった。


「おトメさん、やっぱりおらはダメみたいだあ」

「ううん。大丈夫、あたしに任せて」


 トメは懐から観音像を取り出した。キミの額に近付ける。だがソメがそれを制した。


「おトメ殿、約束をお忘れか。旅の間は観音像の力を使ってはならぬ、茂助殿にそう言われたはず」

「わかってる。でもこのままじゃおキミちゃんが」

「力を使えば今度はおトメ殿が倒れる。いや倒れるだけでは済まぬかもしれぬ」

「それでもいい。だって今までもそうしてきたんだもん」


 トメの真剣な眼差しはソメの心を惑わせた。二十年以上、トメは観音像の力で人を救ってきた。そしてソメもまたその手助けをしてきた。ソメが連れてきた者は必ずトメが治してくれた。お互いそのようにして生きてきた。トメはそのようにしか生きられぬのだ。ソメにはトメの気持ちが痛いほどわかった。だが、だからこそ心を鬼にせねばならぬことも承知していた。


「今は今までとは違うのだ。我ら五人は旅をしているのだから。拙者のお役目はおトメ殿を無事に村まで連れ帰ること。それを妨げるような行為は絶対に容認できぬ」

「そうだあ、おトメさん。倒れるのはおら一人で十分だあ。さあ、観音像を仕舞ってごしぇ」


 キミは両手で観音像を押しのけた。トメは小さく頷くと観音像を懐に収めた。


 その夜は宿主とトメたち四人が交代でキミたちを看病した。翌朝、熱は下がったもののまだ動ける状態ではなかった。トメたちは出発を見送り、もう一晩この宿の厄介になることにした。

 もちろん何もせずに一日を過ごしていたわけではない。トメは蕎麦粉挽き。ソメは山菜取り、フユは水汲み薪割り、マツは四人の看病。やがて日が傾いたころ、突然キミがムクリと起き上がった。


「腹減ったな」

「おキミさん、もう大丈夫なのですか」


 今まで死んだように眠っていたのに急に起き上がったのでマツは驚いてしまった。


「うん、もう何ともねえ」


 三人の巡礼の女はまだ気分がすぐれぬ様子で横になっている。どうやらキミは人一倍頑強な体を持っているようだ。


「あ、おキミちゃんが起きてる」

「なんだ、もう治ったのか。これからは食い過ぎるなよ」

「どれ、ちょっと診てみるか」


 ソメはキミの額に手を当て、胸に耳を当て、舌とまぶたの裏を観察し、しばし考えた後、「治っている」と言った。


「よかった。今まで通り五人で旅ができるね」

「みんな、心配掛けてすまんかったな」

「雲水の占い、外れやがった。いい気味だ。これでもうあの占いを気にする必要はなくなった。これからは気持よく旅ができるってもんだ」

「うむ。我らの力で運命を変えたのだな」


 そう言ったソメの言葉は、しかし本心ではなかった。ソメはマツを見ていた。喜ぶ三人とは対照的にその表情は暗く、何かに怯えているような不安の色に染まっていた。









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