第二話 山陰街道を行く
旅の支度
旅の支度は面倒で手間のかかるものだが、それと同じくらい心が湧きたつものだ。巡礼の旅が本決まりになったことで茂助一家の日常は騒がしくなった。
「一生に一度のことだ。きちんとした身なりで行かねばな」
巡礼装束といえば白である。白い上衣、白い手甲、白い脚絆。他にも金剛杖、
茂助とトメは村人たちに頭を下げて、これら普段の生活では全く縁のない物品を譲り受け、揃えられぬ物は自分たちでこしらえた。同時にこれ以上同行者を増やすつもりはないことも伝えた。善意で寝床や食事を提供してくれるにしても、大勢で押し掛けられてはさぞかし迷惑に違いない。五人でも少し多いのではないかと思われるほどだ。幸いなことにマツに続いて同行を申し出る者は現れなかった。
「じゃあ今日も話し合いを始めるよ」
トメたちは数日ごとに旅の打ち合わせをした。ソメの都合の良い日は新右衛門の家が、都合の悪い日は茂助の家が会合場所である。
「そっちで勝手に決めてくれ。おいらはそれに従うだけだ」
フユはほとんど顔を出さなかった。基本的に人嫌いなのである。マツも忙しいのか、あるいは清蔵が行くなと言っているのか、その理由はわからないが一度も来なかった。
「今日は団子を持ってきたけん、食うてごしぇ」
キミは毎回ではないにしてもよく顔を出した。これは茂助に、
「お伊勢さんについてはおキミの知恵が必要なので、なるべく参加するように」
と言われたからだ。
言うまでもなくそれは建前であって知りたいのはマツと清蔵に関することである。清蔵がマツを巡礼に参加させた本当の目的、それを探るにはマツと親しいキミの話を聞くのが一番手っ取り早い、茂助はそう考えたのだ。
「ところでおキミ、最近おマツに変わったところはないか」
「ないな。近所で子守りをしたり、水汲みしたり、暇なときは歌ったりしちょる」
「清蔵はどうだ。誰かと会ったり、どこかへ行ったりしていないか」
「さあなあ。酒飲んじょるとこと、酔うて道端で寝ちょるとこしか見たことねえな」
「そうか」
だが、何度尋ねても手掛かりになるような話は聞けなかった。キミを使って探りを入れる手は失敗だったようだ。
「おれが直接調べてみるしかないか」
余計な仕事が増えて少々気が重い茂助である。
「都の札所は先に回ったほうが楽できるんじゃないかなあ」
「いや、できるだけ番号順に回るべきだと拙者は考える」
「お伊勢さんは一日かけて回りてえなあ」
数日に一度の会合でトメたちが話し合っているのは、もっぱら札所の回り方についてだ。特に規則はないので好きなように回ればよいのだが一般的には番号順に回る。その番号も年とともに変化している。
平安時代の僧
同じく平安時代の僧で行尊より六十歳ほど若い
そして現在は、一番が紀伊の那智山青岸渡寺。三十三番が美濃の谷汲山華厳寺である。
一番が紀伊の那智山になったのは当時盛んになった熊野信仰によるものだ。まずは熊野三山に参詣し、その後で西国巡礼へ向かう。そうなると那智山を最初に回るのがもっとも効率が良くなるわけである。
また美濃の谷汲山が最後の三十三番になったことで、東国からの巡礼者にとっては大変都合が良くなった。「伊勢に七度熊野に三度、どちらが欠けても片参り」と言われるように伊勢の後は熊野へ向かう者が多い。そしてそこから西国巡礼を始める者もやはり多い。
巡礼が終われば東国へ帰らなければならないが、美濃谷汲山を最後にすれば谷汲街道を通って赤坂宿に抜け、そこから中山道で東国まで帰れる。大変都合がいいのだ。
さらに巡礼満願のお礼参りとして途中で信濃の善光寺に立ち寄る者も多かった。阿弥陀如来の左脇侍である観音菩薩が牛に化けて老婆を善光寺に導いたように、観音霊場の満願巡礼者もまた善光寺へ導かれているようだ。
「でもさ、どのみちあたしたちは番号順には回れないんだし、そんなにこだわらなくてもいいんじゃないかなあ」
トメたちの出発地は出雲だ。一番近い札所は丹後にある二十八番
「確かに地図を見ると近江や山城の札所はそんなに遠くねえな。おトメさんの言う通り先に回ってもいいんでねえか」
キミも番号に囚われない派だ。さすがに二人に反対されてはソメも頑固なままではいられない。
「うーむ。まあ琵琶湖をぐるりと歩いて進むなら近江の三井寺や石山寺は先に行ってもよいかもしれぬ。しかし洛中五寺まで先に回る必要がござろうか」
「先に回った方が絶対いいに決まってるよ」
「何故でござるか」
「だってあたしたちって着替えを持たず着の身着のままでしょ。都に入る頃には擦り切れたり汚れたりしてボロボロになってるはず。そしたら都の人たちに笑われちゃうよ。だからまだ奇麗なうちに回ったほうがいいと思うんだ」
「それは考え過ぎではないか。
「おソメさんは世間知らずだな。馬子にも衣装って言葉を知らねえのか。娘は見てくれが一番さあ」
「さすがおキミちゃん。よくわかってる」
結局回り順に関しては出発まで結論が出なかった。三十番札所である近江の
「兄さ、手形はどうなった」
「今日頼んできた」
旅の支度は色々あるがそれらの中で一番厄介なのは往来手形の入手だ。許可証と身分証を兼ねているので、これなくしては安全で快適な旅は不可能と言える。渡世人のように手形無しで旅をする者もいるが関所は通れず宿にも泊まれない。往来手形が入手できなければ旅に出る前に旅は終了である。
「兄さ、まさかお許しが出ないなんてことはないよね」
「さあて、どうだかな」
ソメ以外の四人は
往来手形は旅の理由や申請者の素性などに余程の疑義がない限り発行されると考えてよい。特に今回は西国巡礼を目的とした旅であるから許可されないはずがない。
ただそれがどの程度かかるかは茂助にもわからなかった。なにしろ初めてのことだ。翌日にはできると言う者もいれば十日ほどかかったと言う者もいる。やきもきしながら待っているとようやく許しが出た。
これで準備は全て整った。五人全員揃っての相談の結果、三月一日に茂助の家へ集まり翌朝出発と決まった。
「なんとか三月初めの旅立ちに間に合ったか」
梅雨の時期を避けるためにもう少し早く旅立たせたかった茂助ではあったが、こればかりはどうしようもなかった。一人だけなら日取りも簡単に決められるが、五人となるとそれぞれの家の事情もあって調整が難しい。あとは旅の無事を祈るだけだ。
「こんにちは新右衛門様」
出発日の二日前、茂助はソメが外出するのを見計らって新右衛門の家を訪ねた。薬研を使っていることが多い新右衛門であるが、今日は書物に目を通している。
「お邪魔でしたか」
「いや構わぬ」
用向きは言うまでもなく清蔵とマツに関してである。茂助は出された茶を飲みながらこれまでに知り得た事柄を話した。キミによる探りを諦めた後、暇を見付けては二人に関する聞き込みをしていた。その中でひとつだけ気になる話があった。最近清蔵の金回りが良くなったというのだ。
「溜まっていたツケを返しただけでなく、大工仲間にも酒や飯を振る舞っているそうです。なんでも富くじで大当たりしたとか」
七十年ほど前から杵築大社では年二回、三月と八月に富くじ興行が行われていた。この時期になると全国からやってきた数万人の参拝者で町が賑わい、門前町の宿屋や飯屋はこの興行で一年分の稼ぎを得ることができた。
「ふむ、富くじか」
「新右衛門様は何かわかりましたか」
「いや、わしも茂助殿と同じく金回りが良くなった話しかわからなかった。だが富くじではないと思う」
「何故ですか」
「清蔵の気前がよくなったのは今年になってからだ。つまり昨年八月の富くじに当たったことになる。四ヶ月以上も金を使わないのは不自然だ」
「ではどんな手段で金を手に入れたと思われるのですか」
「それはわからぬ。清蔵は粗暴者だが腕の立つ大工職人だ。羽振りのよい旦那から特注品の細工物を依頼されたか、あるいは」
「あるいは?」
「良からぬ裏稼業に手を染めたか、まあ考えたくはないがな」
茂助は厄介なことになったと思った。トメの西国巡礼さえなければこんな他人ごとに頭を突っ込むこともなかったのだ。しかし乗りかかってしまった以上後には引けない。
「それにマツを旅に出す理由もわからぬ。金があるのならおトメたちにおマツの世話を押し付ける必要もなかろうからな」
「解決どころかさらに謎が深まってしまいましたな」
茂助と新右衛門は顔を見合わせて笑った。これでは自分から沼の深みへはまりにいっているようなものだ。
「あるいはわしらの考え過ぎなのかもしれぬ。富くじも一人で買ったのではなく仲間内で買ったもので、その分配で喧嘩になり、今年になってようやく分け前が貰えた、そんな話なのかもしれぬしな」
「ではおマツを旅に出す件についても特に深い理由はないと?」
「そうなのかもしれぬ。だがやはり何かが引っ掛かるのだ。一応ソメには伝えてあるのであとは娘たちに任せるとしよう」
「わかりました」
話が終わると茂助はそそくさと家を出た。清蔵もマツもどうでもいい。とにかく五人が無事に旅から戻ってくれればよい、それだけを考えていた。
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