磯七の娘キミ、清蔵の娘マツ

 その日の午後、籠いっぱいのヨモギを抱えて帰宅したトメから、無事二人目の同行者が見付かったという報告を受けて、茂助はひとまず安堵した。しかもソメの話によればフユはかなり旅慣れているらしい。ソメに勝るとも劣らぬ心強い道連れだ。


「そうと決まれば善は急げだ。さっそく旅の支度をせねばな」

「兄さ、頼んだよ」

「こら、おまえの旅なんだぞ。他人任せにしてどうする。旅に出れば誰もおまえの面倒など見てくれないんだ。今日からは飯も掃除も洗濯も自分のことは自分でやるように」

「はあい」


 トメは体が弱くさらに観音様の役目を負わされていることから、上げ膳据え膳のような生活をしてきた。それは両親が亡くなっても続いていた。だが旅に出ればそうはいかない。ソメもフユもトメの身の回りの世話をするために同行するのではないのだ。二人に迷惑を掛けないためにもトメの生活を少しずつ改善していく必要がある。女房にもよく言い聞かせておこうと茂助は思った。


「おはようごぜえまし」


 翌朝、茂助の家に一人の娘が訪ねてきた。磯七いそしちの娘キミだ。


「おや、おキミじゃないか。どうしたこんな朝早く。また腹が痛むのか」


 キミは大食いでたびたび腹痛を起こし、その度に茂助の家へ来る。これまで腹痛以外の用件で来たことがないほどだ。


「そうじゃねえ。お願いがあって来たんだ」


 キミの父である磯七は茂助と同じく米農家の小作人だが杵築大社の寺社領を耕作していた。

 杵築大社は戦国の乱世の中で寺社領を大きく減らされたのだが、徳川の世になると、松江藩初代藩主となった松平直政が信心深かったこともあり藩から多くの領地を寄進された。磯七が耕作しているのはそういった黒印地の一部である。

 寺社領の小作人はややもすると気位の高い態度を取りがちになるのだが、磯七はそんなことを鼻にかけず腰も低かったので村人たちには好かれていた。


「はて、この茂助におキミ様の願いが叶えられるとは思えませんが」


 茂助がへりくだった物言いをしたのは小作人としての格が磯七より劣っているからだ。もちろん本気でなく面白半分の小芝居である。


「茂助さんじゃのうておトメさんにお願いがあんだ。おらも西国巡礼に連れて行ってほしえんだよ」


 予想外の申し出であった。キミは十七歳。女だてらに力自慢で背丈も茂助とほとんど変わらない。体格だけなら同行者として申し分のない人物だ。だがどうして西国巡礼の話を知っているのか、茂助はその点が腑に落ちなかった。


「その話、誰に聞いたんだ」

「誰って、村の者はみんな知っちょるよ」

「妙だな」


 茂助は新右衛門とソメ以外には話していないし二人とも口が堅い。トメも言いふらすようなことはしないだろう。フユには昨日話したばかりだ。なのにどうして村の者が知っているのか。


「すみません、子らが話したようです」


 茂助の女房が頭を下げて詫びた。ソメに断られてしょげ返っているトメを見た子らが、別の同行者を求めて村中を探し回っていたらしい。ソメが了承してくれたので数日で止めてしまったが、それでも狭い村のこと、すぐに知れ渡ってしまった。むしろそれに気付かなかった茂助のほうがどうかしている。


「そうか。いや謝ることはない。子らも良かれと思ってやったことだしな」

「んじゃ、さっそくおトメさんと話をさせてごしぇ」

「悪いな、今トメは外に出ている。旅に出るまでなるべく体を動かすように言ってあるんだ」

「んじゃ待たせてもらえます」


 そうこうするうちにトメが帰ってきた。両手にヨモギを抱えている。昨日の試験ですっかりヨモギが気に入ってしまったようだ。


「あれ、おキミちゃんじゃない。またお腹が痛くなったの」

「違うよ。おらも西国巡礼に連れて行ってほしえんだ」

「うん、いいよ」

「おいトメ、ちょっと待て」


 慌てて茂助が割って入った。いくら何でも即断即決すぎる。


「何? おキミちゃんは体も頑丈だし同行者としては申し分ないでしょ」

「そうじゃない。これはもうおまえ一人だけの旅じゃないんだ。おソメやおフユの意見も聞かずに勝手に決めてはいかんだろう」

「あ、そっか」

「おキミ、すまんが明日の昼過ぎにもう一度出直してくれ。おソメとおフユにはおれから伝えておく」

「それならおソメちゃんの家に集まろうよ。おフユちゃんはおキミちゃんを知らないんだし。この体を見れば絶対賛成してくれるよ」


 確かにそうだ。言葉で伝えるより実際に顔合わせして判断したほうがいい。


「そうだな。あそこは山に近いからおフユもあまり歩かずに済む。おキミ、それでいいか」

「ええです。それからもう一つお願いがあんだけど」

「何だ」

「お伊勢さんに行きてえんです。途中で寄ってくれねえかな」

「うん、いいよ」

「トメ!」


 またしてもお調子者なトメを諫める茂助。それにしてもキミは図々し過ぎる。伊勢の国には札所がひとつもないのだ。完全な無駄足になってしまう。あるいはキミの本当の目的は西国巡礼ではなく伊勢参りなのではないか。茂助は少し気分を害しながら返答した。


「それも含めて明日四人で話し合ってくれ。いいな」

「ええです。んじゃまた」


 キミは帰って行った。トメはもうキミの同行が決まったかのように浮足立っている。


「四人旅って賑やかで楽しそうだな」

「狸の皮算用はやめておけ」


 あまり話を大きくしたくないものだと茂助は思った。農民が旅に出ること自体、藩にとってはよろしからざることなのだ。

 だが茂助の希望はその日のうちに覆された。ソメとフユに明日の顔合わせを伝えに行こうと戸口を出た途端、来客に出くわしたのだ。


「茂助さん、聞いたよ。おトメさんが巡礼の旅に出るんだってね」


 客人は大工の清蔵せいぞうだった。娘のマツを連れている。


「そうだが、それが何か」

「娘も連れて行ってほしいんでさ」


 茂助は顔をしかめた。清蔵は腕のいい大工職人だが酒癖が悪い。女房を失くしてから一層ひどくなった。稼ぎはほとんど酒に使ってしまうので娘のマツが子守りや使い走りで銭を稼ぎ、糊口ここうを凌いでいるような有り様だ。


「理由は?」

「そりゃ極楽往生のためでさ。これでも信心深いんでね。そうだろマツ」


 マツはこっくり頷いた。十三歳にしては小柄で痩せている。食事を満足にとれていないのが一目でわかる。


「ここでは決められない。他の同行者の了承も必要だからな。連れて行ってほしいのならおマツも顔合わせに参加し、その場でどうするか決めてもらえ」

「顔合わせか。どこでやるんだ」

「明日の昼過ぎ、新右衛門様の家だ」

「わかった。マツ一人で行かせる」


 清蔵はマツを連れて帰ってしまった。ふた月だけでも娘の面倒を見なくて済むならおんの字だとでも思っているのだろうか。茂助はマツを哀れに思った。だからと言って自分の判断で同行者にはできない。決めるのはあくまでもソメやフユたちなのだ。


「へえー、例の二人ってのはこいつらか」


 翌日の昼過ぎ、新右衛門の家へ最後にやってきたフユがキミとマツを興味深げに眺めた。まるで珍しい獣でも見ているような目付きだ。全員揃ったところでトメが音頭を取る。


「じゃあ話し合いを始めるね。まずはおキミちゃんの同行について。あたしは賛成」

「あの腕の太さは頼りになる。おいらは非力だからな。よって賛成」

「拙者もフユ殿に同じく賛成だ。こちらから頼みたいくらいだ」

「力仕事なら任せてごしぇ」


 二人から褒められて満更でもないキミである。茂助にとってもこの結果は予想通りだった。


(まあそうだろうな。しかし伊勢参りはどうなるか)


 合理的思考の持ち主であるソメとフユが遠回りを許すはずがない。キミには気の毒だが諦めてもらおう、と考えていた茂助ではあったが結果は逆だった。


「一生に一度はお伊勢さんでござる。この機会を逃したら次はいつになるかわからぬからな」

「おいらも一度行ってみたいと思っていたんだ。これで楽しみがひとつ増えた」


 伊勢参りの魅力は絶大だなと茂助は思った。そして自分もまたお伊勢様に対して憧れに近い感情を抱いていることを再認識させられた。


「じゃあ次はおマツちゃん。あたしは賛成」

「おらも賛成」


 トメもキミも何も考えずに賛成しているようだった。しかしソメとフユはそうではない。険しい表情で考え込んでいる。


「お二人さん、意見をどうぞ」


 トメに促されてソメが口を開く。


「おマツ殿には悪いが同行は遠慮されたい。十三歳という年齢と体のひ弱さを考えると、ふた月の旅に耐えられるとは思えぬ」

「待ってごしぇ。それじゃおマツちゃんが気の毒でねえか」


 キミはマツの近所に住んでいるのでどんな暮らしをしているか知っていた。八人兄弟のキミもまた自分の弟や妹をマツに子守りしてもらっていた。報酬として貰える僅かな食料でもお辞儀をして礼を言うマツ。その笑顔が愛らしいだけに不憫さも一層募るのだ。


「気の毒ではあるが連れては行けぬ。旅の途中には急坂も悪路もあるのだ」

「おマツちゃんが歩けなくなったらおらが背負う。おマツちゃんの面倒はおらが見る。だから連れて行ってやってごしぇ」

「うむ、しかし……おフユ殿、そなたはどう思う」

「おいらもおソメと同じ意見だ。おマツはおトメより手が掛かる。足手まといになるのは目に見えている」


 これも茂助の予想通りである。思ったように事が運んで茂助は満足顔だ。


「決まったな。ではおマツは同行させないということで……」

「待った」


 茂助の言葉をフユが遮った。口元には不敵な笑みが浮かんでいる。


「何だ、おフユ」

「同意見だとは言ったが反対とは言っていない。おマツ、ちょっと笑ってみろ」

「え。あ、はい」


 マツはにっこりと笑った。愛らしい笑顔だ。


「ふっ、予想以上のめんこさだ。いいか、おマツの笑顔は武器になる。おいらたちは路銀を持たない。人様の情けにすがる旅だ。宿も飯も人様に恵んでもらわなきゃならない。そんな時に物をいうのは愛嬌だ。例えば宿の空きが一つしかなかった場合、おいらのような仏頂面の娘とおマツのようなめんこい娘が来たらどちらを選ぶ。めんこい娘に決まっている。めんこいは強力な武器だ。旅の途中で絶対役に立つ。よって賛成だ」


 マツはさらに笑った。ますます愛らしくなる。


「なるほど一理あるな。わかった。ならば拙者も賛成に回るとしよう」

「やったー! 五人旅決定だね」


 浮かれ出すトメ。太い手を叩くキミ。得意顔のフユ、冷静なソメ、恥ずかしそうに顔を赤らめるマツ。茂助にとっては不本意な決定であるが仕方がない。受け入れることにした。


「茂助さん、ちょっといいか」


 板間の隅で薬研を使っていた新右衛門が手招いた。近くに寄ると声を潜めて話し出した。


「清蔵をどう思う。どうしておマツを旅に出す気になったのか。奇妙だとは思わぬか」


 それは茂助も感じていたことだった。清蔵は人付き合いが苦手で村人とはもちろん大工仲間ともほとんど付き合いがない。女房が病んだ時もトメの癒しの力に頼ろうとせずそのまま死なせてしまった。それなのに何故マツを預ける気になったのだろうか。


「それはわたしも気になっていたのです。単におマツの世話をするのが面倒で、ふた月だけでも一人になって気楽に羽を伸ばしたかったからではないか、などと考えていたのですが」

「清蔵は普段からおマツのことなど気に掛けていない。それにふた月自由になったところでどうなるものでもないだろう」

「では何か別の目的があっておマツを旅に出したと?」

「わからぬ。わしの考え過ぎならいいのだが。取り敢えず旅に出るまで色々探ってみようと思う。茂助さんも少し探ってはくれぬか。ソメにもそれとなく伝えておこう」

「承知しました」


 はしゃぐ五人の娘たちとは裏腹に複雑な胸中の茂助であった。











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