要助の娘フユ

 トメとソメは山の中を歩いていた。南北に長い知井ちいみや村の南には山地が広がっている。二人が歩いているのは街道でも古道でもない、獣道のような山道だ。


「おソメちゃん、本当にこの道で合ってるの?」

「間違いない。任せよ」


 意気揚々なソメの後をトメは心配顔で付いていく。二人がこんな山道を歩いているのは言うまでもなく巡礼の旅のためだ。二日前、茂助はようやくソメから巡礼同行の了承を取り付けたのだが、無条件でというわけにはいかなかった。


「旅の同行者はもう一人欲しい。よろしいか」

「それは構わないが、何か理由があるのか」

「拙者だけでは二人旅にならぬからだ」


 よほどの理由がない限り旅は複数人、最低でも二人旅が基本だった。人気のない場所で動けなくなった場合、一人旅ではそのまま野垂れ死ぬしかないが、二人旅ならもう片方が難儀を知らせに行けるからだ。


「もしおトメ殿に何か起きたとしよう。拙者が誰かを呼びに行かねばならぬ。しかしおトメ殿一人を道端に放置してその場を離れることなどできようはずがない。逆に拙者に何かあった場合、おトメ殿が誰かを呼びに行かねばならぬ。しかしおトメ殿一人を行かせることなどできようはずがない。よってもう一人道連れが必要となる」

「トメは旅の頭数には入れられぬ、ということか」


 ソメの用心深さに茂助は感心した。ここまで様々な状況を想定できるのならば安心して任せられる。この娘に頼んでよかったと改めて思った。


「確かに同行者は多いに越したことはないな。しかし一緒に行ってくれる者が見付かるだろうか」

「拙者にお任せあれ」


 ソメがにやりと笑った。すでに目星が付いているのだ。


 翌日ソメは茂助の家を訪ねた。これから目星を付けた相手の家へ行くのでトメも一緒に来てほしいと頼みにきたのだ。もちろんトメは快く引き受けた。こうして二人は今日、こんな山道を歩くことになったのである。


「おう、見えて来たぞ」


 家を出てから四半刻ほど歩いてようやく目的地に着いた。そこにあるのは炭焼き小屋だ。


「ひょっとして、あたしの同行を頼みに来た相手って、炭焼きのおフユちゃん!?」

「御名答」


 その名はトメの記憶にあった。三年ほど前、大変な怪我をして茂助の家へ運び込まれたからだ。右足と肋骨が折れていた。崖から転落したのだ。最初、フユは一人で山から下りて新右衛門の家へ行った。怪我に効く薬をもらいにきたのだ。しかし薬で治せるような怪我ではなく命に関わる重傷だったため、ソメが急いで茂助の家へ連れていった。治療の効果は抜群だった。トメが意識を失って倒れるくらい力を使ったので、フユの怪我は数日で完治した。


「あんな大怪我を見たのも、あんなに力を使ったのも久しぶりだったからよく覚えているよ。でもおフユちゃんの家、よく知ってたね。友達なの?」

「うむ。この山にしか生えぬ薬草があるからな。父上に頼まれて十日に一度は足を運んでいたら自然と顔見知りになった。おーい要助殿、ご機嫌いかがでござるか」


 小屋の前で薪を割っているのはフユの父、要助だ。彼はこの土地の者ではない。五年ほど前にふらりと現れて一家三人でここに住み着いた。よそ者ではあるが質の良い木炭を安く売ってくれるので、今ではすっかりこの村に溶け込んでしまっている。


「これはおソメさん。今日も薬草採りですかな」

「いや、おフユ殿に用があって来た。御在宅か」

「あいにく山へ罠を見に行っておりましてな。間もなく戻ってくると思います。ところでお連れの方は?」

「あたしはトメ。観音様のトメだよ」


 トメは肌身離さず持っている観音像を見せた。すぐさま斧を置いて駆け寄る要助。


「確かにおトメ様だ。あの時は本当にありがとうございました。あなた様の治療がなければフユは命を落としていたでしょう。感謝してもしきれません」

「やだなあ、大げさだよ」

「それで今日はどのような用件で? わざわざこんな山奥に足を運ばれたのですから大事なお話があるのでしょう」

「それは拙者から話そう。要助殿にも了承を得ねばならぬからな」

「では中で伺いましょう。むさ苦しい家ですがお茶くらいはお出しできます」


 要助の女房が淹れてくれたお茶を飲みながらトメとソメはこれまでの経緯を説明した。西国巡礼と聞かされて幾分驚きはしたもののフユの同行には快く賛成してくれた。


「前々から治療の恩返しをせねばならぬと思っておったのです。フユも喜んで引き受けるでしょう。ときに、美濃へも行かれるのですか」

「行く。三十三番札所の谷汲山たにぐみさん華厳寺けごんじがあるからな。それがどうかされたか」

「実はわしらの在所は美濃にあるのです」


 ソメが要助の生い立ちを聞くのは初めてだった。彼は濃州厚見郡の商家のせがれである。嫁を貰い娘のフユが生まれ何不自由なく暮らしていたのだが、悪い仲間に誘われて博打ばくちに手を出し大変な借金を背負わされてしまった。激怒した父親に勘当を言い渡され、一家三人で行商をしながら一年ほど各地を転々とした末、顔なじみの商人の伝手つてでこの炭焼き小屋を譲り渡してもらったのだ。


「女房にも娘にもすまないことをしてしまいました。特にフユはわしの両親に可愛がられていたので、家を出る時は本当につらかったと思います。もしよろしければ巡礼の途中で在所に立ち寄り、フユを両親に会わせてやってくれませんか。きっと喜ぶと思います」

「いや、それは……」


 さすがにソメも快諾はできなかった。トメの負担を軽くするためにもできるだけ短い距離を短い日数で旅しなければならないのだ。寄り道などしている余裕はない。だが、トメはそんなことは一切考えていなかった。


「わかった、おフユちゃんのことはあたしに任せて。必ず会わせてあげる」

「待たれよおトメ殿。そのように軽々しく引き受けられる申し出ではない」

「おソメちゃんは心配しすぎだよ。ちょっと道草を食うだけでしょ」

「ちょっとでは済まぬかもしれぬ」

「やかましいと思ったら客人か」


 いきなり戸が開いて一人の娘が入ってきた。要助の娘フユだ。手にウサギをぶら下げている。


「ようやく帰ったか。罠はどうだった」

「このウサギだけだ。それよりおソメと、そちらはおトメだったか。何の用だ」


 フユは十五歳で二人よりも年少であるが口振りはぞんざいだ。散切りにした短髪と日に焼けた肌のせいでとても娘には見えない。ほとんど少年だ。


「おまえに用があってお見えになったんだ。まあそこに座れ」


 フユはソメから話を聞いた。話が終わっても腕を組んだままウンともスンとも言わない。たまれなくなった要助が尻を叩いた。


「なんだその態度は。迷うことなどなかろう。一緒に行ってやりなさい」

「いや、おいらは行かねえ」

「お、おまえ!」


 要助は血相を変えてフユの両肩をつかんだ。フユは平然とされるがままになっている。


「おトメさんはおまえの命の恩人なのだぞ。観音様の力で治療していただけなければ死んでいたんだ。その恩を仇で返すつもりか」

「おトメには感謝している。だがそれとこれとは話が別だ。おいらは自分の命を危険にさらすような真似はしたくない」

「危険? あたしと旅をするのがどうして危険なの」

「トメは体が弱い。旅の途中には急坂や悪路もある。もう歩けないなどと言い出されたらおいらとおソメが背負わねばならなくなる。日が暮れても人里に着けなければ野宿だ。獣や夜盗に怯えながら夜を明かすなんて真っ平御免だ」


 それはフユの体験から来る不安だった。ここに落ち着くまでの旅の中で、それに似た怖ろしい出来事が少なからずあったのである。要助もそれはわかっていたのでこれ以上は何も言えなかった。しかしトメは違う。


「心配要らないよ、おフユちゃん。あたし、杵築大社まで往復しても全然疲れなかったんだから。二人に迷惑を掛けることは絶対にしない」

「口約束では信用できない。実際に示してくれ」

「どうやって?」


 トメは腰籠から草を取り出した。


「この草はヨモギだ。五丁ほど先にある尾根にしか生えていない特別な薬草だ。これを一本でも採って来られたら口先だけではないと認めてやる。制限時間は、そうだな」


 フユは革袋から火縄を取り出すと小刀で短く切った。


「この火縄が燃え尽きるまでだ。どうだやるか」

「やる」

「尾根までの山道はキツイぞ。足を滑らせて怪我するかもしれない。それでもやるか」

「やる」

「毒蛇や熊が出るかもしれない。危険がいっぱいだ。それでもやるか」

「やる」

「なら行け!」

「行く!」


 フユが火鉢の残り火で火縄に点火する前にトメは小屋を飛び出した。ソメはどうにも納得がいかないという顔をしている。


「おフユ殿、ヨモギは尾根まで行かずともこの辺りに生えておろう」

「そうだな」

「それに尾根までの道は緩やかな登り坂。のんびり歩いても火縄が半分も燃え尽きぬうちに戻って来られるはず」

「そうだな。さて、ウサギでもさばくか。おっかあ、今夜は月夜げつよ鍋だ」


 フユは立ち上がった。が、ふと何か思い出したように振り返った。


「おソメ、もしおトメが戻る前に火縄が消えたら新しく火縄を切ってそれに火を点けてくれ」

「なんだと。おいちょっと待って。説明せぬか、おフユ殿」


 ソメの言葉を無視してフユは外に出て行った。放置されたままの火縄を手に取って怪訝な表情で眺めるソメ。要助が苦笑しながら取り繕う。


「申し訳ありません。幼いころから捻くれた子でして。お気に障ったのならお許しください」

「いや、怒っているわけではないのだ。ただ何がしたいのかさっぱりわからなくてな。そもそもこれでは試験にならぬではないか」

「本気で試すつもりなどフユにはないのです。ただおトメさんの気構えを見たかっただけなのでしょう」


 要助もまたこの地に落ち着くまでの旅の中で様々な難儀に遭遇した。空腹や怪我で体力が削られ絶体絶命の窮地に追い込まれた時、生き死にを分ける決め手となるのは気力だ。どんな困難にも立ち向かえる勇気があるか、旅を完遂させる意欲はあるか、フユはそれを見たかったのだ。


「おトメさんはキツイ坂道も熊や毒蛇にも怖気おじけることなく外へ飛び出していきました。その時点で試験には合格していたのです」

「ははは、左様であったか。回りくどいやり方はいかにもおフユ殿らしい」


 ようやく事情が飲み込めたソメは大いに笑った。そして同行者にフユを選んで本当によかったと感じた。


「遅いな」


 トメはなかなか戻ってこなかった。一本目の火縄は燃え尽きた。二本目も残り少なくなり、さすがに心配になってきたソメとフユが捜索のための身支度を整え始めたところでようやく帰ってきた。手にはあふれんばかりのヨモギを抱えている。


「なんだその量は。一本だけと言っただろう」

「たくさん生えていたから夢中になって採っちゃった。それよりも火縄は?」


 もちろん消えてはいない。トメは両手を挙げて喜んだ。


「やったー合格だ。これでおフユちゃんも一緒に行ってくれるんだね」

「ああ、行くよ。だが旅の途中でヨモギが生えていても採るのはほどほどにしてくれ。時間がかかって仕方がない」

「時間がかかったのはお昼寝していたからだよ。尾根まで行ったら疲れて眠っちゃったんだ」


 口を開けたまま何も言えず立ち尽くすフユ。面白い旅になりそうだとソメは思った。













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