第4話 どうか推しなあの子の幸せが見つかりますように。

 家系的に美女が沢山生まれる貴族を父に、誰よりも優しかったメイドを母にリリたんは生まれた。

 双子の妹と共に――それぞれ15女、16女として。

 父はとっかえひっかえに女と寝て、無責任に孕ませるのが趣味の男だった。


 母子三人は追放された。母親が、父の不正に気付いたのが切欠らしい。

 リリたんとスノウは極貧生活に追い込まれたが、それでも母と過ごした10年間の生活だけは幸せだったらしい。

 しかし、幸せは2年前に幕を閉じた。母の病死によって。

 

 直後、一度は捨てた父が姉妹を拾った。

 その理由は悪辣極まりない、父の【ビジネス】にあった。

 父は娘を沢山産み、他貴族や有力者へと嫁がせて一大勢力を築いていたのだ。

 

 妹であるスノウは、まだ10歳なのにとある貴族に嫁がされた。

 ……それが、すべての不幸の始まりだった。

 【妻殺し】であるロリコン貴族に、ありとあらゆる凌辱を受け、スノウは死亡した。

 

 リリたんの心は、壊れてしまった。

 スープを作ってくれる母ももう亡い。無垢に笑う妹ももう亡い。もう何も無い。

 一粒の光さえ見えない、真っ黒な社会の底しか見えなかった。

 

 こんな世界、もうどうでもいい。

 そう呟いていた頃、七魔族ゴーマが案内人として声を掛けたのだ。

 【救神】と共に在る未来だけが、母と妹の不幸から目隠しをしてくれた。

 

 ――以上。裏設定にも無い、リリたんが語った身の上話。

 

「……今でも夢に見る。妹が闇に引きずり込まれながら、私に手を伸ばしてくる……お姉ちゃん助けて、怖いよ、辛いよって……でも私、何も出来ない……」


 二時間かけて話し切ったリリたんは、憎しみで肩を掴み、泥沼の悲しみを吐露する。

 【魔巫印】が刻まれた左手が、月光で怪しく光る。


「でも、今でもこの【魔巫印】から……【救神】様の力を感じる……! ママも、スノウも見捨てた、こんな救いの無い世界を変えられる……っ!」


 不敵に笑うリリたんの背後に、二つの印が浮かび上がる。魔法陣だ。

 黒い紋章は、新月の夜闇よりも暗澹としている【黒炎ラースフレア】の揺らめきを見せていた。

 白い紋章は、太陽の閃光よりも燦然としている【白氷スロースアイス】のきらめきを見せていた。


 まだ発動には至らずとも、どちらも【魔王】が使う最強の力だ。

 これが、ラスボス悪女としての素質。

 怒りに呼応して、片鱗が漏れ出ている。


「【魔巫印】が、私は救神ですと自己紹介したのか?」

「……っ!」


 そんな訳が無い。

 【魔巫印】は語らない。あくまで七魔族が騙っただけだ。

 

「何かの、何かの間違いですよ……! あんなの、夢です、夢です……」

 

 だが、その事実を突きつけられても、救いを求める眼から救神は消えない。

 とっくに宗教に縋って夢を見続けていなくては、心を維持できなくなっている。

 待ち受けている未来が悪夢であろうとも、眠っている間は苦しまずに済むから。

 

「返して、私から救神様を、返してよぉっ……!」

「救神なんていない。居るのは魔王だけだ」

「騙されない……そんな酷い嘘に、私は騙されない……救神様は、いるっ……!」

 

 きっと何も知らない第三者は、泣きじゃくる彼女を見て言うだろう。

 『【救神】なんて居ないのは明らかだろう』

 『ゴーマは七魔族の一人なのは明白じゃないか』

 『それを未だ崇めるなんて、やはり糞女じゃないか』、と。

 

 ……ちょっと待って欲しい。

 この子、まだ12歳だぞ?

 父親から邪魔だと捨てられた? で厚顔無恥にも政略結婚用に拾われた?

 母親が地元の人間に虐め抜かれ、苦痛の果てに死んだ?

 妹がロリコンからどこにも書けないような地獄を受け、絶望の果てに死んだ?

 そんなん、人格歪むどころの話じゃないわ。

 

 直後、リリたんは手元にあった木の枝を拾う。

 鋭利な先端を見ると、救われたようにリリたんは小さく笑った。


「もういいです……そうか、私が救神様に逢いに行けばいいんだ……はは、はははは……」

「危ない!」


 反射的に、俺の手が伸びる。

 リリたんの首は守られた。良かった。

 代わりに先端が刺さった名誉の右手から滴った血を見て、リリたんが我に返って蒼ざめる。

 

「わ、私……ごめん、なさい……私……あなたを、傷つける、つもりじゃ……」

「ああ、大丈夫。父上から良くこんな感じで折檻されてるし」


 今なら話は聞いてくれそうだな……。


 きっと彼女の涙を拭う【答え】は、神様にしか提示できない。

 絶対悪の魔王となる最悪の答えであろうと、目前にぶら下げられれば全身全霊で掴みに行ってしまう。人間とは得てしてそんなものだ。増してや、全てを失った少女ならばどうしようもない。


 なら、俺が彼女にできる事は――その答えから、眼を遠ざけてやる事ではないだろうか。

 


「【保留】って事じゃ駄目かな」

「保留?」

「お母さんも妹さんも失った君は、この後本当はどうするべきなのか。救神によって世界を綺麗にしてもらう事が、本当に正しい事なのか? それを問い続け、答えを出してから動くって事」


 俺は神じゃない。宗教にも詳しくない。だから答えは提示できない。

 せいぜい、問いしか出せそうにない。そしてリリたんに答えてもらうしかない。

 願わくば悪役にならない、普通の少女になる答えを。


「そんなの……決まってるじゃないですか。救神は救うんですよ……救わなきゃダメなんだ。さっきのゴーマが化物だったのは……夢だっ……」

「だから【保留】と言ったんだ。きっと今のリリエルさんが考えていても、在るのは救神という答えだけだろう」


 それを聞いたリリたんは、どこかバツが悪そうに顔を背ける。

 昼までは、リリたんの頭には救神しか居なかった。でもゴーマの正体が露見した事で、信仰に綻びが生じている。

 今のリリたんは、ただ過去の事実を、夢として誤魔化しているに過ぎない。


「世界なんてどうでもいいと思えてしまうくらいに、素晴らしいお母さんと、妹さんだったんだろう? こんなたった数時間で、簡単に答えなんて変えられないって。もっと長い時間が必要だよ」


 彼女には静かに考える時間が必要だったのだ。

 母と妹の悲劇と、腰を据えて向かい合う環境が、彼女には必要だったんだ。


「ただ、ルールが1つ。自殺は駄目だ。死んだら、考える事も出来ない。だから死にたくなったら、まず俺に言ってほしい」

「言って、どうなるんです?」

「俺が死んでも、君の死を止める。そして一緒に考える」


 さっき自殺しようとしていた枝を遠くに放る。

 まあ、前世を自殺で終えた俺が言っても説得力は皆無だけど。


「どうしてそこまで……私達……今日、会ったばかりなのに」

「生まれる前からずっと君のことが好きだったから!」


 って、原作シオンのナルシストを笑えないくらいに酷い口説き文句だ。

 困惑するリリたん。ごめんなさい。でも本当の事なんです。


「可笑しい……」

 

 すると、リリたんは泣き晴らした顔で、小さく吹き始めた。

 

「私、何で笑えてるんだろう……」


 やべ、可愛すぎて死亡確定。

 リリたん、やっぱり可愛いわ。天使だわ。聖母だわ。12歳でこれとか。

 ……絶対このままラスボスになんてさせねえ。  


 さて、【保留】している間の身の振る舞い方も考えなくちゃな。


「婚約に関しても【保留】にしよう」

「えっ?」

「そもそも君の意志とは関係なく、親が勝手に決めた事だし。ただ、父は暫く君を帰すつもりはないようだし、そこは利用させてもらおう。外面は婚約者のフリをする、という事で」


 と、カッコよく言ってみた俺の心中について。


 本当は婚約してええよおおおおお!!

 リリたんとチョメチョメしてえええよおおおおおお!!

 膝枕してもらって、ママみたいによしよししてもらいたいよおおおおお!!


 でも、それよりもリリたんには幸せになってもらいたいんだ。

  

「リリエルさん。さっき【保留】した事だけど、2ヶ月。ゆっくり考えてみて欲しい」

「どうして2ヶ月も……?」

「2ヶ月の内に、2つの事をやるからだ」


 と、俺は指を2本立てて、説明を始める。


「1つ目――このエスタドール家を終わらせる」


 何を言っているのか分からない。とリリたんの眼が見開いた。

 そりゃそうだろう。エスタドール家を終わらせるというのは、このシオンも無事では済まないのだから。


「別に問題はないんだよ。

「えっ!?」

「そして乗っ取った後、君のような【救神】を求める人間達を利用し、自分に都合のいい国にするつもりだ」


 ただ、これはどちらかというと2つ目に必要な通過点に過ぎない。

 リリたん関連で、本命は2つ目だ。


「2つ目――君と妹を売った父と、君の妹を殺したロリコン妻殺し貴族【キモクス】を、雁首揃えて君の前に連れてくる。勿論、名誉とか権威とか全て剥奪した上で」

「ちょっと待ってください……なんでその名前を? 言ってなかったのに」


 リリたんの父親ヤリチンは原作外の存在だが、元々ロリコン妻殺し貴族【キモクス】に関しては思い当たる節があった。

 原作でも胸糞展開の中心にいた奴だ。主人公が踏み込んだ時、仲良かったロリっ子が酷い目にあって殺されてた話がある。

 今思えば、ネーミングが【キモクス】なのも原作者の怒りが入ってそうであざといわ。

 

「連れてきて、どうするのです……?」

「どうするかは君次第だ」


 と言いながら、リリたんの眼を見る。

 思い返すのも辛そうな、怨敵を目の当たりにした厳しい顔つきになっていた。あまりそんな顔はさせたくなかったんだがな。

 いずれにしても、殺すだけでは飽き足らなさそうな怨念を抱いている。


「……復讐するなら否定しない。君が罪に問われないよう、算段も立てる」

「シオン様は、復讐を否定すると思っていました」

「君の選択なら肯定する」


 この手の話題になると、復讐は何も生まない、復讐したところで死んだあの人は帰ってこない、と言う人もいる。

 でもそれは、第三者にとっての一理でしかない。当事者にとっては、そんな理屈を超越した激情が働いているのだ。

 

 復讐をしなければ善人でいられるのかもしれない。

 復讐をすればスッキリするのかもしれない。

 どちらを選ぶかは、当事者に委ねられるべきだと思う。


 勿論、法律の問題はある。この国は仇打ちを禁じている。

 それについては、上手く対策を練るしかないか。


「君の父と、キモクスを弾劾し、連れてくるまでに2ヶ月要る。【保留】を2ヶ月にする、っていうのはそういう事だ。だから2か月間、どうするか考えて欲しい」


 本当に救神の面を被った、魔王に縋るのか。

 そして母と妹の不幸の根源たる二人を、どうするのか。

 神でも無い俺が、ラスボスの悪女になりかけている少女にできる事は、そんな問いを出すことだけだった。


「リリたん。俺は君の幸せを願う。それだけは、出来たら信用してほしい」


 ボロボロになった心を治し始めた少女へ、ちょっと無茶な注文をしてしまった。

 でも無表情な彼女の奥底に、どこか笑顔の兆しが見えた気がした。


 ……なあ、リリたん。

 心が壊れる程に、君はこの世界から酷い仕打ちを受けたのかもしれない。

 だからこそ、ラスボスの悪女になるんじゃなくて、不幸を帳消しにするくらいの幸せな女の子になってほしい。


 それは、前世から君を推し続けてきた凡人が、ずっと抱いてきた祈り。


「……今日の所は帰ろう。夜も遅い」

「はい」

「まずは寝る事だ。リリには眠れない夜が続いているんだろうけども」

「リリ、?」


 あ、やっちまった。何とか誤魔化して、二人で屋敷へと帰る。

 大丈夫か。こんなんでリリたんを幸せに出来るのか。

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