運命の分かれ道

青いひつじ

第1話

ホームの階段を、人波をかき分け上がっていく姿は、川を登っていく鮭のように見えているだろう。

途中、誰かの足を踏んだ気がしたが、電車はもうすぐ到着する。気にしている暇はない。




「まったく。これだから電車は嫌なんだ」



私が吐き捨てた言葉と大きなため息に、目の前に座った老人がこちらをじっと見つめてきた。

だから一般市民と一緒に行動したくないんだ。




私は、W株式会社の代表取締役である。

会社を設立した当初は苦労も多かったが、とある広告がいわゆるバズり、知名度が急上昇した。

それにともない、業績もぐんぐん伸びていった。

昨年、フリーアドレスを導入している最新企業としてテレビで取り上げられた。




成功するためには人脈が大切だと考えた私は、高校1年生の時から企業説明会に積極的に参加した。

訪問する企業のことは事前に調べ、質疑応答の際は必ず手を挙げた。

説明会が終わり最後に言われる言葉は、大体予想できていた。


"この会社のこと、よく理解しているね"

"今どき、君みたいな情熱がある子は珍しいよ"


大学を卒業した私は、複数の大手企業から内定をもらい、そのうちの1つであった広告代理店へ入社した。

このことが放送されてから、私は"口説きの天才"という異名を持った。


私にしてみれば、将棋の駒を集めているだけだが、美しく色づけてもらえるなら、乗っかるのも悪くない。


そして、私は今、とある人物に会いに、遠く離れた田舎町へと向かっている。

私の勝負はこれからなのである。



私は、かばんから1冊の本を取り出し開いた。

ほとんどの人が降りたようで、静寂で満ちた電車内には、私と目の前の老人だけになっていた。

それにしても、平日昼間の電車が、こんなに空いているものだろうか。

窓の外は、遥か彼方まで田んぼが続いているようであった。




「その本、わたしも昔読みました」



声をかけてきたのは、老人だった。

感じ悪くないよう、私は微笑み返した。

どこの誰だか分からない人間と会話する気はない。



「どこの誰だか分からないような人間と会話はしない、というところでしょうか」



どきりとした。



「あ、いえいえ。これは失礼。物語に集中しておりました」



その老人は、少しくたびれた白いシャツにサイズの合わないスラックスを履いていた。そのせいか、腰回りはベルトで二重に絞められている。

おおよそ、美しいとは言えない装いだった。



「すみません。こんな田舎で、若い方を見かけるのが珍しくて、つい。お仕事か何かですか」



「あぁ。とある方に会いに」



こんな老人に詳細を話す訳が無い。



「はは。こりゃまいった。こんな老人に話しても仕方ないですよね。踏み込んでしまって申し訳ない」



私はまた、どきりとした。



「あ、そういう訳では。あなたのおっしゃる通り仕事のことですので、口外できなくてですね」



ははっと愛想笑いをした。

なにやら、気味の悪い老人である。



「ちなみに、どんなお仕事されているんですか」



こんな老人に私のことを説明しても、時間の無駄であろう。



「いわゆるITというやつです」



「ほぉ、さすが今の若い方は違いますな。

あなたが牽引する未来が楽しみです」



「それは、どうも」



「それでは」



そういうと、老人は立ち上がった。



「ここからは、分かれ道になっておりましてね。

私は、右側に行くので、乗り換えなんです」



扉が閉まり、姿が小さくなったのを確認して、私はため息をついた。



「老人の世間話には付き合ってられん」 



いよいよ電車内は私1人になった。

私は今、B株式会社へと向かっている。

そこにいる幻の代表と会うためである。

今の私の会社には、どうしても彼の力が必要なのだ。

しかし、ホームページの代表紹介には直筆で書かれた挨拶と名前のみで、顔は公表されていない。

何人かの知り合いの社長が訪れた際には留守だったという。

"幻の代表"という異名を持つのも納得である。


秘書に電話をさせたが、留守の状態が半年続いたため、突撃訪問することにしたのだ。



駅というには頼りない駅に到着し、無人改札を抜け、15分ほど歩いたところにその会社はあった。

私は、窓に映る自分の姿を整え、ベルを鳴らした。

すぐに、受付らしき女性が出てきた。



「こんにちわ。どなたかとお約束でしょうか」



「あ、私、W株式会社の代表を務めております」


私は、名刺を差し出した。


「ぜひ、代表取締役にご挨拶できればと思い、、、」



「あら、申し訳ございません。代表でしたら少し前にお出かけになりました」



「そうですか。以前、何度かお電話させていただいたのですが、その際もご不在でして。こちらにいらっしゃることはあるんでしょうか」



「えぇ。ほとんどいらっしゃるんですが、なぜか、社長さん達がいらっしゃる時に限って不在なんですよね。申し訳ございません」



「中で待たせていただくことは出来ませんでしょうか」



「今まで来ていただいた方も、みなさんお断りしているものでして、、」



「そうですか、、、」



「ところでお客様、あの電車に乗ってこられたんですよね」



受付の女性は黄色の鈍行を指差した。



「えぇ、そうです。こちらの最寄駅までは、あの電車しかありませんから」



「なんだったか。あの電車なんとかって異名を持ってるそうで。ご存知ですか?前にいらしたどこかの社長さんがおっしゃってたんですけど」



「はぁ、そうなんですね。申し訳ないですが、私は存じ上げません。

それでは、私はまた改めます。次回は連絡してからお伺い致します。それでは」




電車の異名など興味ない私は、B株式会社を後にした。





「あら、代表、おかえりなさいませ。先ほど若い社長さんがいらしてましたよ」


「ほぉ、そおか」


「あらやだ。代表、靴がひどく汚れてますよ」


「あぁ、水たまりでも踏んだかな」




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