第14話

 煙を吸い込んだ俺は当然せき込み、後ろに尻もちをついた。

 驚いたのもある。勢いに負けたのもある。

 

 だが一番の理由は、体の自由が効かなくなったという点だ。


 息をして、瞬きをして、起き上がる。

 しかしそれは俺の意思とは別のところで巻き起こる現象でしかない。


 まるで他人の視点を覗き見ているようで、幾ら力を入れても力を抜いても立って歩いて動いている。


「おい、どうなってるんだ!?」


 幸いにして声だけは自由が効いた。


「どうって、説明そんまま読むで?

 ……胞子を吸い込んだ人間の精神値が低かった場合、パッラストゥールは一時的に対象の体を操作して近くの人間にも胞子を付着させようとします。その間は暴力も厭わなくなる為、精神が低い冒険者は決して近づかないようにしましょう。また、更に精神が低い者に対しては軽い誘因効果を発揮し、自らに触れさせようとします。対処法としては一人で行動しない、そしてパッラストゥールを発見したらその事を報告する事です。

 ……やって」


先に言って欲しかった。いや、それよりも俺が説明を読むべきだったか。


その時、俺の体は俺の意思に反し、唐突に走り始めた。

 そしてたどたどしい動きで腕を振り上げる。その先には、浪漫少女。


「ックソ! 避けろ七宝ッッ!!」


 勢いをつけて腕を振るう。つまりはパンチを繰り出した俺の体。

 このままでは彼女を殴りつけてしまいそうだ。そう思って声を上げたのだが、


「よっと」


 七宝はそんな軽い掛け声一つ、俺の突き出した拳を寸手で避けると、腕を掴み手前に引っ張る。と同時に足を払い、俺の体はあえなく空に投げ出された。


 咄嗟の事だ。俺の体を支配していたパッラストゥールも、残った左腕で地面に手を突こうとする。


「あ、壊さんといてや」


 と、姫小松が左手に握っていたランタンを俺の腕ごと蹴り上げる。

 ランタンは宙を舞い姫小松の胸中へ。そして唯一の支えすら空中で失った俺は。

 顔面から地面に突撃した。


 お見事、お見事だ。それ以外の言葉は見当たらない。


 ……こいつら、単品では大した活躍もできない癖に対人が上手すぎる。


「七宝さん、武術とかやってました?」


 姫小松は俊敏の高さからくる反射神経として片付ける事が出来るけれど、彼女の場合は咄嗟だからこそ明確な技術が光ったのだと思い、俺は無様に地面を舐めながら聞いてみた。


「我輩の家は道場で、空手柔道合気道に剣道も教えているんだ。お前も週末あたり来てみろよ。面白いぜ!!」


 流れるような武術から流れる様な流れでの勧誘。

 いっそ本当に行ってやろうか。


 しかしそうか、道場。道理で袴を着こなしている訳だ。


「ほな、もう一回シバいて縛っとこか。効果は一定時間や書いとったし、その間にでも飯にしようや」




​​洞窟の中でも周りを少し囲われた空間。丁度階段の下のスペースみたいな場所の最奥で、俺は姫小松が宣言したとおり縛られた挙句に転がされていた。


 空間の中央にはキャンプ用のガスバーナーと出どころ不明の謎水を煮る小ぶりの鍋。俺はすっかり体を縛られて放置されていた為に知らないのだが、少なくともバックパックに入れて持って来た水じゃないとだけは断言できる。


 凡そ鍾乳石を作り出した石灰水か、洞窟にありがちな湧き水だろう。

 俺は詳しくないのだが、まあ、煮沸さえすれば飲めないことは無いだろう。別に常飲する訳でもないのだ。


 そこは水の入った鍋を持って来た姫小松を信用しておこう。思えばこの状況も二階層で活躍をした俺に対する気配りなのかもしれない。そう思っておこう。まったく素直じゃない奴だ。


 そうこう考えていると、近場で食材を探していた七宝が何かを抱えて帰って来た。


「なんだその白くて丸い、キノコ……おい」


 パッラストゥールじゃねぇか!! なんていう劇物を持って帰って来ているんだこのロマン少女は。さっきの光景をもう忘れてしまったのか? それとも俺如きいくらかかって来ても怖くないということか?

 言っておくがスキルさえ使えるならお前なんか、こうだからな。こう………どう考えても勝てるビジョンは浮かばなかった。


「我輩だって馬鹿じゃないんだ。これはあの小さい奴鍋に入れておけっていうから集めて来ただけなんだぜ?」

「ああそうなのね」


 ていうか食えるんだ。それ。


 懐疑的な視線を向けていたであろう俺に、それでも七宝は「楽しみだよな!!」と笑いかける。


 悪い奴じゃないんだよなぁ、少し頭が弱いだけで。


「で、その小さい奴は?」

「小便だろ。でりかしーが足りないなぁ、お前は」


 おっと、喧嘩か? やるか?


 そうして脳対対戦を繰り広げていると、困った奴を相手取るように笑っていた七宝の後頭部に姫小松の掌底が直撃した。


「どっこいどっこいや。あんたらどっちもノンデリの自覚持ちや」


 いや、寧ろこの空間では俺だけがデリカシーを持っているだろ。少なくとも小便ではなくお花を摘みにいくとかに言い換える事はできるのだ。


「くあーっ! 魔法使いお前本気で叩いただろ!! 我輩の可愛い頭がへこんだらどうしてくれるんだ!!」

「治しや自分で」


 姫小松はぞんざいに返答した。俺の扱いもそうだが、こいつもこの辺り自由すぎるな。まさか、奔放だと思っていた一日二日目ですら猫を被っていたとは思わなんだ。


「それで、姫小松は何を拾って来たんだ?」

「ウチ? ウチはなぁ……これや!!」


 と、袋に詰め込んでいた一杯の苔を見せてくれた。しかも単なる草ではなく、光るタイプのソレである。


 成程、謎の水に危ないキノコ。極め付けに光る苔とな。


「おい七宝。ソイツ、料理をさたら駄目な奴だ」


「ちゃうって!! これも食べれんねん……いや、これ自体は食べへんけど、これを使うて料理すんねんて!!」


 何やら必死に人語を真似している様にも見えるが、俺の心には一切響かなかった。


「魔法使いは普段からこんな物しか食べてないのか? だからそんなんなんだぜ?」


 お、これは良いブローが入りました。可哀想なくらいのクリーンヒットですよ。


「まあ……とりあえず話だけは聞いてやる」


 すると目の光を失っていた姫小松はその言葉で息を吹き返した。


「せやからな、そのちょっとアカン水と結構アカンキノコをな、この苔と一緒に煮るねん」

「……今日はもう帰るか。姫小松が環境の変化で頭をやられてしまったみたいだ」

「我輩がおんぶしてやるからな。帰り道の心配は要らないぜ」


「ほんまやねんて! そこの説明書に載っとってん。そこなキノコは結構ちゃんと毒やけど火を通したら無毒化して、寧ろ良え出しが出る。アルカリ水は酸の光苔で中和される。結果、安全なスープが出来上がるんやって!!」


 まあ、冒険者協会が発行している情報ならしっかりとした裏も取れているのだろうし、信用に足るか。


「……じゃあ仮釈放で」

「帰り道は気をつけるんだぜ!」


「帰らそうとすな。ほんまアンタら、どれだけウチの事信用してへんねん」


 そうは言うが、俺としてはロックロールで宙を舞ったり、命懸けのロックンロールをされたり、手元を救われたりと、寧ろ何をどうやって勘違いをして信用されていると思っていたのか甚だ疑問である。


「仮釈放ついでだ。俺の方もそろそろ解いてくれ」


「あかんあかん、キノコが無毒化するまで何するかわからへんねんからアンタみたいなクソ雑魚精神力は」


 お前も2だろという言葉を飲み込み、俺は黙って頷く。もう少しの辛抱だ。


「スープの他には何をするんだ? 我輩も手伝うぜ」

「ほなこの苔刻んでや」


 そうして料理を始めた二人。

 暇だったので俺も眺めることにした。


 まず姫小松が取り出したのは、バックパックに入っていた何の変哲もない乾燥パン。かっちかちに固くて一部界隈では釘が打てると話題になっていた。

 次に取り出したるは何の変哲もない干し肉。かっちかちに固くて、こちらも一部界隈では釘が打てると笑い物にされていた。

 

 彼女はそれを三つずつ並べてスープをよそう。


「……完成や!」

「我輩何もしてないぜ!」


 まあ、閉鎖された空間では食事にありつけるだけ有難いか。二階層なら鳥がロックバードなりアングリーバードなりワイルドバッファローなりが居た気もするけれど。そんな仮の話しをしても仕方がない。


 ロックンロール? あれは虫だから。




「パッラストゥールが寄生キノコで、オルリデーアが光る花。ケイヴタウドが馬鹿でかカエルで……トイフェルが何だったか?」


「アンタ何回言うたら覚えんねん」


 そんな事を言われても小難しいカタカナが多すぎる。おじさんの物覚えの悪さを甘く見ないでほしいものだ。


「我輩は覚えたぞ!!」


 ほう、という姫小松と俺の感嘆に交じって、七宝は食い気味に口を開く。


「全員敵だな!!」

「オルリデーアは倒したあかん」


 なんだろう、こいつを見ている年齢なんて関係ないのではないかと思えてしまう。

 この浪漫少女はどうしてこうも見た目と中身の性能に乖離があるのだろうか。


 っというか、そろそろ縄を解いてくれないものか。俺も腹が減ってきたし。


 ランチミーティングでこれから現れるモンスターについて話すのは良い。いや、会社員をやっていた時ならば影ながら反対の声を上げたかもしれないけれど、それは冒険者というアングラでアウトローな職業に就いてしまった以上ある程度は諦める他にない。

 それでも、やはり肉体労働であることに変わりないのだから食事くらいは満足にさせてほしいのだ。


「ほんで、トイフェルは洞窟性の悪魔や。小さいけど徒党を組んで現れるし、空も飛ぶ厄介モン。丁度ドローンみたいな羽音が聞こえるから近づいてきても分かるやろ」


 そういって姫小松は洞窟の天井付近を飛ぶカラフルな飛行物体を指さした。


「おい盾使い、食わねぇならその肉貰っちまうぞ!?」

「……テメェの目でも食ってろ。縛られてるのが見えないのかよ」


 大人げない事を言ったとは自覚していた。

 しかし、耳元で飛び回る蚊のモスキート音とヘリコプターのソニックブームを足したみたいな音。それが洞窟内で鬱陶しく希薄に反響して俺の精神を着実に摩耗させていたのだ。


「こんな所で喧嘩しいなや。ウチの乾パンあげるさかい」


 珍しくそんな事を言う姫小松。良いところもあるじゃないかと感心していたが、その乾パンはスープに浸された上で一口しか食べられてない。

 どう考えても口に合わなかっただけだ。


「……残飯を押し付けただけだろ」

「んー? 何を言うとるか分からへんなぁ」


 地表に咲く花がどれだけ奇麗だとして、どこまで掘ってもコイツの根っこ末端に至るまで毒物なのだろうと思った。


「魔法使いを悪く言うのは許さんぞ!! 我輩は一宿一飯の恩を忘れない質だからな!!」



 でしょうね。

 たった今そういう性格をしていると思い知ったところだ。


「よし分かった、肉をやるから縄を解いてくれ」

「はっはー委細承知したぜ!!」

「……ちょ、待ち待ち」


 そうして七宝がスープに浸っていた肉を口に放り込み俺の後ろに回り込むと、唐突に姫小松が慌て始めた。


「あぁん? 我輩に命令をすならそれなりの……」

「ちゃうて、ちょっと静かにしいや!!」


 姫小松が叫ぶと、それきり洞窟内は彼女の声が反響するだけの静かな場所に戻った。


 ――いや、その表現は正確じゃなかった。一点、ドローンが発する飛行音が僅かになり続けている。


 姫小松は顔の前で人差し指を盾ながら静かに『ソナー』のスキルを発動した。片目を閉じて、俺達に「静かにしろ」という意味の籠った手を突き出しながら。


 何やら尋常ではない雰囲気を感じ取り、七宝もすっかり口を噤んでいた。

 或いは、彼女も何かしらの気配を感じ取っていたのかもしれない。


「あー、えっとなぁ、良い話と悪い話どっちから聞きたい?」


 なにをアメリカンな言い回しをしているかとは思ったが、


「俺は良い話しか聞きたくないぞ」


 姫小松はその言葉にニヤリと笑う。


「ようやく楽しなってきた」


 その意味を考えているうちに、ドローンの飛行音が少しだけ大きくなった。

 否、"そう思っていた"別の音が近づいて来る。


「ふむふむ、踊る肉の音が聞こえて来たぜぇ!!」


 なんだその気色が悪い音。血沸き肉躍ると言いたいのだろうか?


「ほな全員、最低限の荷物だけ持って逃げよか」


 俺はロープを解いて貰った腕で近場にあった盾だけを拾い、ゆっくりと立ち上がる。



 その直後、周囲を囲まれた窪みの入口から、大量の小型モンスターが流れ込んできた。

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