番外編最終話 その後の話。
「キャッチボールなんて初めてだな」
「拓斗は高校中退しちゃったからなぁ」
今日はとても天気が良くて、タクと椎名ちゃんの高校時代のクラスメイトの誘いで遊びに公園に来ていた。
車椅子を押してくれる椎名ちゃんは微笑ましそうにタクとその友人の須川くんという人がキャッチボールをしてはしゃいでいるのを眺めていた。
椎名ちゃんも教師になって3年が経って、ずいぶんと綺麗になったとその横顔を見て思った。
「拓斗たち、子どもみたい」
「男の子ってそんなもんだと思うよ」
「ふふっ。そうだね」
大人びていくふたりを眺めていくこの人生の中で、それでもこうして不意に見えるふたりのそのままな顔もわたしは好きだ。
変わったなぁ、成長したなぁって思った矢先に昔のまんまだなぁって思ったりでわたしの感受性はいつも心の中を行ったり来たりで忙しい。
でもそういうふたりを見ていられるのも、今ちゃんと生きているからこそ知れる事だと最近は日々実感している。
「おいっ! キャッチボール初心者にカーブを投げるな!! キャッチするの難過ぎるぞ!」
「家に引きこもってるからだろ〜。頑張れ」
「鬼畜過ぎるぜこの野郎」
タクが家に友だちを連れて来たことはなくて、ああやって楽しそうにしているのを見るのは新鮮だ。
思えばいつもわたしたち姉弟には余裕なんて全くなかった。
だからこうしてのんびりとする休日を過ごせているのは失った青春を少しずつ取り戻しているように感じた。
「ねぇ、桃姉」
「ん? どうしたの椎名ちゃん?」
「ちょっと話したいことがあるの」
「うん」
椎名ちゃんからどこか緊張感を感じた。
それがなんとなく怖くて、わたしも少し身構えてしまった。
何を言われてしまうのだろうか。
わたしがやっぱり邪魔になったのだろうか。
今のわたしなら、ある程度はひとりでももう生きていける。
タクに教えてもらった動画編集の技術があれば、少なくともお金は稼げる。
買い物だって、今はネットでなんでも買える時代だし、わたしがいつまでもタクと椎名ちゃんの生活に寄生虫みたいに居座る理由もない。
だから、出ていってくれって言われるんじゃないか。
そういう事を、時々考えていた。
タクも椎名ちゃんも、笑っていつもそばに居てくれた。
でもそうじゃなくなる可能性はあるわけで、わたしが椎名ちゃんの重荷にどんどんなっていくのではないかと思うと怖かった。
「この辺でいいかな」
「……うん」
椎名ちゃんはふたりが見える位置のベンチに車椅子のわたしを停めて、椎名ちゃんはそのベンチに座った。
もしも椎名ちゃんの話がそうなら、ほんとはわたしから言ってあの家を出ていくべきだった。
もうわたしはひとりで生きていけるからと。
自立して、ふたりを見守っていると伝えて出て行けば1番しこりが残らなくて済んだ。
でもそうしなかったのは、わたしの甘えだった。
大好きなふたりと居られて、楽しかったから。
不安を抱えていても、それでもふたりと居たかったからだった。
でも考えてみればわたしは邪魔者なんだ。
ふたりの人生の邪魔者。
わたしが居なかったら、ふたりはもっと自由に生活ができただろう。
足でまといのわたしを、それでも家族だと言ってくれただけでもわたしはふたりに感謝しなければいけない。
「……桃姉」
「……うん」
それでも、わたしは自分からその話を聞こうとするのが怖かった。
「……あのね、桃姉……」
「……うん……」
椎名ちゃんの声もどこか震えていて、それがわたしにも伝わってきた。
きっと死刑宣告を受けるとしたら、こんな気持ちなのかもしれないと思った。
「あたし……」
椎名ちゃんはわたしの手を優しく掴んだ。
「妊娠、したの」
椎名ちゃんは静かにそう言った。
一瞬理解は追い付かなくて、その言葉が頭の中で
椎名ちゃんの顔は不安に満ちていて、そしてそれはわたしのせいだと思った。
わたしがあの時言った言葉が、椎名ちゃんを不安にさせていたのだと思った。
「椎名ちゃんっ!!」
「も、桃姉っ?!」
わたしは椎名ちゃんを抱きしめた。
これはわたしの罪だった。
だから椎名ちゃんにこんな顔をさせてしまった事を後悔した。
「ごめんね、ごめんね。わたしのせいで辛かったよね。でもありがとう」
わたしは泣いていた。
大切な人を傷付けてしまった後悔と、それでもわたしに話してくれたことが嬉しくて、愛おしいと思った。
「桃姉……」
精一杯抱きしめた。
言葉だけでは足りなくて、今のわたしの気持ちがもっと伝わるように抱きしめた。
「話してくれてありがとう。今わたしは幸せだよ。だからごめんね」
伝えたいことはごちゃごちゃで、泣いているのに嬉しくてどうしていいかわからない。
椎名ちゃんも泣いていて、ほっとしたのかわたしの事を抱きしめ返してくれた。
そうしてわたしと椎名ちゃんはひとしきり泣いた。
どんだけ仲が良くても言葉だけではどうしたって伝わらないことはあって、その度にまた悩むのだろう。
何気なく言ったことが傷付けることもあるし、言葉がすれ違って傷付くこともあるだろう。
不器用なわたしではこれからもたくさんあるのだろうと思う。
だからその度にこうしてわたしは抱きしめるのだろう。
走れなくても、寄り添って抱きしめることはできる。
それでもわたしの言葉で椎名ちゃんを傷付けた事実は変わらないし、無かった事にもしたくない。
だからこの椎名ちゃんの涙はわたしの罪だ。
そうしてやっと、わたしは新しい家族と生きる事を許されると思った。
「椎名ちゃん、おめでとう」
「ありがとう。桃姉」
お互いに泣き腫らした目元で笑った。
駆け付けたタクと友人に妊娠の話をして大騒ぎになった。
そんな騒がしい中で、わたしは椎名ちゃんに心から「おめでとう」と言えた事が嬉しかった。
今のわたしは、幸せです。
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