第98話 夜の旅館。
みんなが寝静まった夜の旅館。
俺はロビーのソファーでPCを開いていた。
やることはたくさんある。
姉我好先生が気付かせてくれたことはたくさんあった。
缶コーヒーを片手に作業を続ける。
部屋で作業してたら起こしてしまうだろうからとロビーに居るが、夜の旅館は思いのほか怖い。
ほんとになんか出そうだなぁとか思いつつも俺は大丈夫だと漠然とした自信がある。
幽霊は変態が嫌いで近寄らないという。
ほんとかどうかとか知らんけど。
だがもしそれが本当の事だとするならば、俺や姉我好先生は幽霊から嫌われる存在である。
だってどうしようもないシスコンだから。
なんなら常にシスコン的えちちな事を考えているまである。
なので幽霊なんかに取り憑かれたりはしないのである。
たとえセクシー女優100人に取り囲まれようとも興奮しないだろう。
だが100人姉ちゃんが居たら下半身が爆発するとも言える。言える? まあいいか。
「なにしてんの?」
「……びっくりした」
「あたしの方がびっくりしたわよ」
後ろから声を掛けてきたのは椎名だった。
寝起きなのかまだ眠そうにしながらも俺の隣に座ってきたので俺はPCを閉じて話し出した。
貧乳からスレンダーボディにレベルアップした椎名だからだろうか、或いは浴衣だからかいつもよりちょっと色っぽいのかなんかちょっと腹立つ。
胸元とかちょっと開きすぎじゃないですかね?
他の男に見られたらどうんだよ?
俺はその男に目潰ししなきゃいけないんだが?
「仕事?」
「ああ。まあそんなところだ」
「旅行中くらい休んだらいいのに」
「俺が稼がなきゃ誰が稼ぐんだよ」
「さすが未来の旦那様」
「守るものが増えるってのは大変だな全く」
微笑みながら俺の肩に身を預けてくる椎名。
俺はそれを拒むことがなくなった。
椎名には恩もあるし情もある。
夜を共にした事もある。
苦楽を共にする、というのがおおよそ1番しっくりくる相手が椎名と言えるだろう。
年相応の恋愛はあまりしてないが、そういうのをすっとばして今の関係性に落ち着いている。
俺たちは良くも悪くも普通ではないのだろう。
たぶんよくあるであろう恋愛とか恋とかと言うものはもっとキラキラしているのだと思う。
デートしてイチャイチャして、たまに喧嘩して少しずつ親しくなって。
でも必ずしもそうであるわけではない。
生きるのに必死だった。
それでわりと精一杯。
でもどうにか今に至る。
理不尽も多かったし、物語のように綺麗に物事が解決するようなこともなかった。
高原がいい例だった。
でもこれで良かったのだと思う。
無論、感情的な話になるとどうしたって納得なんてしてない。
でも椎名が俺の代わりに背負ってくれたから、俺は今こうして居られる。
親孝行ではなく姉孝行ができている。
たぶんあの時に復讐をして自分の手で罰を下したなら、俺は今も姉ちゃんの傍には居られなかっただろう。
こうして前を向いてはいられなかっただろう。
しこりは残ったまま、刺さった棘は折れて今も僅かに血が
それでも今こうして生きていられる事に満足していた。
「てか姉ちゃんは? 椎名が居るから部屋を離れたのに」
「桃姉はぐっすり寝てるよ。拓斗が居なくなってたから探しに来ただけ」
「じゃあ戻るか」
「うん」
立ち上がってPCを片手に歩く。
空いている片方の手に椎名の手が当たって、椎名が少し口を尖らせて頬を赤く染めた。
「手……繋ぎたい」
「仕方ないな」
部屋に戻るまでの少しだけの時間。
大した時間じゃない。
けれど時折甘えてくる椎名のこういうところは嫌いじゃない。
むしろいつもこうならいいのにとすら思う。
でもまあ椎名も姉ちゃんの背中を見て育ったからか、普段はわりとしっかりしている。
しっかりしている、というよりはそうであろうとしている。という方がしっくりくる。
ちゃんと自立したひとりの女性である。
でもこうして時折甘えてくる椎名が愛おしいと感じる。
一方的に寄りかかってくることはない。
それでもこうしてたまに誰かに寄りかかりたいと思うのはたぶん人として当たり前のことなのだろう。
姉ちゃんにフラれた時の俺だってそうだった。
椎名に縋った。それはもうみっともなく。
恥ずかしいとすら思う。
けどそれでもやっぱり救われた。
いつも傍に居てくれた。
だから椎名には感謝している。
「桃姉を起こしちゃわないようにね」
「わかってる」
静かに部屋のドアを開けて寝起きドッキリさながらの忍び込みを見せる俺たち。
姉ちゃんはしっかりと寝ていて安堵した。
誘拐時には辛そうだったが、今は疲れて眠っている。
常に睡眠不足でもあったから、幸せそうに寝ている姉ちゃんの顔を見るとどうしても安心してしまうのだ。
「俺らも寝るか」
「そうね。明日もあるし」
姉ちゃんを挟んで川の字で眠りに着いた。
横になると一気に疲れが押し寄せて来た。
考えてみれば長距離運転して観光してはしゃぎ倒して疲労もあった。
みるみるうちに意識が遠退いていく。
「拓斗……」
「……ん?」
暗闇の中で椎名が俺を呼んだ。
まどろみの中で辛うじて返事をした。
「大好き」
急にそんな事を言ってくる幼馴染。
「……俺もだ」
目を閉じたまま俺はそう返事をした。
眠たい俺にはそれが今の精一杯の返事だった。
「おやすみ」
「ああ。おやすみ」
そうして意識は溶けていった。
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