第97話 今と昔。

「桃姉、可愛い」

「姉ちゃんがもっこもこになってる」


 車椅子に座る姉ちゃんをあちこち連れ回しては服を試着しては購入、秋という季節で肌寒くもあるが、姉ちゃんは歩けない状況ゆえに太ももの筋肉が減って代謝も落ちている。

 なのでありとあらゆる防寒対策も兼ねて服を買いまくっていると姉ちゃんがもこもこになってしまった。可愛い。

 このままぬいぐるみとして部屋に飾っておきたいくらいにもこもこである。


 黄色のポンチョに桃色のマフラー、赤茶色のニット帽。

 そんなもこもこな姉ちゃんのほっぺに俺と椎名は顔を密着させて自撮り。

 困惑気味にぽかんとする姉ちゃんの表情を他所に写真を撮りまくる。


 俺も椎名も親バカみたいなハイテンションだっが、下着コーナーは流石に俺はアウェー感を感じた。

 姉ちゃんの着替えがないので服とかを買いに来たわけなので、当然ながら予備の下着もない。

 なのでしょうがないのだが流石に男の俺が下着コーナーに行くのはどうなんだと椎名に講義したが財布なんだから来いと言われた。


 あの、椎名さん。俺のことATMかなんかだと思ってます? いやまあ姉ちゃんの為になら臓器売ってでも金を作るくらいの事はする俺がだが、財布呼ばわりはちょっと酷すぎませんかね?


 だがしかし車椅子に座っている姉ちゃんが椎名にあらゆる下着を宛てがわれている時の表情は非常に可愛かったのでよかったですはい。

 ちょっと恥ずかしそうにしながら俺をチラチラ見てくる感じがとってもいい。


 意外にも周りの客もカップルで来てたりとかしてたりしててアウェー感は若干和らいだ。

 1人で来てたら通報案件かもしれないないが、椎名と姉ちゃんが居るというのが免罪符に多少はなっているのだろう。

 ……でも姉の下着選びに弟が居るのはやっぱりどうなんだ? と現実に引き戻されたりは何度もした。


 個人的には椎名がにへにへしながらTバック持ってきた時の姉ちゃんの顔がたまらなく可愛かった。

 顔を真っ赤にしながらひたすら首を横に振るのはどこか初々しさすら感じる表情だった。

 面白がって透け透けのやつを持ってきたりとかもしててふたりはとても楽しそうだった。


「んじゃ旅館に向かいますか」

「温泉だぁぁぁ!!」

「まだ早い。気が早すぎる。あと1時間くらい走らないとだし」

「あたしと桃姉のふたりで入るから拓斗はダメだよっ」

「おいおい冗談じゃないぜ。わざわざ個室の露天風呂付きの旅館にしたのにそれはない」


 むしろ姉弟水入らずで温泉入りたいまである。

 よし、椎名はここで降ろそうそれがいい。

 というのはまあ流石にしないけども。


 姉ちゃんはまだ耳が聴こえていない状態なのは変わってはいないようだが、それでも変わりゆく窓の外をこころなしか楽しそうに観ていた。

 そんな姉ちゃんがどこか幼く見えてしまう。


 けれど両親が死ぬ前の姉ちゃんはしっかり者というよりはわりと天然なところがあった。

 ドジっ子、というほどでもないがドジはたまにするくらいでもあった。


 今の姉ちゃんは少しだけ昔に戻っていると感じる。

 俺を守り育てないといけないという責任から解放された今、姉ちゃんは昔のような笑顔に戻るのかもしれない。


「てか、こんなに長距離を運転するのって初めてなんだよなぁ」

「フラグ立てるのやめてよ拓斗!!」


 慌ててシートベルトの確認をする椎名。

 助手席で景色を眺める姉ちゃん。

 実に愉快な旅路と言えるだろう。


 それはそうだ。

 愉快でなくてはならないのだから。

 俺も姉ちゃんも、高校の修学旅行は行ってない。というか行けてなかった。

 ほんとは俺の中学の時も修学旅行も行けなかったが、しぃパパが強引にお金を出してくれて行かせてもらった。


 ただの旅行ではないのだからと。

 家族以外の人達と集団で行動したり何かを見たり学んだりできる機会だからと。

 金に関してはシビアな姉ちゃんだったし、俺も申し訳ないと断ったが、それでも結局行かせてもらった。


 だが今回は違う。

 義務でも学びでもない。

 俺と姉ちゃんと椎名の3人だけの旅行。

 楽しむための旅行だ。


 自由でいい。

 難しいことなんて考えなくていい。

 無理に幸せになろうとしなくてもいい。


 だって姉ちゃんは今までたくさん頑張ってきたんだから。

 だから俺が姉ちゃんを甘やかしたって、誰も文句を言ったりはしない。


 姉ちゃんが生きている。

 それだけで俺にとってはもう奇跡そのものである。


「っわ?!」

「なにどしたの桃姉?!」

「姉ちゃん?!」


 景色を観ていた姉ちゃんが急に大きな声を出してびっくりしていた。

 運転していた最中だったので久々に声を聞けて可愛いと思う余裕もなかったが、直後に姉ちゃんが窓に張り付くようにしてそちらを観ていた。


 どうやら鹿がいたらしく驚いてしまったらしい。

 たしかにさきほどから標識にそのような注意喚起はあったので鹿が出現してもおかしくはなかった。

 姉ちゃんは物珍しそうにその鹿を観ているのがとてもほんわかした。


 姉ちゃんはもう24歳だが、高校2年の時には仕事をし始めてそのまま大人になった。

 慣れている人が鹿を見れば、またかと思うか或いは美味そうだと舌舐めずりでもするのだろう。


 動物園にだって行ったことのない俺と姉ちゃんにとっては、野生の鹿に遭遇すること自体がもうファンタジーだった。


 世界は俺たち姉弟が思っているよりも広い。

 壮大という言葉が相応しいほどに広いのだ。


 これからの姉ちゃんの人生で、下を向いている暇なんてない。

 たくさんの新しいものを見て聴いて、生きていってもらわなければ困る。

 色んな体験を共有していきたい。


「椎名、宿泊先周辺で行ける動物園を調べといてくれ」

「わかったわ」


 楽しそうな姉ちゃんを見ていた椎名も嬉しそうにそう答えた。

 予定通りではつまらない。

 だからこれから何度も手書きで新しい事が増えていくだろう。

 それも含めてきっと旅なのだろう。




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