第94話 どうしようもない。

「ポン酢さぁん聞いて下さいよぉ!! この間お姉ちゃんとデートしたんですぅぅぅ!!」

「……良かったですね」

「お姉ちゃんと手を繋いで水族館行ったりカフェでご飯食べたり雑貨とか見たりしたんですよぉ。でも私は商品よりお姉ちゃんばっか見ててよだれ垂らしちゃってお姉ちゃんにハンカチで拭いてもらったりしたんですよ」

「赤ちゃんじゃないんですから……」


 いい歳した姉我好先生がよだれを拭いてもらっているという構図はあまり微笑ましくないなぁと思いながらも正直どうでもよかった。


 目覚めた姉ちゃんは現在ストレス性難聴をわずらっていて体調がとにかく心配なのである。

 正直月イチで食事をしながら仕事の話をするこの「シスコン食会」もほんとは来たくなかった。


 だが俺が動画編集で食っていくにあたって姉物語シリーズのPVなどを任せてもらったり色んな界隈との繋がりを広げてくれたのも姉我好先生なので俺としては頭が上がらない存在となりつつある。

 ……と言っても昔と変わらずぞんざいに扱ってるけども。


「しかしポン酢さんのお姉さんも大変ですね。やっと目覚めたと思ったら難聴になってしまうとは」

「2年半寝てて、声が出せなかったんですけどそれどころか難聴にもなってしまってどうしていいのかわからなくなってしまって」


 いつも明るくて頼もしい姉だった。

 目覚めた直後は子どもみたいに抱き着いてきて可愛いと思ったが、それから段々と悪化している。


 現在は一応退院して自宅から定期的に通院しているのだが、それ以外はベッドでひたすら横になって窓の外をぼーっと見ているだけの日々。


 食事もあまり摂ろうとしない。

 俺や椎名がスプーンを口元に運ぶと仕方なく食べるという状況。

 生きる事を拒んでいるような姉ちゃんを見ているのは辛かった。


 医者が言うには目覚めたばかりの状態でストレスとなる現状が難聴という症状になっているというが、そのストレスの原因となるであろう要因も多い分専門の施設での治療を勧められた。


 姉ちゃんが事故にあった日についてどこまで思い出しているのかもわからない。

 何も話そうとしない。

 というか声も出せないままなので当然だが、伝えようとしないのだ。


 そして物理的に俺の声も届かない。

 どうしようもなくて、どうしていいかわからなくて抱き締めると寝息を立てる。

 ちょっとした事ですぐに目が覚めてしまう今の姉ちゃんは常に睡眠不足気味なので、抱き締めると眠ってくれるのは有難いが心配は消えない。


「でもどうしてポン酢さんのお姉さんは難聴になってしまったんでしょうか?」

「ストレス性なので、考えられる事とすれば歩けなくなっている事とか、あとは子宮が無くなったこととか色々あるとは思います」


 事故に遭う原因となった高原のやった事は許せる気はしないが、奴はもう死んでいる。

 だがその時に味わった恐怖を思い出してしまっているならそれも原因となるだろう。

 とにかく姉ちゃんの精神的な負荷が多過ぎる。


 だが最も厄介なのが姉ちゃんから話を聞くことができない事である。

 何に悩んでいるのか。

 何に苦しんでいるのか。

 そう言った問題を解決する為にも原因を聴いてひとつひとつ地道に解決していくしかない。


「……歩けなくなって、声が出なくなって、産めなくなって、耳が聞こえなくなった。まるで……」


 姉我好先生はそう言って口をつぐんだ。

 姉我好先生がその先の言葉を言いそうになって俺は思わず睨んでしまった。


 わかってる。

 姉我好先生が間違っても冗談でそんな事を言わない事は知っている。

 それでも、それを言葉にしてほしくなかった。


「わかってますよ、ポン酢さん。でも今度は私の番みたいですので」

「……何を言って、るんですか?」


 姉我好先生は俺の瞳を覗き込みながら両手を包むように握ってきた。

 いつもみたいな変態臭は一切なく、ただひたすらに優しさと真剣さが伝わってきた。


「向き合って下さい。お姉さんと」

「いや、向き合ってま」

「このままだと、死のうとしますよ。お姉さん」


 思わず俺は姉我好先生から目を逸らした。

 なんとなく感じてた事だった。

 物言わず、何も聞こうとしない姉ちゃんを見ててどこかわかってた。


 ……そんな姉ちゃんを見たくなかった。

 そうであってほしくないと思ってしまった。

 こわかった。

 姉ちゃんが姉ちゃんでなくなっていく。


 だからだろう。

 姉我好先生は全部見透かして俺に突き付けてくる。

 最も恐れるべき恐怖であり現実から逃げないようにと向き合わせてくる。


「……姉我好先生に、姉ちゃんの何がわかるんですか? 教えて下さいよ? じゃあ」

「私にはなにもわかりません。ただのシナリオライターですから」

「だったら!!」


 苛立ちすら覚える俺をさとすように姉我好先生は冷静に淡々と続けた。


「でも、だからこそわかります。いえ、正確には考えられるルート、とでも言いましょうか。そういうある種の未来予測は何通りも浮かびます。もちろん現実と創作では話が違う事もわかってます。けど、私程度でも想像できる最悪な未来が今のポン酢さんのお姉さんにはいくつもあるんです」


 目の前の姉我好先生が憎らしいと思ってしまった。

 べつに姉我好先生がやったわけじゃないし、なんなら姉我好先生は姉ちゃんの顔も知らない。

 無関係な人間である。


 だから姉我好先生に八つ当たりするのは間違っている。

 それをわかっていても尚この理不尽に対して俺はどう向き合っていけばいいかわからない。


 やっと目覚めてくれたんだよ。

 やっと姉ちゃんの笑顔が見れるって思ってた。

 けど姉ちゃんの顔が日を重ねる事に暗くなっていくばかりで、どうしたらいいんだよ?

 ここからどうやって?

 どうやったら姉ちゃんはまた笑顔になってくれるんだよ?


「私にも答えなんてわかりませんが、ポン酢さんのお姉さんが幸せになれる未来への道が残ってるとするなら、ポン酢さんもその道を選べるかもしれません」

「……どうやって?」

「わかりません。私は私の物語の創作者神様であって、ポン酢さんの神様ではないので」


 現実は創作なんかじゃない。

 都合のいい人生なんてもんがあったらこんなに苦しんでないんだよ。

 俺も姉ちゃんも。


 高原が最悪な死に方でもすればもしかしたらスッキリしたかもしれない。

 姉ちゃんが何も失わなかったら幸せになれたかもしれない。

 そうして既にいくつもの「かもしれない」が過ぎ去っていった。


「私に言えることは、やれる事は全部やって下さい。それしか言えません。やれる事がわからないなら、まずポン酢さんは自分と向き合って下さい。ポン酢さんには何ができますか? お姉さんにしてあげられることではなくて、ポン酢さんにできる事をひとつひとつ考えるんです」


 それで姉ちゃんを救えるのだろうか?

 今更俺に何が出来るというのだろうか?

 今までだってたくさんやってきた。

 それでもダメだった。


「私がもしポン酢さんの神様だったら、幸せになれるようになる為の道は必ず残します。神様なんてのを信じなくても、すがらなくてもそんなのはどっちでもいいです」


 何を言ってるのか、よくわからなかった。

 創作者なんてイカれた人の頭の中なんてわかるはずもないかと思った。

 けれどそれに縋りたいと思ってしまうほどに辛かった。


「ポン酢さん」


 泣いている俺を呼んで、姉我好先生は微笑んだ。


「3日後にポン酢さんが死ぬとしたら、貴方は何をしますか?」


 姉我好先生は俺の額に指鉄砲の人差し指を突き付けた。

 突拍子もない発言に頭が追いつかない。


「3日後に貴方はどうやっても、どんな手を使っても殺されます。貴方はどうしようもないド変態のシスコンです。貴方はどうしますか? 何をしますか?」

「…………あんた、イカれてるよ。ははっ」


 イカれてる。意味がわからない。

 だけど言いたいことはわかった。

 不思議なものだ。


「イカれてると罵られるのは作家としては褒め言葉ですね。優雅にティータイムをしたくなるくらいには褒め言葉です」


 やっぱり何言ってるのかわからない。

 この人の価値観はおかしい。

 それとも創作をしている人間が総じて頭おかしいかどちらかだろう。


「落ち込んでる暇なんてド変態のシスコン野郎なんかには1秒もないんですよポン酢さん。死ぬ気でお姉さんを助けてこい」

「……はい」


 今1番苦しんでるのは姉ちゃんだ。

 俺がへこたれてる暇なんてほんとにない。


 ああ、どうしようもないシスコンでよかった。

 姉ちゃんの為なら死んでもいいと思ってたのを思い出した。

 そんな覚悟があるんだから、やれる事を探すのくらい簡単だろうにな。

 頭の中で浮かばないなら書き出してたくさん試せばいい。


「ありがとう。姉我好先生は盟友だ」

「とても光栄ですね。腐ったピンク色の鎖で繋がれた人権無き盟友。ほんとにどうしようもない」

「全くだ」


 そうしてお互いに笑った。

 姉ちゃんの為に出来ることはなんでもやろう。

 姉ちゃんが呆れて笑ってしまうくらいに。


 だって俺はもうどうしようもないシスコンなのだから。


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