第92話 焦れったい。

「拓斗くんも椎名も今年が成人式だな」

「なんかあっという間な感じがするわ」


 あの日からしぃパパとしぃママは七島宅でご飯を食べるようにと促して、それからそれもずいぶんと慣れてしまった。

 半年後には成人式であるが、男の俺としてはとくにそれを特別視することもなかった。

 けれど話を聞くに、成人式の準備も早い人は半年前から予約したり色々とするらしい。


「拓斗も今度袴とか見に行こうよ」

「いや、俺はべつにいいかな。成人式には出席しないだろうし」

「なんで?!」

「なんでって……べつに成人式を機に会いたい奴とかいないし、仕事もあるし姉ちゃんのこともあるし」


 成人式と言えば中学とか高校の同級生とかが集まる機会という印象しかない。そのまま同窓会とか昔話に花を咲かせる場でしかないと思っている。

 今はもう居酒屋越前でのバイトは忙しい土日祝だけで、あとはずっと動画編集をしている自分にとっては袴やスーツとか同窓会に金を掛ける道理がない。


 動画編集だけで飯は食えるようになったとはいえ、姉ちゃんの入院費は依然として掛かり続けている。

 意識が戻らない以上は点滴で栄養を補給し続ける必要がある。

 自宅療養だとどうしても俺や椎名がいない時間は心配だし、姉ちゃんをひとりにはしておけない。

 それなら入院費を払って病院にいてもらった方が安心である。


「成人式で浮かれてるほどの余裕はないし、たぶん俺は場違いな奴にしか見えないだろう。変に気を使わせたくもない」


 仕方なく成人式に参加したとして、そして同窓会にも出席したとして。

 みんなは今どうしているのかという話になるだろう。

 人によって高卒で働いて、或いは大学で楽しくやってるか短大なら今年就職で、とかそれぞれ前向きな不安や悩みに漠然と社会への思いの丈を話す中で、俺は何を語ればいい?


 俺は不幸ですって可哀想オナニーでも披露すればいいのか?悲劇の主人公ですって?


 べつに不幸ではない。

 姉ちゃんも生きていて、支えてくれている人たちも周りにいる。感謝している。とても有難い。


 けど俺はそんなに大人じゃないから、どう立ち回っていいかなんてわからない。

 欲求不満で恋人欲しさに参加するとかいう理由でもあればそれもいいだろう。

 けど今俺には椎名がいるし、目を覚ましてほしいと願う姉がいる。


 だから俺には出会いも過去を懐かしむ時間も必要なんてない。


「拓斗くん。成人式っていうのはね」


 しぃパパが俺を見かねてか話し出した時、スマホが震えた。

 姉ちゃんが事故にあってからの毎日連絡において敏感になってしまっていた俺は思わずスマホの画面を見た。

 その事に気付いたみんなも話を止めた。


「……病院からだ」


 瞬間的に不安が過ぎった。

 どれだけ目覚めを願っていても、不安はいつも消えたりしない。

 人は唐突に死ぬし、姉ちゃんにだって何が起きるかなんてわからない。

 あの日から俺は気を抜けないまま年月が経っていた。


「はい、はい……。わかりましたすぐに行きます」

「病院はなんて言ってたんだ?!」


 晩御飯も放り出して立ち上がった俺にしぃパパが問いかけた。

 答えるのすらわずらわしいと思ってしまうほどに自分の心はせわしなかった。


「姉ちゃんの意識が戻った」


 そう言った瞬間、七島家はパニック状態になった。

 早く行かなきゃと家中を走り回り急いで身支度を整え始めた。


 俺も飛んでって抱きしめてやりたい気持ちを無理矢理に抑えながら車を回して3人が身支度を済ませるのを待っていた。なんともれったい。

 だけど、この日の為に俺と姉ちゃんを支えてくれた人たちだ。


 俺一人の問題じゃない。

 七島家にとっても、姉ちゃんは家族なのだ。

 みんなで迎えに行かなくては。


「桃姉に久々に会えるのにすっぴんだよ〜!!」

「高校の時からそもそもほとんどすっぴんだっただろ? それよりも、少し胸が大きくなってるから別人と間違われるかもしれないな」

「あたしの認識が胸で判断されるってなんかそれはそれでムカつくんですけど?!」

「待たせな拓斗くん!」

「お待たせしてごめんなさいね拓斗ちゃん!」


 慌ただしくも車に全員が乗り込み準備万端、とはいかないがそれでもこれでようやく出発できる。


「それじゃ眠り姫を迎えに行きますよ!!」


 かつてこれほど法定制限速度が鬱陶しいと感じたことはない。

 ついに姉が目を覚ましたのだ。

 今なら神にも中指を立ててぶっぱなせる気さえする。


 1秒でも早く。

 微笑む姉ちゃんの顔を見たい。

 寝顔はもう散々見てきた。

 それでも飽きることなく願いながら寝顔を尊び話し掛けてきた。


 辛かった。

 何度も死のうと思った。

 このまま目覚めないかもしれない。

 ならいっそ俺も姉ちゃんも殺せばもうこの地獄は終わるのでないかと思う事もあった。

 その度に椎名たちに励まされてなんとか生きてこられた。


 運転している最中なのに、視界は大雨でも降ってるみたいに歪んでて危なっかしい。

 これまでの生活が頭の中で反芻はんすうして感情がとめどなく湧き出てくる。


 生きててよかったと。

 死ななくてよかったと心から思う。


 日々笑えなくなっていく自分が怖かった。

 新しい繋がりを作ることすら恐れるようになっていく自分が怖かった。

 自分や姉ちゃんを大切に思ってくれる人が増えるのが怖かった。

 自分が大切だと思える人が増えていくのが怖かった。


 失っていく恐怖は際限なくむしばんでいった。

 でもそれを助けてくれるのもまたその失うかもしれない者たちであって、この世は地獄だと思った。


 それでも尚、姉ちゃんが目覚めたと聞いただけで生きる気力が湧いてくる。

 この日のために生まれてきたと錯覚するほどの喜びだった。


「着いた!!」

「拓斗くん、先に行け。車は私が駐車しておくからっ」

「ありがとうしぃパパ!!」


 ドアを締めて車のキーをしぃパパに預けて走った。

 ようやっと、姉ちゃんを抱き締められる。

 姉ちゃんは泣くだろうか。

 それとも笑うだろうか。


 どっちでもいい気がした。

 姉ちゃんが生きているのだと実感できればそれで良かった。

 もう、死んだように眠る姉ちゃんを辛い気持ちで見なくても済む。


 嗚呼。でもやっぱり微笑む姉ちゃんの顔が見たい。


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