第91話 時間。

 退院して3日が経った。

 姉ちゃんはまだ目を覚まさない。


「姉ちゃん、早く起きないとイタズラしちゃうぞ」


 病室で眠り続ける姉ちゃん。

 寝顔を遠慮なく見れるのはいいが、やはり目を覚まさないのは辛いし寂しい。

 手を握っても握り返してはくれない。


 姉ちゃんとのまぐわいを終えた後に頬を撫でたらネコみたいな顔してされるがままに撫でられていたのに。

 抱き締めたら抱き締め返してきてくれた。


 今はただ死んだように眠っているだけ。

 バイトがない日はいつも姉ちゃんの病室でPCを使って動画編集をしながら、ひたすらに姉ちゃんの目覚めを待っている。


 高校を休学して居酒屋バイト以外にもバイトを増やした。

 空いた時間で姉ちゃんの顔を見ながら動画編集。


「姉ちゃん、今度この病室で椎名の誕生日会する事になったんだ。ちょっと騒がしくなるけど」


 椎名の誕生日の1週間後は俺の誕生日。

 その時もここで誕生日会をすることになっている。

 看護師の愛川さんからはお祭り騒ぎさえしなければ問題ないと許可をもらっている。

 まあ、大人数は無理だけど。


 当初は俺と椎名の誕生日会をまとめてやろうかという話だったがわざわざ2回に分けた。

 いつ起きるかわからないけど、明日には起きるかもしれない。

 椎名の時は無理でも、俺の時には起きるかもしれない。

 だからその時に姉ちゃんが参加できるようにと椎名が言った。




 けど結局、姉ちゃんは起きなかった。

 そしてさらに半年が経った。


「姉ちゃん、椎名が教師になるらしい」


 なぜ教師になりたいのかと聞いたら「公務員だし産休とか取っても復帰しやすいし教員免許は腐らないから」と言っていた。

 夢のない話だった。

 けどまあ椎名は勉強できるし教えるのも上手かった。


 だから教師は向いているとは思う。

 今のご時世で教師は大変だろうけど、椎名ならどうにか上手くやれそうでもある。

 椎名は俺からのプロポーズのお陰で地に足着いた就職先を考えることができたとお礼を言われた。


 俺は泣きそうになったよ。

 たぶん、俺がバイト掛け持ちと動画編集という不安定な仕事をしているからそういう結果になったのだろうと思ったし、椎名にそこまで考えさせてしまっている事が申し訳なかった。


 最近は動画編集の技術も上がってきて仕事も増えてきているけど、それでも不安定な事には変わりない。

 姉ちゃんを支えるために俺が支えて、その俺を支えたいと椎名は言うのだ。


 いつも思う。このまま姉ちゃんが目覚めないのだとしたらと。

 このまま身動きができない状況でそもそも現状維持を続けていけるのだろうかと。

 明るい未来とか、ないんじゃないかと。




 また半年が経った。

 それでも姉ちゃんは目覚めない。


「姉ちゃんをこんなんにした奴、自殺したんだってさ。高原だっけか。そいつの母親が被害者顔してて、もうどうしていいかわかんないや。姉ちゃん」


 姉ちゃんを脅して逃げられて目の前で車に轢かれた光景が何度もフラッシュバックして精神を病んでいったらしい。

 俺の知らないところでしぃパパとしぃママが弁護士まで立てて色々やっててくれたらしい。


 弁護士を立てて社会的な手続きとか代理で頼めるところは一旦頼むという話はしぃパパから聞いていて、弁護士費用は立て替えておくからと言われてはいた。


 俺は不慮の事故だと思っていたが、裏でそんなことになっていたとは知らなかった。知らされなかった。

 椎名からは散々謝られた。

 恨んでもいいと、殺してもいいとまで言われた。

 でもあの時俺がこの事件の事を知ったら絶対復讐しようとすると思ったからと。


 やるせない気持ちだけがどこまでも続いてく。

 しぃパパとしぃママまでも俺に土下座してきた。

 べつに3人が悪いわけじゃない。

 ただ俺を守ろうとしただけの話。

 姉ちゃんの傍に居るべき俺が、復讐心に駆られて行動して傍に居られなくなってはいけないという配慮であり懸念。


 弁護士からも謝られた。

 事情が事情だけに俺に言えなかったと。

 俺の意思ひとつで弁護資格を剥奪できるとまで言われた。

 元々この弁護士さんはしぃパパの知り合いで際どいこの話に乗ってもらったのだと言っていた。


「……だからもう、全部許したよ。姉ちゃんがどうかはわからないけどさ……」


 俺を心配してくれる人たちも、息子を失って死にそうな顔してた高原の母親も。

 どうしようもなかった。


 鬱病になってたその高原の母親の顔を見てるとさ、少しづつ痩せてく姉ちゃんと重なって見えたんだ。

 もう、1年だ。1年姉ちゃんは眠ったまま。


 それでもまだ俺は姉ちゃんが今この瞬間に目が覚めたらって考えてる。

 毎朝、毎日、仕事中、眠る前。


 復讐を考える暇なんてなかった。

 もしも姉ちゃんが即死してて、高原というその男のせいだとすぐにわかったなら間違いなく復讐してただろう。


 そりゃそうさ。

 唯一の肉親が殺されたらそうなる。

 許せるはずなんてない。


 けどまだ姉ちゃんは生きている。

 死んでるように生きている。


 高原なんてモブ男に俺の時間をくれてやることはない。そんな時間があったなら、俺は1秒でも長く姉ちゃんの傍にいる。

 モブのくせに、ご立派に復讐心を抱かれるような悪役になれると思うなクソが。




 さらに1年が経とうとしていた。


「姉ちゃん、俺ももう大人になったよ」


 椎名は高校最後の冬休みも終えていよいよ高校卒業も目前。

 椎名は大学にも問題なく受かった。

 俺も椎名も18歳になっていて、それから初めての成人の日も近いが、うちの自治体では20歳になってから成人式を行うらしい。


「最近じゃもうほとんど動画編集だけで生活が安定してきたよ姉ちゃん。委員長ちゃんが税金関係の勉強しててさ、最近は節税とか補助金とかの色々教えてもらってるんだ」


 今となっては元委員長な幸村初芽も大学に合格している。

 色々教えてもらっているが、最近よく椎名が嫉妬している。こわいです。

 なんなら委員長は「私も加えて」とあからさまに開き直った発言をしてきたので思わず笑ってしまった。

 委員長は絶対心臓に毛が生えていると思った。


 もちろん肉体関係とかはない。

 そんなことをしたら椎名に殺される……

 けど未だに椎名と委員長は仲がいいからよくわからん。てか意味わからん。

 この間なんて「どうせ椎名さんは大学でいい男に目移りすると思うので大丈夫ですよ」とか言ってて挙句にキャットファイト始めてた。


 ……女ってほんとわからん。


 まあでも仲がいいならそれでいいかなとは思う。

 そっちの方が愉快だ。


「姉ちゃん、俺も免許取ったんだ。姉ちゃんが起きたらドライブデートに行こう。椎名と3人で」


 そう言って俺は勝手に姉ちゃんの小指に自分の小指を絡めて約束を取り付けた。


 それでもまだ姉ちゃんは目覚めない。

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