第88話 守る人。

 拓斗が臓器移植手術を受けるその前の適性検査を受ける前、あたしはパパとママに連絡して病院にいる事を伝えた。

 そして待合室で現状を話した。


 桃姉が事故にあったこと。

 子どもが産めない体になったこと。

 もう歩けないかもしれないこと。

 臓器移植が必要になったこと。

 拓斗が臓器移植のドナーとなる為に手術を受けること。


「……現状はわかった。桃ちゃんの職場と拓斗くんの学校への連絡はお父さんがしよう。面倒事は大人の仕事だ。椎名はできるだけふたりの傍に居てやってくれ」

「うん」

「拓斗くん」

「しぃパパ……」

「もしも、…………いや、なんでもない。手術に耐えられるように体力を温存しておくといい。桃ちゃんを助けるためにな。金銭面は俺らがどうにかしてやる」

「……必ずなら返します。ありがとうございます」

「いいんだよ。いいんだ拓斗くん」


 パパとママは拓斗を抱き締めて泣いていた。


 パパにとって、拓斗は息子みたいなものだった。

 一人娘のあたしだけど、あたしたち家族と長谷川家はそれだけ親密な関係だ。

 親戚よりも仲がいいし、毎年親戚周りであげるお年玉よりもふたりには多く渡してしまうくらいには良くも悪くも贔屓ひいきしている。


 ただのお隣さんではない。

 桃姉と拓斗のご両親が亡くなった時、パパとママはふたりを養子としてうちに来ないかと提案してくれた。

 あたしもそれは賛成していた。

 だけど、桃姉はそれを断った。


 パパもママも、その時の桃姉の顔を見てそれ以上その提案をすることはしなかった。

 覚悟の決まった大人の顔をした桃姉を止める事は出来なかったと言っていた。

 パパはよく言っていた。


 覚悟の決まった人間は強い。

 それが女なら尚更強い。

 パパも何度もママにケツを引っぱたかれて、しっかりしろと言われて社会に出る漢として、子を持つ親として支えられてきたと言っていた。

 だからパパはママに頭が上がらないと。


 だからたぶんパパは桃姉の芯の強さを理解して、養親縁組の話をしなくなった。

 心配し過ぎるのは桃姉に失礼だと思ったのだろうと思う。

 それでもパパもママも心配はしていたけど、桃姉を対等な大人として尊重して今まで付き合いを続けていた。


「それでは長谷川拓斗さん、適性検査の準備が整いましたので」

「わかりました」


 あたしたちはひとまず拓斗を見送って待合室で何をするでもなく待っていた。

 夜の病院の不気味さはこれから不幸な事が起きるのではないかと不安にさせた。


「あの……すみません。長谷川桃さんの御家族の方でしょうか?」

「なにか、御用ですか?」


 あたしたちに声を掛けてきたのは年配の女性だった。

 その後ろには死んだような顔をしている若い男。

 若いと言ってもあたしよりは歳上で大学生くらいの男だった。


「私は息子の母親で、息子は長谷川桃さんという方の同僚らしく、お話しなければならない事があるとの事でお話と謝罪にうかがいました」

「……俺は悪くない……俺は悪くない……俺は……俺は……」


 瞬間的に殺意が沸いた。

 話の流れ的にこの男が桃姉の事故に深く関わっているのだとわかったから。

 そこからの男の話は反吐が出るような言い訳の嵐だった。

 あいつが悪いんだと言っては母親に頭を殴られて頭を下げさせられてはまた言い訳だった。


 殺してやろうかと思った。

 中卒の女のくせに自分の好意を受け入れなかったから神からの天罰が下ったんだと言い放った時にははらわたが煮えくり返った。

 男の醜い現実逃避の言い訳をそれでもあたしたち3人は黙って聞いていた。


 パパもママもあたしも、目の前の現実逃避男を殺す勢いで睨み付けていた。

 でも手をあげなかった。あげなかった。

 ここには今、拓斗がいないから。


 1番怒るべきなのは拓斗と桃姉だ。

 でも同時に拓斗が今ここに居なくて良かったとも思った。

 今ここに拓斗がいたら殴りかかってこの男を殺すだろうから。

 唯一の家族をこんな目に合わせた男を、ゆるせるわけがない。あたしだってそうだ。

 もし今ここに拓斗が居て、そして殴りかかってしまったら臓器移植の手術を受けられなくなる可能性もある。

 そうなったら桃姉は助からない。


「……なぜ、警察に行ってない?」


 パパは震える手で太ももに爪を食い込ませながら殺意を向けながらもそう問い掛けた。

 大人の対応を必死にしようとしているパパ。

 目の前の情けない男を殴り殺しにしてもおかしくない状況でそれでもそう問うパパの事を理解できなかった。


「その……なんとか示談でどうにかならないかと、思いまして……」

「なると思うのか? 桃ちゃんは意識不明の重体で!! 拓斗くんは桃ちゃんを助ける為に自分の腎臓を渡す為にこれから手術を受けるんだぞ?! 示談で済まそうだなんて都合のいい話があると思うのか?!」


 激昴げきこうするパパは怖かった。

 でも恐怖ではなかった。

 親という生き物の本能だと思った。

 あたしから見てもあまりにも無責任なこの人たちに対しての怒り。


 赦せるはずなんてなかった。

 なのに、話を聞いてるかぎりだと罪に問えるかわからない話でもあった。それが余計に理不尽だと思った。


 この男の話を聞く限りは、嘘で脅して言うことを聞かせようとして断った桃姉がお酒の酔いと動揺で車に轢かれてしまった。


 脅したことについては罪に問えるかもしれない。

 けど、事故にあったことについてどれだけの罪に問えるのかをあたしは知らない。

 死刑になってほしいと思うけど、たぶんこれはあたしたちの感情論でしかない。


 そもそもこの男の話が全部本当だと過程しての話だけど、それを証明するのは法的措置を行える機関の捜査があって罰することが出来る話だ。


「とりあえず今日は帰ってくれ。そして警察に行ってくれ。話はそれからだ。被害を受けた当事者も家族も今は対応できない……」


 あたしたちは、あくまでも他人だ。

 この話をまず聞くべきなのは拓斗であって、その処遇を決めていいわけではない。そんな権利は無い。

 もしも拓斗がこの話を聞いて示談で済ますというなら話はそこまで。


 でも拓斗は絶対に赦さないだろう。

 赦せないだろう。


 年配の女性と男は連絡先を渡して待合室から出て行った。

 あたしもパパもママも、待合室で泣いていた。

 殺したいと心から思うのに、それをしてはいけないのだという常識が歯痒かった。


 あの男が息をしているだけで憎たらしい。

 他人であるあたしたちですらそう思っているのだ。

 もしも拓斗なら、止める間もなく殺そうとしていただろう。


「……パパ、ママ」

「……なんだ……」

「……なに?」


 あたしは目じりに涙を溜めたまま、ふたりの顔を見た。


「拓斗には……この話はまだ黙っていて。臓器移植が終わるまでは」

「…………」


 パパもママも、そのことについてなにも答えられなかった。

 手術前にこんな話を聞いたら、聞いてしまったら手術どころの話ではなくなる。

 警察沙汰か、あるいは精神を崩壊させて手術を受けられなくなる可能性がある。


 だから、今は言えない。話せない。

 でもこれが拓斗の為になるとも思えなかった。

 それでも今は、あたしたちが抱えるしかなかった。


 今の拓斗にとって「ただの不慮な事故」だから。

 悪意のない事故だから。


 でも、こんな話を聞いたなら、拓斗は絶対に復讐する。

 だからあたしたちが背負うんだ。

 拓斗が背負えない分を。

 たとえ教えなかった事を拓斗に恨まれたとしても。


 今、拓斗を犯罪者にするわけにはいかないから。

 拓斗と桃姉が少しでも幸せな未来を過ごせるかもしれない可能性を守らないといけない。


 あたしが拓斗を支えるんだ。

 どうしても、好きだから。

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