第84話 大人。

「たっくんこれ3番テーブルにお願いっ」

「はい」

「長谷川くーん、運び終わったらお会計お願い!」

「了解」

「拓斗〜6番テーブルの片付け手伝ってー」

「あいよ」


 バイト、勉強、エロゲ、動画編集。

 今やほとんどこのルーティンになっている毎日。

 バイトが無い日はスーパーに行ってお買い得商品を買い溜めて節約と自炊&冷凍。合間に家事。


 毎日が忙しい。

 ポケットのスマホの震えも無視して仕事を続けている。

 もし部活とかまでしてたら死んでたまである。


 しかし疲れている時というのはバイトをするにあたって最適効率で動くようになる。

 疲れている分無駄を省くような捌き方ですいすい仕事が終わっていく。

 重たい体とは反対に余計な事を考える余裕はなく、ロボットのように作業していく。


 昔のアニメで千本ノックをする描写がある野球漫画があったらしいが、普通に考えたら千回もそんな事をやるのは現代風に言えばコスパが悪いように思う。

 しかし千本ノックの後半ともなると疲労でほとんど反射神経だけでボールを取ろうとするようになって体に守備の動きが染み付くという。

 これも達人とかの修行の反復運動なのだろうなぁとか思いながら脳死状態で気が付けば仕事が終わっていくのはある種の恐怖さえ覚える。


「あんちゃん、目が死んでるな」

「山田さん。俺の目がキラキラしてたら絶対ドン引くでしょ?」

「ははっ。そりゃそうだわな。むしろ病院進めちまうだろうな」


 常連客の山田のおっさんは愉快そうに笑いながら俺をからかってくるのもいつもの事。

 悪意があるわけではないからストレスを感じることはない。

 山田はだいたい仕事終わりに疲れた顔してテンション低いが、酒が入ると陽気なおっさんになる。

 楽しく酒を飲む客なら大歓迎である。


「俺が目を輝かせたら宗教勧誘とマルチと投資を山田さんに勧めてあげますよ」

「えげつねぇな」

「栄養食品とか水素水とか毎日飲めますよ」

「そんなもんでこのでっぷりお腹が引っ込むならいいんだけどなぁ」


 そう言って山田さんは目じりにしわを作りながら腹太鼓をした。

 ぽてんっ、と滑稽な音の鳴る愉快な太鼓をお持ちのようだ。

 幸せ太りってやつだろうか。

 ……そうであってほしいものだ。


「たっくん!」

「なんですか?」

「お姉さんがっ!!」


 店長の深刻そうな顔を見て俺は時間が止まったような錯覚を憶えた。

 もう嫌な予感しかしない。

 なにがあったのかなんて聞きたくもない。

 でも聞かなければならない。


 俺は店長が持っている固定電話を受け取って通話を変わった。


「はい。そうです。弟の長谷川拓斗です」


 病院からの電話だった。

 受話器から聞こえてくる声に受け答えをしているのに、頭に入ってこない。

 考えうる最悪が頭を何度も侵食してくる。


「わかりました。すぐに向かいます」

「……拓斗? ねぇ、桃姉になにかあったの……?」

「車に跳ねられたらしい。……店長すみません、今日は抜けさせてもらいます」

「う、うん。行ってきて」

「……はい」


 気が動転している。

 脳内麻薬でも出ているのかほとんどパニックになりつつも頭の片隅で冷静にしていないといけないと理性で押さえつけていた。


「店長、すみませんあたしも抜けます。拓斗について行きます」

「うん。そうしてあげて」

「店長、初芽ちゃん。お願い」


 内心パニックになりながらも着替えながらスマホを見ると病院から着信が来ていた。

 ずっと鳴ってたな、なんて半ば現実逃避みたいなことを考えながら震える指先で不器用にボタンを外す。


 もしも神がいるとするならば、俺は神をうらむだろう。にくむだろう。

 親だけでなく、姉ちゃんまで奪おうというのか。

 頑張ってればむくわれるとか、そういう綺麗事を言うのが神様だというならみんな死ねばいい。

 なんで姉ちゃんが車に轢かれないといけないんだよ。


 救わぬ神なんてゴミよりも


「拓斗! 大丈夫だから」


 後ろから急に抱き締めてくる椎名。

 何がどう大丈夫なのか意味がわからなかった。

 何も大丈夫じゃない。

 ふざけているのかと苛立ったが、抱き締めている椎名の手が震えているのがわかった。


 それを見て落ち着かなければいけないと思った。

 椎名に気休めにもならない無意味な言葉を掛けさせてしまうような背中をしていたのだと気付いた。


 後ろから抱き着かれている状態をどうしか客観的に観ているような感覚になった。

 自分を観ている自分がいる。そんな感覚。


 体のパニックは未だに感じる。

 恐怖も怒りも、絶望感さえ感じる。

 なのにどうしてまるで他人ごとみたいな自分がいる感覚。

 どこまでも冷たいというか、或いは全部知ってた映画を何度も見た後みたいな感覚。


 覚悟してた事のだったはずだ。

 父さんと母さんが死んだ時、姉ちゃんも居なくなったらっておびえてたあの時に考えたことじゃないか。


「もう大丈夫。行こう椎名」

「……う、うん」


 電話で聞いた事を頭の中で整理しながら見せようと出た。


「拓斗くん!」


 山田さんに呼び止められた思ったらタクシーが来た。

 ハザードランプを焚いているそのタクシーに乗るように山田さんは促してきた。


「山田さんが?」

「学生バイトがこの時間から病院行くのは無理だろ」

「ありがとうございます」

「金もやる。行ってこい」

「いやでもそれは……」


 押し付けるように渡された数万円。

 タクシーに乗ったことはあまりないが、明らかに多い金額。


「この辺のデカい病院の往復するなら持っとけ」

「……でも、どうして」

「大人になったらわかる」

「……ありがとう、ございます」

「ありがとうございます山田さん。拓斗、行くよ」


 泣きそうになった。

 山田さんのその言葉の重み。

 あくまで客と店員の関係性でしかないのに、山田さんの人生の一端を垣間見た気がした。

 いつも陽気に酒飲んでるおっさん。

 けれどなにも知らなかっただけで、大人になるという意味がこれほど重いのだと山田さんのお陰で知った。


「桃姉はまだ生きてるの?」

「意識不明の重体らしい」


 命の危機であると言われた。

 死ぬかもしれない。


 父さんと母さんの時は、知った時にはすでに死んでいた。

 今ならまだ間に合う。

 そう言い聞かせてひたすらただじっと後部座席で椎名の手を握っていた。


 それしか出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る