第71話 許せない。

「桃姉、お風呂入ろっ」

「うん。いいよ〜」


 あたしは、桃姉が好きだ。

 小さい頃から遊んでもらったり面倒見てもらったりで、あたしにとって本当のお姉ちゃんみたいな人。

 拓斗みたいに血の繋がりとかはないし、ていうか一人っ子だし、本当の姉妹とか兄妹とかの感覚は知らない。


「……歩くだけで揺れるのはずるい」

「椎名ちゃんはガッツリ普通に見てくるよね……もう慣れたけど」

「揺れるものに反応しちゃうのは生物学的に普通だからっ」


 桃姉は可愛いし、スタイルもいい。

 面倒見がとにかくいいし優しいし頑張り屋さん。

 長年幼馴染であるあたしでも、桃姉が怒ったところはあまり見たことがない。

 あたしも、こんな風になれたらってよく思う。

 そしたら拓斗もあたしの事をちゃんと好きになってくれるんじゃないかって思う。


「桃姉、いつも思うけど髪綺麗だよね。お手入れとか大変そう」

「まあ、結構大変だね」


 お風呂に入る前に艶のある長い黒髪をくしで梳かす桃姉。

 その仕草もなんか色っぽくて、大人の女性って感じがする。

 タクが黒髪ロングがいいって言うから、と惚気話を聞かされても嫉妬しないあたしも、拓斗の言う通りシスコンなんだろうなぁ。


「でもなんでお風呂入る前に櫛使うの?」

「髪の毛に着いた汚れとかほこりを落としておくとね、髪へのダメージが少なくて済むんだって。同級生の美容師の子が教えてくれたの」


 桃姉の黒髪は羨ましい。

 あたしの髪は少しクセのある色素の薄い茶髪みたいな髪で、黒髪はずっと憧れていた。

 明かりによっては黒髪の艶で天使の輪っかみたいになるのとか可愛いなって思ってたし、ただでさえ桃姉は清楚な感じなのにさらに清楚に見える。


 クラスメイトが「黒髪ロング清楚系最高っ!!」とか言ってるのをたまに聞いたりはしていたけど、それはあたしにもよくわかる。

 ……まあ、黒髪ロング清楚系美少女が実際どのくらい本当に清楚なのかは、男子は知らない方が幸せだとは思うけど。


 それでも桃姉はあたしから見ても綺麗で、可愛くて家族想いの大人の女性。


「……あたしも、髪、伸ばしてみようかな……」

「椎名ちゃんなら似合うと思うよ? 面倒だけど、わたしも椎名ちゃんのロングヘア姿見たい」

「そっか」

「うん」


 そう言ってふたりで笑った。

 あたしの経験則では、表面上仲のいい女子は髪を伸ばすのは反対する事が多い。

 というか、やんわりと言うことが多い。

 それはある種陰湿で、 面倒だと感じる。

 髪の長い子には「○○ちゃん絶対髪短い方が可愛いって〜」とか言って髪を切らせたがる。


 髪は女の命って言うけど、そういうのを女子は小さいうちから本能的に分かってるんだろうなぁとか思うと不意に怖くなる。


「桃姉」

「なに?」

「桃姉はどのくらい向こうに行くの?」

「う〜ん、どうだろうね……でもしばらくはいるんじゃないかな」


 浴槽にふたりでお湯に浸かりながら、今後のことを聞いてみた。

 桃姉自身もどのくらいなのかは不透明みたいだった。


 元々お金を稼ぐ為に頑張っていたんだし、昇進できること自体はいいことだと思う。

 今は桃姉が長谷川家の大黒柱で、お金はいくらあっても足りないだろう。

 うちのお母さんもお父さんもお金の援助を申し出てたことがあるけど、桃姉はその話を断っていた。


 わたしが拓斗の保護者だからって。

 だから今後とも良き隣人でいたいって。


 お母さんもお父さんも、桃姉のその顔を見て納得してそれからはその話はしなくなった。

 ふたりとも、桃姉が立派な大人なのだと泣いて喜んでいた。


「桃姉はさ……寂しく、ないの?」

「寂しいよ。椎名ちゃんと会えなくなるのも、タクとも会えなくなるのは寂しい。けど、必要な事だから」


 そう言って桃姉はあたしを後ろから抱き締めてくれた。

 桃姉と居ると、安心する。


 けれど、その度に思う。

 どうして桃姉がこんなに苦労しないといけないのって、よく思う。


 こんなに頑張ってて、あたしの大事なお姉ちゃんなのに、どうしてまだ頑張らないといけないのか。


「椎名ちゃん」

「……なに?」

「今夜、ふたりでタクを襲っちゃおうか」

「…………ど、どゆこと?」


 あたしの動揺は水面を波立たせた。

 浴室に木霊する水音と、桃姉の無言の数秒は何時間も経ったかのように錯覚させた。


「わたしと椎名ちゃんと、タクとの3人で……」

「それは……だめ」


 どうしてか、心がザワついた。

 意味は、わかってる。

 桃姉がそんなことを、軽く言う事もないのもわかってる。


 だからこそザワついた。


「わたしはね、椎名ちゃんならいいと思ってるんだ。……というか、本当は椎名ちゃんの方がいいと思ってる」

「…………」

「わたしじゃ、タクを幸せにはしてあげられない」


 悲しそうに、でも拓斗を想う気持ちも確かにその声にはあった。

 その言葉の意味は、あたしでもなくてもわかる。

 半分とはいえ血の繋がった姉弟で、この世でたったふたりだけの明確な繋がり。

 だからこそ報われない。幸せになれない。


「椎名ちゃんなら……タクと結婚できるし、子どもだって普通に授かれる」

「今は……法律とかそんなのどうでもいいじゃん」

「いつも思うんだ。タクと椎名ちゃんがふたりで話してて、お似合いだなって……」

「拓斗は、桃姉の事、大好きじゃん……」


 あたしと桃姉とでは、態度だって露骨に違う。

 拓斗があたしを女として見たのなんて、あたしが捨て身で迫った時くらいで、だいたいはのらりくらりと躱してしまう。はぐらかされてばっかり。


「でも、わたしはたまに椎名ちゃんに嫉妬しちゃうんだ」

「……なんで? あたしからしたら」


 あたしの方が、ほんとは桃姉に嫉妬してるべきで、でもそうではない。

 あたしだって桃姉は家族で友だちで、大好きなお姉ちゃんだ。


 でも恋敵だ。

 拓斗が好きなのは、桃姉だ。


 それでも、あたしは桃姉を恨めない。憎めない。

 たぶんあたしは、桃姉の事を好きな拓斗を含めて好きなんだと思う。

 あまりにも長く一緒にいて、だからそれでも好きなまま。


 人によってはもしかしたら、その思い出がまんま裏返したみたいに裏切られたって感じたりするのかもしれないけれど、あたしはそうはなれない。


「タクはね、わたしにすごく優しい。姉であるわたしを、女の子として接してくれる。最初は戸惑ったし、タクの気持ちを受け入れていいのかわからなかった。わたしはてっきり椎名ちゃんの事が好きなんだろうって思ってたし、それまでは普通の姉弟だったし」


 桃姉は懐かしそうにそう話した。

 今までの事を。


「タクは、わたしに尽くしてくれる。それは嬉しい。惚気てるんじゃなくて、感謝してる。……でも、結局健全な恋人にはなれてないって、思う。けどタクと椎名ちゃんなら、ちゃんとした恋人に」

「なんで、そんなこと言うの? ……」


 桃姉は、あたしに拓斗を譲ろうとしている。

 なんでそんなことを言うのか。

 これはあたし自身にも言えることで、拓斗の事が好きなら遠慮なく奪えばいい。むしろ歓迎するべき事。


 でも、それはどうしてかできない。

 たぶんあたしが求めてるのは、拓斗が桃姉との関係を続けていて尚あたしともそういう関係になる。


 これは他人から見れば、とても不健全に見えると思うし、あたしの中では桃姉でなければ成立しない歪んだ価値観。


 桃姉がただの幼馴染なだけならそうじゃない。

 桃姉がただの隣人なだけならそうじゃない。


 あたしにとっては、ずっと3人で一緒がいい。

 それが恋人でも、依存でも、セフレでもいい。


 3人一緒じゃなきゃ、駄目なのだ。

 誰でもない、あたしと桃姉と拓斗の3人。


「桃姉……あたしはね、桃姉の大好きだよ。拓斗と付き合ってるのを知っても、それでも好き。嫉妬したのは一瞬だけで、あたしの願いはそうじゃない」


 言葉は難しい。

 今のあたしでは、自分自身の歪みを言葉で説明するにはあまりにも語彙ごいが足りてない。

 それでも伝えなくては。


「いつまでも……あたしは、3人一緒がいい……」


 あたしは桃姉の胸に顔を押し付けて泣いてしまった。

 あまりにも豊満な桃姉の胸は安心感があって、抱き締めてくれる桃姉からは母親とは違う母性を感じた。


 大切で大事な、あたしのお姉ちゃん。

 あたしは、この人じゃなきゃ許せない。


 あたしは、桃姉と拓斗を独占したいのだ。

 二股とか、ハーレムとか、そういうのじゃない。

 あたしの独占欲は拓斗にも桃姉にも向けられている。


 それ以外は許せない。

 それで初めて成立する歪み。


 あたしが桃姉を恨むには、あまりにも大切になり過ぎたのだ。

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