第68話 春。

「拓斗っ! 見て! 桜!」

「もうそんな季節か」

「1年あっという間だったわね」

「そうだな」


 3月にもなると早いところでは登校する道にもちらほら桜が咲いていた。

 正直寝不足なので、椎名に言われるまで気が付かなかった。

 1年前までは姉ちゃんへの気持ちが成就じょうじゅするなんて思ってなくて、1年前に見たはずの桜だって憶えてない。


「高校生活の1/3がもう終わっちゃうなんて、なんか変な感じ」

「俺にとってはまだそんだけしか経ってないのかって思うけどな」


 もどかしいと感じる。

 早く大人になってまともに働けたらなら、姉ちゃんとふたりで暮らしていける。


 時間が解決してくれる事もある、とは言うが、俺からすればれったくて漠然としたあせりだけがあるだけだ。


「焦るのもわかるけどさ、桃姉からしたら高校生活とか楽しんでほしいと思うんだけど。真っ当に拓斗が学生出来てるのは桃姉のお陰でもあるから色々思う事があるのはわかるけどさ」

「今でも充分過ぎる」

「拓斗のそういう責任感とかは桃姉に似たんだろうね。変にしっかりしてるけどちょっと抜けてるっていうか」

「べつにしっかりもしてないし、抜けてるもなにもない」

「はいはい」


 椎名はそう言って愉快そうに笑った。

 今の生活が出来てるだけでも充分だ。

 姉ちゃんが居て、椎名が居て。


 それだけでいいんだ。


「にしても桃姉は4月からは遠くに行っちゃうんだよね。寂しいな」

「……正直、考えたくない……」

「寂しくなったらあたしが抱き締めてあげなくもない」

「…………頼む」

「これは重症過ぎる」


 実際問題、過去に姉ちゃんの事を諦めようとしておこなった姉断で酷い状態になっているのは事実であるが、結局好きなままなわけで。

 だが今度は実質遠距離恋愛みたいなものだ。


 会いに行けない距離ではない。

 片道50キロであり、フルマラソンをプロ選手ばりに走れるならば3時間もあれば行ける距離(そんな体力は無い)である。


 金銭的な問題で単身赴任することになっている以上、電車で週一会いに行くような余裕はない。

 自転車でも買おうか。

 それならまだ現実的だろうか。


「でも、桃姉の為にも勉強頑張るんでしょ?」

「それしか道はないからな」


 俺が寝不足な理由はもちろん学力の向上の為の勉強もあるが、今現在は同時並行でPCでの金稼ぎの方法を模索している。


 姉我好先生みたいな創作の才能はないだろうが、PCでどう稼ぐかは大事なことだ。

 一般企業に就職したとしても、自宅でも稼げる手段があれば生活費の足しにできるかもしれない。


 いずれにしても、やるべき事もやれる事も多いはずだ。


「でも拓斗、あんまり頑張り過ぎないでよね」

「死なない程度に頑張るさ」

「……うん」


 死ねば意味は無くなる。

 俺はそれをよく知っている。

 だから大丈夫だろう。


「約束だよ? あたしの事はいくら利用してくれてもいい。都合のいいように使ってくれてもいいから」

「そんな約束してもいいのかよ」

「大丈夫。あたしは拓斗の事、信じてるから」


 そう言った椎名は少し寂しそうだった。

 椎名の事をないがしろにしてるつもりはない。

 けど、そんな顔をさせてしまっているのだと不意に気付いてしまって、どうしていいかわからなくなる。


 どうして椎名は俺の為にそんな事を言えるのだろうか。

 時々、椎名がこわくなる。

 金が必要だと言えば、自分のカラダさえ売って金を作ってしまうのではないかと思ってしまう。

 それこそ俺が本当にクズ男に成り果てたなら、そんな事を口走って貢がせるような人間になってしまったら。


 今の俺は真っ当な人間か、それともすでに片足を突っ込んでいる状態なのか。


 自分は今、本当に大丈夫なのか?

 わからなくなっていくのが怖い。

 姉ちゃんと同じくらい大切な椎名をいつの間にか平然と傷付けるような男になってしまう気がして怖いのだ。


 咲き誇る桜は晴れれとしているのに、未来を考えるとうつむきたくなる。


「椎名には敵わないな」

「当たり前でしょ。拓斗の事、何年好きだと思ってるのよ」

「椎名も椎名で随分と重症だと思うけどな」

「お互い様ってことで」

「ああ。お互い様だ」



 ☆☆☆



『あ、モモちゃん? 頼まれてた人、今度紹介するわ』

「ママ、ありがと〜。車とか無いとなぁって思ってたから助かる」

『いいのよ。お客さん同士仲良くしてくれるのはアタシとしても有難いから』


 店長と3号店の話を進めていてやっぱり思った事は車が必要だということだった。

 会社が用意してくれた部屋はいかにもひとり暮らし用で、近くには工場や大学がある。

 スーパーを建てる立地としては悪くはないとは思う。


 ただ部屋から勤務地である3号店の距離は3キロくらいで、歩くには少し長いし自転車通勤するにもスーパーの正社員というのは台風でも出勤してこないといけないことも多い。

 アルバイトの子とかは休ませないと危ないし、でも停電した時の対応とか食料を提供する小売である以上、地域を守るためにもギリギリまでの対応も求められる。


 通勤用に車はやっぱり必要だ。

 お金を貯める為にタクと離れて暮らすことを決めたのに、決めたそばからお金は出ていく。

 でもタクの為なら頑張れる。

 わたしはお姉ちゃんで、保護者だから。


「でも、やっぱり離れて暮らすのは寂しいな……」


 たったふたりの家族で、姉弟で、恋人で。

 二度と会えない訳でもないのに、今からすでに自分の決めた事が不安に変わる。


 引っ越す前に、タクに甘えておこう。

 タクだって、そのくらいは許してくれると思うし。

 最近は勉強とか頑張っててあんまりお話とかできてないこともあるけど、離れてしまうまえに、わたしもタクと一緒にいたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る