第60話 新学期。

「おはよう拓斗。今日から3学期よ」

「……おはよう。眠い」


 昨日の今日で個人的にはまだ気まづいのだが、椎名は朝から爽やかな笑顔で俺を起こしに来た。

 流石に「チェンジで」とは言えなかった。

 ……今度こそしばかれてしまう……


「……姉ちゃんは?」

「今朝ごはん作ってるわよ」

「いやぁ清々しい朝だぜ」

「ほんっとシスコンよね……」

「背中に姉愛シスコンって彫り物があるからな」

「……え?」

「……いや流石に冗談だ。真に受けるなよ」

「拓斗なら有り得なくはないと思ってしまったのよ」

「これが所謂、日頃の行いというやつか」

「せっかくならおでこに幼馴染愛って掘ったら?」

「恥ずかし過ぎるだろそれ」

「なによ、嫌なの?」

「あ、いえその……あ、お腹空いたなぁ」

「ちっ、逃げたか」


 怖いです椎名さん。

 昨日はあんなに放っておけない感じだったのに、なんで今日はケロッとしてるのか全くわからん。

 メンタル強すぎじゃないですかね。


「姉ちゃんおはよ」

「タク、おはよう。椎名ちゃんもありがとね。タクは朝弱いから」

「慣れてるからね」

「椎名ちゃんも今日は朝ごはん食べてないんでしょ? 一緒に食べよ」

「ありがとう。頂くわ」


 椎名が席に着いて俺は顔を洗う。

 1月の朝の水はやはりどうしても冷たくて、すぐにでもベッドに潜り込みたくなる。

 けれども腹は減るし、姉ちゃんが朝ごはんを作ってくれている。


「「「頂きます」」」


 椎名がいる時の姉ちゃんはいつもより楽しそうだ。

 結局俺たちは3人家族みたいなもので、昔からそうなのだ。

 まあ、俺が姉ちゃんの事を意識しだしてからは距離を取っていたが、それでも今はこんな感じなわけで。


「拓斗、口元にケチャップ付いてるわよ」

「後で拭くからいいよ」

「恥ずかしいわよ」

「タク、まだ瞼が半分以上閉じてるもんね」

「冬の朝はぬくぬくとベッドに籠るのが1番なんだよ……」

「いつまで正月気分なのよ。今日から学校なんだからね?」

「ガッコウ……それは食べ物ですか? それとも飲み物?」

「拓斗、現実逃避しないの」

「……学校めんどくせぇ……」

「タク、学校はちゃんと行かないとだよ?」

「かしこまりましたお姉様」

「変わりみ早すぎるでしょ……」


 去年1年は色んな事があった。

 それでも今こうして3人で居られるのは幸運と言えるだろう。

 何かひとつ、言葉を間違えたら、行動を間違えたらこんな朝を迎えられなくなっていたかもしれない。


 俺も姉ちゃんも知っている。

 当たり前の生活は続けようと努力してないと続かない。

 唐突に無くなってしまうものだ。

 それが「当たり前」というものだ。

 その「当たり前」の日々に感謝しなくなった時、それは無くなる。


 だから俺は姉ちゃんが居て、椎名がいる今が有難いと思える。


「ご馳走でした」


 やはり姉ちゃんのご飯は美味い。

 流石の俺でも学校に行く気になってしまう。

 姉ちゃんのご飯には魔法でも掛かっているのかもしれない。


「んじゃ、行ってきます」

「桃姉、行ってきます」

「いってらっしゃ〜い」


 今日からまた学校。

 そのうち社会人になったなら「今日から仕事」に変わるのだろう。

 これから先を考える事はよくある。

 けれどもそれは姉ちゃんと一緒に暮らしていくためのことばかりで、自分の将来をどうするかみたいな現実的な話とはまた違う。


「寒い……椎名、やっぱ家に帰ろう。寒い」

「何言ってんのよ。行くわよ」

「担任には「さむいので欠席します」って言っといて」

「そんなことをあたしが言うわけないでしょ?」

「……寒いのが悪いんだ。俺は悪くない」

「あたしが抱きしめてあげようか?」

「あ、大丈夫ですはい」

「なによっ。昨日は拓斗が抱き締めてくれたくせに」

「あ、あれはほら、仕方ないだろ?」

「じゃあ拓斗が抱き締めてよ」

「いやそれはちょっと」

「都合のいい時だけ、あたしを抱くのね……」

「おい言い方に悪意があるぞ。言葉的には間違ってないが意味合いが違いすぎるだろ!!」


 ご丁寧に泣き真似までして被害者ズラをするんじゃないよ全く。


「椎名がまた鼻水垂らしてガチ泣きしたら抱き締めてやってもいい」

「鼻水は垂らしてなかったでしよ?!」

「ボロボロ泣いてたから同じようなもんだ」

「同じじゃない!! てかあたしの泣き顔忘れろ!!」


 結局こうなる。

 俺と椎名の幼馴染という距離は結局はこうなるように出来ている。

 これが落ち着くかたちなのだろう。




 ☆☆☆




「長谷川さん、ちょっといいかい?」

「はい。なんですか店長」


 棚替えを終わらせて次の仕事をしようと思っていたら、店長に声を掛けられた。

 わたしが高校生の頃からの付き合いのある店長で、当時はまだ主任だった。

 わたしが高校中退した辺りで主任は店長になった。

 わたしの無理を聞いくれたのもこの人だ。


「とりあえず座ってくれ」

「はい」


 わたしと店長は事務所に入り、椅子に座った。

 今の時間帯は多少お客さんも少ないので現場もどうにかなるだろうけど、やることはたくさんある。


「3号店の話は聞いているだろう?」

「はい。今年の4月にオープンするって話ですよね?」

「ああ。その件なんだ」


 わたしたちのスーパーは全国展開してるわけじゃなく、なんなら中小企業の中でも小規模の企業だ。

 2号店すら2年前にようやく出店できたくらいで、まだまだ経営も厳しいと聞く。


「実はね、3号店で主任をしてもらえないかと思っててね」

「わたしが……ですか?」

「ああ。上にも色々とあるんだろうけど、長谷川さんは仕事熱心だし、優秀な女性社員だ。だからお願いしたくてね」

「提案は有難いんですけど、3号店は……」


 現状のわたしの役職は平社員だ。

 主任になるというのは言わば出世。

 だけど中小企業のスーパーだから、対してお給料が上がるわけではない。


 なにより3号店は家から遠い。

 自動車免許は持ってるけど、車を買って通勤するとしても片道50キロは現実的じゃない。

 電車通勤にしても同じだ。


「長谷川さんの事は色々とうちも助けられるようにしている。うちの会社で部屋を用意できるらしい。全額家賃補助も出るらしい」

「……そ、それは有難いですけど」

昨今さっこんはSDGsやジェンダーレス社会とかある。うちとしては優秀な長谷川さんにはいずれ店長なども任せたいと思っているんだ」

「そうですか」

「どうだろう?」

「……少し、時間を下さい」

「ああ。弟さんの事もある。人事異動については多少時間もあるから、それまでに返事をくれると助かる」

「わかりました」


 お金の事。

 タクの事。

 将来の事。


 考えなきゃいけない事はたくさんある。

 タクには大学も行ってほしいし、これからを考えると課題もある。


 けれど、タクと離れたくないという気持ちはどうしてもあって、どうしたらいいのだろうかとわたしの頭を悩ませた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る