第59話 優柔不断。

 ふたりしてバスローブを着て気まづい空気の中、いかがわしい一室のベッドに座っていた。

 濡れた服はまだ乾かない。

 椎名は泣き止んでこそいるが、それでも俯いていて表情も暗い。


 俺はどうしたらいいのだろうか。

 依然として答えはない。


 現状で言えることは、実質フッた相手と直後にラブホにいる。

 ということであるが、ほんと何してんだ俺は……

 てかラブホって正月からでも営業してるんだな。おかげで雨宿りはできたが未だ窮地には変わりない。


「あたしね、昔から拓斗の事、好きなんだ」

「……」


 好きだった、ではなく、現在形で椎名は言った。

 些細な表現だが「だった」と言いたくない気持ちはわかる。


 俺も何度姉ちゃんの事を諦めて「好きだった」にしようとしていたか。そしてそうしたくなかったか。


「だからもうどうしようもないし、それでも好き」


 その気持ちを俺はどう受けとればいいのだろうか。

 俺は姉ちゃんが好きで、気持ちも伝えていて一緒に暮らしてて性行為すらもした。

 付き合ってくださいとは言ってないが、事実上の恋人関係にあると言っていいだろう。


 その俺が、椎名とも恋愛関係を持つというのは所謂いわゆる浮気とか不倫に当たるわけだ。

 そしてそれを俺は迷っている。

 これは優柔不断だからなのだろうか。

 幼馴染として大事だし、家族みたいなものだ。

 だから傷付けたくない。


 けれど、すでにもう傷付けてしまっている。

 そしてこれからさらに傷付けてしまう可能性があるわけで、これ以上にどうしたらいいのだろうか。


「でも同時に、拓斗が桃姉の事をどうしようもなく好きなのも知ってる。唯一の家族だし、お姉ちゃんで、優しくて可愛い。あたしからしたってお姉ちゃんだって思ってせっしてる」


 姉ちゃんの話をしている時の椎名の表情はただのシスコンな妹だった。

 俺も椎名も、姉ちゃんは姉だ。

 血縁とか、戸籍上だとか、そういうことじゃない。

 そうやって寄り添って生きて暮らしてきたのだ。


「さっきね、逃げたかったの」


 椎名は悲しげな笑顔でそう言った。

 その笑顔が罪悪感として心をえぐった。


「けど今逃げたら、たぶんもう拓斗の傍に居られないんだろうなぁって、思って」


 俯きながらも俺の腕を掴んでいた椎名。

 傷付いても、それでも隣にいる椎名。


 いつも、椎名には敵わないと思わされる。

 頭も良いし面倒見もいいし、顔もスタイルもいい。

 おおよそ自慢の幼馴染の女の子と言えるだろう。

 身内贔屓なしでもそう言えるだろう。


「っちょ?! 拓斗?!」

「ごめんな、椎名」


 俺は椎名を抱き締めた。

 なるべく苦しくないように。


「俺も椎名の事は好きだ。けど、姉ちゃんに対しての気持ちとはやっぱり違うんだ」

「……うん。知ってる」


 答えとか、正解なんてこの世にはたぶん無いのだろう。

 その中で、自分の中で精一杯の言葉を尽くさなければいけない。

 そこまで俺は器用じゃないのに。


「椎名の事を愛してる。たぶん」

「たぶんってなによ。もう」


 そう言って椎名は呆れたように笑った。

 けれども仕方がない。

 愛を語れるほど大人じゃないのだから。


「家族愛……的な?」

「あたしとしては、女として見てほしいんだけど」

「……倫理的にな」

「まあ、そうかもだけど……」


 姉ちゃんの事は嘘偽りなく好きだし、それはもうどうしようもない。息を吸ったら吐くのと同じ現象レベルで自分の中ではもうそうなっている。


 なら椎名は?

 大事だ。大切だ。

 家族だと思ってる。

 べつに同じ家に住んではいないけれども、今までの人生で姉ちゃんと同じくほとんど一緒に過ごしたのは事実だし、思い出せる想い出は多い。


「だからたぶん、これは俺の我儘わがままだ」


 何年経っても、この気持ちを言葉として完璧に表現する事は俺にはできないだろう。

 それでも今、伝えておかないといけないことだけはわかる。


「椎名には傍に居てほしい。けど椎名を異性として見るのはできない。見ることはできるし、今この場に居てそういう事をしたいと思う事もできる。けど、そういうことじゃなくて」

「うん。わかってる」


 椎名は俺の背中に手を回して背中を擦りながら答えた。

 ゆっくりでいいから言葉にしてと言われているようだった。

 それに甘えている俺はほんとに駄目なやつだと思う。安心感なんて覚えているのだから。


「自分とのけじめが着くのかなんてわからないんだけど、それまで待っててくれ」

「うん。わかった」


 人を俺を優柔不断なやつだと言うのだろうか。

 大切なものが増えた時、手放さなければいけないのだろうか。

 選ばないといけないのだろうか。


 神は答えをくれたりはしない。

 都合のいい答えだけは頭の中で何度も聴こえてくるから、たぶん悪魔はいるのだろうと思う。


「…………ちょっと期待してたけど、まあいいか」

「すまんな」

「さっきから当たってるし……」

「仕方ないだろ。俺だって男だ。オスなんだよ。生理現象だ」

「いっそちゃんとしたクズ男になってくれたらいいのに」

「なんだよ『ちゃんとしたクズ男』って。いやまあニュアンスはわかるけどさ」


 め今の俺は中途半端にクズに片足突っ込んだ男というのが表現として近いだろうか。

 ……不名誉すぎる。


「じゃあいつか……」


 椎名は俺の肩を掴んで微笑んだ。


「いつか、あたしの処女をもらってね」


 女の顔をした椎名はそう言って頬にキスをした。


「……随分と重い処女だな」

「重いとか女の子に言ったらダメって言われたことないの? 殴るよ?」

「す、すみませんでした」


 そんな約束を、ラブホテルなんていう場所でしているのはやはりおかしい。

 意味がわからない。

 けど、結局そういうことじゃない。


 だからこれはほんとに俺の我儘なのだ。

 これでいいはずなんてないのはわかってる。


「いつか桃姉と3人で暮らしたいな」

「そうだな」


 そうなれば、そうできればそれが一番いい。

 俺にとって都合の良すぎる未来だ。


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