第51話 立場と立ち位置。

「あ〜さっぱりしたー」


 ルンルン気分で風呂から上がった。

 冬の風呂なんて基本的に嫌いだ。なんと言っても寒い。

 寒い故にお湯のあたたかさをわずらわしく思わないわけで、なんなら入浴剤なんかもたまには入れちゃったりするが、それでも温まった側から熱を奪う寒さが嫌いなのだ。


 姉我好先生とこ行って晩御飯を食べて風呂に入ってもう時刻は22時。

 そしてこれから悶々としている姉ちゃんとのイチャコラさっさなわけですよええ。


「タク、携帯鳴ってるよ」

「ん? 誰から?」

「ごめん、画面見るね。椎名ちゃんからみたい」

「あいつがこんな時間に? 珍しい」


 たしか今日はバイトだったはずで、この時間だと居酒屋越前の営業時間が終わった頃である。

 履歴を見ると直近で3回椎名から電話が来ている。


「もしもし椎名? どうした?」

『た、拓斗……どうしよう……」

「なにがあった?」


 いつになくしょんぼりと泣きそうな声で応答した椎名。

 椎名のそんな声なんてもう何年も聞いていない。


『店長と初芽はじめちゃんが大喧嘩してて……』

「なんだ姉妹喧嘩か」

『なんだじゃないでしょ?! 止めなきゃ』

「止めようがないだろ。俺らになにができるんだよ」

『そ、それは……』


 他人同士の喧嘩ならまだ止めに入るのはわかる。

 友だち同士なら、その道理が立つだろう。

 俺と姉ちゃんが喧嘩したとして、椎名は身内みたいなもんだから止めに入ってもまあわからなくはない。


 だけど、店長はバイト先の店長で、初芽、もとい委員長はその妹でクラスメイトでしかない。

 止めに入る義理はないし、なにより女同士の喧嘩に男が口を出してもろくなことはない。


 それこそ殺し合うような状況で力ずくで引き離す必要があるような場合でなければ居る意味はない。

 なんならむしろ男である俺が余計な正論を言ってしまって悪化させる可能性すらあるわけで。


「そもそも、店長と委員長なら殴り合いの喧嘩とかはしてないだろ?」

『……お互いビンタし合ってて……』

「手が出てるのかよ……」


 この手の喧嘩に、首なんて突っ込みたくない。

 場を荒らすだけにしかならない。


 ……まあ、本音はこれから姉ちゃんと熱い夜を過ごせるというのに、こんな厄介事に巻き込まれたくない。

 だがそれを聞かされて知らぬ顔でそんな夜を過ごせるほど薄情な男にはなりたくないという意地もあったりする。


『……拓斗、ふたりを止めてよ……』

「俺にできることなんて」

『初芽ちゃんも、拓斗の言うことなら聞いてくれるかもだし……』

「感情的になってる奴に、ただのクラスメイトの話なんて聞かないだろ」

『……初芽ちゃん、拓斗の事好きだから……たぶん聞いてくれる、はず……』

「…………なんでそうなるんだよ……てかなんでそうだと思うんだよ」

『相談、されたから』

「……そうか……」


 なんていうか、ほんとうに。

 椎名のこういうところは放っておけないと思わせる危うさを感じる。


「椎名からは、何も聞いていない事にしておく」

『ごめん』


 どうしてそんな相談を受けて、そしてそれでも親身にするのか。

 お人好しが過ぎると俺は思う。

 面倒見はいい。それ故にか。


「すぐ行く。ヤバかったら警察呼べよ。バイト先がニュースになるなんてのは真っ平だ」

『拓斗……ありがと』

「お前が礼を言うことじゃないだろ。まあいいけどさもう」


 椎名は基本的に自分でなんでもやろうとする。

 だからこそ勉強もできるし、学校でも存在感のあるやつになっている。

 それでも止められなくて、止めたくて。

 どうしていいかわからなくて俺なんかに連絡してきたのだろう。


「ごめん姉ちゃん。ちょっと今からバイト先行ってくる」

「なにかあったの?」

「そうみたい。ちょっと何とかしてくる」

「そっか……。うん」


 姉ちゃんはほんの一瞬寂しそうな顔をした。

 でもすぐに微笑んで、寒いからとマフラーを取ってきて巻いてくれた。

 首元をくすぐるようなマフラーの擦れる感覚はこそばゆい。


「ごめん姉ちゃん」

「ううん。大丈夫だよ」


 外に出るとやっぱり寒くて、カッコつけた事を早くも後悔した。

 一歩進む度に湯冷めしていく。

 吐く息の白さはどんどん自分の熱が抜けていくのを認識させられる。


 なにやってんだろうか。

 正月に、他人の喧嘩の仲裁になんて。


 それでもバイト先である居酒屋越前は自宅から目と鼻の先にあるわけで、見て見ぬふりができるほど俺はまだ大人ではない。


 営業終了と書かれた札の下がった店の入り口のドアを開けた。


「詩織姉が悪いんじゃん!!」

「私は一緒に居酒屋越前このお店を守ってほしいって言ってるだけでしょ!!」


 店内では金切り声を上げてお互いにお皿を投げている地獄絵図。

 椎名はどうしていいかわからなくて縮こまり半泣きで入ってきた俺を見た。


「……この店は景気が良さそうだな」

「たっくん?!」「長谷川くん?!」


 思わず皮肉が出た。

 喧嘩を止めに来たやつが言うようなセリフではないのだろうけど、この後の事を考えればこのくらいの皮肉は挨拶みたいなものだ。


「とりあえず……救急車とか呼んだ方がいい?」


 辺りに散らばっている割れた食器たち。

 新年早々景気よく割られた食器たちは可哀想だが、一応同じ人類である以上は人命や怪我の有無を優先しなければならないだろう。


「……大丈夫」

「……」


 空気が重い。てか凄い怖い……。

 一応当事者のふたりも椎名も怪我はしてない。

 それを確認して一先ずほっとした。


「とりあえず、話をしようか」


 そんな事を言ってみたけど、一体何を話させればいいというのだろうか。

 俺は途方に暮れながらも破片の散らばる店内を歩いた。

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