第49話 創作者はだいたいイカれてる。

「グルルルルゥ……ガウガウガウッ!!」

「ど、どうしましょうポン酢さんっ?!」

「順調そうですね姉我好先生」

「どこがですか?! 犬みたいに吠えてますけど?!」

「2日目で既にステージ3ですからね。かなりの速さと言ってもいいでしょう」


 姉我好先生の姉断2日目のお昼過ぎ。

 担当編集の今野さんから連絡が来た。

 先生がヤバいと言われて来てみたが、パッと見はまあ地獄絵図に近いと言えばいいだろうか。


 編集部の地下の薄暗い部屋には窓すらない。

 鉄格子越しに犬のように座りこちらに唸っている姉我好先生は歯を剥き出しにしながらヨダレを垂らしている。


「やはり姉我好先生からお姉さんのパンツを奪っていたのは正解でしたね」

「……ポン酢さんがマッドサイエンティストに見えるんですけど……」

「それだけシスコンの道はけわしいという事ですよ」


 しかし姉我好先生はやはり異常だ。

 仮にシスコンレベルがあるとするならば、姉我好先生は俺よりレベルが上なのだ。

 にも関わらず、未だに限界突破していない。

 もしこれで姉我好先生が更なるシスコンの高みへと至るなら、一体どうなるのだろうか。


 そもそも姉断は俺が姉ちゃんの事を諦める為に行った行為だが、その副作用とでも言えばいいだろうか、その副作用、元い反動でシスコンレベルが跳ね上がってしまうのを逆手に取っているのがこの姉断なのである。


 普段から姉我好先生はお姉さんのパンツを嗅いでいたのはある種の禁断症状を抑える為の行動だったと言えるのではないだろうかと考察している。

 そしてパンツを嗅ぐ行為すら禁止され、あらゆる「姉」に纏わる事柄を排除している現状は薬物中毒者のそれとある意味変わらない。


「で、でもどうして……先生は犬みたいに吠えだしたんですか?」

「一時的なものですよたぶん。姉成分を長時間摂取出来なくなって発狂する寸前で気を失っているだけです。唸り疲れたらまたシスコンに戻りますよ」


 その後1時間ほど缶詰部屋で暴れていた姉我好先生だったが、電池が切れたように倒れて眠った。

 今姉我好先生の脳内メーカーを除けば全部が「姉」になっているだろう。


「姉我好先生なら、3日間も要らなそうですね」

「……そうしてあげて下さい。心が痛いです」

「起きたらまた欲求不満でずっとそわそわしてるかもですが、それでもしばらく焦らしてください。そのうち自分からシナリオ書きたいと言い出すので、そしたらご褒美です。欲求不満が限界突破して、頭の中のお姉さんが溢れないようにしようとすると思うので」

「…………言ってる意味がわからないのに、それでも答えは伝わるこの狂気…………」


 今野さんの雑談をしていると急に上半身を曲げて起き出して壁に頭を打ち付ける姉我好先生。

 人によって悪霊に取り憑かれたと勘違いしてもおかしくない光景と言える。

 俺も知らないうちにおでこから血を流してて姉ちゃんに手当してもらったりとかしてたなぁ。懐かしい。


「……ポン酢さん、先生は今誰とお話しているのですか……?」

「妄想上のお姉さんとでしょう。姉成分を摂取できなくて妄想で補おうとしているのです」


 壁に向かって何かを話している姉我好先生。

 傍から見れば狂気そのものだが、禁断症状の侵攻が速すぎる……


 作家やシナリオライターという、ある種の創作における神だからだろうか。

 お姉さんから隔絶されている空間というのもあるのだろうが、妄想で姉を作り上げられるようになるのは相当な想像力を要する。


 姉我好先生の場合は元々お姉さんへの愛が強く重い故に創作を始めたと聞いている。

 姉我好先生の創作は完全なる自家発電と言えるだろう。

 お姉さんとイチャイチャできないのなら生み出せばいい。

 それを脳がこんなにも早く創り出すのだから、姉我好先生のシスコンポテンシャルは天井知らずで流石に俺も脱帽した。


「ぽ、ポン酢……姉我好先生がゲヘゲヘしてます……」

「妄想上のお姉さんに頭を撫でられて喜んでますね。気持ちはよくわかります」

「ポン酢さんが狂った先生を平然としながら実況解説してるのも今更ながら恐怖を感じてます私」

「三が日にまともじゃないシスコン2人と居ると今野さんも感染するかもしれませんね」

「……私はその、れ、レズなので……」

「なら姉妹ものですね。百合もまたいいものです。俺もたまに姉妹百合ものとか見ますし」

「け、健全な会話をしましょう? 私は先生みたいになりたくない……」

「それは残念ですね」


 まるで化け物を見るような目で自分の担当作家を見る今野さん。

 そんな姉我好先生は妄想上のお姉さんに抱き着いている。

 どうしてそんな体勢で抱きつけているのか不明なほどのバランス感覚で抱き締めている。


「もうそろそろですね」

「……なにがですか?」

「目が覚めて喪失感に苛まれる頃合いがですよ」


 唐突に手を伸ばして悲しそうな顔をした姉我好先生。

 おそらく妄想上のお姉さんがどこかへ行ってしまったのだろう。

 そのまま姉我好先生は崩れ落ち、床に頭を打ち付け続けた。

 ただひたすらに「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」と呟きながら頭を打ち付ける姿は人間に対して向けていいような恐怖ではなかった。


 かつては俺もそうだったのだろうと思うとそれすら懐かしい。

 しばらく頭を打ち付けていた姉我好先生だったが、再び電池が切れたように床に突っ伏した。

 これ以上の負荷は無理だと脳が判断したのだろう。


 脳はあらゆる仕事をしているが、心という酷く曖昧なものを護ろうともしてくれる。

 心を護る為なら嘘も見せてくれる。

 けれど、俺らは知っているのだ。

 どこまでいっても結局満たされることはない。


 シスコンはシスコンである以上、どうやったところで現実から逃げても意味も救いもない。

 法ですら禁じられているこの世の中で、それでも藻掻もがくしかないのだ。


「う……ううぅ……」

「先生っ?!」


 床に突っ伏したまま藻掻き、しかしそれでも立ち上がろうと床に手をついて震える脚に力を込める姉我好先生。

 額からは血が流れ、片目のまぶたに至っては半開きの虫の息。

 肩で息をしていてボロ雑巾のような状態の姉我好先生は一歩一歩を苦しみながらも歩き、そして笑っていた。


 狂気と愛の葛藤が覗く瞳からは涙を流している。

 それでも辛うじて正気を保っている事が俺にはわかった。


「おかえりなさい。姉我好妹子」

「……へへ。……ただい、ま……です」

「元気そうですね」

「お陰……様で」

「全然元気そうじゃないですよっ?!」

「今野さん、PCを姉我好先生に」

「執筆より先に救急し」

「大丈夫……です、から……今野氏」


 満身創痍まんしんそういだろうに、それでも姉我好先生は微笑んだ。


「想像妊娠しそうなので早く……シナリオ書かせて下さい」

「何言ってるんですか先生?!」

「今野さん、今更ですよそんなの」


 創作者がまともなはずがない。

 この世は神様が創ったというならば、少なくとも神様なんてのはまともじゃないだろう。

 残酷な世界で俺らは学びを得る為に生きていると言うならば、神はまともじゃない。


「向こう側が……見えるんです」

「それ三途の川とかじゃないですよね?!」

「お姉ちゃんが、たくさんいるんです……」

「それ絶対ヤバいやつですって!!」

「良かったですね姉我好先生。色んなお姉さんを書けますよ」

「えへへ。楽しみ……です」


 そう言ってPCを受け取った姉我好先生はその後10時間ぶっ続けでシナリオをひたすら書いたという。


 こうして、3日間だったはずの姉断は2日で終わった。

 ……やっぱ作家ってこわい。まともじゃないね。

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