第26話 えっと……あれだ、名前知らないけど委員長の女の子。
「んあぁ〜」
「ずいぶん寝てたわね拓斗」
「もう朝ごはんできてるよ」
「んんー」
朝起きて、椎名は驚くほどに普通だ。
それこそ「背筋も凍るほどの普通」だ。
こっちはあの後悶々として色々苦しんだというのに、世の女性というのはあっけらかんとしているものなのだろうか?
よくわからない。
「たまごとベーコンって神だな」
「味噌とキュウリくらい神よね」
「楽なんだよね〜焼くだけだし」
3人でまったり朝ごはん。
こういうなんでもない朝がいい。心地がいい。
「拓斗、目が開いてないわよ」
「ちょーねむい」
「なんだかんだ眠る時間遅かったもんね」
「修学旅行じゃないのに椎名がはしゃぎすぎなんだよ……」
「いいじゃないべつにっ。たまにしか泊まらないんだから〜。ねぇ桃姉?」
「そうだね〜」
おい椎名、なに朝から姉ちゃんに抱きついてんだよ離れろよくっつくなよ羨ましいな。
俺だって姉ちゃんに抱き着いたいのに……
しかもしたり顔で俺を見るなよ椎名。絶対ケンカ売ってんだろ? そうだよな?
「タクは今日どうするの? なにか予定ある?」
「……休日出勤だ。学校行って採寸させられて午後からバイト」
「あたしは今日バイト休み〜いいだろう拓斗〜」
「なら後で店長に椎名が「ほんとは今日すっごく暇でシフト入りたかったなぁ」って言ってましたよって言っといてやるよ」
「働きたくなーい」
「椎名ちゃんがダメな人みたいなこと言ってる?!」
いつもの日常、というにはやや賑やかすぎる気もする日曜日。
けれどそこそこ普通に楽しくも何気ない朝。
これから予定があるとはいえ、この今に少し安堵している自分がいた。
人は環境の変化を嫌う。
環境だけじゃない。仕事のやり方とか、人間関係とか、色んな変化を嫌うし怖がる。
今が安定していればそれでいい。
安定安心なんて存在しないなんて事はわかってるだろうに、それでも
そんな誰かに自分もなっている。
いや、元々そうだった。
姉ちゃんとの関係もそうだし、椎名との関係もそうだ。
なにかひとつ間違えたなら、この朝の風景はなかったのだろう。
☆☆☆
「次、長谷川くん」
「……」
休日の高校に集まってわざわざ採寸されるという無賃労働。こんなことがあっていいのだろうか。
それが
ああ全く素晴らしい無賃労働だ。
「長谷川くん、眠そうだね」
「ん? ああ……まあ」
誰だっけこの人。
クラスメイトの女子なのは知ってる。うん。
委員長なのも知ってる。けど名前ってなんだっけ……
黒髪ボブに
…………やっぱ名前は出てこないなぁ。
姉ちゃんより巨乳ではないにしろ、胸はどうやら大きい方であるようだ。
俺は巨乳好きだと思っていたが、同じく巨乳の委員長の名前を覚えていないということは俺は巨乳好きなのではなくて、姉ちゃんがたまたま胸が大きかっただけなのか。
どうやら俺は巨乳好きなわけではなかったらしい。
どうりで椎名の微乳にも興奮したわけだ。納得。
「はい、後ろ向いてー」
「あ、はい」
今回の文化祭で俺らのクラスは女装メイド喫茶をするわけである。寝てた間に会議で決まってた。
誰得なんだよって話だし、しかもメイド服をきっちり作るとか言い出してもうめちゃくちゃだ。
メイド服なんててきとーにS・M・Lくらいで作っとけばいいじゃんって話なのだが、コスプレ衣装を作るのが趣味とかいうこの委員長がメイド担当の男どもの服を全部作るとかもう張り切っているわけである。
「長谷川くんって結構レディースとかも似合いそうな感じだよね」
「……どうだろうな」
話しかけないでいいから早く採寸してくれ帰りたい。
「長谷川くんって隣のクラスの七島さんと仲良いよね」
「まあ幼馴染だからな。そんだけだ」
なんでそんなに話しかけてくるの?手を動かしてもら……しっかり採寸はしてるんだよなぁ。
ちくしょう文句も言えない優秀な委員長さんでしたかすみませんね。
こちとらシングルタスクなものでね。
「付き合ってたりとか……するの?」
「付き合ってはない」
付き合っている、という間柄ではない。
幼馴染はどこまでいっても幼馴染だ。
それは今朝わかった。
椎名を受け入れる事にした今も結局それは変わっていない。
「そっか」
「ん? うん」
なんで俺が好き好んでメイド服なんて着ないといけないのか。
せっかくなら姉ちゃんにメイド服を着せてちょっと恥ずかしがる姉ちゃんをべた褒めしてはずかしめたい。絶対可愛いとおもうんだよなぁ。
あ、露骨に胸元空いてるようなあざといのはダメだ。
なんなら肌面積は顔くらいしか出てないのがいい。
ガーダーベルトより黒のストッキングがいい。
フリルの着いたロングスカートで。でもカチューシャは欲しいかなぁ。
試しに姉ちゃんに1回だけでも「ご主人様」って呼ばれたい気もするが……やはりシスコンたる俺としては複雑な気持ちもあるなぁ。
「好みのタイプとかは?」
「急になに?」
「た、た、単純にどんなメイド服が好きかなぁとか、思って。ほら、クラスの男子にそれぞれ合わせたりも面白いかなぁって!」
「とくにない」
べつに俺がメイドになりたいわけじゃないしな。
あくまでも姉ちゃんにメイド服を着せたい願望があるだけで、俺の中に女の子的な感覚とかトランスジェンダー的なものがあるわけじゃない。
そういうのを否定する気もないが、単純に俺の全ての基準は姉ちゃんにある。
なのでわりとその他は結構どうでもいいのだ。
「む、胸は大っきい方が好き?」
「まあ、そうだな」
「そ、そっか。うん」
「まさか詰め物とかさせる気か?」
「え?! あ?! う、うん! それもありかなぁって。ほら長谷川くん、メイクしたら化けそうだし?!」
「ノーメイクでいい。ただ男が無理やりメイド服着せられただけの感じでいいんだよそんなに張り切らなくてもいい」
着こなしてる感とか求めてない。
せっかくならば「似合ってないwww」と言われながら姉ちゃんに笑われたい。姉ちゃんが笑ってくれるならこのくらいの恥は受け入れよう。
それもまたシスコン道というものである。
「採寸終わった? もう帰っていい?」
「あ……うん。終わったよ」
「んじゃお疲れ様。バイトあるから」
ここからバイトか……面倒臭い。
俺は仕方なくそそくさと学校を後にした。
結局、委員長の名前は思い出せなかったけどままいいか。べつに。
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