第9話 若気の至り。

「タク、おかえり」

「ただいま」


 ソファで旅行雑誌を読んでいた姉ちゃんは風呂上がりなのかキャミソールにショートパンツ姿だった。

 俺はお洒落な服より部屋着とか普段着てるものに興奮を感じるので俺にとってかなりのご褒美なのだが、椎名との別れ際の会話を終えたばかりの俺は未だどこかにしこりは残ったままだった。


「なんかあった?」

「ん? なんでも」


 なんとなく姉ちゃんの隣に座り、疲れからか少しぼーっとしていた。

 俺は表情筋がそこまで豊かに動くタイプではないのだが、姉ちゃんと椎名には気持ちの浮き沈みは簡単にバレる。

 きっと女はエスパーの素質を持っているに違いない。


「っ?! ちょっとタク?!」

「疲れた」

「だからって急に膝枕とかっ」

「ここに丁度いい太ももがあったから」


 姉ちゃんの太ももに頭を預けてぐったりとした。

 みずみずしく少しムチっとした姉ちゃんの太ももからは体温といい香りがした。

 それが少し落ち着いた。


「……タクが甘えてくるのは珍しい」

「そういうお年頃なのよ」

「子どもみたいな事言ってるし」


 そう言いつつも姉ちゃんは邪険に扱ったりはしてこない。

 今までは自分の中に線を引いていて、それから逸脱いつだつしないように姉ちゃんとは接してきた。

 けどもそれはもう無くなってしまった。

 だからだろう。躊躇ちゅうちょしなくなっている感覚がある。


「ある小説で、アンドロイドが言ったセリフを思い出した……」

「急にどしたの?」

「膝枕をすると世界が変わるかもしれない、らしい」

「どんな小説よそれ」


 凄いよな、それがわりとゴリゴリなSFだったりもする。まあ俺の個人的な主観だが。


「たしかに世界が変わった。姉ちゃんの胸で視界が狭い」

「至近距離でわたしの下胸をガン見すんなっ」


 横向きから上を向いたら姉ちゃんの下乳が凄かった。

 雨宿りできそうな気さえする。

 おでこを叩かれたが、それでもこの景色にはそれだけの価値がある。


「膝枕はいいけど、胸見るのはだめ」

「いい景色だったのに」

「観光スポットじゃないんだけど?」

「ならパワースポット」

「どっちもだめ」


 横向きになって姉ちゃんの太ももを堪能する。

 安心感と心地の良さに少しだけ眠気を感じる。


「なにかあったの? 話なら聞くよ」


 雑誌をテーブルに置いて頭を撫でてくる姉ちゃん。

 人に頭を撫でられるのなんて小さい頃以来で少し気恥しかったが、そもそも実の姉に甘えている時点で世間一般的には恥ずかしいので今更だと開き直った。


「椎名とちょっとな」

「なに? 喧嘩でもしたの?」

「違う。そうじゃない」


 俺はさっきの話を姉ちゃんに話した。

 ある種これも恋愛相談ではあるのだが、どちらかと言えば懺悔ざんげに近い心境だった。


 椎名が諦めてくれれば、なんてのはあまりにも傲慢な考えなのかもしれないが、実際今の俺ではそのくらいの答えしか出せない。

 それでも姉ちゃんに頭を撫でられて幸せを感じているくらいには図太い自分の人間性にも呆れる。


「う〜ん。複雑だね」


 姉ちゃんは俺の話を聞いて、困ったように笑った。

 あまりにも身内話というか、姉ちゃん自身も椎名と仲がいい。

 だからこそ、言葉にするのは難しい。


「わたしはタクの事、受け入れちゃったからなぁ」


 そう呟いて姉ちゃんは微笑みながら優しく俺の頭を撫でた。

 姉ちゃんにも葛藤はあったはずだ。

 俺の性癖を、姉ちゃんに対しての好意への葛藤。

 姉と弟と血の繋がりについての葛藤も。


「姉ちゃんはさ、なんで受け入れてくれたの?」

「前も話したとは思うけど、嫌じゃなかった、から。でも姉弟だし、そういう関係になるのは漠然と怖かった。てかまだ少し怖い」


 俺と椎名の関係は俺と姉ちゃんの関係にも似ている。

 つい少し前までは『普通』の姉と弟。

 そして俺と椎名は幼馴染で兄妹みたいなもの。


 まあ、誕生日の関係上椎名の方が姉にはなるわけだが、椎名から姉属性は全く感じられない。

 むしろ姉ちゃんがいる分、椎名は妹だ。実際に妹がいるわけじゃないから俺の思う妹でしかないけど。


「世間体とか色々あるからね。だからそれが怖い。わたしは大人だから、やってる事だけを上げたら弟に性的虐待でも通っちゃうかもだし」

「むしろ姉ちゃんからの性的搾取なら喜ん」

「調子に乗らないの」

「あ、はい」


 お姉様、デコピンは地味に痛いです。


「……早く大人になりたいな」

「焦らなくても勝手になれるよ」


 俺は未成年で、どうしたって責任を取れる立場にない。

 姉ちゃんと一緒に居られるようになるにはそれは絶対的に必要な事だ。


「姉ちゃん」

「ん?」


 俺はソファに座り直して姉ちゃんに向き合った。

 姉ちゃんの手を握って、伝えたいと思っていた事を伝える。


「俺が大人になったら、誰も俺らの事を知らない街に引っ越そう。そして夫婦として暮らそう」


 姉ちゃんは焦らなくても勝手に大人になれると言った。

 けど人は簡単に死んで帰ってこなくなるのを知っている。

 生きているのは当たり前じゃない。

 姉ちゃんに現状養ってもらって俺は生きている。


 バーチャルライバーとかが「生きてるだけで偉い」と言っているのをたまに聞くし、それをバカにする人も見かけることがある。

 けど、当たり前なんかじゃない。

 姉ちゃんが居なかったら、俺は施設に入れられていただろうし、普通に生きていくイメージなんて付かない。


「そ、その……それはそのぉ……」


 流石の姉ちゃんも察したのか、みるみるうちに顔が赤くなっていく。

 長い黒髪から覗く赤い耳を見て尊いと思った。


「プロポーズだ。姉ちゃんの未来の予約。婚約指輪は無いけど」


 未成年のガキが一丁前にプロポーズなんて、ケツの青いガキだと我ながら思う。

 けれど、ずっと考えていたことだ。

 夫婦として、というのだって意味合いはわかって言っている。


 俺と姉ちゃんはどうやっても結婚はできない。

 姉弟だから。

 だから書類上は2人暮らししてる姉弟で、それ自体は今と変わらない。

 けど、ご近所とか周りの人たちとは「俺たちは夫婦です」と言って暮らす為には環境をリセットしないといけない。


 それには俺たちの事を誰も知らない所に行くしかない。

 椎名とも縁を切る必要もある。


「ッ?! 姉ちゃん?!」

「恥ずかしいから、見ないで」


 そう言って姉ちゃんは抱きついてきた。

 びっくりしつつも全然嬉しいので問題ないのだが、押し付けられた胸に感じるものはどうしたってある。


「でも嬉しいから、しばらくこのまま……」

「ああ」


 耳元で聴こえる姉ちゃんの声は少し泣いていて、小さくか細い声だった。

 それが姉ちゃんの今の答えなのだとも思った。

 イエスかノーも答えられなくて、でも気持ちだけが先を行ってしまって現実は置いていかれてばかり。


 これは純愛と呼ぶには歪んでいる。

 そしてこれは綺麗な恋愛物語ではない。

 俺のこのプロポーズの先は、茨の道であることを知っている。


 普通に生きている人たちですら人生は大変という。

 なら俺みたいな、姉を好きになった奴はどんな苦労と苦悩をこれから味わうことになるのだろうか。

 それをわかってて姉ちゃんに伝えたんだ。


 この事を後になって後悔したとしても、若気の至りで自分を誤魔化せない事を自覚しながらも姉ちゃんをそっと抱きしめた。


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