悪墜ち魔術師の肉盾役は、やがて迷宮攻略の最前線に躍り出る
冴吹稔
プロローグ:肉盾
第1話 前列
こつ、こつ、かつん――
薄暗がりの中に、不揃いな足音だけがこだまする。
足元は石畳。左右は石壁。頭上には石の梁と天井板、まぐさ――上下左右を石材で囲まれたこのような場所を、ロランはこれまで知らなかった。
強いて言えば故郷のスーリガ村にあった、漁港の埠頭を固める石積みを思わせる部分はある。
(そういえばここの壁や床も、妙に濡れているな……)
結露したのか、灯りを反射してぬらぬらと光る壁に、ロランは奇妙な懐かしさに似たものを覚えた。
だが、ここに故郷のような海の匂いはない。鼻を衝くのは潮の香ではなく、重く淀んだ湿っぽい空気に混じる、かすかな腐臭――いや、死臭というべきか。
手にした松明の熱気がその淀みをさらにどうしようもなく濁らせ、周囲を見通せない圧迫感が次第にロランを押しつぶしにかかる。
両脇を固めるいま二人の
背後でうんざりしたような吐息。その響きにかすかに混ざる細く甘やかな女の喉声も、今は三人を鼓舞するには事足りなかったが。
「……よし。お前たち、少し休め。許可する」
「あ、ああ。済まねえ、助かる」
ドネルが少しばつの悪そうな調子で返した。がしゃがしゃと中古鎧の
革袋の水筒からぬるい水を口に含み、ゆっくり飲み下して息をつく。
「なあ、ダリルさん……ホントにこのまま行くのか? やっぱり、僧侶や斥候を連れてきた方が良かったんじゃ……?」
「大丈夫だ、ドネル。一戦だけ、それが終わったらすぐに引き返す。生き残ったら戦利金はお前たちが三人で分けていい」
ダリルと呼ばれた女はこともなげに答えると、彼らに微笑んでさえ見せた。
「そ、そうだったな。そんなら――」
「そりゃ、そういう約束だが……俺達だって、迷宮や遺跡の探索に、どういう面子が必要かってぐらいの話は、一通り聞きかじっているぜ……あんた、凄く無茶してないか?」
ダリルの懐柔にすぐ矛を収めたドネルと違い、ジャコはもう少し世知にたけて
「気に入らないのなら、ここから一人で帰ればいい。だが、不慣れな初めての道を私の案内なしで正しく辿れるかな? それに酒場で交わした契約はまだ有効、破棄するなら相応の負担をしてもらうことになるが……」
「あーッ、ああ、畜生! 分かったよ、どうせ俺達じゃ束になっても、あんた一人の魔法にかなわねえ……付き合うぜ、だが一戦だけだからな!」
先ほどとは打って変わって乾いた視線と、冷酷な言葉に威圧されてはジャコも引き下がる。それにダリルがそれなりの位階にある魔術師であることは、既に見せつけられていた。
ここに来るまでに地上近くの浅い領域で出くわした、間の悪いごろつきの集団を、彼女はほんの数語の詠唱と共に焼き払ったのだ。
他には遭遇らしい遭遇もなかった。彼女はおそらくこの迷宮を熟知しており、よけいな戦闘を避けて歩きまわることができるに違いない――ロランにはそう思われた。
軽い食事をとろうと思えばとれる程度の時間を置いて、彼らは再び腰を上げて歩き始めた。
後ろの女、ダリルは裾と袖を詰めた
前列の三人はいずれも中古の
ロランの手には街の鍛冶屋で買い求めた、錆の浮いた短い剣が握られている。だが、彼ら自身の思惑がどうあれ――この
彼らの最も重要な装備は盾なのだ。
街の地下水道から地続きの濡れ湿った回廊から、階段を一つ降りた先は、石壁を漆喰で塗り固めた拵えの墓所めいた空間だった。
そこを通り抜けてしばらく歩くと奇妙な場所に出た。通路の一角に開け放たれた扉が設けられ、その奥の壁には1から8までの数字らしきものが、古い書体で陰刻されて縦に並んでいた。数字の横には石材を丸くくりぬいて設けられたスイッチがある。
「ここは……?」
「既知の最下層まで一気に降りられる
「最下層だと……一戦って、そこでか。俺達で勝てるのか?」
「勝算はある。現に私はこうして生きている。勝てば浅層での数か月分に匹敵する経験と財貨が手に入る」
男たちはわずかな間逡巡する様子だったが、意を決したように踏み込んだ。ロランも遅れずに続いた。
金が要る――三人に共通する弱みはそれだった。この女に雇われての迷宮潜りは、彼らにとってはまたとない、見返りの大きな
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