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「それも変な話だが……あの女とは、名前で呼び合う仲なのか?」
氏族にあたる人々は、公称として氏族名を用いる。氏族とはそれなりに大集団だから、サジタリウス氏族ひとつとっても、多くの人間がそこかしこで同様に「サジタリア」、もしくは「サジタリウス」を名乗ることになるが、氏族は個人よりも権威を重視するがゆえに、それは問題にならない。
私的な場においては、名字を使うのがルーマの習わしである。個人名を呼ぶ間柄となれば、せいぜい家族や親友に限られる。
「私のフルネームは、マヤ・スコルピア・シクリア。アンドリアの灯台学舎では、エウネクテーと学友だった。歳も近いし、意外に思うかもしれないが、気が合った。
いまの話をした。未来の話をした。彼女は早起きであるのに、夜型の私に遅くまで付き合ってくれた」
「……兎にも角にも、マヤさんが、そんなお偉いさんだとはな」
多少失礼な物言いではあるが、とりあえず、さん付けで呼ぶのは、ぶっきらぼうなカイメラにしては、殊勝な態度であった。
マヤがスコルピウス氏族の人間だからではなく、恩人であるから、そうした。
「実は、私は異端で、公にスコルピアを名乗ることは許可されていない。理由はまあ、見ての通りと言うべきか」
幽鬼のような医者が、不似合いなほど慣れた様子でウインクしてみせたので、カイメラは思わず噴き出した。
どこ吹く風で、マヤは続けた。
「冗談はさておき、彼らは知識を厳格に管理したがる。大衆の無知が、間接的に伝統的な体制を維持するという論理は理解できるが、施政の効率を考えれば、あえて広めるべき知識がないとも言い切れまい。
ということで、袂を分かつことになった」
港町アンドリアの有名な灯台学舎には、大きな図書館が併設してあって、港に入る船は、書物を積んでいたならば提出を義務付けられている。本の虫である学者たちはそれを書き写し、たびたび原本ではなく写本の方を持ち主に返すので悪名高かった。
「よく分からん」
「本質的な結論だな。誰も不老不死ではなく、世界は唯一無二。観測できる因果は一種類だけであるのに、正しい歴史の流れに沿う限り、ルーマは永遠の国であると彼らは信じている。だが、ふむ、よく分からん」
「正しい歴史、へえ」
不穏当な言葉である。ベスティアの併呑もその一つであるというのか。
しかし、この世に永遠に続く国のようなものがあるとすれば、それはルーマをおいて他にないと、カイメラさえも思っているのだ。
「氏族というのは、血統主義者で……きみ、<騎士団>に入るなら、遅かれ早かれ知ることだろうから、教えておくが」
先を続ける前に、マヤはあたりを見回して、声を落とし、口の前に指を一本立てて、ほとんど囁くように言った。
「セルペンティウムに気を付けることだ」
「……セルペンティウム」
同様に声を落として、カイメラは復唱した。
「蛇の者ども。ヒュドラの手足……十二氏族の一部が指導する、結社のようなものだ。
政治的レトリックを用いるならば、ルーマは事実上、彼らのものということにもなる。
確かに月桂冠を戴くのは
これがどういうことか、分かるかね」
「……いや、分からん。というか、話についていけてないし、どうでもいいかも」
「まあ、それでもいいが。
つまりね、元首の意思決定は既に誘導されたものであるし、彼の下知は、いかようにも曲解されうるということだ。ルーマ建国以来、ずっとね」
なんだか壮大な話である。
まず、陰謀論を疑うべきだと、カイメラは思った。
「……妄想じゃないのか? そもそも、マヤさんは本当にスコルピアの人間なのか。証拠がないじゃないか」
「ああ、確かに。疑り深いのはいいことだ。
別に信じてもらおうとは思わない。しかし、現にきみは殺されかけたね。
たとえば、獣人の撲滅を狙う者がいる。もし、ベスティアの都市参事会のような要人の子息が騎士団に門前払いどころか殺害され、首を門の屋根に吊るされるようなことがあれば、ベスティアは黙ってはいないだろう。
現地のルーマ高官が、ひょっとすると、過激派の獣人に報復されたりするかもしれない」
(……レスコス)
「それを口実に?」
「可能だろう。とはいえ、かつて2個軍団でそれをやろうとして、ひどく失敗したのだから、まあ、彼らなどその程度のものだし、きみはまたしても番狂わせをしてくれたわけだがね」
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