3

カプト・ヒュドラエこそが世界の中心であることには、疑いの余地がない。

北西の門から市街に入る前から、カイメラは、カプトの規模が、他の都市とは比較にならないことがよく分かった。


長大な城壁によってぐるりと囲まれた都市に開かれた門に近づくにつれ、その道沿いに何やら巨大な石碑が並ぶようになる。ありとあらゆる形状に加工された石の表面に、何やら文字が刻まれているようだが、カイメラには読めなかった。


獣人族は、文字を使わない。

知識は神官たちのもので、書ではなく口承によって伝わる。文字に頼れば記憶を軽んじることになると考えているがゆえである。

一理あると、カイメラは思う。齟齬抜きに文字に起こせる事柄が、一体どれほどあるだろうか?

もっとも、ルーマに併合されて以来、伝統的な宗教は衰えつつあり、それに伴ってルーマの文字を転写することは多くなっている。

だが、一般人にとって、文字による意思の疎通は依然として魔術の類であった。

識字率など、世界一の繁栄を享受する首都に限って見ても、かなり低く留まっているのだ。文字は、支配階級の道具である。


カイメラは、朧気な記憶と文字の並びの規則性から、類推を試みた。


”私は”、”あなたは”、”いる””早い”……そのくらいしか、分からない。


彼女が真剣な顔で石碑を眺めているのが、よほどおかしく見えたのだろう。

隣の男が、カイメラの赤毛に覆われた耳を引っ張った。


「ベスティアじゃ、墓石がそんなに珍しいのか?」

「……墓? あれは墓だったのか」


男の手を強くはたきながら、カイメラは納得した。

ベスティアでは、死体はまとめて火葬される。これほど多くの墓が立つことはない。

カイメラの態度に気を悪くした様子もなく、男は喋り続けた。


「そうだ。あのピラミッドはアンドリア出身の解放奴隷の墓、馬車の墓はどうやらいいとこのお嬢さん、あれは……カーテンか? 劇団員の墓らしいな」

「分かったよ、もういい。教えてくれてどうも。

それから、アングルシーだ」

「なんだって?」

「ベスティアじゃない、アングルシー島だって言ったの」

「あ、ああ?」


男は得心しない様子で、もう話しかけてはこなかった。

獣人が人間と対等ではないという思想は、ルーマには根強い。

馬車は都市北西の黒い門に入ると、大理石の巨大な神殿前の広場に、人の海を割るようにして進入し、そこで乗客を降ろした。


人間、人間、そして人間――カイメラの他に、獣人の姿は多くなかった。

獣人は、高い買い物だと言われている。奴隷にするにせよ、売春婦としてにせよである。数が少ないからだ。

中でも、ルーマの二等以上の市民としてに登録されているのは、属州として併合されて40年経った今でも、ほんの一握りに過ぎない。

もっとも、獣人族以外の、いわゆる普通の人間にしても、状況は大して変わるものではない。


広場からは、いくつかの大通りが真っ直ぐに伸びていたが、どれを使っても目的地に通じるであろうとカイメラは考えた。用があるのはパラティウム。街の中心だからだ。


通りを見下ろすように、石造の集合住宅がひしめき合っていた。擦り減った石畳の轍を荷馬車が行き交い、巨大な温泉施設が人を吸い込んでは吐き出す。進んでいくと、円形の広場があって、そこに一線を画した高さの塔が、街全体を睥睨するかのようにそびえ立っているのが見えた。とはいえ、どうやら用途としては通常の集合住宅らしかった。都市の面積も大きいが、密度も凄まじい。

というより、常軌を逸している。カイメラはおののいた。大変なところに来てしまったものだ。

カ縦に筋が入った青い瞳をきょろきょろ、赤毛が覆う耳をぴょこぴょこさせる。


ベスティアにおける家屋とは、せいぜい大型のテントだ。毛皮の敷物でもあればいいが、多くの家の床は踏み固めた土だった。

石造りの建物がないこともない。防衛用の砦である。残念なことに、居住性という点では、テントと大差ない。


登り坂を経ると、もう一重、赤い城壁がある。

その内側がパラティウム地区。いわゆる高級住宅街だ。頂上にあるのが黄金宮殿と呼ばれる元首の居城であるが、カイメラの目的地は外壁そのものにある。

その赤い壁こそ、<七丘大河騎士団>の兵舎であるのだ。

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