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「アングルシー」と、カイメラは、彼女の生まれる前に使われていた名称で、ベスティアのことを呼ぶ。暗い島、の意である。

カイメラのような、ルーマこそが唯一の文化圏であるという前提を共有しない人間の数は、そう多くない。もっとも、獣人を人間として数える文化は、長らくルーマには存在しなかったが。


今は違う。


カイメラが槍術と弓術とを昔から得意としたのは、獣人族の特性といっていい。獣人であるならば誰しも狩人であるから、得手不得手はあるにせよ、社会構造上、誰もがそうした武器の扱いに習熟する必要がある。

しかし、その能力が<七丘大河騎士団>への加入という形で大成したのは、ひとえに帝国の制度が近年、大らかになってきたおかげであった。


表面上、変化は急速に訪れたように見えた。

元首プリンケプス直々の勅令という形をとったからだ。特に大きなものの一つが、ルーマの中枢、城塞都市カプト・ヒュドラエを警護する任を負う<七丘大河騎士団>が、属州出身者の入団を許可したことだった。

政治になど興味がなく、情報を知る経路を持たないカイメラが、乗合馬車にて小耳に挟んだ噂によると、新しい元首、イコールこの国の指導者本人が、属州出身の急進派らしい。


騎士団の歴史は、およそ500年に及ぶ。騎士とは元来、自費で馬と鎧を賄える財産の持ち主にのみ許された階級であった。それゆえ、ほとんど自動的に、カプトの名門氏族の出身者だけで構成されていたのだ。

このような機構は、存在することが存在理由そのものであるから、数を減らすことがない。一方で、氏族は数を減らしていた。有力氏族同士の婚姻によって血統は合流したが、珍しくはない急死――原因は様々だが、単に病気の場合が多い――によって、それらは次々に絶えたからだ。

王政の終焉とともに、騎士団には、カプトに三代前から籍を置いている二等市民以上の者ならば誰でも加入できるようになった。

一方、それが否応なく政争に巻き込まれる結果になることは、あまり知られていなかった。


そして、現在。前の元首が急死し、代替わりを余儀なくされるにあっては、長年積もってきた種々の政治問題が一気に噴出した。元首とは建前上、第一の市民であり、S.P.Q.Rの代表なのだが、その地位は選挙による選出ではなく、ひとつの氏族によって世襲されていたのだ。客観的には、帝政である。


それが、絶えた。

となれば、当然、宮廷での権謀術数なる、迂遠かつ稚拙な場外乱闘が後に続く。その本質は知恵を駆使した頭脳戦ではなく、単純な暴力だ。放逐もしくは殺害の結果として、良かれ悪しかれ支配者たちのパワーバランスは崩壊し、大きな変化が起こる。

何もおかしな話ではない。


回り回って、カイメラのような周縁の者にさえ、機会が与えられた。


北方ベスティア属州から首都への道は長く、海を二度越えて、整備された街道網が敷かれた平原を突っ切り、更には雪を被った山脈を越えなければならない。

その道程を、船と馬車に乗ってほとんど寝て過ごしたカイメラである。

どんな悪路でもそのように振る舞えるのは、獣人族の中でも図太い彼女特有の神経ゆえだ。

もっとも、出発時に身に着けていた装飾品を色々盗まれるわ、盗賊に襲われて返り討ちにするわで、順風満帆な旅ではなかったが、高価なものなど持ち歩いたことはなく、剣を守れればそれで良かった。


カプト・ヒュドラエは、大河テベレを見据えるように広がっていた。

あるいは、監視するように、と表現した方が適切かもしれない。

あらゆる方面に向けて街道が伸びているとはいえ、水運が人と物の流れの中心であることに変わりはなかった。速度と積載量の問題である。

それを握ったルーマが、西方世界の覇者となったのは、決して偶然ではなく、ルーマという国(ないし概念)の名は、「河」を意味する古い言葉に由来するほどだ。

さて、この巨大な河の、ある地点。その両側に、7つの丘が集まっている。

それを誰かが、多頭の龍に例えた。


やがて、龍は首を伸ばし、世界を呑み込んだ。

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