騎士獣人百合
@oppoppo
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鎌鼬のカイメラは、女だてらに腕っぷし一本でやってきた。
出身は、帝国属州の辺境、北方の島ベスティアである。
だが、ベスティアというのは元来、自称ではなかった。
世界最強の軍事国家、大帝国ルーマが与えた、政治的・便宜的な呼称に過ぎなかった。
今では、先住民を含めた誰もが、その島全体を属州ベスティアと認識している。
ルーマとは唯一の国家であり、すなわち世界そのものであるからだ。
S.P.Q.R!(ルーマの元老院並びに人民!)
ルーマの威光が及ぶ範囲の外は、ルーマにとってはことごとく未来の領地に過ぎない。それが膨張を続ける大帝国のスローガンであり、そして現実だった。
国を表す記章、すなわち各軍団が掲げる旗に描かれたのは神話の龍ヒュドラであり、属州の数を示すその首は、年々増え続けている。
戦争に先立って、敵国の領地をどのように分割すべきか議論し、地図上の各地に境界線を引き、合理的な名称をつけていたのは、必ずしも傲慢とは言い切れない。永続的な支配には計画が必要なのだ。
ルーマの誇るレギオー、つまり一個軍あたりおよそ6000人からなる、重装歩兵と騎兵の混成軍20個は、大抵の計画を実現可能なものとしていた。
しかるに、ベスティア――獣の国である。
ルーマ人は、徐々に広い面積を必要とするようになった彼らの地図の北端にバツ印をつけて、畏れを込めて書いたものであった。
HIC SVNT LEONES.
ここには獅子がいる。
獅子とは、怪物の比喩である。地図の作成過程において、世界の果てと呼ばれるような人跡未踏の地には、そのように書く習わしがあった。海の向こうだとか、高山に囲まれて隔絶された土地などにも、同様の文言が書かれていた。
ベスティアは少し事情が違う。
大きな島のどこにいようと霧に包まれている。悪天候の日が多いことで知られていて、それゆえに獅子の棲家とされていたが、それだけではなかった。
その暗い土地には、「人間に獣の耳と尻尾を生やした」獣人が住む。「ここには獅子がいる」は全くの比喩ではないのだった。
世界一の優れた教養と乏しい想像力を備えたルーマの一等市民は、獣と人の間の子であるベスティア人を、魂を持たぬ悪逆無道の危険分子、偽神デミウルゴスの落とし子に違いないとして、海を隔てた島に侵攻する口実とした。
およそ40年前のことだ。
もっとも、そうした計画を立てる者と実行する者とは、得てして別々である。
「ふん。獅子どもが何するものぞ」
当時、北方方面を任された第三軍団トリアの軍団長、ガルスは実に豪胆な人物だった。
それに同行した第二軍団ゲミニの軍団長は彼の弟で、名は同じくガルスといった。
兵の前で、彼らは並び、簡潔に述べた。
「貴様ら、故郷を忘れたわけではあるまいな」
弟のガルスが、ルーマの首都を示す赤い丸を指さした。
記された文字列は、カプト・ヒュドラエと読める。龍の頭を意味する名だ。
カプト、と、何人かの兵が声に出した。首都は通常、そのように呼ばれる。
それからガルスは、獣の血を指に塗って、新たに書きつけた。
HIC SVNT DRACONES.
ここには龍がいる。
――そうして、戦争が始まった。
評判に違わぬ戦いぶりだったと、ガルスは記録している。
こうした戦いでは、獲得した戦果の大きいことを強調するために、敵軍の強力さを大げさに言い立てるものだ。5000の敵を5万に膨らませ、一騎打ちの相手をまるで屈強な巨人のようであったなどと褒めそやす。
しかしながら、本国に帰還できた兵の数は、明らかに一個軍団にも満たなかったために、そのように仰々しい報告をする必要はなかった。
帰還したガルスは一人。弟の骸はついに発見できなかったという。
大勢の前で、兄は泣いた。
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