08 まさかの態度とまさかのこのまま

 すっかり冷めたアルビナに構わず、男は何事かを必死に言い募っている。どうしたものかと思っている間に反応の薄いアルビナにじれたのか、強引に腕を掴まれた。


「疲れているようですね。少し休憩しましょう……寂しいのなら相手をしますよ」


 最後のひとことは、耳元に顔を寄せて囁かれた。


「――っ、結構よ。離して」


 テオバルトに散々指導してきた仕草だが、この男にされたとて心には響かなかった。むしろゾワリと背筋が寒くなる。

 練習だといってテオバルトにされたときは、こんな不快な思いは感じなかったのに、だ。

 なんて不思議に思ったと同時。


「アルビナ!」


 バルコニーに息を切らせた男性が飛び込んできた。

 肩を上下させる彼と視線が交わる。その瞬間、垂れた優しげな目尻が鋭くなった。


「テオバルト様」


 アメジストの瞳を見間違うはずもない。

 名前を呼べば、彼は弾かれたように真っすぐと向かってきて、いまだアルビナの腕を掴む男の手を険しい顔で払いのけた。


「私の婚約者が、なにか?」

「……いえ、あの――」


 普段、公の場で見せるような穏やかさなど一切感じさせない低い声に、相手は怯んだように後ずさった。現に、その変わり様にはアルビナでさえ驚いた。


 ここにいるのは女たらしな第二王子ではなく、圧倒的風格をまとった王族であり、アルビナの母国を完膚なきまでに返り討ちにしたほどの戦を指揮した男だ。

 その事実をまざまざと肌で感じるほどだった。


「お一人でしたので、少しお話しておりました……」

「そうか、ならばもう必要ない。下がれ」

「し、失礼しますっ」


 にべもなく言い放つと、戸惑う男にむかって手を払い、下がるように促す。

 さすがに第二王子からここまで言われては食い下がることもできない様子で、男は渋々バルコニーから去っていった。

 ――だが、アルビナこそ戸惑っていた。


「テオバルト様、なぜここに……?」


 夜会では最初のダンスさえ踊ってしまえば、あとは別行動だと言っていたはずだし、今までもそうだった。

 問えば、それまで険しい顔で男の背中を見送っていたテオバルトの顔が一気に崩れる。


「心配したんだぞ!?」

「……え?」

「い、いつもはずっと会場内にいるだろう? なにかあったのか?」


 先ほどまでの風格はどこへやら。

 オロオロと情けなく眉を下げてアルビナの手を取った顔は、いつものテオバルトだ。


「姿が見えないから、焦った……!」

「それは、申し訳ございません……?」


 ちょっと会場を離れただけで、ここまで狼狽えられることに目を白黒させていると、またもやバルコニーに人影が増える。


「テオバルト様! 急にどう――」


 ラベンナ嬢である。おそらく突然姿を消したテオバルトを追って来たのだろう。

 テオバルトの姿を認めて一瞬安堵の顔を見せた彼女は、横のアルビナと二人の手元に視線を落として眉尻を吊り上げる。

 これはまずいところを見られたな。と思ったときには、すでにラベンナ嬢はテオバルトの腕にしがみついていた。


「まだ夜会は途中ですわ。戻りましょう?」


 にこりと笑んでから、鋭い目つきでアルビナを睨みつける。


「あら、いらしたのね。相変わらずテオバルト様にまとわりついて、ご迷惑なのがわからないのかしら」


 確かに傍目に見たら、アルビナが縋っているように見えるだろう。

 軽蔑したような目でラベンナ嬢は「フン」と小さく鼻を鳴らした。

 ここは二人を置いて戻った方が良さそうだと、テオバルトの手を離そうとするが――なぜが一層強く握り返された。


 テオバルトは一度会場内に視線を向けたかと思うと、笑みを浮かべることなくラベンナ嬢に言い放つ。


「申し訳ないが、私は婚約者と先に失礼させてもらう」


 先ほどまで、会場内でにこにこしながら甘い言葉を囁いていた姿とのギャップに驚いたのだろう。ラベンナ嬢は怯むように一度息を呑んだ。


「テオバルト様、どうされましたの? これからではありませんか」


 それでも絡めた腕を解かないのはさすがだ。

 決して逃がさぬとでもいう様子に、おそらく彼女も彼女で今夜は何かしら仕掛けるつもりだったのかもしれない。なんといっても今夜の会場はカリオン侯爵家、ラベンナ嬢の家である。


「そのような方、お気になさらずともよろしいでしょう?」


 これ以上もめるのも良くないのでは……とアルビナは内心焦りながらテオバルトを見やるが、彼は動じることなく腕にしがみつくラベンナ嬢を、やんわりとだが確かに振り払った。

 これに驚いたのはラベンナ嬢本人と、アルビナである。


「私の婚約者をそのように言ってほしくはないな」


 すると、あろうことかテオバルトはアルビナを横抱きに抱え上げた。いわゆるお姫様だっこである。


「……え!?」

「それでは失礼する。素晴らしい夜会だった」


 突然のことに素っ頓狂な叫びをあげるアルビナに構わず、テオバルトはそれだけを告げ、返事を待たずに歩き出した。

 言われたラベンナ嬢も呆気にとられている。


「テオバルト様、このまま? え、このままですか!?」

「このままだ」


 ひえぇ、と小さな悲鳴をこぼすアルビナに気付いているだろうに、何食わぬ顔でお姫様抱っこのまま会場に戻り、脇目も振らず進む。周囲の驚く視線が全方向からグサグサと突き刺さる。正直恥ずかしすぎて顔が上げられない。


 すると「テオバルト殿下!」と慌てたような声が後ろから聞こえた。


「ど、どうされたのですか!?」

「これはカリオン侯爵。すまないが婚約者の具合が悪いようだ。今夜はここで失礼させてもらう」

「な、なんと……」


 どうやら駆け寄ってきたのはラベンナ嬢の父親でもあるカリオン侯爵その人だったらしい。

 チラリと視線を上げると、彼は娘とそっくりな目で忌々しそうにアルビナを睨みつけた。


「では休憩できる部屋を用意しましょう。せっかくの夜会ですし、娘も殿下にお会いできるのを大変楽しみにしていたのですよ」


 どこか焦りを浮かべて必死にテオバルトを引き留めようとする侯爵の後ろに、バルコニーから蜂蜜色のブロンドが駆け寄ってくるのが見える。


 なるほど、テオバルトとラベンナ嬢の間に既成事実でも作るつもりなのだろう。侯爵も絡んでいるどころか、発案者は彼かもしれない。

 だが――。


「結構だ」


 彼を捉えようとするこの状況、すべてをひとことで斬り捨ててテオバルトは会場をあとにした。

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