09 女たらし終了のお知らせ
アルビナはドレスのまま寝室のベッドの縁に腰かけていた。
テオバルトにこの恰好で待っているように言われたからだ。
あのあと、すぐ馬車に乗りこんだ帰路の道すがら、大丈夫なのかと何度も問うたがすべて「あとで説明する」とだけ返され今にいたる。
するとようやくノックの音が響き、「どうぞ」と応えたらテオバルトが入ってきた。
「今日はすまなかった」
隣に腰かけた彼は、唐突にそんなことを言う。
「ええと、なにについてでしょう? いえ、それよりもラベンナ嬢を無下にしてしまって良かったのですか?」
なによりも気がかりだった点を再度問うた。
彼女を惹きつけるための『女たらし計画』ではなかったのか。
焦りを見せるアルビナとは反対に、テオバルトはそうだったとばかりに「ああ」などと声をこぼす。
「それは大丈夫だ。兄上たちもすでに会場をあとにしたようだったし……そもそも、女たらしも今日までだからな」
「……今日まで?」
思いがけない言葉に目を見張った。
「ああ。兄上たちの結婚の日取りが正式に決定したんだ。明日詳細が発表される。元々その話がまとまるまでということだったし、それに――」
じっ、とアメジストの瞳がアルビナを覗き込んだ。その目は、なにかを堪えるようであった。
「これ以上は私が耐えられない」
「それは女たらしとして振る舞うのが、ですか?」
「違う、そんなことはどうでもいい」
元々の真面目な性格との落差が耐えがたいのと首を捻れば、強く否定された。その視線はずっと逸らされることなくアルビナの瞳に注がれている。
「君のことだ」
「……私、ですか?」
「君が言われなくてもいい言葉を浴びせられ、されなくてもいい扱いを受けていることが辛い」
意を決したように言い切って、テオバルトはその端正な顔を歪めた。
口元には自嘲するような笑みが浮かぶ。
「そのような扱いをさせている原因は、私だというのにな」
俯いてしまった美しいアッシュゴールドの髪を見下ろして、アルビナはしばし言葉を失った。そして「いいえ」と首を振る。
「この件については、すでに最初に謝罪を受けております」
アルビナのことだけに限らず、テオバルト自身のことさえも『今は』優先することはできないのだと。
元より自分が優先されることなど想定すらしていなかったアルビナに対して、初対面であまりにも誠実に内情を打ち明けてくれたのだ。だからアルビナは協力しようと思ったし、この状況にはとっくに納得している。
「それに……慣れていますから」
「慣れている?」
「特になにも感じません。このような扱いは母国と変わりませんし、むしろ……」
母国よりましである。
そのように続く言葉を察したらしいテオバルトの目が険しく据わり、アルビナは思わず口を噤んだ。
「以前も言っていたな。特に思うことはないと」
「ええ。わたくしの母は、元は流れの踊り子なのです」
それだけを告げれば、アルビナの境遇をすべて理解しただろうテオバルトの顔が、より一層痛ましそうに歪んだ。
父にも母にもろくに見向きされず、数だけは多い兄姉たちにも蔑まれて生きてきた。
和平の証としての輿入れが決まった際には、姉たちはお前が選ばれて当然だとばかりに嗤っていたものだ。
そんな家族に、今さら思うこともない。
「なるほど、わかった。だが――」
不意に手を取られる。
アルビナの手を握る指先にギュッと力が込められた。
「これからは慣れないでほしい」
聞こえたのは、切実さを滲ませた声。
「それは、どういう……?」
だが、アルビナには彼の意図が理解できない。
不思議に思っていると、テオバルトは服の胸元から小箱を取り出した。
そっと箱が開けられた瞬間、眩いほどの宝石の輝きが目に飛び込んでくる。
「先ほど待たせてしまったのは、これを取りに行っていたんだ」
「……アメジストですか?」
見上げれば、肯定するように垂れた目元を細めるテオバルトがいた。
その瞳も同じ色に煌めいている。
「今の色も、もちろん似合っているが……」
言いながら、テオバルトはアルビナが身に着けているネックレスに視線を落としてそっと触れた。控えめにあしらわれた薄い緑の宝石がわずかに煌めいたが、そのまま首の後ろに手を伸ばされ外された。
代わりにテオバルトは、小箱から大きなアメジストが輝くネックレスを取り出す。
彼はじっとそれを見つめて、次にアルビナを見た。渇望ともいえる強い色を浮かべる瞳に、目を見張る自身が映っている。
「ああ、ようやく渡せる」
感嘆のため息にも似た声だった。
「この日をずっと待っていた」
これまで見せてきた微笑みなどしょせん偽物だったのだと思い知らされるほどの、抑えきれぬ思いがすべて溢れたような顔をアルビナに向けてくるのだから、戸惑うなという方が無理だろう。
あまりの衝撃に固まっていたら、その間に首にはアメジストのネックレスが輝いていた。
「これは、あの人気店の……」
「ああ、そこの物だ。流行りではなくオーダーメイドで仕立ててもらった。これでアルビナの心をわし掴みだろう?」
照れたようにはにかむテオバルトを前に、唇が震えた。上手く言葉が出てこない。
「……なぜ」
なぜ。当然の問いだった。
惜しむことなく渡せる王女。
敗戦国の王女。
愛人のように扱われるならまだましだが、地味で可愛げもない自分。
死ぬまで放置され飼い殺されても当然。
『今は』愛することができないだろうが、その『今は』がなくなったとて愛する必要はない存在。
そのようにアルビナは理解していた。
だから諦めていた。
諦めていたのに。
王族の持つアメジスト色を贈られることが、一体どういう意味なのか。そんなこと考えるまでもない。
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