2 (11) 『誤算だらけの最終決戦』

 一


 『幸か不幸か、短く切り揃えられた爪は拳を作るに最適』


 …殺意は、すぐさま物理的威力に変わった。

 繰り出されたラディカの拳が持つ質量は圧倒的で、もし当たったならば、鉄道事故のように人体を滅茶苦茶にしてみせただろう。

 …当たったならば。

 しかし、今の今まで、口喧嘩くらいしかしたことがなかった攻撃者のラディカに対して、防御者のカイセンは歴戦の魔術師であり、戦闘のプロだった。

 そんな彼からすれば、ラディカの攻撃なんざ初動の時点で見え見えで、回避どころか反撃すら余裕なものだった。

「≪膨疾(ボウシツ)≫」

 彼の軽い一言と共に、ラディカの身体は重たい衝撃に殴られ、拳ごと思いっ切り吹き飛ばされた。

 ザバン、と音が鳴った。彼女が吹き飛ばされた先にソリティ川があったのだ。

 カイセンは、ずぶ濡れになりながらも必死に起き上がり、敵意を吠えるラディカを眺めて、ケタケタ嗤った。

「『祝福』って、いくつかの異能のパッケージなのかな?超再生と怪力が、お前が持ち得る能力か」

「…何というか、案外普通だね。魔力無しで超常を発揮出来るのは凄いことだけど、その程度は、どちらとも魔術的に再現出来る代物でしかない」

「それで、よくも僕を殺せると思ったね?」

 相手を見切ったと言わんばかりに余裕綽々な彼は、ラディカを無視して、何の気無しにマリエットとベイの死体がある方へスタスタと歩き始めた。

 当然、ラディカは彼を殺すべく追った。

 しかし、

「全力で殺せ」

 彼により命令を受けた有象の残り二人が彼女の前に立ちはだかり、応戦を始めた。

 ラディカは、カイセンほどではないが飄々と立ち回り魔術を行使する雑魚二人にまんまと足止めされた。

 カイセンはその様子…、特に、ラディカの弱さを見てほくそ笑みつつ、悠々と死体漁りを行った。


 …ラディカとカイセンには、実際のところ、天と地ほどの実力差があった。

 カイセン、彼は魔族の中でも秀才の部類に入る魔術師であった。

 彼は未だ若く、位階こそ、魔族の魔術において最低である尸位までしか扱えなかったものの、それ以下の取り扱いに関しては卓越していた。

 人間の魔術で言うところの高位の魔術であれば、彼は無動作無詠唱で扱うことが出来た。

 超位の魔術なら、無動作かつ魔術名のみの詠唱で、尸位の魔術でも、詠唱のみで扱えた。

 加えて、彼はまだ、“本気”を隠していた。

 大陸において、彼を上回る実力者など“ごくごく例外を除いて”存在しなかった。実際、彼は大陸への侵略において、立ちはだかった人間を全て軽々と蹴散らしてきていた。

 …そんな彼を相手に、せいぜい腕相撲でマリエットに勝ったことくらいしかない、“程度の知れた超回復と怪力だけが売りの”ラディカが敵うなんて、万に一つも有り得なかった。


 有り得ないはずだった。


 だが…

「へぇ…、『匣天喚門(ギョウテンカンモン)』についてかぁ…。こんなのが秘技だなんて、大陸の魔術は程度が低いんだねぇ…」

「…」

「…あ?」

 リュックから抜き取った魔導書を読んで暇潰しをしていたカイセンは、突如として響き渡った魔族二人の悲鳴に驚いて顔を上げた。

「へぇ…!」

「マジか…!たかが怪力でも、雑魚の魔術師程度なら何とかなるんだな…!」

 彼の眼の前には、生首二つを両手に掴んだラディカがいた。

 彼は魔導書を懐に仕舞った後、ラディカを煽るようにして言った。

「僕のこともソイツ等みたいにしたいか?けどなぁ、お前じゃまだまだ戦うに値しないんだよ」

 しかし、そんな事情、ラディカは知らない。

「…返せよ」

「は?」

「…それは私と、マリエットと、ベイのみんなで手に入れたものだから、…お前の汚い手が触れていいものじゃないから」

「…あぁ?魔導書のこと?それなら優秀な魔術師である僕が有効活用してやるから気にすんなよ」

「有効活用…?そう…、有効活用よね…」

「有効活用…、有効活用…、有効活用…、マリエットとベイと一緒にするはずだった有効活用…、その有効活用を…」

「…ッ!!それをッッ!お前が出来なくしたんだろうがァッッッ!!!」

 …ソリティ川の冷めたい水で水浸しの彼女の頬には、失った悲しみの涙以外も伝う。

 しかし、どんな気持ちが彼女に渦巻いていようとも、今の彼女は、水気で顔面に張り付く髪の毛のように自分から離れない、彼への怨念をぶつける以外にない。

 それしか、取り残された彼女には許されていない。

 次の瞬間、ラディカは生首2つをカイセンめがけて投げつけた。

 カイセンは、軽く詠唱した後に出現させた青白いバリアーにより、それらを難なく防御した。

 間髪入れず、ラディカは全力でバリアーに突進した。次いで、両の拳を無茶苦茶に使って、バリアーを叩きまくった。

 彼女は両腕をグチャグチャに折り曲げながら、しかし、ビクともしないバリアーに向かって叫んだ。

「何でッッ!!何で何で何で何で何で何で何でッッ!!何でマリエットを!!!ベイを殺したッッッッ!!?」

「どうしてッッ!!お前なんかが二人を奪って良いワケ無いのにッッッ!!!?」

 しかし、その怒りの投げかけは、彼女の攻撃と同様、カイセンにはまるで届いていなかった。

 彼は、今に負傷と再生を繰り返しながら嵐のような激情をぶつけるラディカの様子を、まるで気が立った闘牛でも見るかのように、薄ら笑って眺めた。

 そして、彼は挑発した。

「だからぁ!さっき言ってやっただろ!?僕ぁ『祝福』を持つお前を殺すためにココに来たんだって!!」

「…初め、僕が完璧に消し飛ばしてやったハズのアメリーに生命反応が残ってるって報告を受けた時は本当に驚いたよ!当初は魔族に対抗し得る魔術師が大陸に現れたのかと大慌てしたさ!だが、慎重に調査を進めてみるとどうだ!生き残ったゴキブリの正体はガロの末裔だった!」

「あまつさえ、ソイツは『祝福』に目覚めていた!偶然でもこんなものを見せつけられてみろ!かつて、300年戦争で『祝福』を持つフランの姉妹たった二人だけに滅ぼされかけた僕たち魔族からすりゃあ、スグに殺しに行く以外の選択肢が無いだろ!?」

「僕ぁなぁ!!別に何の気無しにお前の大切な人を殺したわけじゃないんだよ!あぁそうだ!実際、お前がいなきゃ僕は“あの二人の”眼の前に現れることすらなかった!殺すなんてもっと有り得なかった!僕は偏に!!お前が!!『祝福』を持つお前が“あの二人の”隣にいたから殺したんだ!!」


「分かるか!?“お前の大切な人はお前に殺されたんだよ”!!それがお前の怒りに対する解答だ!!」 


 …ラディカの攻撃の手がピタッと止まった。

「私が…、殺した…?」

 怒りに震えて赤黒くなっていた彼女の顔から、段々と血の気が引いた。

「私が…、『祝福』を持っていたから…?」

 『祝福』は、私が立ち上がるための力じゃないの…?

 立ち上がって、前に進んで、そうして、大切な人を助けるための力じゃないの…?

「違う…?そう…、違う…、こんな魔族の言うことなんて嘘…、嘘に決まってる…」

「嘘じゃねぇよ」

 冷ややかな声。

「嘘なら、どうして僕はこんなにも、お前のことが、大陸の人間のことが憎いんだよ」

「知らない…、そんなの知らない…!知りたくない…!だって…、マリエットは私を『ラディ』って呼んでくれましたのよ…!?だから…、私が『ラディカ』なわけがない…!!」

「…ムカつくこと言ってんじゃねぇよ!お前はフラン家で、ガロの末裔で、僕たちの敵なんだよ!!」

 バリアーが二人を隔てる。

 しかし、強烈な想いはぶつかり合う。

「知らない!!知らない!!歴史なんて知らない!!私が原因で何も奪われていいはずがない!!!」

「そんな心持ちだから奪ってやりたくなるんだよ!!のうのうと恵まれるお前たちから、全てを!!」

 

『人が前を向くには過去を清算する必要があるように、人類の未来には正しい歴史が必要である』


 …会話は、遂に破綻した。

 元よりそうであったが、彼女たちが言葉で分かり合えるはずがなかった。

 二人の間にあるのは、ただひたすらに憎悪と怨恨だけ。

 互いを殺す理由だけ。

 実力的に二人は釣り合っていない。

 しかし、悪感情だけはまるで均衡。


「お前は間違ってる…。二人を殺したのは…、どう考えたってお前でしょ…?」

「今ここで決着をつけてやるよ…!僕のためにも…、テメェに歴史を知らしめるためにもな…!」


 やがて、感情は血と肉を宿した。

 醜い戦いの火蓋は、もはや暴発することしか知らなかった。



 二


 …本格的に魔術を行使し始めたカイセンは圧倒的だった。

 彼との戦闘が始まって、ラディカは既に20回は殺されていた。

 …しかし、どういう訳か、戦闘の状況を『彼の圧勝』と言うには些か問題があった。

「…≪膨疾≫!」

 重い衝撃が、今度はラディカを下から突き上げた。

「≪縛氷(バッピョウ)≫…!からの…≪破破破(ハハバ)≫!」

 宙に放り投げられた彼女は一気に冷凍された。その直後、凍り付いた彼女の身体の中心から振動が広がった。

 振動はやがて、彼女の身体を内側から粉々に砕いた。

 彼女の身体が、割れたガラスのようにパラパラと地面に降った。

 その攻撃は、対象が生命であれば、死は必須だった。

 だが、ラディカの身体は地面に着地するより先に、たった一片の欠片から全身の再生を終了させていた。

 直後、繰り出された彼女のハイキックがカイセンのバリアーを“震わせた”。

「…チッ、めんどくせぇなぁ!!潰しても潰しても再生しやがって…!!」

「いい加減理解しろよ!!テメェは僕の相手にゃ釣り合ってねぇんだよ!!」

 ≪槍万礫≫

 串刺しにされたラディカの身体は、使い古したTシャツよりも酷くズタボロになった。…が、それも一瞬の出来事。

 次の瞬間には、五体満足によるバリアーへの一撃が加わった。

 周辺の空気が震えた。当然のようにバリアーに守られるカイセンは、無事なれど、振動に逆鱗を震わされた。

 彼は、何度殺しても復活し殴りかかってくるラディカにイライラが止まらなかった。

「クソがッ!!テメェの“超再生と怪力”は底が知れてんだよ!!どれもこれも僕に届く刃には成り得ねぇッ!!だからいい加減、引っ付き虫みたいに僕にまとわりついてくんのはヤメろよッ!!」


 …超位の魔術なんて、彼にとっては何十回使おうが疲労も魔力の枯渇も有り得ない、程度の低い魔術。

 しかし、その威力は分かっている。少なくとも、それが人間の命一つくらいなら簡単に奪えるシロモノであることは理解している。

 実際、これ一発で沈めてきたフランガロの騎士や魔術師は数知れない。


 …だのに、ラディカは、

 目の前の、『祝福』を宿す大敵は決して沈まない。


 …実力差は明白のはず。

 彼女の攻撃で彼が危機に陥ることはない。少なくとも彼自身はそう思っている。

 しかし、逆に、いくら魔術を駆使しても暖簾に腕押しなのはどういう了見だ?

 自分の実力に虚しさを感じてしまいそうな程、彼女には攻撃が効かない。

 だからこそ、つけ上がられる。

 攻撃が効かないことを良いことに、彼女に自分が同格だと勘違いされる。

 それはまるで、あしらってもあしらっても飛び掛かってくるうっとおしい子犬に苛まれているような気分。


 彼はため息の後、確信した。

 この戦いは、彼女の気力か、超再生の元となっている何らか燃料を削ぐ戦いだと。

 自分にとって、これは厄介な油汚れを取り除くような、苛立ちの伴う面倒な作業なのだと。


 …誤算した。

 彼はもっと考えるべきだった。

 脳を苛立ちと怠惰に支配させずに、彼女の『祝福』について考えるべきだった。


 …もし、彼の言う通り、『祝福』の正体がたかが“超再生と怪力”だったとして、

 それならば、何故、彼女の足止めに成功していた有象二人は次の瞬間に敗北した?

 最初はむしろ彼女の腕を折り曲げるほどだったバリアーの強度は、どうして今になって彼女の攻撃によって揺るがされるようになった?


 …何より、彼自身が語った、遠い過去に魔族が『祝福』に滅ぼされかけた事実はどうした?


 しかし、ムシャクシャした彼は自尊心に従い、超位より殺傷能力の高い尸位の魔術を唱え始めた。

 …それが、結果的に自分の首を締めることになるとも知らずに。


「≪尸位 破壊 伐欠尖(バッケツセン)≫!!!」

 それは、対象を原子レベルに分解する大技だった。

 ラディカの身体は、聖骸布を除いて、たちまち砂状なった。

 そこに、カイセンは間髪入れずに唱えた。

「≪膨疾≫!!」

 砂の身体は、衝撃によりあちこちに飛び散った。

 カイセンの目の前、そこから生命の面影は完全に消えた。


 …しかし、それも束の間。


 まずもって姿を現したのは、彼女の拳だった。それは、既に振りかぶりの動作を見せていた。

「…これでも死なねぇのか。認識を改めた方がいいな。テメェのソレは超再生じゃなくて“不死”だ」


 拳から奥、腕と、肩と…、段々とラディカという存在の輪郭が見え始めた。

「だが、不死だから何だってんだ。いくら蘇ろうともテメェの攻撃が僕に届くことはない」


 そして、重く踏み込まれた彼女の脚までハッキリと目に映った。

「やってみろよ。けど、それだって僕には…」

「…!!?」


 そして、間もなく発揮された誤算。


 次の瞬間、カイセンの視界はグニャリと歪んだ。まるで、顔面に拳がめり込んだみたいに歪んだ。

「(…は!?は!?バリアーはどうした!?僕とコイツとの間に在ったはずだろ!?)」

 脳髄まで響く重い痛みに苦しみながら、彼は辛うじて黒目を動かして、眼の前の様子を確認した。


 …彼とラディカの間、そこには確かに、薄氷のように砕かれたバリアーがあった。


 彼を守る実力差、絶対防御は、完全に突破されていた。


 背後に10数メートルほど吹き飛ばされたカイセンは、咄嗟に自身に回復魔術を唱えながら思考した。

「(一体…、何が起きやがった…!?突破不可能のハズだったバリアーが突破された!?今になって火事場の馬鹿力でも働いたのか!?)」

 しかし、いくら考えても、彼は異変の原因を導き出せなかった。

 …というより、導き出したくなかったのかもしれない。

 だって、今この場で真摯に現状に向き合ったとして、判明する結論は、彼にとって最悪そのものだから。

 彼女の力の正体を知るなんて、彼女を格下だと思い込んでいる彼にはあまりにも酷だから。


 カイセンは、フラフラと起き上がりながらラディカに叫んだ。

「テメェッ!!遂に僕に一撃食らわせやがったなッ!!雑魚の相手をすんのはムカつくことだけどよォ!!だからってブン殴られんのはそれはそれでムカつくんだよォッ!!」

 しかし、そうは言いつつも、彼は先ほどよりも清々しい顔をしていた。

 ようやく、歯ごたえのある敵になった。こちらも“本気で”因縁を叩き潰すことが出来る。

 そう、彼は武者震いしていた。

 だが、それはあくまで、彼が『勝利』という甘々で瑞々しい未来を確信しているから作り出せる心の余裕に過ぎなかった。


 もはや、現実逃避に等しい。

 

 しかし、血沸き肉躍る戦いに溺れ始めた彼はもう、止まらなかった。

「テメェの力の正体が何であろうと、要は勝ちゃあいいんだろ!!??」

「なら、せっかくだからテメェに見せてやるよ!!魔族の魔術、その真髄を!!」

「きっと理解しろ!!テメェらと僕たちの間には、あのバリアーよりもどうしようもない壁が聳え立っていることをな!!!」


 そして、彼は動作する。

 彼が扱う得る魔術において最も強大なモノを、今、扱うために。


「≪匣天開門(ギョウテンカイモン)≫!!」

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