2 (10) 『当った者のふの悪さ』

 一


 爆発は、球形だったらしい。

 ラディカたち三人が居る“地下二階だった場所”は、爆発により出来たクレーターのちょうど中心になっていた。

 黒点は、クレーターの“ヘリ”に等間隔に並んでいた。

 全部で五つ。つまり五人の魔族。

 ただし、一人だけ、他四人が羽織っているフード付きローブに比べて、少々装飾が施されたゴテッとしたものを羽織っていた。

 十中八九、ソイツが五人の中で一番偉いヤツだった。

 (以下、彼を『装飾』と呼称。また、残り4人の魔族…、装飾の小間使いたちは『有象』と呼称)


 …こういう時、一番頼りになるのは年長者だった。

 ベイは、現状を即座に判断した後、魔族を前に恐怖で震えている娘二人に「俺の背後に来い!」と命令した。

 そして、彼は装飾に対し、一歩前に出た。しかし、彼は余計な真似はせず、相手の出方を待った。

 彼は怯えるラディカとマリエットを守るために、極めて冷静に、しかし対等に立とうとした。

 装飾は悠々と口を開いた。

「へぇ…、ほぉ…」

「…突然魔族が目の前に現れても狼狽えないなんて、相当の手練れなんだね、お前。…たまに僕たちの前に現れるフランガロの騎士や魔術師なんかは、ちょっと顔を見せてやるだけでパニックになって攻撃してくるから、話にならないのに…、ねぇ?」

 彼は綽綽と笑った。

「アレか、お前は冒険者ってヤツだね?」

 …その声に異質さのそれは無かった。彼の声はいたって青年の声であり、背丈やシルエットもまた、一般的な瘦せ型の男性でしかなかった。

 しかし、彼がフードの下からチラチラと見せる浅黒い肌と褐の眼は、あからさまに大陸の者ではなかった。

 何よりも、彼から醸し出される雰囲気が異質だった。それは存在しているだけで人間の恐怖心をくすぐり、彼を脅威だと知らしめた。

 装飾が話す言葉はスタンダードなフラン語だった。アホのラディカでも問題なく扱える言語だった。

 対話可能と知ったベイは、慎重に言葉を紡いだ。

「…お前たちの目的、それは分からない。お前たちとの利害関係が如何なものかも未だ無明じゃ…。じゃが、確実に言えることは、俺たちは他の人間とは違い、お前たちへの敵意がない」

「…俺は過去に何度か魔族と対面したことがある。尤も、それは今にラティア南部で繰り広げられているフランガロと魔族の小競り合い以前の出来事じゃったが…。とはいえ、俺は知っている。魔族は今や、大陸の人間を敵視していないことを」

 ベイの発言に、装飾はピクリと反応した。

「…ほぉ?へぇ?『盾突(イントツ)』の誰かに会ったのか。凄いね?そんな人間初めて見たかも?じゃあ、お前は“僕たちのこと”を知っているんだ?」

 話に食いついた彼を見て、ベイはチャンスだと考えた。

 彼は、話を続けた。

「あぁ、お前の言う通り、俺たちはフランガロの無知蒙昧とは違う。俺たちは理解している。魔族のことも、お前たちとの間に跨る歴史のことも。…じゃからこそ、俺たちは魔族への偏見を持っていない。…“お前も『盾突』の一人なら”俺たちと同じはずじゃ。お前と俺たちに壁はない。ただ、唯一、お前たちが警戒の矛を収めてくれさえすれば、俺たちは同じ歴史の視座で、対等な立場で話し合いをすることが出来る。…こちらの懐が怖いというのなら謹んで捨てよう。じゃから、お前も…」

 ベイは、ラディカにリュックを渡させた。そして、彼は魔導書を含めて、それらの全てを自分の手が届かない所に放った。

 彼は、いたって魔族と友好であろうとした。

 …ハッキリ言って、それ以外に全員が無事で済む希望が無かったから。


 …しかし、その希望により導かれた未来は失敗だった。

 装飾は舌打ちと共にベイを睨んだ。

 魔力の流れが揺らいだ。

 それと同時に、ベイの頭の奥からバキン、と小さな異音が鳴った。

「ぐッッ…!ゥッ…ァァアッ…!!」

 突如、彼は口元を抑え倒れ込み、苦痛に顔を歪ませた。

 余りにも突然のこと過ぎて、ベイの後ろに隠れていたラディカとマリエットには何が起きたのか分からなかった。

「ベイ!アンタ…、何で…!」

「なっ…、何がありましたの…!?」

 見ると、ベイは尋常じゃない量の血を吐いていた。二人は慌てて声をかけた。

 だが、ベイは彼女たちの心配を即座に遮った。

「マリエット!ラディカ!」

「…静かにしてろ!」

 ベイの鬼気迫る命令に彼女たちは気圧されて、緊張で声を枯らした。

 二人が押し黙ったことを確認した後、彼は口内から“砕けた奥歯”を吐き捨てた。

 そして、装飾を睨んで、悔しさ交じりの顔で叫んだ。

「無詠唱、無動作の破壊魔術…!」

「コイツは、“そういうことと受け取れ”ということじゃな…!?」

 装飾は気持ち悪く嗤って言った。

「賢人であろうお前の希望に応えられなくて残念だよ」

「僕は、お前たちの死が大好きな『寇(コウ)』だ」

 …ベイと装飾との対話の内容、その節々に飛び出す単語の意味、それらをラディカは毛ほども知らなかった。

 でも、これだけは理解出来た。絶望したベイの表情を見れば簡単に理解出来た。

 …あの魔族は、間違いなく“敵”なのだと。

「(せっかくみんなで助かった後なのに…!どうして…!)」

 突然の脅威、初めて見た魔族、理不尽な暴力、認めたくない危機…。

 それらの事実を脳裏の裏にまで焼き付けて、恐怖で顔を歪ませようとした時、ラディカは装飾に指差された。

 そして、告げられた。

「ようやく見つけた。魔族の大敵、憎く尊きガロの末裔」



 二


「ラディカ・ソ…、なんだっけ?まぁ、名前なんて何でもいいや。その憎たらしい銀髪と澄んだ碧眼を見れば偽物じゃないって理解できる。…そんな気味の悪い混色の奇形は『エリドゥ』の生き残り、ガロの末裔だけだ」

 装飾に話しかけられたラディカは、怯える目で彼を見上げて尋ねた。

「貴方は…、私に用事がありますの…?」

 装飾はラディカの全身を舐め回すように眺めて答えた。

「そうさ」

「僕はお前に…、というか、フラン家に滅んでもらいたくてしょうがなくて、だからわざわざ大陸までやって来たんだ」

「長い旅路に、戦いの日々だったけどね…。けど、こうしてちゃんとお前に会えたことは奇跡だと思うよ」

 奇跡、という単語にラディカは身震いした。

 …だが、同時に彼女は、彼の話から一縷の希望を見出していた。

「(私を殺すことが…、彼の目的…)」

 彼女は震える声で尋ねた。

「私に会うのが目的ってことは…、他の二人には用事がないってことですわよね…?」

「ん、まぁー、そうなるかな?うん、そうなる。正直、お前以外の大陸人なんざ“目的の上では”興味がない」

「…なら」

 ラディカは息をのんだ。その後、彼女は恐怖と必死に戦いながら、それでも大切な二人を守りたい一心で発した。

「私が大人しく首を差し出せば…、貴方たちは穏便に振る舞ってくれるということですわね…?」

 …何故、彼が自分を殺したがっているのか。どうして、その目的のために大切な二人までもが危機に曝されなければいけないのか。

 フラン家の背景も、魔族の背景も何も知らない、そもそも歴史に疎いラディカには、何もかもサッパリ分からなかった。

 けど、やるべきことは決まっていた。

 だからこその提案、だからこその自己犠牲だった。

 装飾は、その提案にニヤリと嗤おうとした。


 だが、次の瞬間、マリエットがラディカと装飾の間に割り込んだ。

「ふっ…、ふざけんじゃないわよ!!」

 感情を爆発させるマリエットを、ベイは慌てて抑えようとした。

 しかし、マリエットは彼を振り切った後、ラディカを庇うように前に出て、装飾に吠えた。

「ラディを殺す!?生意気なこと言ってんじゃないわよ!!…フラン家と魔族の間にある因縁は理解しているわ!けど!だからって、なんでアンタなんざポッと出のボケに毎日頑張って生きているラディを殺されなきゃいけないのよ!!」

「ラディはもうフラン家とは関係ない!ラディはもはやただの人間なの!!未熟な自分を成長させるために色んな苦労をしている女の子なのよ!!分かったらサッサと尻尾巻いて実家に帰れよ!」

「“歴史なんてしょうもない理由で”ラディの幸せを邪魔すんな!!」

 ラディカを守ろうと必死になって叫ぶマリエットに、装飾はため息をついた。

 スッと、彼はマリエットを指差した。

 瞬間、マリエットの額と彼の指が一本の細い糸で繋がったような気がした。

 そして、彼は一言呟いた。

「≪偏疾(ヘンシツ)≫」

 破壊力のこもった魔力が糸を伝い、マリエットの頭に流れ込もうとした。


 だが、その寸前、ラディカは咄嗟に装飾の指とマリエットの額の間に、つまり、攻撃の軌道上に飛び込んだ。

 魔力はラディカの頭に流れ込んだ。

 次の瞬間、彼女の頭は風船のように破裂した。

「ラディ…!」

 グロデスクに飛び散るラディカの血肉を浴びながら、マリエットは歯ぎしりをした。

 今に悔しそうに唇を震わすベイが彼女の肩を叩いて、首を横に振った。

 彼女は現実を恨めしく睨みながら言った。

「分かってるわよ…!今の私たちがアンタに守られてることなんて…」

「けど…、それに甘んじることが、本当に良いことなワケないじゃない…!」

「私だってラディを守りたい…!守りたいのに…!」

 気づけば、マリエットは膝からくず折れていた。

 血肉に塗れながらも何事もない五体で装飾の方へ歩みを進めるラディカを前に、彼女は己の無力を呪っていた。



 三


 装飾は、眼の前に突っ立つ下唇を噛んだラディカの顎を鷲掴んだ。次いで、彼は彼女の口を無理やり開かせようとした。

 ラディカは、持てる限りの力で抵抗した。が、装飾は既に自身に身体強化の変性魔術を用いていた。そのため、彼女の抵抗は無力に終わった。

 装飾は、彼女の口に指を二本突っ込みながら尋ねた。

「…おい、『祝福』はどうした?抵抗してみろよ」

 しかし、ラディカはただひたすら装飾を睨むだけで、約束通り本当に大人しかった。

「…なぁんだ。つまんない。僕は完全にお前と殺り合う気マンマンだったのに…」

「でも…、まぁ…」

 装飾は、思い付きでラディカの舌を掴み、グイと引っ張った。次いで、彼はラディカに「噛み切れ」と命令した。

 当然、彼女は素直に命令に応じなかった。が、装飾が一たびマリエットたちの方に指を向けようとしたならば、彼女は慌てて命令に従った。

 装飾はニヤニヤした。従順に命令に従うラディカに興奮して、というのもあるが、何より、次の瞬間には舌を生やしている彼女に興奮した。

「やっぱり、“超再生”を持つ相手は良いなぁ…。どういたぶって殺してやるか、想像が止まらない…!」

「…ハッ」

 見当違い

「私は…、死にませんのよ…?」

 そんな彼を、ラディカは鼻で嗤ってみせた。

 が、その嘲笑は、むしろ彼の興奮を焚き付ける燃焼材になった。

「ははっ!はははっ!じゃあ、お前が死にたくなるくらいバリエーション豊かに殺してやるよ!!ちゃんと死ねたら、死後僕に感謝しな!!」

 装飾は息遣いを荒々しくしながら、ラディカに様々をしてみせた。彼女の胸に腕を突き立て心臓を引き抜いたり、目と耳から指を突っ込んで脳味噌をグチャグチャにかき回したり…。

「あぁ…!そうだ…!“女性としての死”ってのも面白いんじゃないか…!?腹を引き裂いて、お前の卵巣を摘まんで、プチッと潰してやってさぁ…!」

 …だが、何をどうされようともラディカは無抵抗だった。

 彼女は、それがベストと思っていた。

 だって、自分には戦闘の経験がなくて、

 何より、機序が不明に感じてしまうほど卓越した魔術の使い手を相手にマリエットとベイを守る方法は、これしか思いつかなかったから。


 …しかし、その発想は視野狭窄だった。

 ラディカは失念していた。抑圧者、目の前で大切な者を好き勝手にされる者の気持ちというものを、まるで考えていなかった。


 そのせいで、マリエットは間もなく立ち上がった。

「やめて…」

「もう…、やめて…!」

「歴史はともかく…、今に私たちがアンタに何をしたっていうのよ…!」

「お願いだから…、私のラディをこれ以上汚さないで…!!」

 マリエットは、目に涙をにじませながら、恐怖と、怒りと、悔しさをごちゃ混ぜにした表情で装飾を睨んだ。

 …よく見ると、彼女は折り畳みの小さなナイフを両手で握っていた。それは、彼女がズボンのポッケから取り出した、現状持ち得る唯一の武器であった。

 装飾は当然、この挑発に反応した。彼は再びため息をついた後、ラディカをいたぶる手を止めて、マリエットの方に向こうとした。

 しかし、それより先に、ラディカは装飾の手首を掴み、彼の注意を引いた。

 彼女は、バックリ裂けた自分のお腹に彼の手を埋めさせながら言った。

「貴方の相手は…、私でしょう…?」

 次いで、彼女はマリエットの方を向いて、安心させるように懸命に笑ってみせた。

「だから、大丈夫だっていつも言ってるじゃない…。私は、死なないって…」

 だが、ラディカの空元気は、むしろマリエットの情緒を粉々に砕いていた。



 四


 …マリエットは、間違いなく賢い女性であった。

 様々なことに察しがつき、深い洞察が出来る人間であった。

 だからこそ、彼女は若干17歳ながら、冒険者という、専門性が高い知的活動を仕事にすることが出来た。


 本来の彼女は、当然理解していた。

 現状は、監房での一件と同じく、ラディカに全てを任せるべきであると。

 自分もまた、ベイのように下手に動かずに、今に行われるラディカへの非道に対し冷酷以上の冷静さを保つべきであると。

 分かっていた。

 自分にそうさせるために、今にラディカが必死に苦しみを押し殺していることも、彼女は十分過ぎるほどに分かっていた。


 しかし、彼女の怒りと屈辱…、強さの源流となる激情は、彼女に冷静で在ることを許さなかった。

 彼女は、それらを爆発させたくてしょうがなかった。

 愚かだと分かっていても。…だって、彼女は過去、その愚かさをもってラディカ"を手籠めにし、『ラディ』にすることが出来たのだから。

 未だ発展途上だけど、今にも続く、“ラディとの幸せ”を手に入れたのだから。


 彼女はそれを再び、この場において実現しようとしていた。

 実行しようとしていた。

 あの時のように、周囲の目も、ラディカの気持ちも何もかもを無視して、極限の横暴を振るって、そして、眼前の理不尽からラディカを奪い返そうとしていた。

 心の奥底では既にその覚悟は出来ていて、いつでも行動が出来た。


 …ただ、それでもマリエットが動かなかったのは、彼女の理性が完全に崩壊していなかったからだった。

 自分と、ベイと、ラディカの意思を守るために、崖際でかろうじて踏ん張っているからであった。

 しかし、その踏ん張りは、もはや生まれたての子鹿の足腰よりも弱々しかった

 彼女はたちまち愚かしさを発揮する精神状態にあった。自らという海に飛び込み溺れ死ぬにはもう一押しさえあれば十分だった。


 そう、もう一押しで全てが終わった。


 装飾は、マリエットの事情なんて知らなかった。

 しかし、彼は、マリエットが限界に達しようとしていることを理解していた。彼はその事実を、ラディカを弄ぶほどにグチャグチャな感情で歪んでいくマリエットの顔から見出していた。


 彼は不敵な笑みを浮かべた。


 装飾は、ラディカの耳元で囁いた。

「おい…、お前と“アレ”は友達か何かか…?」

「…は?」

 ラディカは、彼の質問の意図が分からなかった。が、答えに詰まった。

「『友達』…?」

 その単語は、彼女の想いに相反していた。まるで、

 …まるで、かつてのマリエットのように。

 だから、彼女は誇らしく答えた。

 彼女がマリエットのことを慕っていて、この上なく大切に想うが故に、

 答えてしまった。それが装飾を更に滾らせる燃料になるとも知らずに。

「友達なんかじゃない…!」

「マリエットは…、絶対に守らなきゃダメで、ずっと傍にいてくれなきゃダメな…、私の全てですわ!!」


 …その答えに装飾はニタリと嗤った。

「なら、これだね」

 次の瞬間、彼はラディカの身体を抱き寄せ、彼女に思いっ切り接吻してみせた。

「…!!!」

 彼はラディカを欲して震えるマリエットに見せつけるように、深く、深く、配偶者を奪い取るかの如くそうしてみせた。


 その光景に、マリエットの呼吸が止まった。

 震えが止まった。

 そして、彼女は喉の奥から声をけたたましく響かせ、肺が溜めていた熱気を一斉に放出させた。

「…ッアアアアアアアアアア!!!!!!」

「私のラディを返せェッ!!!返せよォッ!!!!!」

 怒涛の叫びの後、マリエットはナイフを握りしめて、装飾に向かって力の限りの脚力で駆け出した。

「ははははは!!大陸の害虫がよぉ!!一丁前に発情してんじゃねぇよ!!」

 装飾は、思惑通りになった彼女に対し、目をひん剥いて更に挑発した。

 それがまた、マリエットから冷静さを刈り取り、狂気へと彼女を貶めた。

「マリエット!駄目ッ!!」

 ラディカはマリエットを止めたくて、彼女の方に手を伸ばして必死に訴えた。

 同時に、彼女は攻撃の手をマリエットに向けようとしている装飾に意識を向けた。

「待って!攻撃しないで!!私が大人しく従う代わりに、貴方も穏便に振る舞うって約束でしたでしょう!!?」

「あぁ!?あぁ…、そうだっけかぁ!?なら、アイツのことは全力を以て一撃で殺してやるんじゃなくて、穏便に、手心を加えた殺傷性の低い魔術でじんわり殺してやることにするよ!!!」

 ラディカは途端、装飾の腕から放たれた。

 そして、装飾は詠唱をした。

 ≪尸位 変性 縛劫氷(バッコウコウ)≫

 無から出現した煌めく氷の粒が、ラディカの周囲を一気に覆った。

 その直後、氷の粒は膨張して一つの氷塊と化し、彼女を固め、氷塊の中に閉じ込めてしまった。

「さて…、ははっ」

 ラディカが完全に機能停止したことを確認した装飾は、改めてマリエットに向き合った。

「おい」

 彼の呼びかけに、ずっと黙っていた有象の全員が一瞬で彼の元に集結した。

「一応、コイツとの約束だからな。僕はここで見ておくから、お前たちでアイツをイイ感じに潰せ」

「『カイセン』様。イイ感じに潰す…、と言いますと?」

 有象の一人が尋ねた。

「ん、まぁー、何か、僕の趣味に合う感じにしてくれたらいいよ」

「…承知」

 装飾…、つまりカイセンの命令に従い、有象はマリエットを一瞬で取り囲んだ。

 マリエットは、立ちはだかる有象に唾を巻き散らして叫んだ。

「どけェッ!!!どけよォッ!!!私はラディを…!ラディを助けなきゃいけないんだよォッ!!!」

 しかし、無情にも、彼らは全員魔術師だった。

 彼らは略式の詠唱を行うと同時に、数十体のゾンビを召喚し、その人海でマリエットを一気に押し潰した。

「ぐッ…ッアッ…!!」

 マリエットは、ゾンビたちに圧迫されながらも、無茶苦茶な勢いでナイフを振り下ろして、必死に前に進もうとした。

 …だが、たかが折り畳みナイフ、たかが肉体的に疲労困憊な彼女の腕力。

 一方で、相手は大陸の人間より遥かに魔術に長けた魔族、魔術師の集団。

 弱い彼女は、どうあがこうとも、指先で軽く抑えられた蟻の如く、あまりにも無力にもがくことしか出来なかった。

「離せッ…!!離してッ…!!離してよォッ…!」

 弱弱しい、圧迫により呼吸すらままならない彼女の小さな声が屈辱的に漏れた。

 …次の瞬間だった。

 ズバン!と、マリエットの背後で火薬の炸裂音が鳴った。

 それと同時に、彼女を圧し潰していたゾンビの十数体が、糸が途切れたマリオネットのようにバタバタと倒れた。

「ベイ!!」

 身動きが取れるようになったマリエットは、彼に叫んだ。

 そう、ゾンビたちが突如として沈黙した理由は、ずっと息を潜めていたベイが隠し持っていたピストルを遂に抜き出し、有象の一人に向けて弾丸をブチ込んだからであった。

「マリエット!ゾンビはあくまで傀儡じゃ!ソイツと戦っても仕方がねぇ!術者を狙え!術者を殺せばゾンビは消え、道は開ける!!」

 そう言って、彼はもう一人、有象に向けてピストルを射出した。即座、ターゲットが絶命すると共に、更なる数のゾンビたちが倒れた。

 唐突に現れた脅威に対し、残る有象三人とカイセンがベイに目を見張った。

「あのピストル…、フランメリカ製の『ル・ダン』…とか言ったかな?確か、弾倉7発で、回転式?とか何とかそんな機構の…。いや、それにしたってよくも今の今まで隠していたな、あの狸…。なるほど、リュックを投げることどころか、最初の会話すらブラフだったのか…」

 そう、ブツブツ言って状況を分析するカイセンの前に、有象の一人が慌ててやって来た。

「カイセン様!ピストルです!それも随分強力な…!」

「見りゃ分かるよ。ありゃあ、簡単な魔術での防御程度なら簡単に貫くね…」

「分かっているのなら命令を下さい!もしくは、あの男を殺す許可を!」

「ん…、まぁ…」

 カイセンが顎に手を当てて考え事をしている間にも、ベイの攻撃は止まなかった。

 もう一度、銃声が鳴った。

 直後、先ほどまでカイセンの傍にいた報告者の有象が頭から血を吹き出してバタリと倒れた。

「…ッ!外した!」

 ベイの狙いはカイセンであった。

 彼は、油断を突いて最大の脅威を排除出来なかったことを悔やみつつも、もう一度、鋭い眼光と共にピストルを構えた。

 若干、焦りを見せたカイセンは舌打ちと共に動いた。

「…ックソが!ただでさえ、この僕に機械なんか見せつけやがって、イライラしてんのに!!」

「部下が殺されんのは別にどうでもいいけどよぉ!!僕に思考を急かそうとするってのが、ムカつくにも程があんだよ!!!」

 …彼の“動く”とは、つまるところ魔術であった。

 それも、殺気を以て対象に送る、見敵必殺の破壊魔術。

「≪槍万礫(ソウバンレキ)≫ッ!!」

 瞬時、ベイの足元が少し光ったかと思えば、何十本もの土の槍が地面から飛び出した。

 槍はベイの身体の至る箇所を貫通した。腕に、足に、腹に、肩に、首に、心臓に、脳に…。

 …それは、かつてのラディカにとっては何て事のない魔術だった。

 しかし、ベイには、ベイにとっては違って、彼は完全に人型の肉塊に変わってしまった。そして、ピクリとも動かなくなった。


 ピクリとも動かなくなった。


「え…」


「ベイ…?」


 あっけなさ。


 有象の一人と取っ組み合っていたマリエットは、ピタッと硬直した。

 そして、目に、脳に、ベイだったソレを焼き付けた。


 眼前に映る受け入れがたい現実


 冷や汗が止まらない

 目の焦点が合わない

 口蓋が開いたり、閉じたりして定まらない


 脳ミソがかき回される

 何も思考できない

 何も分からない


 受け入れられない

 分からない

 けど、目の前にはそんな現実あって、それに曝されている


 絶望が、あまりの絶望が溢れ出る


 彼女はもう、身動きが取れなかった。


 そんな彼女を目にして、カイセンは、今に死を司る彼は、顔面を紅潮させ、ゾクゾクと身震いさせながら言った。

「良い表情…!」

「大丈夫…、お前はコイツと違って、たっぷり屈辱と恥辱を与えて、しっかりと僕の快楽の糧にしてやるから…、さぁ…?」

 そして、カイセンがゾンビを使役する有象二人に命令しようと、

 口を開こうとした、

 死が見えようとした、

 その瞬間、


 マリエットの瞳には、死でも何でもなく、氷漬けにされたラディカが映った。

 自分に対し、切羽詰まった表情を見せる、悲し気な彼女が映った。


 …それは、己が本性に従った末路か?

 少なくとも、愚かしさに身を包んだ代償であることは確かだった。

 罪は罪か?

 しかし、こんなのってあんまりだ。


「ラディ…、ごめん…」


 マリエットの最期は、後悔にまみれていた。


「アンタに伝えたいこと…、まだ沢山あったのに…」

「本当に…、バカな私でごめんなさい…」


 そして、カイセンから一言が発された。

 無数の暴力が、マリエットを目指して一気に蠢いた。



 五


『止まない雨はない。しかし、自分が生きている間に止むかどうかは分からない』



 六


 …音がした。

 カイセンが道楽的狂気の全てを終えた後、氷漬けにしたラディカに絶望を見せてやろうと、自ら氷塊を割ろうとしたその時、バキン、と音がした。

 術を解除したワケではない。

 しかし、氷塊は幾つもの亀裂を走らせて、遂にはボロボロと崩れていった。

「…は?」

「…その氷塊は物理的な拘束というより、存在の封印に近い。だから、コイツの物理的な破壊は不可能なハズだけど…」

「お前、今、どうやって魔術を解いた?」

 カイセンの問いかけに、魔術を完全に解いたラディカは反応しなかった。

 ラディカはただ、クレーターに惨く転がる、串刺しになったベイと、ゾンビに全身を貪り尽くされたマリエットを見つめていた。

 そこにある二つの肉塊を、感情のない顔で、脳を激しく揺らす無数の激情で、見つめていた。


 ラディカは呟いた。


「私は…」

「二人と違って、死なないって…」

「言ったのに…」

「そう、何度も言ったのに…!」


 しかし、涙は零れなかった。

 なにせ、今は悲しむ時間じゃないのだから。

 敵意と、殺意の時間なのだから。


 だから、ラディカはカイセンの方に向いて、真っ黒な顔で、純粋な気持ちで問いかけた。


「ねぇ、魔族…?」

「お前だって、私とは違うのでしょう…?」

「お前だって、あの二人と同じで…」


「死ぬのよね?」

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