2 (9) 『唐突に貴賤なし』
一
運が良いことに、監房を出た先は地下の最奥に通じていた。
ラディカとマリエットは、最奥の部屋を隈なく探索しているベイを他所にのんびりとしていた。
「あぁ、疎い…」
「でも、布という物質に伸縮性が在る事実にだけは感謝しなければなりませんわね…」
ラディカは、自身の血で完全に赤黒に染まり切ったベトベトの服をうっとおしそうにバサバサと振った。
「服は復活には関係ないのね?」
マリエットは、ラディカの肩にもたれながら尋ねた。
「そうなんですのよねぇ…。さっきみたいに身体を削るだけなら五体も服も損傷無いんですけど、爆炎に巻き込まれたり、槍で貫かれたりすると、五体満足でも服が捥がれてスッポンポンになっちゃうから…」
「この“シスターさん”だけは何があっても無事なんですけどねぇ…?でも、服だけはどうも気が利かなくて…」
「本当、恥ずかしいったらありゃしないですわ…」
「ふぅん…」
「思ったより不便ね?」
「ホント!融通が利かなくてたまったもんじゃありませんわ!服も、『祝福』も!」
ラディカは、オーバーリアクション気味に呆れてみせた。
少しのわざとらしい沈黙の後、二人はプフッと噴き出した。
心に何のつっかえもない。互い、同じ背丈で何の気兼ねもなく楽しそうに笑い合った。
……
…
「…それで」
「ベイ?“本”の内容はどうだった?」
マリエットは、視線の先にいる、本の1ページ1ページに神妙な顔で目を通しているベイに問いかけた。
最奥の部屋で発見できたのは、結局、たった一冊の本だけだった。
しかし、たったそれだけでも十分な収穫と言えた。
なにせ、その本は、最奥の部屋の中央にポツンと佇む祭壇の上に、正に貴重なアイテムとしてディスプレイされていたのだ。きっと、大層なものに違いなかった。
…逆に、これで大したものじゃなかったら、ホントどうしようかね。
しかし、問題は精査の以前にあった。
「…読めねぇ!」
ベイは本から顔を離し、悔しそうに、しかし嬉しそうに叫んだ。
「おい、何だぁこの文字ぁ!まるで見たことがねぇ!」
「おいマリエット!こういうもんはお前の得意だろ!?ちょっと読んでみろ!」
そう頼まれたマリエットはノソノソとベイの傍に寄った後、本が紡ぐ文字を少しだけ眺めた。
だが、彼女はすぐに本から目を離して、頭を抑えた。
「あー、頭回んない…。とりあえず魔導書だってことは分かるけど、何の魔導書かまではサッパリ…」
「魔導書!?もしかして、魔族の魔術でも載ってんのか!?そりゃあいいや!魔導書のコレクションは悲しみの金欠時代にジーヴルの野郎に殆ど買い叩かれて尽きてたんじゃ!」
「…九年前の金欠は、アンタがフランメリカのカジノにハマったせいだから自業自得でしょ」
「よ、よう覚えとったな…」
「それに、せっかく“三人で”掴み取ったお宝をただのコレクションにしちゃう気?もったいないわよ、そんなの」
「…何か案があるんじゃな?」
「えぇ、この本を一目した瞬間に思いついた、とっておきのアイデアが一つね」
そう言って、マリエットはベイから魔導書をひったくった後、丁寧に閉じ、ラディカに差し出した。
「これ、アンタにあげる」
「えっ…」
ラディカは、唐突なオファーに戸惑った。
「でっ、でも、それ、魔導書ですわよね…?私、魔術師じゃないから持っていても意味がありませんわよ…?」
「有用性で言うなら私たちの誰が持ってても仕方ないわよ。この中の誰も魔術師じゃないんだし」
「そ、それでも、どうして私に…?」
そう、ラディカに尋ねられて、マリエットは色んな想いを頭によぎらせた。
ラディが一番活躍したから。みんなを救ってくれたから。誉め言葉や感謝は止め処なかった。
しかし、彼女が魔導書を渡した思惑は、そんな記念碑的なものではなかった。
「ラディ、これは重要な話だけど、道具は一問一答的な目的だけで捉えてはいけないわ。魔導書は魔術を覚えるだけのものではない。好古家の貴族の手に渡れば珍味なコレクションになるし、冒険者の手に渡れば解読の対象になる。…特に、それが過去の言語で描かれていればいるほどね」
「この魔導書に用いられている言語は、おそらく衛星国ラティアより更に以南…、それこそ、『マザール』のものだと推測できる。それで…」
「…マザールかぁ!!すげぇ掘り出し物じゃなそりゃ!!」
「ベイ、黙って。…ごめん、アホが話の腰を折っちゃって。…それで、もしこれがマザールの言語で書かれた魔導書だとすると、これを解読できるのは特別に優秀な冒険者だけになるわ」
「な、なら、尚の事マリエットかベイが持っていた方が良いシロモノじゃありませんの…」
「“今”だけを鑑みるとそうね。でも、“将来的には”違うかもしれない」
「…?」
マリエットの含みのある言い方は、アホのラディカには伝わらなかった。
一方で、悠々とマリエットの意図を理解したベイは、「そういうことなら大賛成じゃ」とマリエットに伝えた。
ラディカは、じれったくなってマリエットに単刀直入に尋ねた。
すると、彼女はハッキリと答えた。
「ラディ、この魔導書を使って解読の方法を勉強なさい」
「心配しなくても、私もベイも手取り足取り方法を教えてあげるから、時間をかけてゆっくりと学んでいって…」
「…ゆくゆくは、私なんかも超えた冒険者になっちゃいなさい」
拍子抜けだった。だってそれは、ラディカとマリエットの間からすれば、“古本の歴史書で歴史を勉強すること”よりも大人なことで、強く、成長するための道だったから。
ラディカは思わず尋ねた。
「い、いいの…?私が歴史を勉強しても…、貴女たちに近づこうとしても…?」
「むしろ、近づいてもらわなきゃ困るわ」
「だってアンタは、もう立派な仕事仲間…、冒険者仲間なんだからね」
…これからは、荷物持ち以外にも色んな仕事を覚えてもらうわよ?忙しくなるから覚悟なさいね?
そう、照れながら伝えるマリエットを前に、ラディカは全身を震わせた。
同時に、ブワッと嬉し涙を溢れさせた。
「ちょっ、ちょっとぉ…!なによ…!そんなに泣いちゃって…!魔導書が濡れちゃったらどうすんのよ…!」
「だって…!だって…!ようやく二人と同じ場所に立てたから…、嬉しくて…!胸がいっぱいで…!その…、うぅ…!うぐっ…!」
そして、ラディカは大声を上げて泣きじゃくった。
あまりの感涙気味に、マリエットとベイの二人もつい貰い泣きをしてしまった。
三人、魔導書を中心にして抱き合った。
ここにはもう、未熟な人間なんて一人もいなかった。
二
…ラディカには多くの出来事があった。
それは、全ていきなりの出来事で、しかも、悲しい出来事ばかりだった。
しかし、彼女はそんな出来事の数々の中で、もがき続けた。
もがき続けることが出来た。
『祝福』のおかげで。
彼女はもがくことで必死に困難を乗り越え、そして、悲しみの先にあったかけがえのない輝きを手にすることが出来た。
彼女は未だ、何故自分にこんな力が与えられたのか、分からなかった。
かつてのシスターさんは、この力について何やら知っている風だった。マリエットもそうだった。なら、二人に聞けば、この力の秘密が分かるかもしれなかった。
けど、そんなもの、彼女は聞く気になれなかった。
彼女は、もはやどうでも良かった。『祝福』が根ざしているものがどうであれ、確実に言えることは、これは『立ち上がること』を許してくれる力なのだ。
そう、自分が認識しているのだ。
それでよかった。それだけでよかった。
『祝福』は、自分と素敵な人たちとを繋ぎ止めてくれた、正に神からのギフトであると、その認識だけで十分で、
ならば、どんな唐突な出来事だって『祝福』で乗り越え得る試練で、幸せなるための過程だと理解して、愛することが出来た。
…そう、楽観していた。しかし、それは彼女の思い込みでしかなかった。
彼女は知らなかった。
自分以外の視座において、『祝福』と『フラン家』が、どのような意味を持つかを。
何より、『祝福』があろうとも、どうしようもない出来事があることを。
後に、彼女は知ることとなった。そして酷く泣き狂った。
三
三人は無事、最奥から聖堂らしき部屋まで戻ってこれた。
帰宅は確定事項だった。実のところ、ドゥオーモ大寺院の探索はまだ満了していなかったが、疲れ切った三人はもうそんなことどうでもよかった。
ベイは、魔導書だけを抱えて重い足取りでヨタヨタ歩いていた。
ラディカは、マリエットから返してもらった聖骸布を羽織り、食料が無くなって軽くなったリュックを背負いつつ、そんなベイの歩く速度に合わせて歩いていた。
マリエットは…、
…あんなにもキリッと話していたマリエットは、今、ラディカに抱っこされていた。
もちろん、マリエットの方から飛びついたのがキッカケの抱っこだった。
彼女はラディカの胸に顔を埋めながら、むにむにと喋った。
「もー疲れた…。早くメラヴィアに帰って寝たい…。三日はゴロゴロしていたい…」
「ねぇー…?ラディもそう思うよねー…?」
「えぇ…?えぇ…、そう…、ですわね?ふふっ」
返事の歯切れが悪かった。ラディカは答えることを余所に、マリエットを眺めてニヨニヨしていた。
マリエットは、少し不服そうな表情で尋ねた。
「…何?アンタ、もしかして恥も外聞もなくアンタに甘えている私のことを可愛いとでも思ってる?」
「いやぁ…、まぁ…、確かに、今のぐでぐでなマリエットは遊び疲れた子どもみたいで可愛いなって思ってましたけど…」
「はっ、私を子ども扱いするなんて100億年早いわ」
マリエットは、両手両足で更にガッチリとラディカに抱き着きながら言った。
より一層ラディカの身体に包まれながら強がる彼女は、何だかよく分からなかった。
…だが、態度はともかく、今にマリエットがラディカを調子に乗らせないことには理由があった。
「アンタは冒険者としてはたくましくなったけど、人間としてはまだまだよ。だって、未だに『自分はラディカ病』が治ってないじゃない」
「えっ…!?い、いやぁ?私はもう悪女なんかじゃないと思いますけど…」
「…私たちの前ではね。他人の前ではどうよ?」
「あっ…、あー…」
「…そんなことありませんわよ?」
ラディカは、露骨にしどろもどろになって答えた。
「ふぅん、どうだか」
「じゃあ、たとえば、子どもがアンタのズボンに三段アイスをぶつけたとして、アンタは次にどんな行動を取る?」
「えっ…、えっと、私が履くであろうズボンって、きっとマリエットが仕立て屋で注文してくれた特注品ですわよね?そんな大切な物を汚されたんだから…」
「…子どもの、アイスを持っていた方の腕を引き裂く?…あっ!そうか!子どもを傷つけるのはダメだから、代わりにその子の親の腕を引き裂く!」
割と真剣にそんなことを言うラディカを見て、マリエットは「ね?コイツまだまだヤバいでしょ?」と言わんばかりの顔でベイを見た。
「ラディカは…、そうじゃな、まずは根本的に『敵意のむなしさ』ってもんを知らなきゃならんな」
「敵意のむなしさ?」
「そうじゃ、敵意ほど空しくて、虚しいもんはないんじゃ」
「でも、敵は倒さなきゃじゃない」
ラディカは、純朴な表情でベイに尋ねた。
ベイは、子に人生訓を教えるように優しく答えた。
「そもそも敵なんてもんは自らの心の壁が作ってると理解しなきゃならんのじゃよ。世に敵なんてもんはおらん。どんな争いも、憎しみも、自分の手で作り出しているものに過ぎんのじゃ。だから、どんな敵との争いに勝っても、憎しみをもって敵を駆逐しても、残るのは空虚しかない」
「どんな大義名分があろうとも、敵意を向けるなんて行為は、自分の尻から出した糞を食い散らかしているような生産性のない自己完結なんじゃよ。…俺はな、自分の子どもみたいに可愛いお前には、そんなむなしいことに溺れてほしくない」
…それは、彼の本心だった。しかし、その話はアホのラディカにはあまりにも難し過ぎた。
「…???????」
ボケたラディカにマリエットは言った。
「ま、まぁ、ベイみたいに達観し過ぎるのも人生つまらなくなるから、そこまで深くは考えなくて良いと思うわよ?」
「…ただ、ラディに暴力性を捨ててほしいってのは私も同意かな。ラディは強いんだから、誰が相手でも心に余裕をもって超然と対話をしてほしいわ」
「簡単に暴力に訴えちゃ駄目よ?仕返しとか、復讐とか、相手を見下して、いたぶって遊ぶとか、やっても虚しいだけなんだからね?」
「む、むむむ…」
…首をひねるラディカは、いつの間にか隠し通路を抜け、寺院地下から地上に続く階段まで到着していた。
歴史的建造物特有のバリアフリーもクソも考えられていないチグハグ石段クソ階段を前に、マリエットは「流石に降りるわ」と、ラディカから飛び降りた。
外の明かりは、ラディカたちが居る地下二階にまで届いていた。けど、明かりは微かだったし、異様に白かった。
多分、外は夜だった。でも、ここまで光が届いているということは、きっと快晴で、満点の夜空のはずだった。
ラディカが階段の一段に足をかけた時、マリエットは階段を二、三段、タッタと駆け上がった。
ラディカは、マリエットにあっけなく抜かされた事実をポカンと見つめた。
背後から見るマリエットの背は、自分の背丈と比べたらずっと小さい。けど、不思議と感じる彼女という存在の大きさには、まだまだ追いつけないと思ってしまう。
ラディカは、思わず俯いた。見上げることが少しだけ辛くなったから。
…けど、そうやって落ち込む彼女に、マリエットは振り向いてスッと手を伸ばした。
そして、彼女は口を開いた。
「迷わないで」
「だって、ラディ。私の一番の願いは、アンタに…」
言おうとした。
何か、本当に大切なことを。
…しかし、その言葉は、ラディカの耳には届かなかった。
何故か?
何故なら、マリエットが想いを伝えようとした次の瞬間、突如発生した途轍もない爆音と爆風が彼女たち三人を襲い、吹き飛ばしたからであった。
…地下にいた三人は、奇跡的に怪我がなかった。
しかし、突然の爆音と爆風は、どうやら爆発だったようで、ドゥオーモ大寺院の地下一階から上を完全に消し飛ばしていた。
吹き抜けになった地下二階の天井、美しい夜空の下で三人を見下していたのは、幾つかの黒点だった。
…とどのつまり、人類の大敵、魔族だった。
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【人物紹介】
『ラディカ』
ラティアは風呂がないから微妙に嫌い。身体拭くだけで終わりとか頭おかしいんか。
『マリエット』
風呂に入るよりやりたいことを優先する。風呂どころかしばらく着替えなくても全然余裕。
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