2 (7) 『命短し愛を勝ち取れ』

 一


 隠し通路を抜けた先に広がる空間は、ここが地下であることを忘れさせる程に広々としていた。

 部屋の造りは石レンガ。内部はまるで聖堂のような家具と装飾が揃っており、奥には更なる通路があった。

 未知なる空間に興奮したラディカは、無警戒に「うぉー!」と叫んだ後、マント代わりにまとった聖骸布をはためかせながらはしゃぎ回った。

 一方で学者の二人は、彼女のようにはしゃぎ回りたい気持ちを抑えながら、警戒心ムキ出しでこの空間について考察を進めていた。

「…これさ、この聖堂の装飾の仕方、アレに似てない?ほらあの、エコー海近くの…」

「『スティルキタン市街跡』か。じゃがアレは王国建国前の遺産じゃろ?ドゥオーモ大寺院の建立が800年前であることと嚙み合わん」

「噛み合うわよ。ここの設計者が何を信仰しているかでね」

「あぁ…、そういう…。なるほど、なるほどなぁ…」

 …よく分からない会話をしていた。

 二人にとって、この空間は未知に満ち満ちていた。

 ただ、未知がありふれている一方で、今に二人が最も警戒している点はたった一点に絞られていた。

「ねぇマリエット!明るい!この部屋明るいですわ!ねぇ何で!?何でなのかしら!?」

「…やっぱり、一番気になるのはそこだよねぇ」

 隠し通路を通る手前、寺院内の明度は火でも起こさなければ周囲の目視が難しいほどだった。

 しかし、今に三人が居る部屋は、まるで蛍光灯でもぶら下がっているのかというほどに明るかった。

「…灯りの正体は十中八九魔術じゃ。俺は魔術師じゃねぇから何の魔術かまでは分からんが、魔術が施された遺跡については幾らか知っている。『サントルヴァル』『トレニー』『ヴォ―』…、どの遺跡も、最奥には途轍もない宝が眠っておった」

「…宝!?…いや、宝ねぇ…」

 ベイの経験談に、マリエットは一瞬、冷静さを欠きそうになった。

 だが、彼女は興奮してはならなかった。ベイもそう。ここは未知の領域なのだ。どこに危険が潜んでいるのか分からないのだ。

 マリエットは、思わず上がろうとする口角を必死に抑えながら、腕を組んで沈着ぶるベイに尋ねた。

「私、魔術が施された遺跡なんて初めてだから分かんないんだけどさ、もしかして、その宝の周囲には…」

「あぁ、もちろんじゃ。その手の宝の周囲には、魔術で仕掛けられた殺人トラップが存在して…」

 と、ベイがそこまで話したその瞬間、どこかからグサグサと肉が鋭利なもので刺されたような音がした。

 二人は驚いて周囲を見回した。異音の原因はすぐに見つかった。

 …部屋の中央にある謎の石像に触れたラディカが、地面から突き出した石の槍数本で串刺しになっていた。

「…ラディ!!」

 痛ましい悲鳴が部屋に響いた。

 二人は慌ててラディカの元に駆け寄った。しかし、当のラディカは喉に胸に腹までも槍に貫かれていて、明らかに生を保てそうな形をしていなかった。

「そんな…、ラディ…!」

「なんて…、ことじゃ…!」

 マリエットは、槍を中心に出来た血の水たまりの上でベチャッとくず折れた。

 ベイは、あまりにもあっけない人間の死に顔を真っ青にした。

 そして、肝心のラディカはボケッとした顔をしていた。

「あー…」

「なんか、久々に死んだ気がする…」

 ラディカは、もう一度石像に触れた。すると、槍はそそくさと立ち去るように地面に仕舞われていった。

 「あー、痛」と喉を撫でる彼女には、既に傷の痕すらなかった。

 マリエットとベイは、狐につままれたような顔でラディカを見た。

 だが、ラディカは二人の様子をまるで気にも留めていなかった。何故なら、彼女にとっては死は、時々足を運ぶ近所の公園のようなものだから。

「あーあ、せっかくマリエットから貰った服が血まみれ穴まみれ…。もー…」

「あ…、でも、こういうドッキリトラップを見ると、まるでファンタジー小説みたいで興奮しますわよね!私、今更だけど、なんだか冒険者―って感じしてきましたわ!」

 …呑気にそんなことを言ってキャッキャとはしゃぐラディカに、二人は完全に気が抜けた。

 二人の頭には、まだまだ懸念があった。

 この部屋の正体。宝の正体。トラップの危険性。このまま探索を続けるかどうかの判断。

 加えて、地味に初めて見たラディカの再生と復活に対する考察。

 でも、二人は何もかもどうでも良くなった。

 だって二人は冒険者だもん。未知の発見なんてめっちゃ興奮する。

 二人はもう、今の状況を無邪気に楽しむラディカを見習うことにした。

「っぷ、なはははは!そうじゃな!ファンタジー小説みたいな冒険をしてこそ冒険者じゃよな!」

「そうよね!そうよね!その通りよね!大発見を前に引き返すなんて有り得ないわよね!そうと決まれば!さー!前進しましょー!」

 そうして、舞い上がった三人は勢いのまにまに奥の通路へと足を踏み入れた。

 当たり前のことだが、そこには無数のトラップがあって、三人はまんまとそのうちの一つ、落とし穴トラップに引っかかった。

 三人、落下の瞬間に顔が引き攣ったことは言うまでもなかった。



 二


 今更ながら、ドゥオーモ大寺院の解説。

 ドゥオーモ大寺院は、メラヴィア国北北東、ソリティ川沿岸に建つ寺院である。

 建立はヌヴェル200年頃。

 目的は創造神ガロの崇拝と、寺院聖堂としては一般的。

 名前に『大』と付くだけあって建物はかなり大きい。ただし、巨大なのは一階の平屋部分だけであり、一応備わっている地下はアパートの一室並みに狭い(天井だけやけに高い)。そのため、地下は事務所か倉庫だと考えられている。

 人里からかなり離れている。

 過去、ここは魔術師の修業道場であった。しかし、神学校以外での魔術師の育成を脅威に感じた王国が圧力をかけたため、寺院は建立からたった20年であっさり放棄された。それ以降、寺院と周囲の土地は国や貴族の元を転々とし、現在は好古家の貴族の手元にある。

 現在では、たまに修行僧の魔術師が巡礼に訪れることがある。雇われ冒険者が探索に来ることもある。

 以上。

 特筆すべきことはこれ以上ない。

 それくらい歴史的重要性が薄く、宗教的価値もない、デカい割に貧相な寺院。

 それが、ドゥオーモ大寺院。しょうもない寺院。

 …そのはずだった。


「…しかし、隠し通路の先に発見された一室によって、寺院の価値は一変した。そこに備えられた石像は『フェルメ・フラン信仰』のものだと考えられ、装飾は衛星国ラティアの文化のものと類似している。部屋の隠し方からして、空間転移の魔術が扱える術師…、少なくとも、“統一規格”で言うところの高位魔術師のみが集った空間なのだろう。…かつての実力者たちは、ここで何をしていたのだろうか?何を隠していたのだろうか?尤も、私たちは只今にこれ以上の情報を獲得し得ないので、結論は出さずにおこう…」

「ふぅ、こんなものかな?続きはまた今度書こーっと」

 マリエットは、凝った肩を軽く回した後、手記と鉛筆を懐に仕舞った。

「続き…」

 顔面蒼白なラディカが反応したその単語。それは、未来を指す単語。

 …ハッキリ言って、ラディカたちの現状は絶望的だった。

 アホみたいな理由で落とし穴に引っかかり落下したココは、殆ど密室だった。

 周囲は岩盤のような一枚岩が覆っている。天井と床は石。その上で、天井に存在するはずの三人が落ちてきた穴はいつの間にか“存在していない”。

「…恐らく、魔術的効果による物質透過がトラップの種なんじゃろうな。贅沢な。干渉効の無視は高位の魔術じゃ叶わんかったはずじゃがな?」

 唯一、この部屋と外との接続は、南方の壁面に厭らしくそびえ立つ鉄製の扉と、その左隣にちょこっとある通気口のみ。

 扉は、恐らく下に仕舞われていく形で開く門タイプ。当然だがカギは開いていない。というか、多分鍵で開ける扉じゃない。

「つーか、即死トラップじゃなくて落とし穴を用意する神経がよく分からないわね。それも、開閉可能の監房に繋がっているってのが意味不明…」

「アレじゃないか?ここまで侵入してきた相手は憎しみをもっていたぶり殺したいとか」

「悠長ねぇ。入ってきてほしくない場所に入ってきた奴相手に行動の余地を与えるなんて危険でしかないのに。脱出されたらどうすんのよ?」

 手持ちのあらゆる道具を用いても突破できなかった鉄の扉を前に、呑気に考察を駄弁るマリエットとベイ。

 そんな二人の一方で、ラディカだけが現状に慄いていた。

「(何で…!私と違って、二人の命は有限なのに…!)」

 どうにかしなきゃと酷く焦るラディカは、震えた声で言った。

「だ、脱出が不可能な場所に閉じ込められましたのよ!?私はともかく、二人はこのままじゃ死んじゃいますのよ!?」

 ラディカには、どうして二人が全く焦っていないのか、それどころか、楽しそうに考察話が出来るのか毛ほども分からなかった。

 二人だって、今が危機であることは理解しているはずだ。だって、二人も最初、ココに落ちてきた時は焦っていたもの。

 それが、なんで、どうして。今になって、二人は自分が死んじゃっても良い風なの?

 ラディカは、怒るような、悲しむような顔で二人を睨んだ。

 だが、二人の態度は変わらなかった。二人は少し見合って、示し合わせるように頷き合った後、優しい表情でラディカに接し始めた。

「まぁ、焦ったってしょうがない時ってのは往々にあるもんじゃ。特に俺ぁ、今までの経験でそこら辺がよく分かってんじゃよ」

「そーそ、私はこんなの初体験だけど、少なくとも、焦っても体力を消費するだけってのは理解できるわよ。ラディも気楽にしていなさいな。ほら、『止まない雨は無い』って短絡な言葉があるでしょ?今こそ、そういう馬鹿馬鹿しさを信じてみましょうよ」

「な、なにそれぇ…、そんな達観で、本当に事態が好転しますの…?」

 現状に対し爽やかな笑顔を見せる二人に、ラディカは逆に気圧された。彼女は空気に負けて、肩の力を少し抜いてしまった。

 ラディカは緊張こそ解けたが、未だ不安な顔をしていた。眉をへなっとひそめ、口を開いたり閉じたりした。

 その、感情の迷子のような表情は、マリエットの琴線に強く響いた。次の瞬間、彼女は「何!その可愛い態度!」と喜んでラディカに飛びついた。

「ちょっ…、急に飛びつかないでくださいの…!頬ずりしないで…!く、くすぐったい…!ふ、ふふっ…!ふふふっ…!」

 ラディカは無神経にじゃれてくるマリエットを前に、遂に笑みをこぼしてしまった。

 その笑顔を見て、マリエットも嬉しそうに微笑んだ。

「そーそー、アンタはそうやって笑顔でいたらいいのよ。心配しなくても、私たちは最期の時までアンタの傍にいるんだから、アンタこそ私たち以上に呑気に惚けてたらいいのよ」

「そ、そう…?マリエットがそこまで言うなら…」

 そして、ラディカは不安を燻ぶらせることすら止めた。

 ベテランの冒険者である二人が焦ってもしょうがないと言うんだ。

 こんなに自信たっぷりなのは、きっと、二人に何か秘策があるからなんだ。

 “現状を何とかしなきゃなんて、二人を差し置いて私が考えなくてもいいんだ”。

 そうして、ラディカは思考することを止めた。

 その危険性を、過去の経験からよく知っているだろうに、彼女は愚かにも二の轍を踏んだ。

 馬鹿が。



 三


 閉じ込められてから8時間。

 三人には少しばかりの物資的余裕があった。リュックの中には、多くはないが非常用の飲食物が備わっていた。

 三人は、ベイが組んだ計画の下、それらをチマチマと消化していた。

 …閉所に長時間居て、頭がおかしくはならないのか?

 そうならないために、三人はダラダラと駄弁り続けていた。

「…だからね?この世界には三種類の歴史があるの。神学校発布の“通史”、禁書に記された“記録”、それから、私が書いた『論考』の“下巻”が示す“現実性を備えた仮説”。尤も、殆どの一般人は一種類の歴史しか知らないし、王家やフラン家、他に禁書や王国建国以前の遺産暴いた人間は二種類の歴史しか知らない」

「三種類の歴史が存在していると理解しているのは、ごく一部の冒険者と冒険者組合の総本山、『テーネ自由都市』のお偉いさんだけ。まぁ、数が極端に少なくなるのは当然よね。私の凄さを理解できる人類なんて、この世に数えるほどしかいないんだから」

「おぉ、尊大じゃな」

「事実でしょ?ならアンタ、私の“仮説”を崩せるっていうの?」

「なはは、そりゃ無理じゃ」

「ったく、私の自信過剰にケチつけるんじゃないわよ。…それはともかく、ラディ、ここからの話が肝心よ」

「…この世界には三種類の歴史があるって、私はさっき言った。でも、それは厳密には間違ってるの。私の見立てが正しければ、歴史は、あと三つは存在する」

「一つに、魔族と新大陸、『リベレ・フラン』を含めた“世界史”。二つに、ガロや魔術の根源を含めた“人類史”。三つに、『祝福』の力を含めた、この世界の“創世記”」

「出た出た、マリエットの大口が。あのなぁ、魔族やガロを考察に含めた歴史は理解出来るが、最後の一つはあまりにも突飛過ぎるじゃろ」

「突飛!?馬鹿言ってんじゃないわよベイ!『祝福はこの世界の外、“原初”からやってきたか、自然を包括する神である』、この“現実性を持たない仮説”が少しずつ現実味を帯び始めているのは、ラディっていう存在に邂逅した瞬間から疑念の余地なしでしょ!?」

「いやぁ…、凡人の俺には分からんなぁ…。大体、魔術と『祝福』の、一体どこが違うっていうんじゃ?」

「あぁもう!ベイの米粒脳味噌!いいわよ説明してあげるわよ!そもそも魔術って存在自体…!」

 …傍で話を聞いていたラディカには、話の内容が1ミリも理解出来なかった。

 ただ唯一、マリエットが話の最後に呟いた、「私の夢は”全ての歴史”を暴くこと!それだけは揺らがないし、誰かに揺るがされたりしないわ!」という威勢だけは理解できた。

「(そうですのね…、マリエットには大きな夢がありますのね…)」

「(カッコいいなぁ…、将来の展望すら強さに溢れているなんて…。それに比べて私は…)」

 …思い返せば、ラディカには夢がなかった。彼女はただ、目の前のことに精一杯で、それ以外のことを考えたことが無かった。

 自分という存在に、ポッカリと穴が空いていた。

 でも、今日、マリエットから夢を教えてもらって、ラディカは本当に良かったと思った。

 何故なら、彼女はその話を聞いた時、ふわりと「マリエットの夢を支えること」を自分の願望として浮かべて、

 いつの間にか、それを自身の夢にしたから。

 先のない、閉鎖された空間での出来事にも関わらず、ラディカは将来の明るさにほんわりとした笑顔を隠せなかった。

 しかし、三人は依然、閉じ込められたままだった。


……


 …閉じ込められてから50時間。

 飲み食いの余裕は、未だ僅かながらあった。だが、長時間の軟禁により立ち込める熱気と悪臭は、着実に三人の…、特に、“死が備わっている人間”の気力を削いでいた。

「マリエット…、元気ない…?ほら、私の分も食べて…?」

 ラディカは、壁の傍でへたり込むマリエットに自分の分の乾パンを差し出した。

「あ…、私は大丈夫ですわよ…?私はどれだけ飢えても死なないし…、たとえ餓死しても、また蘇るだけだから…」

 今のマリエットは本当に酷い顔をしていた。死神に取りつかれてしまったかのように顔に生気がなく、呼吸も若干荒かった。

 …だが、マリエットは一瞬ベイの方を一瞥した後、無理くり作った笑顔でラディカを諭した。

「…馬鹿。それはアンタのでしょ?食べなさいな…。それとも、私にアンタが飢えていく様を見ろって言うの…?」

「そ、そんな…、そんなつもりは…」

 …だが、そう諭されたとて、ラディカは自分の乾パンを食べられなかった。

 彼女はただ、弱っていくマリエットの前で乾パンを握りながらさめざめと悲しむことしか出来なかった。

 そうやって悲しんでいる間にも、刻々と時間は進んでいた。


……


 …閉じ込められてから140時間。

 いよいよ食料も水も枯渇した。死なないラディカはともかく、そうでない二人は、ここまで来るとぼんやりした顔をすることしか出来なかった。

「あ…、タバコ…、無くなった…」

 そう言って、マリエットは手に持っていたシガレットケースを力なく落っことした。

「畜生…、これだけは大切に節制し続けてたのに…」

「あっ…!タバコならありますわ…!」

 ラディカはスカートのポッケからボキボキに折れたタバコの一本を取り出した。

「ほ、ほら…!この前カフェでマリエットが置いて行ってくれたやつ…!」

「え…、そんなのまだ持ってたの…?」

 見ると、タバコはラディカの血や汗に曝されたせいで、シミまみれでカピカピだった。また、タバコの葉が大分落ちてしまっていて、スカスカだった。

 何より、タバコの先端には焦げた痕があった。

「あの後、マリエットに隠れて何度か吸おうと試しましたの…。けど、どうしても上手く火が定着しなくて…」

「…火を点ける時は、自分も吸わなきゃダメなのよ…?」

「えっ、あっ、嘘っ、そうでしたの…?」

 ラディカのアホさは、こういう時にはどんな笑い話よりも人を元気にした。

 マリエットは極限の状態にも関わらずラディカにほのぼのさせられて、思わずクスッと笑ってしまった。

「…分かった。じゃあ、こっち来て。火の点け方、教えてあげる…」

 マリエットは小さく手招いた。そして、隣に来たラディカにマッチを渡して、タバコの吸い方を1から教えた。

 ちゃんと火が点き、吸えるようになったタバコを見て、ラディカは喜んだ。しかし、同時に疑問がよぎった。

「あれ…?マリエットは良かった…、んですの?私にタバコの吸い方を教えても…」

「…なんで…?」

「だって…、マリエットってば、これは大人の味だって言って、私に吸わせたくなさそうにしてたじゃない…?」

「…あぁ、それは…」

「もう、いいのよ…」

 弱弱しい声。諦念が含まれた声。

「もう、いいのよ…。だって…」

「…これが、アンタとの“最期”になると思うから…」

 その言葉に、ラディカの表情が固まった。

 直後、ベイがマリエットを強く怒鳴った。

「おいマリエット…!!お前、約束はどうした…!!今更反故にする気か…!?」

「…!」

 正気を取り戻したマリエットの顔に後悔が浮かんだ。先ほどの言葉は、うっかり口から漏れたものだった。

 でも、一度漏れた感情の濁流は、高潔な精神ではせき止めることが出来なかった。

 彼女は次の瞬間、ラディカに必死に抱き着いて、弱弱しく嗚咽を漏らして泣いた。

 …いくら彼女が強い女性とはいえ、心身はまだ若く、経験したことのない限界環境に耐えられるはずがなかった。

 酷く悲しむ彼女の様子を見て、ベイは遂に意地を張ることを諦めた。

 彼は、ポツポツとラディカに真実を話した。

「…お前には黙っていたが、俺たちは、この監房から脱出不可能であることを随分前から理解していた…。扉をこじ開けることは出来ない…。人里離れた遺跡の未発見エリアでの遭難、助けも期待できない…。俺たちにはココで野垂れ死ぬ以外に道は無い…、それを知っていてあえて言わなかった…」

「すまんな…、別に仲間外れにする気があった訳じゃないんじゃが…」

 ラディカは、頭をハンマーで打ち付けられたかのような衝撃を受けた。

 でも、彼女はベイの話をにわかには信じられなかった。だって。

「でも…、だったら何で…!?何で二人は何事もなさそうにしていましたの…!?」

「私はてっきり、二人にはココから脱出する秘密のアイデアがあるんだと、そう思っていて、だから…!」

「だから私は…、二人を信じて待っていたのに…」

 そう言って辛い表情をするラディカを見て、ベイは心の痛みで顔を引き攣らせた。

 彼は、言い訳をするように言った。

「お前に真実を伝えたところで、詰んどる現状は変わらんかった…。なら、俺たちは、せめてラディカにはギリギリまで笑っていてほしいと願った…」

「…この後、俺たちの死を見届けるしかないお前の絶望的な未来に対して、少しでも抵抗したかったんじゃ…。じゃか、それは俺たちの現実逃避に過ぎんかったのかもしれん…」

「弱いな…、俺たちは。お前と違って、こんなにもあっけなく死んでしまうなんて…。本当に、悔しくてしょうがない…」



 四


 あまりの現実を前に、ラディカは意識が遠のく感覚に陥った。

 酷過ぎた。

 特に死に疎い彼女にとっては、こんなにもあっけなく人は死ぬのかと、絶望して世界を憎みそうになった。

 ベイは、今にも気絶しそうな蒼白の顔をするラディカを前に、同じように現状に絶望した。

 だが、彼にはパニックに陥らずに済む程度の齢と経験があった。だから、彼は全てを諦めるかの如く瞼を閉じて、バッドエンドで終わる未来を静かに確信した。

 何もかも、悲しみのままに終わる…。

 …だが、そう考えるベイや、同じく事情を理解して泣き崩れているマリエットは、決定的な一点を見逃していた。

 彼らはプロで、リュックに入っている仕事道具は使い慣れた相棒ばかりだった。だから、彼らは『一流の冒険者』として、考え得る限りのこと、出来得る限りのことをした。

 しかしそれは、一方で『一流の冒険者としての仕事』以外を失念していることを指していた。

 …事実、彼らは、彼らの旅に初めて同行しているラディカのことを失念していた。

 彼女の底力を失念していた。

 

 その盲点は、間もなく彼らの前に姿を現した。

「助…、けなきゃ…」

 それは、ラディカの口から無意識に飛び出した言葉だった。

「え…?」

 マリエットは、つい疑問の声を上げた。彼女は泣き腫らした目でラディカを見上げた。

 ベイも同じように頭に疑念をよぎらせた。彼は瞼を開け、ラディカに注目した。

「助けるって…、どうやって…?」

 マリエットが不安げに尋ねた。

 ラディカは、答えるまでもなく言った。

「分かんない…。分かんないけど、助けなきゃ…!」

 そして、ラディカは自分を抱くマリエットを振りほどこうとした。

 立ち上がろうとした。

 勿論、現状に立ち向かうために。

 しかし、彼女がそうしようとした瞬間、マリエットは「ま、待って…!」と自分から離れようとした彼女の服を掴んだ。

「た…、助けるなんて、アンタには無理よ…!だって、アンタよりずっとプロの私たちがどうこうしてもどうにもならなかったんだから…」

「それより、さ…、最期まで私の傍にいて…?ね…?これ以上絶望を深めないで…、静かな死を私に頂戴…?」

 弱い、弱い発言。しかし、真綿で首を締めるような衰弱死と直面した人間に強く在れと言う方が無理だろう。

 だが、ラディカはそんな弱音に納得しなかった。

「…ッ!馬鹿!」

「マリエットの馬鹿!大馬鹿!何が天才ですのよ!静かな死!?そんな馬鹿らしいもの、懇願されたってあげませんわよ!!」

「そんなものを求めるマリエットなんて認めない…!認めない…!認めるもんですか…!マリエットとベイが死ぬ未来なんて…」

 …自分自身は死に疎い。

 だが、大切な人が死ぬ恐怖なら知っている。

 だからこそ、絶対に死なせたくない。

 もう二度と、誰も思い出になんてしたくない。

 ラディカは、自分の背にまとった聖骸布をギュッと握って、そして叫んだ。

「…そんな運命なんて、二度と認めてやるもんですか!!」

 彼女は宣言した。

 ただ、その宣言はマリエットに向けたものと言うより、自分の覚悟へ向けたものであった。

 彼女は、自分から剥がした聖骸布をマリエットの方に放った。

 勿論、“一時的に”マリエットに荷物を預けるために。

 自ら、身体一つで危機に立ち向かうために。

 そして、ラディカはマリエットを払い除けた。

 マリエットは見つめた。今のラディカを。

 聖骸布に覆われ、酷く弱る自分とは正反対の、強烈な目つきをして理不尽な現状を破壊しようとする彼女を。

 …正に、自分が怯えていた未来の彼女の姿そのものを。

 マリエットは、自分の手からラディカが離れていく事実を実感した。

 思わず手を伸ばした。ラディカの方へ、もう自分の物じゃ無くなっていく彼女の方へ。

 しかし、手は届かなかった。ラディカは既に、鉄の扉の方へ足を進めていた。

「待って…!ラディ…!“私のラディ”…!」

 呟いた。まるで、自分の足元から去っていくペットの猫を呼び止めるように。

 不安、恐怖、焦燥、愛する人がいなくなる、私を看取ってくれない、マリエットは死よりも恐ろしい感情に陥ろうとした。

 その時、ラディカは振り返って、気丈に微笑んでマリエットに伝えた。

「…大丈夫!心配しないでも、絶対に助けるから!」

「だから、信じて待ってて!“私のマリエット”!」

「…!!!」

 …束縛は愛の証

 それは、マリエットが何よりも理解していることだった。

 だからこそ、彼女は自分のことを「私のものだ」と告げるラディカを前にして、目を見開いた。

 彼女は、遂に理解した。

 ラディカの愛が、紛れもなく自分に向いていたことを。

 何の心配も、不安も抱く必要が無いほどに、ラディカが愛してくれていたことを。

 ラディカはもう、可愛いだけじゃない。

 かっこよくもあり、頼もしくもある、お互いの苦手な部分を助け合い、支え合える。

 愛し合える。

「(そっか…、私もあの時のラディと同じで…、向けられた愛に救われていいんだ…!)」

 マリエットにはもう、悲しみの涙はなかった。だって二人は完全に対等な関係なのだから。

 だから、彼女は安心して伝えることが出来た。

「ラディ!」

「お願い…!私たちを助けて!!」

 答えは、言うまでもなかった。

 ラディカは、自信に満ちた笑みをマリエットに見せた。

「任せて!!」


 そんな二人のやり取りを目撃して、ベイは確信した。

 ラディカは、以前にソリティ川で宣言した通りに、マリエットを超えてみせたのだと。

 たった短時間で、恐るべき成長を以て。

 そして、今ここに成長の成果を発揮しようとするラディカを前に、ベイは叫んだ。

 彼は今こそ、自分がかつてマリエットにしてやったのと同じ立場を彼女にも奮うべきだと理解した。

「ラディカ…!お前、勝算はあるのか!?この現状を打破するためのアイデアは!?」

「勝算?アイデア?そんなもんありませんわよ!!」

「よく分かんないけど、私には『祝福』?があるんでしょ!?なら、これを使えばどうにかなるんじゃないかしら!?いや、どうにかならないワケがないわ!!そうでなきゃ、私は私が『祝福』された意味が分からない!!」

 …ラディカらしい返答だった。

 だが、その鉄砲なしが、むしろ、ベイの抱くラディカへの期待を最高潮へと押し上げた。

 だから、彼は『尊重して』彼女の背を押した。

 なにせ、彼はそれが娘たちにしてやれる最大で最良のことだと知っているから。

「あぁ、その通りじゃ!お前は別に大人っぽく賢ぶったことをする必要はねぇ!そういうのは、むしろお前には向いてねぇ!」

「ただ昂ぶる心臓に従え!人間は本性に逆らえねぇ!ラディカ!『祝福』を受けたお前はもう、弱っちい娘なんかではいられねぇ!」


「…なんせお前の本性は、最強を超え、死すら超越した無敵の女なんじゃからな!!」




 …強さは烙印のよう。

 背負う覚悟と、貫徹する精神がなければ、強さは永遠に負の側面を以て人生に付きまとう。

 だからこそ、人は弱く在ろうと、愛を求め続けるのだ。

 愛されたいと願う限り、何も責任を持たなくても良くて、一切の刻苦も不要だから。


 しかし、それでは誰も救えない。

 自らがレッテルにより不自由になる覚悟を持ち、どんな苦しみも乗り越え、自分から相手を愛さなければ、人は後悔にまみれるしかない。


 だからこそ、彼女は岩のように静かであり、止め処なく流れる滝のように祈り続けるのだ。

 想い人への愛を。

 そして、求められたら必ず動くのだ、祈った数の想いをもって、何を犠牲にしても。

 たとえ死を賭しても問題もない。

 なにせ、彼女には何度だって復活できる力があるのだから。

 愛を、短き命への溢れる愛を、必ず勝ち取れる力があるのだから。


 それが、生まれ変わった『ラディカ』という存在なのだから。






──────────────────────────


【人物紹介】


『ラディカ』

 両耳をピクピク動かせる特技を持つ。


『マリエット』

 手記に書き留める字が壊滅的に汚い。

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