2 (4) 『溜まる』

 一


 人、椅子、机がひしめき合う酒場の間を、ツカツカとした高潔な足音が通り抜けた。

 誰もがその足音の方に振り向いた。同時に、ある者は足音の主に慄いたり、見惚れたりした。

 足音は酒場の奥、ステップの上に並ぶ机々の前で止まった。

「ねぇ」

 銀髪を軽くかき上げながら、碧の瞳で男三人に声をかける、足音の主。

 ラディカ。

 男たちは、彼女の美貌に固唾をのんだ後、「な、なんだよ…?」と緊張気味に呼応した。

「盛大に飲み食いしてるところ悪いけど、今すぐそこをどいてくれる?」

「…はぁ?」

 固唾は、間もなく唾棄された。

 三人の男たちの内、ひげ面の男とハゲの男が顔をひしゃげた。

「え?何?一緒に飲みたいんじゃないの?」

 最後の一人、酔って顔を真っ赤にする男だけは、依然ラディカをいやらしい目で見ながら言った。

 次の瞬間、ラディカはその男が座る椅子の足をガンと蹴り飛ばした。

 椅子の足がボキッと折れた。酔った男は椅子ごとその場に倒れた。

「テメェ!喧嘩売ってんのか!?」

 ひげ面、ハゲが立ち上がり、ラディカに怒鳴った。

 だが、ラディカは依然、尊大な表情をして男たちを見下していた。

「見たところ、その席はこの店で一番目立つ席ですわ。…こんな低俗な場で食事をするんですもの、せめて、席くらいは特等席を選びたいものですわ」

「ね、貴方たちのような程度の低い下民には床の方が似合いますわ?だから、サッサと机の上を片付けて、椅子の背もたれまでしっかり拭き掃除をして、“私たち”に席を献上しなさいな」

 ラディカは、それがこの世の常識であると言わんばかりに言い放った。

 男たちは言葉が出なかった。

「キ、キチガイかよ、コイツ…」

「いくら美人でも、こんな奴相手にするのはなぁ…」

「で、でも、おっぱいはデカいよ…?」

 ひそひそとそんなことを呟き合う男たちに、ラディカはイライラした。

「…ねぇ、いくら貴方たちのフラン語が“田舎臭く訛ってる”とはいえ、私にだって聞き取れますのよ?」

 ラディカは机にあったグラスの一つを掴み、威嚇するように床に叩きつけ、割った。

「いいから!サッサと退きなさいよ!下民の分際で、この私に二度三度命令させるっていうの!?」

「これが最後の警告!3秒以内に清掃と退席、それから全裸で土下座をしなさい!従わないなら貴方たち全員ミキサーに入れて豚の餌!!」

「さぁ!いくわよ!3!2!い…」

 …1のカウントダウンはされなかった。

 それが下されようとした瞬間、ラディカの脳天にマリエットの拳が思いっきり飛んできたからであった。

「私がちょっとトイレに行ってる隙に、アンタねぇ…」

 マリエットは、頭に出来たたんこぶを押さえてうずくまるラディカを呆れ果てた目で見た。

「だ、だって、私はラディカで、高貴なものが相応しくて…」

「マ、マリエットだって良い席でお酒が飲みたかったでしょ…?だから…」

「だからもへったくれも無い!ほら立って、ソコの人たちに謝罪!」

 マリエットは、潤んだ瞳で自己正当を訴えるラディカの首根っこを掴んで持ち上げた。

 未だ、『自分はラディカ病』が抜けないラディカは謝罪を嫌がって、ふるふると首を横に振った。

 しかし、そんなラディカをマリエットはキッと睨んだ。

 ラディカはビクッと怯えた後、消極的ではあるものの自分の力で立って、男たちに頭を下げた。

「ご、ごめんなさい…、下民ども…」

「下民呼びもやめなさい!」

「げ…、あ、貴方たち…、…お前ら?野郎ども?ゴミども…」

「皆 さ ん!」

「み、皆さん…、本当にごめんなさいでした…」

 未だ不十分な謝罪だが、ラディカにしては上出来なので、マリエットは「よし」と頷いた。

 その後、彼女は手際よく男たちを取り持ち、彼らに謝罪を受け入れさせた。

 また、彼女は懐から取り出したメモ帳に鉛筆で自分の名と“暗号”をサラサラと書き、誠意として、千切ったそれを机に置いた。

「アンタたち、“同業”でしょ?最近は不景気で参るわよね。それ、テーネのアッカム男爵への紹介状になるから、使いなさいな」

「悪かったわね。私のツレが迷惑かけて」

 男たちは机の上に置かれたメモの一枚を覗き込んで仰天した。

「は…!?お、おいアンタ!まさか、あのマリエットなのか!?」

 男たちは目を輝かせて、『冒険者の星』であるマリエットを引き留めようとした。

 だが、彼女の視線は既にラディカにしかなく、彼女はラディカの腕を掴んで、「さ、行こ?」と嬉しそうに酒場を去っていった。


 嵐のような二人だった。

 そんな二人は今、『ラティア・ガロ共和国連邦』の北西にある地域、『メラヴィア国』に滞在していた。



 二


 ラティア・ガロ共和国連邦は、その名の一方で一つの国ではなく、集合体の名称であった。

 ラティアとは、私たちの世界で例えるならばNATOに近く、事実、それは大陸南西に存在する約200もの国と地域が『魔族及び“その他脅威”に対する集団的防衛』を目的として合意した『共和連邦宣言』を根拠に形成された機構であった。

 防衛の面では、ラティアは統一していた。『連邦委員会』が集権的に統御していた。

 一方で、それ以外の全ては国々が各々に担っていた。

 だから、ラティア内の政治と文化はカオスにまみれていた。

 ある国は自由を標榜し、ある国は独裁。

 ある国は農業立国であり、ある国は工業国。

 王族が存在する国があれば、共和国もある。

 裕福な国も、貧困国も、安定した国も、革命が止まらない国も、肉食禁止の国も、宗教国家も、家族経営の国も、企業国家も、…本当、何もかもある。

 ラティアは、まさに人間文化のフロンティアであった。


「…メラヴィアはね、良い意味でならず者の国なの。テーネとは違って“フランガロ”の近所にあるけど、『大西海』沿岸に隣接するメラヴィアには強国にも対抗しうる力が備わっているから、フランガロも迂闊に手を出せないのよ」


 大陸の覇権国家であるフラン・ガロ王国に近接するラティアの国々は、実質的には王国の従属国であった。

 そのため、それらの国々は他国でありながら、王家直属の秘密警察『フーシェ』による“過激な活動”を黙認している、冒険者らにとっては居心地の悪い場所なのであった。

 その一方で、メラヴィアでは、フーシェであろうとも大胆に活動することができなかった。

 メラヴィアは国土こそ小さいが経済大国であった。メラヴィアは大西海沿岸から海運された物資を鉄道や馬車で運搬する始発駅であり、人も物も税も集まった。

 そのため、メラヴィアは自治を行うに十分な力を有しており、事実、政治的な独立を強く主張していた。また、そのために必要な鉄と火薬、魔術師を自前で揃えていた。


「だから、ココは冒険者にとって聖地なのよ。フランガロが近いから『禁書』に関するフィールドワークがし易いし、何より安全。…今こうやってラディと手を繋いで夜の街を歩いても、強力な衛兵や魔術師が巡回してるから、フーシェに襲われる危険がほぼ無い」

「ホント…、ゴルフに比べたら最高の街だわよ。繁華街も歓楽街も揃ってるし、…まぁ、それを求めてやって来た人でごった返してるのがちょっとネックだけど」


「…ね、ラディは今、楽しんでる?」

 そう呟いた後、マリエットは急に立ち止った。ずっと彼女に腕を引かれていたラディカは、彼女にぶつかりそうになった。

 歓楽街の路地。そこそこの数の人々が二人の隣を通り過ぎる。

 ガス灯が妖しく光る。マリエットが振り向く。暗がりに仄かに照らされた彼女の顔は、ラディカの目に艶麗に映る。

 ラディカはマリエットに見惚れつつ、答えようとした。

 しかし、マリエットはそれを遮るかのように口を開いた。

「楽しんでるに決まってるわよね。…でも、ちょっと疲れたでしょ?」

 マリエットの横暴、自己解決。

 でも、そんな横暴に対して、彼女の所有物であるラディカは頷くしかない。

「どっかで…、休みたいよね?」

 マリエットは酔うと顔が赤くなるタイプ。その赤に加えて、想いの朱がのった彼女の頬は、熟れたリンゴよりも紅く、甘くて美味しそう。

「で、でも…、宿でベイが待ってるよ…?」

 一応の抵抗。無駄な抵抗。

 叩き潰されることは分かっている。

「バカね。ベイがいたら二人きりになれないから言ってるんでしょ?」

 …そう、全て分かっている。

 抵抗したら、頬を膨らませたマリエットが自分の腕をグイッと引っ張ってくれることも。

 引きずるように休憩所の一室に引き込んで、強引に屈服させてくれることも。

 分かっている。

 だからこそ、ラディカは抵抗する。

 彼女は、自分のご主人様に抵抗むなしく貪られることを望んでいる。

 それが、自分とマリエットの正しい関係性であると信じている。

 自分の役目だと信じている。


 …しかし、彼女は同時に、そんな関係が健全でないことも理解している。


 けれども、ラディカは未だ弱く、現状の改善なんて考えることが出来ないから、今日もまた、無理やり突っ込まれたマリエットの指をアイスキャンディーのように咥えるだけで終わった。



 三


「…初めての仕事!」

 無限と思えるほどに広大な平原の中、ポツンと建ち寂びた遺跡を前に、ラディカは両手を広げて息巻いた。

「おーい、ラディカ!興奮しとるところ悪いが、まずは荷下ろしを手伝ってくれんか!」

 背後から届いたベイの声。振り返って見ると、彼とマリエットの二人が馬車から仕事道具やら野営道具やらの大荷物を降ろそうとウンウン苦戦していた。

 ラディカは状況を少し眺めた後、ニイッと口角を上げた。

「うん!今手伝いますわ!」

 そう応えて、彼女は嬉しそうに二人の元に駆けていった。


 …ここはメラヴィア東部のバー平原。

 遺跡の名はレスティ遺跡。

 約500年前に発見。最初の発見者は不明。規模は中程度(地上四階、地下一階、ちょっとした邸宅レベルの大きさ)。

 調査は数々の冒険者によって長年行われており、全容は殆ど暴かれている。したがってトラップ等の危険性は無。

 今回のマリエットらの目的は、好古家貴族による遺跡内部の再調査の依頼達成。金払いはすこぶる良いが、あんまり面白くない仕事。


「レスティ遺跡は300年戦争の際に建設された、人類側の幕僚監部の本庁なの」

「幕僚?それって、シテにある王立軍の本部みたいなものですの?」

「そーそー。まさにそんな感じよ」

「…昔の人は、こんな辺鄙な場所に大切な拠点を建てたんですの?」

「おっ、良いところに気が付くわね。冒険者の視点として100点満点だわ。褒美に撫でてつかわす」

「えっ?え…、えへへ…、照れる…」

「…そう、ラディの言う通り、こんな辺鄙な場所に本庁が在るなんて変な話よ。だから、冒険者らによって遺跡の周辺も調査されたの」

「…そしたらね、このバー平原一帯が、かつて大陸に存在した大国、『衛星国ラティア』の首都だったことが分かったの」

「えっ…!?首都…!?でも…、見渡す限り草しかありませんわよ…!?」

「そう!その不可解こそが歴史の面白いポイントなの!情報と推論で不可解を暴き、合理と論理で過去と現在を繋ぎ合わせる、それこそが私たち冒険者の本分で、この世で最もエキサイトな仕事なの!」

「おぉ…!これが冒険者…!私の仕事…、頑張るべきこと…!」

「…まぁ、今のラディに頑張ってほしいのは、荷物持ちだけどね」

「えっ…?あっ…」

「今はとりあえず、仕事に貢献してくれなくても大丈夫だから、私とベイの動きを後ろから見てなさいな」

「あ…、そう、ですのね…」

「…私じゃ、冒険者にはまだ成れませんのね」

「…調査は繊細でシビアだから、まだラディには助手も任せられないわ。こればっかりは本当にごめんね」

「…うん。分かりましたわ…」


 慣れた足取りで遺跡に入るマリエットを、ラディカは俯いたまま見送った。

 ベイの「ちょっとくらい、やらせてやってもいいんじゃねぇか?」という声がマリエットの背を突いた。

 「ラディにはまだダメよ!!」という大声が遺跡の入り口から響いた。


 …その大声はまるで叫ばれた本音のようで、ラディカの心をズキズキと傷つけた。

 『出来るならば、マリエットの役に立ちたい』

 そう思っているのに、奉仕したい相手張本人に「お前は無能だ」と言われたようで、胸が張り裂けそうになった。

 …涙さえ、ポロッとこぼれた。

 しかし、ラディカはすぐに涙を拭った。重たいバックパックを背負い、両手に鞄を持った。

 そして、彼女は「私は力持ち!立派な荷物持ち!頑張りますわー!」とマリエットに気丈さを伝えた後、後を追うべく遺跡に駆けて行った。


 そんな二人の一連を、ベイは重く受け止めていた。

 特に、彼は今のマリエットの姿が見てて辛くてしょうがなかった。

「マリエット、お前…。あまりにも“アイツ”に似過ぎじゃよ…」

 …自分が蒔いた種にも関わらず、彼は一時の幸福のためにしでかしてしまった発言への後悔を膨らませるのであった。






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【人物紹介】


『ラディカ』

 たまにマリエットの頬がエサを食べてるハムスターみたいになってることに気づいた。ほえっとした。


『マリエット』

 すきっ歯の奥歯を舌でコロコロ舐める癖がある。

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