1 (2) 『ラディカという人間』

 一


 人はいつから行動に制約をかけられてしまうのだろう?

 少なくとも人の心は如何なる場合においても自由であり、人を助けることも人を殺すことも、常に制約となるのは肉体的限界だけのはずなのに。

 どうして人は人を助けられないのだろう?

 どうして人は人を殺せないのだろう?

 多くの場合、この答えは『社会と圧力』になるはずである。しかし、ラディカの場合は違った。

 彼女の場合、制約はいつだって『母と愛』であった。

 母がいるからこそ。

 母に愛されたいからこそ。母に愛してもらえないからこそ。愛してもらえないことが怖いからこそ。

 彼女は人を助けられないのである。

 人を殺せるのである。

 妹を愛せなかったのである。



 二


 ラディカはぼんやりしていた。

 貧乏チビのシャトーなるシスターに身だしなみを整える時間を与えてしまったがために、彼女が客室に返ってくるまでの間、暇になってしまったのだ。

「…やっぱり、あの犬に見てくれなんて必要なかったかしら」

「いや…、私の犬として常に清廉であることは必須…。お母様は自分の犬にいつもそうしていた…」

 ラディカは、自分の母がメイドたちを顎で使う様を思い出しながら考えた。

「…はぁ」

 腰掛けるベッドから横を向く。

 小さな窓からの景色を眺めて、ラディカは思わずため息をついた。

 窓からの景色は、お世辞にも絶景とは言えなかった。そこから見えるものと言えば、大した事ない木々の枝葉と、面白味のない雲だけだった。

 …自分の部屋、王国首都のシテ北部にあるフランの禁裏から一望できる光景とはまるで雲泥の差。あまりにも地味。

 この景色もそうだし、客室の内装もそう。

 きしむベッドとささくれた机、あとは床と壁だけ。質素。枝葉と雲だけの外と同じくらい殺風景。

 ココには何も無い。少なくとも、権力者らしいものは何も無い。

 なのに、ラディカの頭の中は、お母様のことでいっぱい。

「はぁ…、あぁ…」

 何度だってため息が出る。

「こんなに“素敵な場所”でも、私はやっぱり『悪女ラディカ』なのかしら…」

 そんな当然を呟いては、またため息が口を突こうとする。

 だが、次に出ようとしたため息は、間もなく喉奥に引っ込んだ。

 客室にノック音が鳴った。つまり下民が戻ってきたのだ。

 ラディカは軽く咳払いをした後、「入りなさい」と、高貴溢れる声で下民を呼んだ。

 入室した下民、つまりシャトーの視線の先には、ベッドに少しもたれ、脚を組んで、長くて美しい銀髪を指先でいじる淑女、『悪女ラディカ』がいた。

 確実に、純粋なる母と愛の結晶はそこにいた。



 三


「え?」

 シャトーの姿を見たラディカは思わず驚きの声を漏らした。

「もしかして、ここって修道院か何かなの?」

「化粧直し一つで、傷が跡形もなく無くなるなんてことあるのかしら?」

 ラディカが驚くのも無理はなかった。

 シャトーは、ものの数分の間に洗顔して流血の跡を落としてきただけでなく、顔面に出来たはずの重症すら綺麗さっぱり落としてきていた。

 シャトーは、小さな口から生え揃った歯をチラッと見せながら答えた。

「あ…、これはその、魔術です。『尸位(シイ)』っていう位階の回復魔術でして…」

 だが、彼女が答え切る前に、ラディカはベッドから身を乗り出して彼女の顔面を両手で掴み、自分の元に引き寄せた。

 彼女は、バレーボールのように掴んだシャトーの顔面をまじまじと観察して言った。

「不思議ねぇ…。昔、オルレが転んで腕を折っちゃった時は、お抱えの回復術師が三日三晩かけて何とか完治させたっていうのに…」

「オルレ様…、というと、第二王子のことですか?」

「そう、そのオルレ。私の次に偉いオルレ。そんなオルレでも、怪我の完治は大変だったというのに…」

「ここにはきっと、凄腕の回復術師が居るのね?」

 凄腕、という単語を耳にして、シャトーの口角がピクッと上がった。

「あ、その、す、凄腕ってのは、私のことですね…」

 シャトーは若干照れながらも、自慢げに言った。

「は?…はっは、かっかっか」

「んなわけねぇですわよ。冗談が得意なのね、犬」

 ラディカは呆れながら言った。

「“いくら私でも”流石に知ってるわ。魔術っていうのは、14,5歳でようやく『低位』が使える。それが常識なのよ?高名な回復術師が使う『高位』の回復魔術なんかは、それこそ成熟しきった老齢の魔術師にしか扱えない。実際、王家お抱えの回復魔術師も、ウチお抱えのソレも、みんなおじいちゃんだったし」

「ちんちくりんの貴女なんて、まだせいぜい10歳くらいなものでしょ?まだまだ魔術のマの字も知らないお年頃でしょ?」

「え…、私は15さ」

 一番気にしている背の低さを理由に魔術が使えないと断じられたシャトーは、訂正しようとした。

 だが、他者の話なんてまるで耳に入らないラディカは、せっかく綺麗になったシャトーの顔面を床に投げた後、立ち上がって言った。

「その回復術師に会ってみたいわ。連れて行きたくもある。それほどの凄腕なら、こんなよく分からない場所じゃなくて、フランの禁裏に居る方が相応しいですもんね」

 そんなことを言いながら、ラディカは勝手に客室のドアを開け、キョロキョロと辺りを見渡しながら外に出た。「だからそれ、私のこと…」と伝えるシャトーことなんてまるで無視して自由行動を始めるものだから、シャトーはラディカの後を追いかけるしかなかった。

 現状、シャトーは気分屋の猫の飼育係であった。

 


 四


 ラディカは小教会内を色々と巡り歩いた。巡ったと言っても、距離にすればせいぜい20mくらいなものだが。

 二階の客室から出て、隣にあるシャトーの部屋と、そのまた隣にあるシャトーの義父の部屋。

 それから、超急こう配な階段(ほぼ梯子)を下ってすぐにあるキッチン(キッチンって言っても、ボロッちい薪ストーブと床下の冷暗庫、それから食器棚があるだけ)と、ダイニング(机と椅子4つがあるだけ)。ダイニングを抜けた先にある礼拝堂。その左奥、小教会の入り口側にあるトイレ。あ、あと、ついでに見落としていた。ダイニングから風呂場にも通じてるわ。

 ラディカは、その全てを練り歩き、探索した。

 その後、彼女は、ちょこちょこと後ろに付いて来ているシャトーの方に振り返って尋ねた。

「いないんだけど?」

 シャトーは気を落としながら答えた。

「だから…、私なんですって…、その魔術師は…」

「…まだそんな妄言口走ってますの?いい加減、本当のことを言わないとキレますわよ?」

 ラディカは少しムッとした後、腕を振りかぶった。彼女は、また何の躊躇もなく下民に暴力を振るおうとした。

 だが、彼女の平手がシャトーの頬を捉えようとしたその瞬間、平手と頬の間を遮るように、羽の生えたウサギが一羽、無から出現した。

「お…?」

 弾力の良いシスターのほっぺではなく、ふわふわのウサギの腹を手の平で感じたラディカは、ぽかんとした。

 いつの間にか魔術詠唱のための動作と詠唱を終えていたシャトーは、ため息交じりにラディカに言った。

「…それは、『超位』の召喚魔術のエッセンスを用いて即席で適当に創った召喚獣です。見た目は小さくて可愛いですが、重騎兵の突進でもビクともしませんよ」

「おぉ…、おー…」

 ラディカはふわふわウサギを両腕で抱えつつ、目の前のチビがマジで魔術を使える事実に驚いた。そして彼女はもう一つ、大きな事実に気がついて尋ねた。

「…あれ?超位って、たしか一番すごい魔術じゃなかったかしら?」

「らしいですね。常人の位階である低位、中位、高位を超えた超位の魔術は、人外の領域?人類の限界?とかって呼ばれていて、超位を操る魔術師は、教育が発達した現代でも大陸に4人しかいないとかなんとか…(本で読んだ)」

「も、尤も?私は魔族の位階の、その最高水準まで使えますけどね…?だから、人類の限界なんてお茶の子さいさい…」


 …なんかさっきから当たり前のように交わされている会話について補足。

 魔術における位階とは、端的に言えば魔術における難易度のことであった。ただし、それは漠然とした分類ではなく(「カレーを作るのは簡単!でもスパイスカレーはちょっと難しいかも?」みたいな、相対性のある指標ではなく)、絶対的な基準に基づいた指標であった。

 その者が扱える位階は、必須要件たる『魔術的思考』への理解不理解に応じて決定した(因数分解を理解してるから中学数学ができる、微積を理解してるから高校数学ができる、みたいなね)。したがって、よりハイレベルな位階を操れるとは、よりハイレベルな魔術的思考を理解していることを指した。

 魔術的思考の獲得には、ずば抜けた頭脳の才と途方もない時間の学習が必要であった。

 こと人類においては、“市民権のある”全員が魔術を習うべく(ついでに教養や歴史、基礎的な生活知識を学ぶべく)、6歳から15歳までの間、義務教育として神学校に通わされるが、その内の九割の人間が低位の魔術すら習得できずに神学校の門を後にした。

 残りの一割だけが、9年の学習期間を通してようやく低位の魔術に辿り着くことが出来た(その者らは低位魔術師と呼ばれた)。そんな優等生の内、約二割のみが、その後の学習によって中位の魔術に至ることが出来た。30代までに中位魔術師に到達することが出来れば、非常に優秀な魔術師として、多くの場で重宝された。そんな様だから、実社会においては高位の魔術こそ最高のギフテッドとされていた。30代で中位魔術師に到達し、死ぬまでに高位魔術師まで登り詰める。それこそが全人類の憧れであった。

 だからこそ、超位魔術師は人外の領域と呼ばれた。

 実際、大陸1900年の歴史を通して見ても、超位の世界に足を踏み入れた者は十数人ほどしか現れなかった。また、その十数人はもれなく歴史に名を刻んだ。

 それ故、超位魔術、超位魔術師は人類の限界と呼ばれた。

 超位を超えた先にある魔族の位階、『尸位』『地位(チイ)』『天位(テンイ)』に関しては、そもそも人類では人体の設計図的に無理とされ、見向きすらされていなかった。

 人間はあくまで100mを9秒か10秒で走れるかどうかにこだわるわけで、100mを3秒でぶっちぎれるチーターのことなんて引き合いに出さないのだ。

 以上、補足終わり。


「ほぇー?ってことは貴女、チビ犬のくせに思いの外優秀なのね?」

 『優秀』という言葉に、シャトーはピクピクッと反応した。

 実際のところ、シャトーは優秀程度では済まない、人類のバグみたいな存在だった。

 シャトーは、文字通り神の子だった。そう言われて然るべきだった。

 しかし、『優秀』なんて逆の意味で不釣り合いな言葉でも、彼女は褒められたことが何より嬉しかった。

 だから、彼女は少し胸を張って、得意げになって言った。

「…ま、まぁ?お義父さん曰く、私は魔術の申し子らしいですから?」

「ゆ、優秀?ってヤツかもしれませんね…?」

「(へ、じ、自慢しちゃった…、え、へへ…、調子に乗り過ぎ…、かな…?)」

 …何度も言うが、シャトーの持つ魔術の才は、謙遜する必要ないほどに卓越していた。

 加えて、彼女自身、自分が確かに凄いらしいことは自覚していた。

 しかし、彼女はどうにも、誇らしげにする自分のことが愚かしくてもどかしかった。

 というのも、彼女は自分の義父以外から魔術の才を褒められたことがなかった。

 それも、良い理由で褒められたことがなかった。


……


『やったぞ…!遂に見つけた…!魔術の申し子…!神に与えられし力を持つ者…!』


『はっ…、はははっ…!はははははっ!!!凄い…!素晴らしい…!!素晴らし過ぎる…!!!なんて破壊力だ!!!』


『凄まじい才能…!!誰も抗えない…!!この国を消し飛ばすことくらいワケない…!!』


『この化け物さえ手中にあれば…、私の夢…、国家転覆はいよいよ実現する…!!』


……


 …魔術への卓越は、彼女において弊害を生んでいた。

 魔術師としての彼女は、常に彼女のアイデンティティ形成に関わっていた。彼女は、魔術だけが自分の取り柄だと考えていた。

 にも関わらず、彼女は誰かから“良い意味で”魔術を承認される機会にあまりにも恵まれなかった。

 したがって、彼女はどうも自分に自信がなかった。彼女はいつも、自分は何かを間違えていると訝しんでいた。そういうオドオドした人間に育ってしまっていた。

「(優秀…、なのかな…、私…。いや…、そうでもないのかな…)」

 そのため、彼女の主張は段々と疑念と否定の入った、弱々しいものに変わっていった。

 しかし、ラディカはそんなものを意に介さなかった。

「…天才!」

「えっ…!?」

「貴女、見かけによらず天才ってヤツなのね!?」

 ラディカは、ウサギを抱えたままシャトーに迫った。

「そ、そうですかね…?いや、そんな…」

「そんなに卑下しなくてもいいわよ!貴女は天才!間違いなく天才!そうよ!そうなのよ!貴女は私と同じ、天に選ばれし存在なのよ!」

 ラディカは単純な性格をしていた。

 天才とか、キラキラしたものとか、そういう特別性のあるものがストレートに好きだった。

「あぁ!良いわ!凄く良い!貴女のように人類を逸脱した存在こそ、頂点たる私の隣に侍るに相応しいですわ!」

 …特別性は、彼女にとって自分を着飾る最良の材料であった。

 彼女は特別に成りたかった。

 特別だけが、フラン家の長女たるものだと考えていた。

 だから、彼女はキラキラしたものを常に欲していたし、シャトーのことを一気に気に入って、欲しくなった。

「えっえ…、え…、えへへへ…、そこまで言われちゃうと照れちゃうなぁ…」

「へ、変性でも、幻影でも、回復でも召喚でも、なんでもやっちゃいますよ〜…、なんて…、へへへ…」

 そんな邪まな意図のあるラディカの称賛に対し、その思惑を全く見抜けずにいたシャトーは、無邪気に、嬉しそうにニヤニヤした。

 その嬉しさの中には、先程までは自分に厳しく当たっていた人間が自分を認めてくれたからというのもあった。

「(ラディカ様…、ひょっとして良い人…?)」

 何よりも、彼女は褒められることに弱かった。

 褒めてくれる人のことが好きで、おだてりゃ何でもするタイプだった。

「ってことで貴女、今から私の下僕として採用ね」

「えへへ…、はい〜…」

「…えっ?」

「一生私の傍に侍ってね」

「えっ?」

 その性質が、シャトーの人生に役に立ったことはまるで無かった。

 褒められて、認められて、その果てに彼女はいつも、自分を不利にし続けていた。

 己の性質と魔術、それだけが、いつも彼女を苦しめていた。



 五


「でさ、下僕」

 長椅子が並ぶ礼拝堂の中、ラディカはわざわざシャトーを椅子にして座っていた(羽うさぎは説教台の上に登って、ガロの神話本を噛んでいた)。

「ココどこなの?シテじゃないわよね?だって、こんなボロっちい内装の建物なんて、シテじゃみたことありませんもの」

「そ、そうでしょうか…?シテでも郊外のスラムに行けばこんな風な建物はいっぱいあると思いますが…」

「そうなの?行ったことなかったから知らなかったわ」

「…ごめんなさい。私も本で読んでしかシテ観光をしたことがありません。適当言ってました」

 ラディカは、ベシっと椅子の頭をチョップした。

「はい…、ココはラディカ様のお察しの通り、シテではなく、フラン・ガロ王国、シタニア地方南部、バラルダ公領の僻地に細々と建つガロの小教会です…」

「シタニ…え?どこって?」

「だから、シタニア地方南部のバラルダ公領の…」

「それ、シテ?」

「いえ、シテからですと、アホみたいに南下した先にあるド田舎になります。シテよりも、隣国ラティアとの国境の方が近いですね」

 ラディカは絶句した。口に手を当てて、分かりやすく慄いた。

「マジでシテじゃありませんのね…、ココ…」

「ど、どうしよう…、シテ以外の下民地方に足を踏み入れるなんて、避寒旅行以外ではしたことがありませんわ…」

「そうなんですか?」

「うん…、だって、お母様がシテから出ちゃダメって言うから…」

 ラディカはしょぼくれて呟いた。が、そんな弱々しい声を聞いたシャトーが自分に憐れみを向けていることに気がついて、すぐに我に返った。


 ラディカは、常に高貴で、強気で、圧倒的でいなければならなかった。それが母の教えであった。


……


『ラディカ、私の可愛いラディカ。貴女はあの“クズとの子”と違って、私の可愛いラディカでいなくちゃ駄目よ?』

『常に他者を見下して、己を誇って、何より、悪女でなきゃ、私のようでなきゃいけないわよ?そうじゃなきゃ、そうじゃなきゃ…』

『貴女なんて愛さないわよ?』


……


「…」

 ラディカはおもむろに立ち上がったかと思えば、次の瞬間、振り返って、椅子役をするために四つん這いになっていたシャトーの腹を思いっ切り蹴り上げた。

 シャトーは当然、悶絶した。倒れ、嗚咽して、吐瀉した。幸いだったのは、今日も彼女が一食も食べていなかったから、胃液しか出てこなかった点だった。

「別に…、魔術があるならその程度の痛み、何とも無いんでしょ?」

 そんな訳はない。うずくまり腹を押さえるシャトーは頬に涙を伝わせながら、恨めしい目でラディカを睨んでいた。

 その視線には、肉体の痛みと心の痛みを訴える力があった。

 しかし、悲しいかな、もう随分と長い間『悪女』をやり続けてきたラディカには、もう、それらの痛みを読み取る能力が衰え切っていた。

 彼女は、人の痛みに対して絶望的に鈍感だった。

 それは、彼女の罪の一つであった。



 六


 その後、ラディカはシャトーに「なんで私、シテじゃない場所に居ますの?何?貴女、もしかして私を略取しましたの?」と尋ねた。

 お腹を両手で押さえながらフラフラと立ち上がったシャトーは、ぶっきらぼうに「…死後、復活されたんですよ、貴女は」と答えた。

 ラディカの顔がひしゃげた。

「???????????????????」

 シャトーはため息をついた後、嫌そうに事情を説明をした。

 処刑のことと、多分、ラディカには神の奇跡である『祝福の力』が備わったのだということを。

 その説明は、色んな意味で果てしなかった。


「…ここからは現在の魔術学では理論化されていない、私論にはなりますが、根本的に、特定の魔術により射出される魔力が捉えうる自然法則は単一です。また、魔力は自然法則を歪める際に同位同座標の別次元に波を生じさせ、干渉対象の自然の波は勿論、それ以外の自分より弱い波も全てかき消します。同程度の波力の場合は互いに打ち消し合います。まぁ、これが故に位階の低い魔術師は、より高位の魔術師には手も足も出ず、同格の魔術師同士の戦いは内蔵する魔力量でしか決着がつかないわけで、これは、魔術の位階がその優劣により分類されていることからも明らかで…。尤も、匣天開門(ぎょうてんかいもん)をした場合は、術者に任意数の層が追加されるので、魔力的な事情が変わってくるのですけど、でも、結局のところ干渉したいのは同じ、自然の波の存在する系だから、一部例外は発生しますが、基本的にはこの超越が在ろうとも結果は無い場合と同じで、ただ、波によるカオスに干渉不可効が付与されるだけで…。あ、話が逸れました。ごめんなさい。…要するに、だから、どの位階の魔術であろうとも、短期間に発動できる回復魔術では、どう足掻こうと肉体の再生か、魂の呼び戻しか、意識の再覚醒のいずれかしか行えません。異なる波は、決して同場所に重複しませんから。そこから鑑みるに、外層と内層の回復が両立しているラディカ様の復活は、何らかの魔術的な効果ではなく、『建国記』にある、フランの祖たる姉妹が得た祝福…、つまり、魔術ではない、より上位の力、そう、例えば自然の外にある別存か、自然とは同一だけど、一方で、匣天開門のように、包括する大いなる何かに干渉する力が付与された故の結果であると考えるべきで…。でも、この点は完全に私の予想でしかないから確証は無くて…、でも、『オムファロス』の指摘と、“姉であるラディカ様”という、フラン家の掟における”イレギュラー”を考慮すれば、やっぱり復活は祝福の力だと予想するしかなくて…。でも、祝福という語は、多分、神と同じく虚構で、唯名論的で、その実体はきっと、もっと体系的に説明が可能なはずで、何故なら祝福の力には匣天開門に類似する点がいくつもあって…」


「…あの、ラディカ様?話聞いてます?」

「ぶぇ…、え…?」

「大事な話ですから、ちゃんと聞いてくださいね?それじゃあ続けますけど、そもそも私たちの世界でいう超自然的とは…」


 こんな調子の説明が一時間続いた。マジで一時間続いた。そこには意趣返しの意もあった。だが、何よりシャトーは魔術についてなら右に出るものはいない最高の専門家であった。だから、こんなに長くなった。


 ラディカはキレた(逆によく一時間保ったな)。

「あぁ!もう!魔術の話は分かったから!とりあえず私が一度死んだってんなら証拠を見せなさいよ!!」

 長時間の説明に中てられ、長椅子にへばっていたラディカは、両足をバタバタさせながら叫んだ。

 ラディカの正面に跪かされていたシャトーは答えた。

「証拠…、ですか。うーん、それを言われると難しい…。なにせラディカ様は“今、生きていらっしゃいますから”…」

「あ、ラディカ様のお墓ありますよ?とりあえずそれでも見ます?」

「えっ、お墓あるの…?」

「マジ…?」

 死のショックからか、ラディカは処刑とその少し以前の記憶を完全に消失していた。だから、彼女からすれば復活なんて信じられるわけがなかった。

 でも、自分の墓が勝手に立てられているという事実は、流石に彼女を混乱させた。

 急に死が現実的になって、ラディカは背がゾクッとした。

 しかし、彼女は『悪女』なので、毅然と振る舞って言った。

「ふ、ふーん?な、なら、私のお墓とやらに案内してみなさいよ…?」

 そんなに毅然でもなかったわ。ラディカは心身ともにビクビクだった。



 七


 そういや、小教会には身体のデカいラディカに合うサイズの靴が無かった(小教会には、ちっちゃいシャトーのちんちくりん靴と、成人男性のゴツい靴しか無かった)。

 なので、シャトーは代わりにベッドから剥がしたシーツを真っ二つに割いたものを、ラディカの片足ずつに巻いて、即席の靴を作成した。

 シャトーがシーツを足に結ぶ際、「…こういうのこそ、魔術でどうにかなりませんの?」とラディカが聞いた。

 シャトーは少し意味深長に黙った末、「…人間の力でどうにかなる部分は、自分でやった方が良いんですよ」と静かに答えた。

 ラディカは、そんなものなのかと受け止めて、それ以上のことは尋ねなかった。


 それはともかく、未だにラディカの棺桶が放置されている礼拝堂から外に出、建物をくるっと右に回ると、小教会付属の墓地…、もとい、墓地(笑)があった(笑なのは、墓地が元々、ひもじくじゃがいもを栽培していた場所の一部を急遽改装して作り上げた、簡易簡素なものだから)。

「うわぁ…」

「窓からの景色もそうだったけど…、マジで何もありませんわね、ココ…」

 ラディカは墓地よりも、まず小教会周辺の景色に圧倒された。

 無理はなかった。なにせ、彼女が今、見渡す限りに広がるのは、無限に続くデコボコと隆起した原っぱと、ポツポツと生えた草木だけだった。

 バラルダ公領の辺境、特に小教会の建つ辺りは、標高50m程度の丘(低山?)が無数に連続する、見通しの悪い、平野の対義語のような地であった。人が住むにはバイタリティか魔術がなければ苦しすぎる地で、事実、ここは人里離れていた。

「一番近くの村でも直線距離で8里はあります。…実際に歩く場合は、起伏を上り下りしなきゃいけないので、その1.5倍はあります。…バラルダ公領の中心街、アメリーまではもっと遠くて…」

 この辺りに存在する小教会以外の人間の痕跡といえば、小教会正面から少し先に細々と横たわる、獣道みたいな馬車道の一本だけであった。

 …存在価値の希薄なあぜ道を極稀にコロコロと通る物好きな馬車の一台、それだけが幼少期のシャトーにおける、お義父さん以外の社会との接点であった。

「…まぁ、住めば都ですよ」

「住みたかないわよ、こんな所」

「あはは、そうかもしれませんね。…っと、あ、ラディカ様、アレです。アレが貴女のお墓です」

 シャトーは、ほら、と眼前に見える、膝ほどの高さの墓石の三つを指し示した。


 三つのうち、真ん中と左の二つは精巧に四角に切り出されていて、ポツポツと細かな文字が彫られていた。右の一つだけは、そこら辺から拾ってきたようなただの岩で、名だけが掘られていた。それらが等間隔に並んでいた。

 墓地とは、ただそれだけであった(笑)。

「えっ」

「ショボくね?」

 その反応は妥当。他者への配慮が無いラディカでなくとも、第一印象は同じであったろう(笑)。

「ねぇ下僕、これ本当に墓?」

 ラディカは、シャトーの後ろ髪をクイクイ引っ張って尋ねた。

「墓ですよ。あと、私は下僕じゃなくて、シャトー・ブリアンです」

「は?」

「…なんですか、は?って」

「私に名を覚えろっていうの?」

「そりゃあ、せっかく終身雇用されたんですから、覚えてくださいよ」

「なによ、ちょっと魔術が使えるからって偉そうね。じゃあ、私が呼びやすいよう、今日から下僕に改名なさい」

「えぇ…?」

 下僕は心外だという顔をした。

「…それで?これらが墓だとして、どれが私のお墓なのよ?」

「あー、真ん中です」

「真ん中ね。貴女、分かってるじゃない。私を世界の中心に置くなんて偉いわ。で、その左のヤツは?」

「それは…、お気になさらず」

「そう?じゃあ、右のへなちょこなやつは?」

「…私の義父の墓です」

「ふぅん、あっそ」

 ラディカは、案内のために前に立っていたシャトーの肩を掴み、グイと横にどかした後、真ん中の墓石…、つまるところ、自分が眠るはずだった墓をじっと見た。

「これが私のお墓…?うっそぉ…」

 ラディカは自分の墓の周りをウロウロして、神妙な面持ちでその真偽を確かめ始めた。至近距離で墓石の肌を見つめたり、両手でペタペタ触ったり、付近の土を手で掘ってみたり、近くの草原から手ごろな花を千切ってきて、お供えしてみたりした。

 彼女は首をひねった。

「これがお墓、お墓ねぇ…」

「ねぇ、下僕」

 屈むラディカは自分の墓石に刻まれた文章を指差し、自分の左隣に立つシャトーに尋ねた。

「これ何て読むの?」

「あぁ、それはですね…」

 別に、ラディカは文盲ではなかった。彼女が墓石の文字を読めなかったのは、それが現代の言語ではなかったからであった。

「古フラン語、『オムファロス』では衛星国ラティアの言語として取り扱われている言語ですね。その文章を現代語訳しますと、えっと…」


 『悪女は死せず』


「ですね」

「…そう」

 シャトーからの回答を聞いたラディカは、一気に静かになった。

 彼女は俯いて、前髪を目に垂らした。シャトーはラディカの表情が見えなくなった。

「…どうやら、私の墓ってのは本当のようね」

「え?あ、はい…、ご理解いただきありがとうございます…?」

 シャトーは、ラディカのことが心配になって尋ねた。

「あの…、もしかして、ご気分害されましたか…?もしアレでしたら、少し部屋で休まれては…?」

 しかし、ラディカからの返事は無かった。

 彼女は、それどころではなかった。彼女は墓石に刻まれた言葉を頭の中で何度も反響させ、自分のアイデンティティというものに向き合っていた。

 悪女と、自分について、その忌むべき記憶ついて、過呼吸になり、目の焦点を揺らしながら思い詰めていた。




 …物心がつく前の記憶は、大抵の場合で抜け消えていると思う。

 事実、私も赤ちゃんだった頃の思い出なんて覚えていない。

 でも、お母様から愛されていたことは、どういうわけか覚えている。

 情景は思い出せないけど、お母様から名前を何度も呼ばれて、抱っこされて、キスされて、時には叱られて。

 精一杯に私を育ててくれようとしていたことを、私は、ちゃんと覚えている。

 頭ではなく、心でじんわりと覚えている。

 けど、物心がついた時、一人でよちよち歩けるようになった時。

 お母様は扉の奥に閉じこもっていて、私が呼んでも姿を現してくれなくなった。

 だから、私はずっと、お母様からの愛は知っているのに、お母様のお顔を知らなかった。


 私は、ずっと寂しかった。

 尤も、お母様がいないからって、独りぼっちというわけではなかった。

 私には、優しいお祖父様がいたし、幼馴染のオルレがいたし、お父様は私のことを毛嫌いしてたけど、何より、妹のレジティがいた。

 お祖父様も、オルレも、レジティも、私のことが好きでいてくれて、私も、三人のことが大好きだった。

 幸せだった。

 でも、私には、やっぱりお母様が必要だった。

 お母様の温かさが、心がじんわりするような気持ちよさが、…何より、愛が、

 愛がなきゃ、私の心はぽっかり穴だった。


 そうして

 そうして、

 そうして…


 もし、お母様にもう一度名前を呼んでもらえるなら、抱っこしてもらえるなら、キスしてもらって、時には叱ってもらえるなら


 どんなことでも言うこと聞くと、お母様に誓った。


 そして、私は悪女になった。

 最初は凄く嫌だった。悪いことをするなんて、みんなに嫌われると思った。

 でも、それでも私は、一歩踏み出した。

 レジティをいじめて、オルレを悲しませて、お祖父様を困らせた。

 みんなが、変わっていく私のことを何とか止めようとしてくれた。


 でも、私は止まらなかった。

 だって、レジティが私に「お姉様、やめて、いじめないで」と泣き叫ぶ程に、

 オルレが「僕では君を助けられそうにない」と言って、私に愛想を尽かせて距離を置く程に、

 お祖父様が「どうしてお前もそうなんだ」と、私のことで頭を抱える程に、

 お母様は、私のことを褒めてくれたから。

 喜んで、名前を呼んでくれて、抱っこしてくれて、キスしてくれたから。

 嬉しくて、満たされて、しょうがなかったから。


 いつの間にか、私は、人を殺しても何とも思わなくなった。

 そこに転がる死体は、下民の死体だから。

 床に転がる蝿の残骸と大差ないから。


 そうなってしまった時、レジティも、オルレも、誰も私に微笑みかけてくれなくなった。

 全ての人が、私を嫌った。

 でも、お母様が私を愛してくれるから、お母様だけは私を愛してくれるから、

 これでいいんだと、これが一番の幸せなんだと、何度も、何度も、自分に言い聞かせて

 他の全てには見て見ぬふりをして


『…泣いて嫌がって、首を横に振っても無駄よ?』

『貴女は、たとえ死のうとも悪女で、“ラディカ”なの』

『“ラディカ”はどれだけ嫌がろうとも、私の娘なの』

『だからこそ、私は大好きよ。私の可愛い“ラディカ”』


 …それはまるで、呪いのようで



 九


 …そうしてラディカは、『悪女ラディカ』でしかなくなった。

 “母の愛娘”でしかなくなった。

 

 母の愛を求めて、母の愛のために何でもして

 そのために誰からも嫌われて、避けられて

 皆がラディカを憎く思うほどに、ラディカは母への依存を更に深めて

 不自由と、苦しみにまみれて

 でも、その代わり、母の愛はあって

 大切な人たちへの後悔もあって


 苦しくて、幸せで、不自由で、不幸で、愛されて、後悔して

 母を愛するのが自分で、愛してくれるのが母で、愛されなきゃ自分じゃなくて、愛さなきゃ母じゃなくなってしまって

 だから、ラディカは悪女でいなければならない。

 生きている限り、母がいる限り、愛してもらいたい限り、愛されている限り、母のために悪女として生きなきゃいけないし、母は自分が悪女である限り生きている。

 閉ざされた扉から、姿を現してくれる。


 それが、その無限のジレンマ、サーキュレート、呪いのような思考の行き詰まりこそが

 ラディカが囚われた論理であった。





───────────────────


 …恐らく、今後どっかで説明描写入れるとは思いますけど、もうだるいんで、ここで魔術の種類について解説します。


 魔術には、五つの属性があります。

 破壊・回復・召喚・幻影・変性、です。すかいりむる。


 破壊魔術は、自然の崩壊を司る魔術です。使うと人が死にます。あと物も壊せます。

 回復魔術は、自然の再生を司る魔術です。使うと怪我が治ります。あと物も修復できます。

 召喚魔術は、自然の創生を司る魔術です。使うと召喚獣と呼ばれる生命のキメラを生み出せます。

 幻影魔術は、自然による感官を司る魔術です。使うと幻視、幻聴、幻臭、幻触とかを自由にできます。

 変性魔術は、上記四種に分類できない魔術が雑多にぶち込まれる枠です。雑に何でもあります。


 以上です。別にこんなもん覚えなくても物語は楽しめると思います。

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