1 (1) 『シャトーという人間』

 一


 シャトーはシスターだった。しかし無神論者だった。

 人が実力以上のことしか出来ないように、自然も摂理以上のことは出来ない。それが彼女の信念であり、絶対的な価値基準だった。

 世に奇跡など存在しない。

 自然学と魔術学が示す限界以上を、人は見ることが出来ない。

 だから、『祝福』なんてものは存在しない。フランの姉妹のみが受け継ぐ神の力なんてものは有り得ない。

 義父が信じて止まなかった唯一神ガロなど、まやかしに過ぎない。

 そう考えていた。

 そして、今もそう考えている。

 たとえ、フランの姉妹であるラディカの奇跡的復活を目撃した後であろうとも…。



 二


 ティリネアの詩人、ゴージィは言った。

 『あらゆる語り部の目的は聴衆に未発見の価値を提供することにある。したがって、共感を促すのみの物語には一切の価値が無い』と。

 私はこの一文を、風に流れる洗濯物と共にパラパラと読み流した後、鼻で嗤った。

 きっと、このゴージィとかいう間抜けは、大分と周りの人間に恵まれてきたのだろう。なにせ『分かってもらえること』のありがたみを完全に見逃しているのだから。

 周囲に理解してもらって、同情してもらって、そして生活の手助けをしてもらえれば、そんな人間としての当たり前が実現できれば、私はどれほど幸せになれただろう?

 私は、『シャトー・ブリアン』として生まれた幸福をすっかり忘れながら、貧乏故に未だ起床から一食も口に出来ていない不幸を呪った。


 季節は初夏。外の物干しに干した洗濯物がよく乾くようになって気分が上がる時期。

 私の今日は、既に8時間ほど経過してしまっているわけだが、やはりゴージィのようには恵まれていなかった。

 朝、6時に起きて、うつらうつらとしながら魔術で出したお湯で顔を洗って身支度をする。二階の自室から礼拝堂に降りて、埃被った唯一神ガロの像を一瞥して、それよりもと家事とジャガイモ畑の様子見を済ませる。

 8時には外に出て、最寄りの街であるアメリーまで空を飛んで行く。街の中心である中央広場に身を潜めながら訪れて、周囲に衛兵がいないことを確認したら、バッと飛び出して、『布教活動』を開始する。

 その30分後には衛兵に活動がバレて追いかけられるから、一目散に退散する。帰宅後、今日の布教活動中に領民から卵を投げつけられてしまったことを、これも神がしっかりしないからだと、ガロの像の前で愚痴る。ヴェール(ウィンプル)と修道服が生臭く汚れたので洗濯する。そんで、これらも物干しに干す。

 修道服は一張羅なので、私は乾くまで肌着にショーツだけの憐れ格好でいなきゃいけなくなる。でも、今日は良い天気で、外でのんびり読書するには最良だから、外に出たくてしょうがなくなる。仕方なく強力な人払いの魔術を使う。『魔族の魔術』を私的利用したことを、心の中で“お義父さん”にごめんなさいした後、物干しの傍にある木陰に腰掛けて、お義父さんの本棚から取った本を読み進める。

 んで、今。

 まぁ、忙しく働いている人たちからすれば、私の生活は穏やかで羨ましいものなのかもしれない。

 しかし、そんな感想こそ、私のことを『分かっていない』証だ。

 私からすれば、この生活は空虚でしかないし、何より、苦行でしかない。

 まだ15歳の私には時間があって、元気に動く頭と身体がある。外は広くて、世界には色々な発見がある。それなのに、私はずっと小教会に束縛されて、身動きがとれない。

 …確かに、束縛は私が選んだ道だった。

 けど、苦しいことに違いはなかった。


 だけども、ここから四ヶ月と三週間後、私は、この苦しみ溢れる生活をまるで甘美な幻想に思えてしまうほどに、苦しむのだった。

 復活された御方との僅かな生活。

 その地獄の果てに、私は己の全てを失うのであった。


「…お」

「伝書鳩…、来た…!」

 そして私はゴージィのしょうもない本をほっぽり出して、伝書鳩の足から、ずっと待ちわびていたレジティ様からの手紙を受け取った。

 『依頼』の詳細について綴られた手紙を受け取った。



 三


 激痛が脳を叩き割って、シャトーは今、お腹が痛かった。

 内臓の痛みというものは、身体の内側の現象である以上、外から傷を慰めることが出来ないから、ただただグロッキーになるだけでひたすらに辛い。

 …まぁ、こんなことを彼女が必死に訴えても、ラディカにはまるで通じないのだろうが。

 二つの意味で。


 正午。

 四ヵ月と三週間前に草葉の陰に隠れたラディカが久々にヒョコッと現世に顔を出した、そんな何気ない日。

 うずくまり、激痛の源流たる股間を両手で押さえながら、華奢で小柄な身体をヒクつかせるシャトーの臀部は、むかっ腹を立てるラディカによっていとも容易く蹴り飛ばされた。

 結構な威力。

 貧乏人特有の体重の軽さ。

 そして、4畳半ほどの狭い部屋(客室なのに)。

 故に、蹴り飛ばされたシャトーは、当然の如く吹っ飛び、傍の壁に全身を激突させた。

「らぁっ…!らぃかさまぁ…!?」

 壁面を背に、天地反転の体勢で倒れたシャトーは驚いて叫んだ。

 いきなり、なんでこんなことをするのか、彼女は知りたかった。

 しかし、相対するラディカ、…やけに高い背、膝まで伸びる銀髪、どんな青よりも蒼い碧眼が特徴の、死装束として着せられた『庶民的』古着チュニックが似合わない、そんなThe美人のラディカは、残念ながら年相応の人間として当然な対話能力を持ち合わせていなかった。

 彼女は、徹底的に自己中だった。


 …いくら神職者と言っても下民よね?

 下民のくせに、許可なく私の眼前に立って、あまつさえ私の名を軽々しく口にするの

 生意気じゃない?


 ラディカは本当に残念な美人であった。顔より内面が望まれる社会なら一生結婚できないほどにキツイ性格をしていた。

 だから、彼女は満身創痍のシャトーに対し、あまりにも簡単にイライラをぶつけた。

 何のためらいもなく、シャトーの顔面を足でぐにょっと踏んづけた。

「ふぇ…?」

「は…!??」

 あまりにも不意過ぎる異常行動に、シャトーは驚愕した。

 何かの間違いかと思った(どんな間違いだよ)。

 だが、ラディカは確かにシャトーの顔面を踏んでいた。

 踏み続けていた。かかとで鼻先を押し潰したり、足指を目に突っ込もうとしたり、土踏まずを頬にゾリゾリと擦り付けたり。

 足裏の皮脂と僅かに付いた床のゴミがシャトーの顔面に遷った。ずっと死体やってたからか、妙な足臭がして臭かった。

「なんっ…!ちょ…!やめっ…!」

 シャトーは抵抗した。

 しかし止めない。

 決して止めない。

 ラディカは踏む。

 幸運なことに(?)、つい数十秒前まで死体だったラディカは裸足だった。加えて、足の裏がぷにぷにだった。また、シャトーの頬もぷにぷにだった。おかげで、シャトーはラディカの踏んづけ自体に物理的な痛みを感じなかった。

 …だが、そんな些細なラッキーで、この行動の問題は帳消しにならない。


 何故なら、問題は、肉体の痛みではなく心の痛み、顔を踏みにじられたことではなく、尊厳を踏みにじられたことにあるのだから。


 シャトーは必死に身じろぎした。ラディカの足を払おうとして、ジタバタと反抗した。

 だって、いきなりこんなことをされて、心が悲しいから。

 しかし、ラディカは止まらない。

 彼女はむしろ、更に体重をかけ、シャトーをねじ伏せる。激しく抵抗するならば、ガン、ガンと何度も強く踏みつけて、物理的な痛みすら与える。

 シャトーの両目に青あざができる。口内に切り傷ができて、何よりも、折れた鼻から血がブワッと吹き出す。

 愛嬌のあった可愛い顔が、これほどなく痛ましく歪む。

「なん…、べ…」

「…ぶっ」

 …最後の一踏みがブチ込まれた。

 そうして、完膚なきまでに叩きのめされ、沈黙したシャトーを見て、ラディカは狂気的に笑み、悠々と口を開いた。

「ふぅ…」

「これで、愚かな貴女にも分かったかしら?」

「フラン家の長女、ラディカという存在、その権威が放つ畏怖が」

 ただの暴力じゃねぇか。

 …しかし、読者諸君も分かっただろう。たった1000字で(たった…?)。

 この物語の主人公を張る、このラディカとかいうチンカス女のアイデンティティが。

「それじゃあ、血を流してるところ悪いけど」

「頭を垂れなさい、下民」

 ラディカ。

 彼女とは、どうしようもなく、どうすることもできず悪女であった。

 『悪女ラディカ』とは、フラン・ガロ王国における史上最悪の悪女を指す言葉であった。


 それこそが、憐れなるシスターが複雑な想いを抱きながらも甲斐甲斐しく介抱してしまった存在の正体であった。



 四


 ラディカの不評は、フラン・ガロ王国内ならほぼ何処でも耳にすることが出来た。彼女の悪名は、一たび轟けば、瞬く間に臣民の悩みの種になっていた。

 彼女の悪事はアホみたいな数あった。

 ほんの少しだけ紹介すると…。


 1.『徴税の長たるフラン家』という立場を使って、不作の時でも不景気でも、絶えず血税をポッケナイナイして、散財しまくった。

 2.自分が企画した演芸会(低レベルでクソつまらん)でうっかり居眠りをした下級貴族の男爵を、その家族共々問答無用で銃殺した。

 3.パーティーで自分より目立ったドレスを着た上級貴族の令嬢に腹を立てて、その令嬢の家に言いがかりをつけ、更には政治的な圧力をかけて脅して、最終的に令嬢を無理やり家から絶縁させて、一人路頭に迷わせた。

 4.シテ郊外のスラムで、近衛に命じて浮浪児をその母親から取り上げて、目の前で無惨に締め殺して見せて、崩折れる母親の姿に大笑いした。

 5.たまたま見つけた好みの男を脅して、その男の婚約者の前で密に性交をしてみせて遊んだとか。婚約者の娘には代わりに別の適当な男を充てがい、初夜を強制させて孕ませ、恋情をむごく終わらせた。

 6.口煩い祖父を流刑にした

 7.弱みを作ってゆするために実の父親を押し倒して関係を持った。

 8.自分より優秀な妹を手酷く虐めた。


 うーん、羅列してみると、なんだかなぁ。悪女っぽい陰湿で粘っこいことを一つもしてねぇなコイツ。なんというか、悪女というより暴君な気が…。

 なんだコイツ、悪女下手か?

 ゴリラディカ。


 でも、それでもまぁ、謀略でなく暴力であったとしても、よくもまぁここまでしてくれる。今に列挙した悪事の数々と比較すれば、先程のシャトーへの対応なんて、まだ可愛いもんじゃないか。

 あれで。あの凄まじいほどの悪逆無道、傍若無人で。

 よくも、こんなクソ野郎が公開処刑前まで王国の頂点に君臨できていたものだ。君臨させる国民が馬鹿なのか?いや、ラディカや彼女の母以前のフラン家は、そこまで酷くはなかった。偏に、これは世襲制が為せる愚であった。


 …さて、そんなラディカスが、共感も同情もしようがないクズが、只今に「頭を垂れろ」と命令している。

 あなたならその通りにするか?

 ちなみに私(作者)なら絶対にそうしない。こんなゲロクソ野郎、股間を蹴り飛ばしてきた時点で首根っこ掴まえて、馬乗りになって、その美貌が豚のニキビよりもグロテスクに潰れるまで顔面を殴る。もう二度と舐めた口を利けなくなるよう、歯を折るなり舌を千切るなり、あの手この手と全力を尽くす。たとえ法に触れたとしても、それで悪の一株が摘めると言うなら安いもんじゃないか。裁判員も「よくやった」と私を褒めて無罪を提言してくれるはずだ。

 …ここまでの恥ずかしいイキり心理は、全て私ならという前提で語ったわけだが、これは、こと王国民の心理にまことに近かった。

 権力にモノを言わせて好き放題するラディカに対する、『下民たち』の当然の鬱憤を端的に表していた。

 むしろ、実際にラディカの暴虐に苦しめられてきた彼らならば、私以上に恐ろしいことを幾つも考えついていたかもしれない。

 実際、喜んでギロチン刑に処したわけだし。



 五


 辺境貧乏闇シスター、シャトーも、一端にその心理を理解していた。

 彼女は田舎っぺだが、もれなく王国民で、『下民』なのだ。

 …尤も、それでも彼女は所在が故にシテで猛威を振るうラディカの悪徳からは珍しく隔絶されていた。

 しかし、彼女はその分、よく新聞を読み、雑誌を読み、人々の噂話を真摯に聞いていた。どうしても世情に疎くなってしまう分、情報に敏感な人間として暮らしていた。

 だから、彼女はラディカが如何に下劣で下衆で外道なのか、生ラディカ(おいしそう)と接触する以前から、耳年増的によく知っていた。

 それに加えて、先程の体験…。

 彼女は、ラディカが噂通りのクソゴミカス野郎だということを傷と血をもって理解した。

 だから、シャトーもまた、当然の帰結として、私や、他の王国民と同等のことを考えていた。…いや、彼女は本当に心優しい人間なので、そこまで過激なことは考えていなかったかもしれない。

 …しかし、少なくともラディカに反吐が出たのは確かなはずだ。

 ラディカに対し「何やコイツ殺すぞ」くらい考えていたことは間違いないはずだ。

 そうだ。そうに違いない。

 そうでなきゃおかしい。

 だって、ラディカは悪女だから。

 見まごうことなきカスだから。主人公にはまるで相応しくない、真正のマジキチだから。


 …しかし、この物語において最も重要な登場人物の一人として抜擢されるシャトー・ブリアンとは、私や、王国民や、もしかしたら、あなたまでもが考えるような、“至極当然な”反応を取る平凡な人間ではなかった。


 彼女には、彼女の論理があった。


「さぁ?早くしなさい?権力者に頭を垂れるなんて、下民からすれば呼吸みたいなものでしょ?だから、私の機嫌が良いうちに、ね?」

 あまりのショックに気を失いかけていたシャトーは、ラディカの催促の言葉でようやく意識を取り戻した。

 彼女の口の中は、酸っぱかったり塩辛かったりした。顔中が血だらけになっていて、気持ち悪かった。

 口を開いてみると、上前歯がポロリと口の中に落ちた。

 全て、ラディカから与えられた痛み。

 シャトーは、間違いなくラディカの被害者


 …そんな彼女の、次なる行動は決まっていた。


「…!はい…ッ!今すぐ…!」

 …そう、彼女は既に、何があろうともラディカに忠実であろうと決めていた。

 ラディカに出会う、ずっと前から決まっていた。

 だから、彼女は、ズーッと勢いよく鼻をすすり、鼻の下を袖でゴシゴシ拭った後、速やかに起き上がった。

 脱げかけたヴェールをかぶり直して、ブーツで床をカツンと鳴らした。

 そして、彼女は長い金髪とスリットスカートをバサリと翻しながら、勢いよく片膝をつき、脊柱のS字をCの字に変えた。


 彼女は、ラディカの命令に寸分たりとも逆らうことなく、これ以上無く頭を垂れた。


「恐るべき御方…、どうか愚かな私にご慈悲を…!」


 …私たちは、これを奇行、狂気と呼ぶだろう。

 しかし、実のところ、世に奇行や狂気などというものは存在しない。

 変態行為も、食人も、マッドサイエンスも、全ては行為者の有する厳格な論理の元実現する合理的行動であり、そこにカオスは存在しない。

 相対評価というものは、ある個人や集団が自己を正当化するために用いる独善的比較法に過ぎない。

 世の価値とは、その本質は無数の絶対性によって象られているのであって、対象らを相対的に見比べることなど決して不可能である。

 人には、その人のみが持つ絶対的不可侵領域、論理、そして価値観が必ず存在する。


 シャトーの価値観。そのバックグラウンド。私たち凡人からすれば共感できない歪な奇行を取ってしまう要因とは、やはり、彼女の出生や育ち、保有する突出した天賦の才にあった。


 …何よりも、彼女が持つ、義父への愛と後悔にあった。


 彼女は本質的には直感主義者であったが、それよりも論理主義者で、道徳主義者であった。

 彼女は、生まれながらに持つ才能が故に、天才的な閃きや霊的な気づきを得意とする一方、世の中とは厳格な理論と妥当性により構成されると確信していた。

 一方で、彼女の義父、『お義父さん』と呼んで、彼女が愛して止まない彼は、極めて神秘主義者で、陰謀論者であった。


『いいか、シャトーよ!世の全ては神がお創りになられたということは至極当然の真実だが、その事実によれば、神の創造物である我々には義務が生じる。義務、そう、正しい信仰を貫き通すことだ!』

『その点で言えば、この国はあまりにも間違っている!フラン家は神のご子孫であり、本来信仰すべき現人神であられるはずなのに、この国は『王国』なのだ!王は、厚顔無恥にもフラン家から神授された支配権を盗んだコソ泥のドブネズミ共なのだ!』

『シャトー、私の子であるお前なら分かるな!?いいや、分からないとは言わせないぞ!でなければ、お前なんてまたあのスラムに捨ててしまうぞ!?』


 …彼曰く、神は存在するし、奇跡はある。世の中で語られている常識は全部嘘で、私は真実を知っている。

 彼女は、自分の命の恩人であり、家族として大好きでしょうがない義父のうち、唯一そこだけがずっと受け入れられずにいた。

 彼女は義父の正しさを構成する論理を否定し続けた。

 その末、二人は離れ離れになってしまった。

 彼女は、自分の性分のせいで、もう二度と愛する人に会えなくなってしまった。

 そんな後悔があった。


 彼女の論理とは、正にそれであった。

 どうしても義父を認められなかったことへの後悔と謝罪。そして、『取り返しのつかない過ち』を犯してしまったことに対して、過ちを払拭しようと空虚にもがく。

 お義父さんのように『狂人』になる。

 そして、お義父さんも認めてくれるような、正しい愛を実現する。


……

 

『…いいか?私の可愛いシャトーよ。世間は御方について穿ったことばかり言うがな、あんなもんは全部嘘だ。本当のラディカ様は、きっと素晴らしい方だ。あの方もまた、レジティ様同様、神に選ばれし存在なのだ。だから、素晴らしい方でなければ、道理が叶わんってもんだ』

『…お前は誰に何と言われようとも、ラディカ様を見限ったり、裏切ったりしちゃいかんよ。なにせ、ラディカ様は、…フランの姉妹は、この国の真の支配者で、人々を偽り解放してくださる救世主様なんだからな』


……


 だからこそ、彼女はラディカに忠実なのだ。

 かつて何度も耳にした義父の言葉を、脳内で何度も反響させ、まるで自分の思考を遮るためのノイズのように用いることで、義父への愛を示すのだ。

 それが、彼女の価値観であり、特別な何かなのだ。



 六


「…ふぅん?気持ちいいくらい私にひれ伏してくれるわね?…股間を蹴っ飛ばして、踏んづけて、散々酷いことを言ってやったのに?」

「…それに、下唇を噛んで、私への恐怖に怯え尽くしている。…ふむ。なるほど?貴女、一応は自分の立場を分かってるのね?」

「…ッ」

「は、はい…。私は、ラディカ様の従順な手足ですから…」

 …しかし、重大な問題なのは、世の中が無数の絶対性により構築されているのだとするならば、人間は完全には分かり合えないという点であり、したがって、人間は所詮、どこまでいっても自分>他人で、彼女もまた、例に漏れないということである。

 この真理の妥当性は、彼女が自己決定に基づいて、自分の都合でラディカのことを良く思っていないのと同じように、義父のこともまた、自己決定に基づき、自分の都合で愛していることが素晴らしく物語っている。

 人は、己の下に人を蔑み、又、立てるのだ。

 故に、只今の彼女とは、別に、義父を自己より超越させて無私になったのではなく、あくまで、突貫的に自分を押し殺して、義父を尊重しようと頑張っているだけであった。

 鼻血は拭えど、傷自体や、顔中にこびりついた血の跡は、その場しのぎの袖程度では決して落とせないように、たかが、他者に促されての自助努力では、受けた痛み、心にへばりつく怒り、悲しみは消せない。

 現に、彼女は、垂れた頭に反して、ギリギリと、下唇を噛んでいる。吐き出したくなる反吐を、一滴たりとも漏らさないように。

 したがって、只今に彼女が見せたラディカへの命令遵守とは、何とかひり出せた形だけの態度でしかなく、そんな彼女に忠誠心なんてものが有るはず無かった。


 高尚な目的を持ち、愛と後悔の中に生きるが、その実、心の底からぺらぺらなシスター。


 “狂いたい理知人”


 それこそが、この物語で最も重要な人物の一人である、『シャトー・ブリアン』なのだ。




 あれ?ラディカは?






──────────────────────────


【人物紹介】


『ラディカ』

 目覚め自体は良いけど、あえて二度寝をするタイプ。布団から出たくない。


『シャトー』

 寝起き30分は本当に起きてるのか疑わしいくらい寝ぼけるタイプ。でも、時間には意地でも起きる。

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