第7話 一緒に戦ってくれないか?
――ドゴン!
スペルビアの言葉が巨大な音に遮られた。発生源は窓の外のようだが、轟音が部屋の中にまで響いた。何か重たいものが地面に落ちたような、ボーリングの球を固い地面に落としたような音。あれを何倍もに増幅したような音だった。
「え! なになに⁉ 今の音……」
窓を開け、外を覗き込む。家の前の道路はいつもと同じ表情を浮かべている。しかし、その主いいは違っていた。
「霧だ……」
昨日、綿向神社で見た光景だ。目の前の道路の様子は鮮明に確認できるのに、その周囲が霧に覆われ見えなくなっている。その霧はほのかの家の前を中心として半径二十メートルほどを覆っていた。
ほのかは窓から身を乗り出し、その範囲を詳細に確認しようとした。そのときだ。
全身に悪寒が走った。綺麗なものをみたことによる衝撃や感動などとは明らかに違う。誰かが舌なめずりをして、自分が出てくるのを待っていたようなそんな感覚が、つま先から頭のてっぺんまでを瞬時駆け巡った。ほのかは咄嗟に後ずさりをした。
「ねぇ、スペルビア……」
――この霧って君と関係があるの?
そうほのかは問いかけようとした。昨日の神社ではこの霧に遭遇した後、スペルビアを拾った。何の根拠もない推測にすぎないが、そこに因果関係があると思わずにはいられなかった。しかしほのかの声の先には誰もいなかった。
「え??」
先程まで鎮座していた座布団の上は空席になっている。転がったのかと思い、ベッドの下をのぞきみたが、いなかった。部屋全体を見回してみてもどこにもいない。机の引き出しの中や、本棚の隙間など、到底入りそうにない場所にまで、ほのかが捜索の手を広げようとしたとき、窓の外から声が聞こえた。
「ほのか、すまない。逃げてくれ」
逃げてくれ。相変わらず感情に乏しい声だったが、確かにそう聞こえた。
言葉の意味はわかっても、話の意味がわからない。
戸惑うほのかをよそに、スペルビアは地面にしっかりと着地をしている。球体の身体からは新たに足のようなものがちょこんと出ており、てくてくと歩いている。
一体何から逃げろというのか。さっきの音は何なのか。スペルビアは何かを知っているのか。そもそも一体どうやって窓の外に移動したのか。色々疑問は尽きないが、先程より真面目な空気を纏っているスペルビアの勢いに押され、とりあえずこの場所から離れる準備をする。スマホと財布だけをポケットに入れ、寝巻のまま部屋を飛び出そうとしたときだ。
――ギン!
金属同士がぶつかるような音が響いた。先程聞こえたものに負けず劣らずの轟音だった。ほのかは部屋のノブに手をかけつつ、窓の外を見つめた。するとそこには傷だらけになり、宙を舞うスペルビアの姿があった。
「スペルビア!!」
ほのかは部屋を飛び出し、勢いよく階段を駆け下り、玄関を出た。
あれだけの轟音が響いたのに、人の気配が全くない。友香子や近所の人が音で起きて、外に出てきていてもおかしくないと思っていたのに、そんな様子は一切なかった。
外に飛び出したほのかの目に横たわるスペルビアが飛び込んできた。ピカピカだったボディはくすみ、ほこりにまみれ、ところどころへこんでおり、かなり痛々しい。
「スペルビア!!」
「来るな!! 狙いはお前だ!」
駆け寄るほのかをスペルビアが静止した。その場で立ち止まるが、依然状況はわからないままだ。
「いや、どういうこと……」
ほのかの要求にスペルビアは答えない。しかし、次の瞬間には理解できた。
全然状況を呑み込めていないほのかにもわかる程の敵意。それがロボットを形どり、目の前に現れた。
二足歩行で歩いてくるそれからは一切生気を感じなかった。鉄骨のような手をだらんとさせ、やや前傾姿勢。全長は人間大の大きさでほのかは少し上を見上げた。細くしなやかなボディの上に頭のように鎮座しているのはスペルビアそっくりの球体だった。しかし、スペルビアに感じた愛嬌や、可愛さは一切感じない。色は黒色。周囲の光を反射し、これまたスペルビア同様キラキラしている。
首元にナイフを突きつけられたような感覚に陥る。自分の生殺与奪権が一瞬で目の前のロボットに奪われたことを本能で理解した。恐怖で身体がすくみ、全身の力が足元からすっと抜けていき、ほのかは立つことすらままならなくなった。
――え……何これ……。
腰から落ちていく身体を止める術はなく、ほのかは地面にへたりこんだ。
そして目の前のロボットがほのかに向かって無骨な手を向けてくる。
ほのかが死を覚悟したそのとき、目の前のロボットの身体が吹っ飛んで行った。
「大丈夫か、ほのか」
声をかけられハッとする。ボロボロの身体でこちらに向かって心配の声をかけてくれる。あんなに小さな身体なのに、自分よりも果てしなく大きな存在に思える。ほのかは一瞬、安堵してしまった。だから、吹っ飛ばされた後もロボットが自分を狙っていることに気が付かなかった。
一瞬のことだった。ロボットの球体上の頭部は何かを探すようにぐるぐると回転をし、そしてある一点を見つめ、止まった。
その視線はほのかに向いていた。
そのロボットはほのかに向かって光を飛ばした。高エネルギーを帯びた光が一直線に向かってくる、その様子が随分スローに感じた。近づくにつれ、熱を帯びていることも感じた。初めて見るものだが、これが何なのかほのかは本能で理解した。
――これは、私を殺すための光だ――
人生で初めて感じる恐怖。さっきまでのイメージとは比較にならない臨場感をもって「死」という現実の足音が近づいてくる。ほのかは咄嗟に目をつぶった。
――死ぬ……
しかし光はほのかに命中しなかった。
――ガン……ガンガン……
金属が地面を転げる音が周囲に響く。目をつぶっていたため、何が起きたのかを見てはいない。だが目の前で横わたるスペルビアが状況を教えてくれた。
――私を庇った……?
「……スペルビア!!!!」
ほのかは横たわるスペルビアの身体へ駆け寄る。そしてその様子を見て、息を飲んだ。
「なにこれ……」
先ほどロボットが放った光が当たった部分が、ない。
物理的な衝撃で欠損したとかではない。まるで最初から何もなかったようにようで綺麗にえぐり取られていた。もしもあの光が自分に当たっていたら。
全身が恐怖に支配される。一刻も早くこの場を離れなくてはいけない。ほのかの生存本能が必死にそう叫ぶ。しかし、身体は動いてくれない。
「……ほのか……」
「スペルビア⁉」
確かに聞こえた。弱弱しい声だが、自分を呼ぶ声。警戒しながら先ほどのロボットを見ると、行動を停止していた。
「大丈夫だ……あの光は連発はできない……今なら逃げられる。私なら心配いらない……」
「いや……でも……」
ほのかは葛藤する。今なら逃げられる。あんなロボット相手に非力な女子である自分が対峙する術などあるわけがない。スペルビアの厚意を無駄にしないためにも、自分は一目散に逃げるべきなのだ。だが、
――恩人を置いて逃げるなんて……できないよ……!
ほのかはスペルビアに駆け寄り、そのボディを拾い上げる。先ほど光線を食らった部分は本当に違和感なく、他の部分と接合していた。
「ごめんね……守ってくれたんだよね……」
「ほのか……」
瞬間、二人の周囲を光が包んだ。先ほどの光線とは違う暖かな光に包まれ、周囲の景色が見えなくなっていき、ほのかとスペルビア、二人だけの空間となった。
「え……え⁉」
「すまない……ほのか……一緒に戦ってくれないか?」
戦うとは何をすればよいのか一切わからない。一体自分に何ができるのか。しかし、スペルビアのボディの奥で光る瞳は真剣だった。どうせこのままだと二人ともあのロボットにやられてしまうのだ。それならば、一矢報いる方法があるのなら、自分にできることは何でもやる。それに身を挺して自分を守ってくれた恩人の頼みに応えたい気持ちもある。
きっとロボットアニメの主人公たちも今の自分の状況に陥れば、戦うはずだ。
「いいよ……でも、何をすればいい?」
ほのかがスペルビアを持つ手に力がこもった。その瞬間、スペルビアの光が光り輝く。
目を開けていられない程の光がスペルビアの身体から発せられた。次の瞬間、スペルビアの身体が粒子上に変化し、ほのかの身体を包み込んでいった。
「え⁉ えぇぇぇ⁉」
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