第6話 私はスペルビア
――チュンチュン……
鳥の鳴き声が聞こえてきた。
カーテンから差し込む日差しはまだ柔らかく、まだ朝の早い時間だということをやんわりとほのかに教えてくれる。
「ふぁぁぁぁぁ!」
――ねっっっむ!!
瞼が非常に重い。パンク修理と銀ちゃんの返却というミッションがなければ、きっと問答無用で二度寝をしている。
ほのかはスマホをタップし、現在時刻を確認する。画面にはでかでかと「06:00」と表示されていた。この時間に一度覚醒した後、二度寝をする行為に絶大な魅力を感じてしまう。
今日は土曜日、本来であれば昼まで寝ていても誰にも迷惑をかけないし、自分も困らない。
ほのかは頭の中で天秤をイメージした。その片方の皿に今日やるべきタスクを乗せる。パンク修理と銀ちゃんの返却というタスクを乗せた皿はその重みで下がっていく。
そこへもう一つの皿に「二度寝の欲望」乗せた。すると天秤は一気に傾き、ほのかの脳内は二度寝に支配されていく。
――こんなに眠いんだから……仕方ないよね……自転車はいつでも行けるし……銀ちゃんもまぁ……
もはや理屈ではない。ほのかが全身に襲い来る眠気に再びその身を任せようとしたときだった。
「おい……起きろ」
突然、声が聞こえた。意識の外から無遠慮に飛んできた声は渋いおじさんのように聞こえた。そしてどこか無機質で感情のない機械音のような声だった。
ほのかはまどろむ意識の中、その声に反論をする。
――起きろだなんて、土曜日の私にそんなことを言う権利がどこの誰にあるんだ……・
そして再びベッドへと自分の身を委ねる。
「おい……聞こえてないのか」
そんなほのかにさらに声が追い打ちをかける。先程よりもはっきりと届いた声にほのかは飛び起きた。
――もしかして侵入者? 不審者? 変態⁉
恐怖で身体を震わしながら周囲を見渡すが、そこにはいつもと何ら変わらない見慣れた部屋があるだけだ。ほのかはベッドの下も覗き込む。こんなところに誰かいたら怖すぎるだろと思うが、はっきりさせないと気味が悪い。恐る恐る覗き込んだが誰もいなかった。
誰かが窓の外から見ているのかと思い、カーテンを勢いよく開けた。だが違和感のあるような風景は一つもない。いつもと同様、道路があるだけ。
――夢だったのかな。
そう思ったほのかが再びベッドに戻ろうとしたときだ。学習机の方から声がした。
「どこを見ている……こっちだ」
はっきりと耳に届いた声の方向をみると、学習机に鎮座している銀ちゃんがいた。ほのかはじっと銀ちゃんを見つめる。
「あはは……まさかね」
そんなことがあるわけないと、ほのかは頭の中で浮かんだ可能性を必死に否定し、再び夢の中へと戻ろうとした。しかし目の前の声の主がそれを許してくれなかった。
「おい、お前に言ってるんだ」
先ほどまで必死に否定した可能性を目の前の球体は無遠慮に突き付けてくる。気のせいでも見間違いでもなかった。
この声は銀ちゃんが発していた。
そうなるとほのかの頭に浮かんでくるのはまだ夢の中にいるという可能性だ。半分願望に近い想いを込め、ほのかは自分の頬をつねる。ありきたりだが、他にこれが現実だということを確認する方法は思いつかない。
「……いたい……」
しっかりと自分の身体は痛みを伴って反応した。力のコントロールとは難しいもので、じんじんと頬は熱を持って、これが現実だということを知らせていた。
「何をしてる」
「ちょっと待って。一回黙って」
ほのかは銀ちゃんに向かって人差指を立てる。まずは頭の中を整理する時間が欲しい。しかし目の前の球体は相変わらず無遠慮にこちらに呼びかけてくる。もしこれが本当に玩具だとすれば高性能すぎる。
結局、いくら考えても一人では状況を理解できないと思ったほのかは率直な一番の疑問をぶつけることにした。
「何で話せるの……?」
「この世界には電波に乗って様々な言語が飛び交っている。一晩あれば習得は容易い」
それはすごい。しかし、会話が成り立っていない。ほのかの疑問は一パーセントも晴れていない。
「いや、そういうことじゃなくて……君はどうして話すことができるの?」
「空気を特定の周波で振動させることができれば何だって話すことができる」
言葉の意味は伝わっているのに、会話が成り立たないのはなぜか。どうすればわかってもらえるのだろうか。ほのかは頭を悩ませながら、再び銀ちゃんに向き合った。
「えー、まぁじゃぁそういうことでいいよ……。他にも聞きたいことはいっぱいあるんだけど、とりあえず君はなにもの?」
「私はスペルビア」
「スペルビア……それが君の名前?」
その瞬間、ほのかが一生懸命考えた銀ちゃんという名前は過去のものとなっていった。悲しい気持ちはない。今はそれどころではないのだ。ただ銀ちゃんの方が可愛いとは思う。
「ああ。お前はほのかといったな。昨日は助かった。ありがとう」
いきなり殊勝な態度を取り出したスペルビアと名乗るそれに少しほのかは面を食らった。しかし、お礼を言われて悪い気はしない。
「いいよいいよ。でもお前って呼ぶのはやめて。なんか嫌」
ほのかの嫌いな男性のタイプだ。人のことをお前と呼ぶ男と店員に横柄な男。ほのかは目の前の得体の知れないものに対してもはっきりと意見を伝えた。こうした順応の速さはほのかの長所だ。
「わかった」
スペルビアはそう淡々と返事をした。見た目の異質さに動揺したが、話はちゃんんと通じるようで、ほのかは少し安心した。
「ていうか、私の名前。何で知ってるの?」
「昨日母親に呼ばれていただろう」
「え、いつのこと?」
「軽自動車の中だ」
「え、あ、そうか……」
そのときのことを覚えているということは、昨日ごっこ遊びをしていたときのことも覚えているというわけだ。顔から火が出る思いとはこういうときに使うのだろうとほのかは思った。
「で、スペルビアは一体なんなの?」
スペルビアが一瞬、目をぱちくりさせる。
「私はサイバーフレームだ」
「……えーと……それは……」
再び、話が分からない方向に行きそうになっている。だがもはやなんと質問をすればよいのかわからない。
「サイバースペースからやってきた」
――いや、サイバーフレームって何⁉ サイバースペースってどこ⁉
そう思いのたけをぶちまけてしまいたい衝動を抑える。こういうのは冷静さが大事だ。頭の中に九十年代に流行ったロボットアニメの主人公を思い浮かべる。クールになるのだと頭の中で自分に言い聞かせた。
「サイバースペースは……遠いんですか?」
――私にはクールは無理だ。あはは。
「サイバースペースはお前たちの身近に存在する」
「あ、お前禁止っていったよね」
「すまない」
スペルビアが素直に謝ってくる。見た目は銀ちゃんのままで丸っこくかわいらしいままなのが、逆に憎たらしい。
「えー、あの……ちょっと整理させて」
「何をだ」
「話を。今話すのは私のターンね。少し黙ってて。そして聞かれたことにはちゃんと答えて
「わかった」
「あと私に理解できるように説明してね。私のことは少し話のできる虫だと思って話をして。わかりやすくってこと」
ほのかは深いため息を吐く。ふぅとお腹の空気をすべて吐き出し、再び深く空気を吸い込む。何故土曜日の朝にここまで頭を悩ませなければいけないのか。一体何から尋ねればよいのか。
「えっと、さっき言ってたサイバーフレームって何?」
とりあえず目の前の球体のことを知ることが最優先だ。現実世界にロボットが現れたらいいなと常々思っていたが、いざ目の前にすると状況の把握をするのが精いっぱいで冷静になってしまう。というか目の前の球体は果たしてロボットなのか。もしもロボットならばリアルロボットなのかスーパーロボットなのか。
「サイバーフレームは我々のような電子生命体の総称だ。サイバースペースに生息している」
――電子生命体?? ……ゾ○ドみたいなものかな……??
頭の中に疑問符が浮かぶ。ほのかにとって電子生命体といえば、ゼンマイやモーターによって歩行や武器の稼働などのギミックを有する動物型メカの組み立て式玩具しか出てこない。架空の惑星で戦争をしている話のアニメ。
「……電子生命体って何ですか?」
「電子空間に存在する生命体のことだ」
「電子空間……それがさっき言ってだサイバースペースってやつ?」
我ながら鋭い。割と確信めいたものを持って、ほのかは尋ねる。しかし、結局サイバースペースとは何なのだろう。結局、何も納得できる答えはもらっていない。ほのかの頭を再び疑問符が埋めつくす。単語を説明するために単語を用いられても、その単語の意味がわからない。自分の理解力が足りないのだろうか。少し話のできる虫に話すようにといった依頼は完全に無視されているような気がする。
「ごめん。電子空間ってなに?」
結局スペルビアからの回答を待たず、五月雨式に質問をした。
「……ほのか達の世界の言葉でわかりやすく言うならインターネットのような場所だ。電脳世界と言った方がよいのだろうか。仮想空間、メタバース、色々イメージをさせられるような表現はあるがどれとも少し違う。0と1のみで構成されている場所だ。私たちサイバーフレームはその中で生まれた」
理解ができていない様子が伝わったのか、わかりやすくスペルビアが気を使ったため、なんとなくイメージをすることができた。インターネットの中の存在といえば、SNSにいつも張り付いている人間や、延々とネットサーフィンをしている人間をイメージするが、そういう比喩表現ではない。
彼は文字通り、電脳世界内の存在と名乗った。
「……インターネットってあのインターネット?」
「ほのかの想像しているインターネットがどのインターネットなのか私にはわからない」
「えっと……スマホとかXの……」
「まぁ大まかなイメージとしてはそれで合っている。無理に理解をする必要はない」
優しく諭されたようにも思うが、聞きようによっては馬鹿にされているとも捉えることができる。ほのかは勿論前者として受け取った。無理に理解をしなくていいというのも大賛成だ。ほのかは普段スマホを何気なく使いこなしているが、これがどういう原理で動いているなんてのは理解しなくても何の問題もない。世の中はそういうものが往々にしてある。
それにこのスペルビアが、本当にインターネットの世界から来ているなら、それは現実世界に迷い込んだロボットの話として、とてもテンションの上がることである。そうじゃなく、ただ玩具のプログラムの進歩でそう話しているだけだとしても、それはそれでテンションが上がる。どちらにせよ、ほのかにとってテンションが上がることなのだ。
「で、スペルビアだっけ? 君はなんでサイバースペースからこっちの世界にきたの?」
「それは……」
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