第5話 さて……一体君はなんなんだ?

「家に帰ったらすぐお風呂入りなさいね。風邪ひかないようにしなきゃ」


 運転しながらバックミラー越しに、ほのかの母である友香子が話しかけてくる。ほのかは「はぁい」と口だけを動かし返事をした。

 友香子が神社に到着したのは、ほのかが連絡した二十分後だった。雨はどんどん勢いを増していたため、早々に来てくれて助かった。夏とは言え、さすがに濡れたまま外にずっといたら風を引くことは免れないだろう。靴の中は雨水が浸水しており、何とも言えない不快感に襲われている。

 軽自動車の後ろに自転車を乗せ、そのまま後部座席に乗り込んだ。ボックスタイプは片方の座席を倒すことができ、ほのかの通学自転車程度なら楽々と乗せることができた。

 友香子がタオルを渡してくれたため、それで濡れた髪の毛や身体を拭いた。制服が肌に張り付く感触がなんとも気持ち悪いが、もうしばらくの我慢だ。自動車ならここから自宅までそう時間はかからない。

 ほのかは自分の身体の水分をさっとふき取ったあと、今度は手に持ったそれの水滴をふき取った。ふき取った部分を触ると、摩擦が発生し、小さくキュッと音が鳴った。洗い立ての食器を擦るような音だ。その音がほのかの中で小気味よく響き、キュッキュとタオルで拭き続けた。ピカピカになったそれを覗き込むと、ほのかの顔が反射して映り込んでいる。そのピカピカ具合いにえも言われぬ達成感が込み上げてきた。

「ふふ……」

「何? どうしたの?」

 ふと笑みがこぼれ、それに友香子が反応する。

「何にもないよう」

 じっと手の中のそれを見る。銀色に輝くボディがとても綺麗だ。

 ――なにか名前をつけよう!

 そう考えを巡らす。小さい頃はアニメに影響され、オリジナルのロボットとかを考えたものだが、もう久しくそんなことはしていない。あの頃のようにノートに書ききれないほどの名前の案が今出たらいいのに。

 ピカピカの球体を見つめるが、なかなかいい案は出てこない。

 ――ピカピカ……ピンピカピン、銀色……。

「銀ちゃんとか……?」

 自分の発想力の貧困さを嘆く。幼き頃のあの溢れんばかりの想像力はどこにいったのだろうか。考えると少し悲しくなった。だが「銀ちゃん」という名前は口にすると思っていたよりも響きが可愛くかった。

 ほのかはとりあえず、目の前のそれを「銀ちゃん(仮)」と呼ぶことに決めた。

 ◇

 家に到着すると、友香子に促され、真っ先に脱衣所に向かった。びちゃびちゃになった。そのまま上がると家の中まで濡れてしまうため、玄関で靴下も脱いだ。自分のとは言え、鷲掴みにするのは気持ちが悪いので、親指と人差し指の先端で挟むようにして靴下を輸送する。

 玄関の床に銀ちゃんを置くと、ごとりと音がした。なんとなく痛そうに感じ、ほのかは座布団を引き、その上に置きなおした。丸いボディが座布団の上に、まるで水晶玉のように鎮座している。

「少し待ってておくれよ」

 ほのかはそう言い残し、脱衣所に向かった。


「さて……一体君はなんなんだ?」

 自室で銀ちゃんに向かってほのかは問いかけた。勿論返事はない。銀ちゃんは相変わらず、目をぱちくりさせるだけだった。

 シャワーをささっと浴びた後、食べそびれた朝食と友香子が作ってくれた手作りハンバーグを夕飯としてあっという間に平らげた。友香子のご飯はいつも美味しく、パートをしながら作ってくれるその愛に毎日感謝している。先ほど脱衣所で計った数字は脅威ではあるが、友香子のご飯を控える理由には到底ならない。そしてほのかは満腹のお腹とまんまるの銀ちゃんを抱え、自室に戻った。

 学習机に先ほども使った座布団を引き、その上に銀ちゃんを鎮座させる。返事はないのはわかっているが、こういうごっこ遊びはいくつになってもなかなか卒業できない。

 小さい頃、友達を巻き込んでよくごっこ遊びをしていたなと思い返す。その中には今もクラスメイトの唯もいて、彼女はいつも主人公の魔法少女をやりたがっていた。ほのかはあまり魔法少女ものに興味がなかったからモブAみたいな立ち位置だった。すると唯に「ジコシュチョー」が足りないと怒られた。本当に思い入れがないからやりたい役がなかっただけなのだが、自分のことを想ってそこまで怒ってくれる友達は大事にするべきだと思った、唯とはそれ以来の親友である。

 そんなことを思い出しながら、目の前の銀ちゃんに学習机のライトを当てる。気分はさながら刑事ドラマの取り調べだ。かつ丼はないが、それっぽいBGMを流し、雰囲気を味わいながら、ほのかは同じ質問を二度三度繰り返す。

「……答えないというのか??」

 少し声のトーンを重くしてみる。その面持ちは真剣だ。こうしたごっこ遊びはどれだけ真剣に取り組めるかで楽しさがまるで変ってくる。銀ちゃんは相変わらず、何のリアクションも示さない。一体どういう仕組みで動いているのか見当もつかない。

「ふぅ……今日はここまでにしといてやろう」

 ほのかはそう銀ちゃんに告げるとベッドに移動し、毛布にくるまった。ふかふかの感触が一瞬でほのかを夢の中へと誘ってくる。普段なら今期のアニメを一話見てからとか、漫画を一冊読んだりするのだが、今日は押し寄せる疲労感に耐えられそうになかった。身体がまるでベッドの一部のようになっていく。

 まどろむ意識の中、明日起きてからのシミュレーションをする。

 まずは自転車屋さんにパンクした相棒を持っていく。

 そして銀ちゃんをどうするか。あの雨の中、放置をしていくのは忍びなかったし、間違ったことはしていないとほのかは思っている。だけど持ち主は今頃大騒ぎをしているかもしれない。きっと大事なものだろうし、高価である気もしていた。インターネットで検索しても、該当する玩具はなく、何かは一切わからないが、自分がずっと持っているのも変な話だ。

 ――明日、自転車屋さんの後、綿向き神社に行ってみよう……。

 ほのかは大きなあくびをした後、机で鎮座している銀ちゃんを見た。ふと目が合ったように思う。

「おやすみ……銀ちゃん……」

 そして、すぐに深い眠りに落ちていった。

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