第4話 ロボットがいて、それに乗ってビュンと飛んでいければいいのに。


 本来の役目を果たしてくれない相棒を携えながら、ほのかは帰路についていた。

 自宅までおおよそ五十分から一時間程度、いいダイエットだと思い込むことに決めた。

 いつもは自転車で爆走しているあっという間に過ぎ去っていく景色たちが、今日はゆっくりと流れていく。普段見ているはずなのに、意識をしていない細部に目を向けると、まるで見たことのないような景色に感じた。木々の緑や蒸したあぜ道にすらなんとなく風情を感じてしまう。

 ――たまには歩くのも悪くないな。

 サブスクで「夏の音楽」と検索する。その中で適当に選んだ曲をイヤホンで流した。なんかの映画に使われたインストゥルメンタルのみの曲だったが、そのしっとり目の曲調がいい感じで不思議と涙腺が緩んだ。十五歳のほのかですら、ノスタルジーを感じてしまうような空間が目の前に広がっていた。まるでミュージックビデオのヒロインになったような気分になった。

 明日は土曜日だ。パンクした自転車を修理に持っていこうと思っていたが、こんな気分になれるのなら、来週もまた歩いてもいいかもしれない。

 ――でも、結局来週は来週で歩くのやだとか思うんだろうなぁ……。なんせ私だもの。

 空を見上げる。どこまでも広がっていく大空は建物に一切遮られることはない。

 ――ロボットがいて、それに乗ってビュンと飛んでいければいいのに。

 帰路も半分に差し掛かった。

 ほのかの通学路の丁度半分の辺りには「綿向き神社」という神社がある。

 神武天皇の時代に出雲国の開拓神を迎えて祀り、五四五年この町の外れにある綿向山の頂上に祠を立てたのが始まりといわれており、平安時代の初期の七九六年に現在の地に移転されたとされている。毎年ゴールデンウィークには町で一番大きな祭りが行われ、地域では有名な神社だ。

 ほのかも小さい頃はその祭りを楽しみにしていたが、中学生以降になってからは特段、遊びに来ることもなく、今では近所にある大きな神社という印象しかなく、普段自転車で前を通りすぎるときも、ちらと見たとしても何か思うことは特になかった。

 だからこの綿向神社にこれほど注目したのも小学生以来だった。

「……何これ?」

 いつも何気なく通っているその場所の様子が、今日は随分と違っていた。

 綿向き神社の正面には大きな鳥居があり、いつもはそこから境内を覗けば本堂や奥にある社務所まで鮮明に見える。しかし、今日は何も見えなかった。

 神社の中だけが深い霧に覆われており、中の様子が一切わからなくなっていた。

 周囲の晴天とのコントラストがとても神秘的で、ほのかは思わず見とれてしまっていると、

 ――ドガン!

 鳥居の中から音がした。何か大きなものが地面に激突したような音だ。木が倒れたようにも思えるし、雷が落ちたような音にも聞こえたが、それはあり得ないとすぐに思考を振り払う。

 ふと頭上を見上げる。これから訪れる夜の深い青と、夕暮れの朱色が混ざり合い、これまた神秘的な空だった。雷はおろか、雲一つ確認できない。

 ほのかは自分の中にも、こんな好奇心がまだあることに驚いた、

 新しい玩具を見つけたような、行ったことのない場所を訪れたときのような高揚感が湧き上がってくる。

 普段のほのかならここで引き返していたかもしれない。ただ、今日弘樹と話したことが思いのほか楽しかったこともあり、身近なところにももっと楽しいことが落ちているのではないかと考えていた。

 新しいものにもっと触れたくなってしまっていた。

 もしかしたら、これは危険な考えかも知れない。危ない目に会うこともあるかもしれない。だが、今はこの好奇心を抑えることはできなかった。

 ほのかは学校から二十五分ともにしてきた相棒を道路のわきに置き、恐る恐る鳥居をくぐっていった。

 

 境内の中は霧に覆われていた外からは想像つかないほど、鮮明に見渡せた。どうやら霧は神社を中止忍、周囲一帯を円状に覆っているようだった。

 台風の目のように中は何も変わらず、穏やかな夏の神社の様相を浮かべている。既に懐かしいと感じてしまう本堂や、狛犬のように並んでいるあまり可愛くない猪の石像、奥で神社を囲むように並んでいる木々がはっきりと確認できた。

 ほのかが後ろを振り返ると、さっき入ってきた鳥居を境に、今度は外側が見えなくなっていた。先ほど間違いなく置いた相棒の姿も既に確認できなくなっている。

「すご……」

 思わず感嘆の声が漏れた。

 この現象の名前はわからない。しかし、珍しい現象であることはわかる。普段何気なく通っている通学路でこんな光景に出会えるのはきっと幸運なことだ。

 ――これも自転車がパンクしたおかげか。やっぱ、人生捨てたもんじゃないね!

 ほのかがそんなことを考えていると、段々と霧が晴れていった。

「え……あぁ……!」

 霧は瞬く間に晴れ、再び見慣れた通学路と寂し気な相棒がほのかの目に飛び込んできた。ポケットに入れたままのスマホを握りしめ、ほのかは写真を撮らなかったことに少し後悔を覚えた。

「ま、仕方ないか……そういや、さっきの音はなんだったんだろ」

 ほのかは周囲を見渡した。しかし特段、変わった様子は見られない。

 多少の疑問を感じつつも、ほのかが踵を返し、通学路に戻ろうとしたときだ。

 神社の奥の方、綺麗に生えそろった木々の間で何かが光ったように見えた。

 ――なんだろ?

 気のせいかと思い、ほのかは先ほど光った場所を凝視した。すると再び、木々の間、付け根の部分の地面がパぁと光った。

 好奇心に負け、ほのかは光の発生源を確認するべく、近づいていく。辺りは先ほどと何も変わらず、穏やかなままだ。

 ほのかは本堂の横を通り抜け、光の発生源までたどりついた。

「うわ! なにこれ!」

 目の前に現れたのは地面に空いた大きな穴だった。直径は一メートルほどで、丁度木と木の間隔と同じぐらいの大きさ。深さは五十センチメートルほど。アイスクリームのスプーンで掘り出したようなきれいな半球の穴がそこには空いており、中から光が漏れていた。

「……なにこれ……ん?」

 中をのぞいてみると、穴の中に何かが落ちている。

 大きめのボーリングのような球体だ。色は銀色で材質は金属に思える。それがアルミなのか鉄なのかステンレスなのか、金属の種類まではわからない。それが外まで漏れ出すほど、強い光を発していた。

 そしてほのかが中を覗き込んだことを確認したかのように、光がスーッと消えていった。

 目の前の球体を訝しげに見る。ボーリングの玉しか思い浮かばないが、それだよ先ほどの光は説明がつかない。

 ――もしや最新型?

 ほのかは恐る恐る目の前のそれを触ってみる。まずは近くに落ちていた枝でつんつんとつついてみる。何も反応はない。

 次は指先でちょんと触れてみた。ひんやりとした感触が指先に伝わる。触れる面積を少しずつ広げていき、手のひらをその上に置いてみる。それでも特に何も変化はない。

 警戒心が薄れたほのかはそれを両手で持ちあげてみた。重量は思っていたよりも軽く、すっと持ち上げることができた。

「なんだろう、これ……」

 目の前のそれを観察する。いろんな角度から覗き込み、くるくると手の中でそれをかいてんさせた。光沢のある表面にはまるでスプーンのようで、ほのかの顔が歪んで映っている。

 段々と楽しくなり、ほのかは目の前のそれを更にくるくると回し続けた。すると指にほんの少し違和感を感じた。

「ん……なんだろう」

 違和感のあった部分を正面に持ってきてみると、つるつるの表面の一部分がほんの少しへこんでいる。触らなければわからない程度のほんの少しのへこみだ。へこみの周囲にはほんの何ミリかの溝が彫られており、何やらボタンのように見えた。

 ほのかは何も考えていなかった。ボタンは押すものと認識している。だから何の躊躇もせず、そのボタンに手をかけ、それを押した。


 ――ピピピピ……

 その瞬間、球体から機械音が鳴り響いた。

「うわ!!」

 神社を覆いつくすほどの大音量だった。小学生が持っている防犯ブザーのような勢いで鳴り響く機械音にほのかは驚き、それから手を放した。

 手に持っていた球体は、ガンと鈍い音を立てながら地面に落ちた。とたん音が止んだ。

「え……え?」

 ほのかは戸惑った。もしかして高価でハイテクな機械だったのではないかと想像がよぎる。そしてそれを壊した場合、賠償請求され、一家で路頭に迷う未来を一瞬で妄想してしまった。

 そんな妄想をしながら、地面に落ちたそれの様子を覗き見る。本当に壊れてしまったのか。心配を抱えたまま、再び恐る恐るほのかはそれを指でつついた。

 ――プシュー

 今度はそれから煙が出てきた。手持ち花火をやったときと同じような煙の量に一瞬視界が遮られる。先程押したボタンが何かはわからない。だがそれを押してしまったせいで、今こうなっているのは疑いようがなかった。

 ほのかはそれを再び得体のしれないものと、認識し、怖くなり、後ずさりをした。二、三歩下がり、木の陰に隠れながらそれを観察した。

 煙が徐々に消えていく。視界がクリアになり、球体が再びほのかの目の前に姿を現した。しかし、先程と形状が変わっている。

 ――なにこれ!

 球体の上部がパカッと開いており、その中にガラスのようなものが見えた。覗き込むと奥に二つ目のようなものが確認できた。まるでつぶらな瞳のようにぱちくりしている。

 変化は目の部分だけではなく、身体にあたる部分にもあった。球体の左右が少し円状に開き、その穴から短い手のようなものがぴょこっと出てきている、短い手をパタパタしている様はとてもかわいらしく、小さい頃、ねだっても買ってもらえなかったお話ができるロボット型の玩具があったなぁとほのかは思った。

 そんなことを考えながら、再び両手でそれを持ちあげる。瞳のようなものと目があい、ほのかの心はかわいいに支配された。

 ――でも結局、何かはわからないな……。

 この玩具は一体何なんだろうか。そもそも玩具なのだろうか。しかし、他に思い当たるものもない。誰かが落としたのだろうか。

 この穴も気になる。誰かが掘ったにしてはものすごく綺麗な円だ。人力では到底あり得ないだろう。何か機械を用いないとこんなに綺麗な円は掘れない。しかし、周囲にそれらしきものは見当たらない。

 ほのかは目の前のそれを抱…えたまま、考えを巡らした。すると急に手の甲に生温いものを感じた。

「え、雨……?」

 ――あれだけ晴れていたのに!

 目の前の玩具に夢中で気が付かながったが、既に上空は曇天に覆われていた。

 皮膚が感じた生温かさはあっという間に勢いを増し、周囲を雨音が包んでいく。天気予報を確認しなかった自分を呪いながら、ほのかはそのまま木の下で雨宿りを試みた。社務所まで走ればもう少しましな屋根があるが、既に土砂降りと呼んでも差し支えがなくなった雨の中、そこまで走る気にはならなかった。

「えぇ……これ止むかな」

 バケツをひっくり返したような雨を眺めながら心配事が二つあった。

 一つは鳥居のところに置いてきた相棒の存在。あいつを押してこの雨の中を帰れるとは到底思えない。

 もう一つは手の中のこいつだ。

 どんな材質かはわからないが、この雨の中放置すれば錆びたりしてしまうのではないだろうか。持ち主がいるかもしれない以上、泥棒扱いされてしまう可能性がないこともないが、このままこいつをこの土砂降りの雨の中、放置することは、ほのかにはできなかった。

 ――ふむ……召喚しますか。

 ほのかはポケットの中のからスマホを取り出し、無料通話アプリを開いた。

 この時間はシフト次第ではパートが終わっていない可能性があるが、どっちにしろ他に方法はない。ほのかは希望を胸に母の名前をタップし、通話ボタンを押した。

「もしもし?」

 スマホの向こうから聞こえてきた母の声に胸をなでおろす。

「あ、もしもし、お母さん?えっとね……」

 ほのかは事情を説明した。仕事終わりに頼みごとをするのは多少気が引けたが、この雨の中パンクした自転車を三十分弱も歩くという選択肢はほのかにはなかった。

「うん、綿向き神社のとこ。え? あ、うん。パンクしちゃって。はーい。ありがと」

 電話を切り、スマホをポケットにしまった。タイミングよくパートが終わったようで、直接来てくれるようだ。母には頭が上がらない。迎えに来てもらったらまずは朝食を食べ損ねたことを謝罪しなくては。きっと怒られるのだろう。

「もうちょいで迎えがくるよ」

 手の中のそれに話しかけた。雨の跳ね返りで少し濡れたボディは先ほどよりピカピカして見えた。話が通じているとは思えないが、それはほのかの言葉に反応したように目をぱちぱちとさせた。

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