第2話 あれだ。クオリティが高いってやつだ。

「ん……んん……」


 カーテンからこぼれ出る光が目に飛び込んでくる。外はすっかり明るくなっている。目を開けようとしたが、昨晩の夜更かしがたたり、瞼はなかなか言うことを聞いてくれなかった。


「ねむ……今、何時だ……」

 やっと上下に開くことができた瞼の合間から、愛用の目覚まし時計を見た瞬間、一気に目が覚めた。時計は八時二十分を表示している。

「えええ!! もうそんな時間⁉ やば!」

 昨晩はあのまま寝落ちしてしまったため、目覚まし時計もかけ忘れていた。ほのかはベッドから飛び起き、色んなものに責任転嫁をしだした。

「あぁもう! やっぱり早く寝ないとダメじゃん! 何やってんの昨日のわたし! それにお母さんも起こしてくれてからパートに行けばいいのに!」

 口々に文句を言いつつも、クローゼットにかけてあった制服に手をかけ、慣れた手つきで着替えていく。

 ホームルームの開始は八時四十五分。ほのかの家から学校までは自転車を飛ばして二十分はかかるため、五分で家を出ればギリギリ間に合う計算だった。しかし、そんな全力で自転車を飛ばすのも十五歳の乙女としてどうなのかと姿見で最低限の身だしなみを整えつつ、ほのかは葛藤した。ぼさぼさの髪の毛にくしを通す。風呂上がりにヘアオイルを塗っているおかげか、その通りはよく、さっと流すだけで、寝ぐせは消えてくれた。

 ほのかのクラスは担任が厳しいことで有名だった。

 遅刻をした場合、罰として教室の居残り掃除が課せられる。頭の中で掃除をする面倒くささと、今全力で自転車をこぎ、汗だくの状態でホームルームを迎えることを天秤にかけ、一瞬ほのかの手が止まった。


「いや、やっぱり遅刻はよくない!」

 すぐに鞄を手に取り、階段を降り、大急ぎで玄関まで駆け下りる。靴箱の横にある鏡で自分の姿を見ると想像以上にワイルドだった。食パンを咥えればまさにという状況が出来上がるが、水出家の朝ごはんはご飯派だ。食卓に準備されていた朝ご飯を食べられなかったことを心の中で母に謝罪しつつ、全力で家を飛び出した。

 


「じゃぁねぇ、ほのか。また明日~」

 放課後、ほのかの親友の唯はそう言い残し、教室を去ろうとした。小学校からの付き合いの唯は最近気になる人ができたらしい。そのため、親友のピンチはおかまいなしという様子の笑顔だった。

「え、帰るの?」

「いや、今日はかれぴっぴとデートなのよ」

「いや、まだ予定でしょ。彼氏になるのは。いま君の親友は大変なんだよ?」

「ほんとに心苦しいわ。ごめんね」

 全く悪びれない笑顔で唯が告げる。

「早く帰れ。もう」

「ほーい、頑張れ。ほのか」

「つらたんだよ、ほんとに」

 そう言い残し唯は教室を後にした。

 ほのかが無二の親友に罰の手伝いを懇願したところ、今日はデートだからとあっさりと断られてしまった。それも満面の笑みで。唯は最近、近所にある名門私立の兄弟社高校というところの男子生徒といい感じのようだ。頭もよく、顔もいい異性とのチャンスをふいにしてまで、自業自得の親友を助ける必要はないとのことだが、正論過ぎて、反論の余地はない。自業自得なのはその通りなのだから。

「はぁ……がんばろ、いいことあるよ。わたし!」

 ほのかは今、箒を手にし、教室の床をせっせと掃きながら、もし魔女のようにこれにまたがり空が飛べる世界だったら、こんな事態にはなっていないだろうなと考えていた。何故、人間は課題が迫ったとき、こうも現実逃避が捗るのだろうか。

 今朝、ほのかは間に合わなかった。

 全身の筋肉をフル稼働させ、息を吐き続け、心臓をこれ以上ないほど酷使し続けた末、もう少しで学校に着くというときになんと自転車の前輪がパンクした。相棒のメンテナンスを怠った自分が悪いと言えばそれまでだが、こうも立て続けに悪いことが起こると、気が滅入ってしまう。どこかでこの流れを断ち切らなければいけないと思い、ほのかは心の中で神様に抗議をした。

 ――よくない、よくないぞ、ほのか。ハッピーを探さねば。

 ほのかは中学生のころから、人間生きていれば嫌なことの一つや二つは降りかかってくることは往々にしてあると理解していた。だから、ほのかはこうしたときに心掛けていることがある。

 それは日常の中の幸せを探すことだ。それは大きなものでなくてもいい。書いた文字が消しゴムで綺麗に消せた、初めて飲んだペットボトル飲料が思いの外おいしかった、使ったと思った小銭が使ってなくて、意外と財布の中身が充実していたなど、小さな幸せを集めて、心の中を幸せで埋め尽くすことができればほのかの勝ち。誰と勝負をしているわけでもないが、とにかく勝ちなのだ。

 ――ま、目の前にあるのは小さな埃だけですけど? 

 自分を慰めながらせっせと手を動かしていく。始める前はあんなに気乗りしなかったのに、いざ始めてしまうと隅から隅済みまでくまなく綺麗に掃いていた。中途半端で止めるのはなんとなく気持ちが悪かった。

「ん?」

 そうして箒を片手に教室を闊歩していたほのかは、教室の隅にあるものが転がっているのを見つけた。

「これは……!」

 教室の隅で横たわっているそれをほのかは拾い上げ、手に乗せた。昨晩の記憶が蘇ってくる。

「セカンドグレーだ!」

 思いの外、大きな声を出してしまった。放課後のしんとした空気の教室に、ほのかの声のみが反響する。誰かに聞かれていないかと不安になり、周囲をキョロキョロと見渡すが、誰もいないようで、ほのかは安堵の声を漏らした。

 ――あぶないあぶない。

 別にこの年齢になれば、何を好きだとしても、それを否定し、からかう方がおかしいということは理解できる。ただ、なんとなく自分からそういった趣味をアピールする必要もないと思っていた。

 手に持ったそれを観察する。それは昨晩見ていたアニメの主人公機をデフォルメしたフィギュアだった。おそらくストラップ上になっていたものが、根付の部分が取れたようで、紐をつけていたような穴が背中側に開いていた。

「全く、君のせいで遅刻したんだぞ」

 手の中のそれに無意識で話しかける。咄嗟にそのやばさを客観視できたため、再びほのかは周囲を警戒した。そして改めて誰もいないことを確認したのち、ほのかは再び手の中のそれに目を落とした。

「それにしても、やっぱりかっこいいな……。でも何でここにあるんだろ? 誰かの落とし物かな」

 そのフィギュアは大きなナイフを装備しており、背中には大きな二つのロケットが装着されている。その姿は番組後期のパワーアップ形態だった。その造形はあまりこうしたフィギュアに詳しくないほのかが素人目で見てもわかるくらいよくできたものだった。

 ――あれだ。クオリティが高いってやつだ。

 手を組み、ほのかはふむふむと評論家を気取った。

 このセカンドグレーという機体は主人公が自分のかっこいいと思ったロボットをデザインし、それが具現化したという設定だ。遠距離の武器を持っておらず、背中についたロケットを使い、敵の懐に飛び込み、強烈な一撃をくらわす。すごく単純な戦法だが、そのシンプルさが、当時の少年やロボットアニメ好きの心を鷲掴みにした。

 目の前にあるフィギュアはそういったアニメの中のデザインをデフォルメしつつ、ちゃんと特徴を綺麗に残しているように感じた。

 だが、ほのかにとっては昨日見返しており、タイムリーな作品だったが、世間的には七年前に終わっており、現在は特にグッズ展開などはされていない。だからこのフィギュアも当時品である。その割には綺麗で、持ち主がこれを大事にしていたことが、想像できた。

 ――一体、誰のなんだろうか。

 ほのかがそんな考えを巡らしながら、フィギュアをじろじろと眺めていると、教室の後ろのドアがそーっと開いた。

 

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