真の王太子殿下は

山吹弓美

真の王太子殿下は

 王国の城にて行われた、王太子の婚約披露パーティ。

 王太子の后となる女性を披露する、ということもあり貴族当主や次期当主、近隣諸国の大使などが集められたその場において王太子は、朗々と宣った。


「貴様との婚約を破棄する! 私にふさわしいのは、我が后となるべきは彼女だ!」


「嬉しいですわ、殿下!」


 婚約者たる公爵令嬢を睨みつけながら、自身の脇には小動物のような男爵令嬢を侍らせて。

 場所もわきまえず、王太子は男爵令嬢の腰を強く抱き触れんばかりの距離で彼女と言葉をかわしている。

 一方、婚約破棄の宣言を叩きつけられた公爵令嬢は、開いた扇で口元を隠す。


「……まあまあまあ」


 その唇から漏れるのは、呆れ声。

 ふう、と柔らかく息をつき、彼女は会場を警護している衛兵たちにちらりと視線を向けた。


「衛兵、この方々を捕縛してくださいな。王太子殿下に姿を変えた狼藉者と、その仲間ですわ」


「はっ!」


 令嬢の指示に従い、複数の衛兵たちが王太子と男爵令嬢に群がった。「はあ?」と目を丸くする王太子も、「きゃああ!」と悲鳴を上げる令嬢も腕を背に回され、跪かされる。

 ざわざわと騒ぐ観客たちの言葉にはあれが狼藉者、偽者なのかという驚きと、ああだから愚かなことをしたのかという納得の響きが様々にこもっていた。


「貴様ら、どういうつもりだ! この王太子に向かって捕縛だと! 不敬だぞ!」


「そうでしょうかしら?」


 苦々しげに自身を睨みつける王太子に対し、公爵令嬢は不思議そうに首を傾げてみせる。それから、扇の陰でくくっと喉を鳴らした。


「よもや王太子殿下ともあろうお方が! このような国内の貴族子女の方々や各家ご当主様方、それに他国からのお客様がたも参列なさっておられる公式の場において! そのように愚かな発言をなさるはずがありませんもの!」


 朗々と紡がれた言葉に、観客と化した参列者たちはなるほどと頷く。中に訝しげな表情を浮かべる者たちがいるようだが、それは王太子がかの男爵令嬢を侍らせている姿をよく見ていた者たちだろう。


「ですのでその方は、殿下とよく似たお姿をされた狼藉者に間違いございません。そちらのご令嬢にも、お話を伺ってくださいましね」


 公爵令嬢の言葉に衛兵たちは頷き、そうして捕らえた二人を立ち上がらせる。もっとも、彼らが大人しくしているはずはないのだが。


「ちょ、ちょっとどういうことよ! あんたはあたしに意地悪をして、王太子殿下との仲を裂こうとしたんじゃないの!」


「まあ、あなた方の中ではそういうことになっているのですね。詳しくは、お取り調べのときにお話しなさってくださいませ」


「ひ、ひどいじゃないの! 殿下、殿下ってばあ助けてえ!」


 衛兵の腕の中でもがく男爵令嬢の言葉に、公爵令嬢は少しだけ目を見開いた。

 貴族としての礼儀作法や、知っていて当然のマナーなどを教えただけなのだが……それを意地悪と言われてしまっては、呆れる他ないようだ。


「こら、貴様ら! 俺は間違いなく、王太子だぞ!」


「ご心配なく。本物の殿下でしたら……そろそろ」


 一方、あくまでも自分を王太子だと言い張る彼に対して微笑んだ公爵令嬢だったが、ふとホールの入口に視線を向けた。


「すまない。遅くなったかな……おや、何があった?」


 大きな扉が開かれ、その向こうから姿を見せたのは間違いなく。


『え』


「いいえ。ちょっとした余興だけですわ、殿下」


 穏やかに笑う令嬢に、同じように微笑んでみせた王太子その人だった。




 『偽物』とされた王太子と、その『恋人』である男爵令嬢が排除された会場では滞りなく、王太子とその婚約者である公爵令嬢がお披露目された。一年の後には二人の婚姻式が行われることも発表され、大変に盛り上がった。

 パーティの冒頭に起きた『偽物』事件はなかったこととされ、参列者たちはそれについての言葉を自重することとした。外国からの参列者にもその旨が通達され、『事実』を明かしたところで何の益にもならぬと判断した者たちはそれぞれに頷いた。本国からそのように、との指示が来たところもあるらしい。

 何しろ、次代の王を詐称した存在などいてはならない。それが他国からの介入だったとすれば、その国は非難を浴びるであろう。

 面倒事には蓋。それが、パーティ参列者の総意であった。




 後日の話はさておいて、パーティの翌日。


「だから! 俺が王太子だと、何度言ったら分かるんですか! 父上、母上!」


「お前のような愚か者は、息子ではない。我が子はここにいる、本当の王太子だけだ」


「よく似たお顔だから、もっと早く会えていれば影武者になっていただきたかったのですけれど」


 平民の罪人が収められる牢に放り込まれた王太子は、わざわざやってきた国王夫妻からそう宣告された。

 王と王妃は、呆れ果てたように白い目で息子を名乗る青年を見つめ、そうしてその場を後にする。

 彼らを見送って、その後ろに控えていた『本当の王太子』と公爵令嬢は牢の中の青年に向き直った。


「貴様ら! 俺を偽者に仕立てて、王の座を奪うとは!」


「やれやれ。両陛下のお言葉を聞いても、まだその言い草ですか」


 『本物』とされた青年は『偽者』とされた青年と、檻を挟んで向かい合う。造形は全く同じなのに、平静を保つ穏やかな表情と怒りに満ちた歪みの顔ではこれほどに印象を違えるものか、とかれらの婚約者である令嬢は胸の中でため息をついた。


「……まあ、本当のお話をお伝えすべきだとわたくしは思うのですが。いかがですか? 殿下」


「そうだな。知らぬは本人ばかりなり、とはさすがに少々哀れだし」


「何を!」


 穏やかに言葉をかわす公爵令嬢と王太子に、檻の中から『偽者』が噛みつくように叫ぶ。その彼に対して答えを示したのは、令嬢の方であった。


「よくあるおとぎ話なのですけれど……王家や貴族の家に生まれた双子の片割れが、市井で育てられるというおとぎ話。あれが、現実に起こったんですの」


「え」


「縁起が悪いということで儚くされることが多いのだそうですが、両陛下は我が子に手をかけることを望まれませんでした。お分かりいただけますか?」


 直接説明している訳では無いが、それでも牢の中の青年にも彼女の言っていることは理解できるようだ。

 自分は双子の片割れで、つまりもうひとりは。


「『こちらの王太子殿下』はきちんと貴族の家で育てられました。……わたくしの家でございますが」


「何?」


 令嬢の隣で落ち着いている、自分と同じ顔の青年。

 令嬢の家で育てられた……と聞いて牢の中の青年は、かの公爵家の家族構成に思い当たった。

 令嬢が王太子妃となるには、公爵家に後継者がいることが前提となる。彼女には、兄と弟がいたはずだ。弟には会ったことがあるが、兄はない。身体が弱く、家から出ることままならぬというのがその理由だったのだが。


「……よもや、『病弱で外に出られない兄』というのが」


「そういうことだ」


「そうですわ」


 思い当たった言葉を紡いだ青年に、牢の外の二人は揃って頷いた。

 そうして、一度『兄』を見上げた令嬢が穏やかに、それでいて冷たくほほえみながら牢の中に視線を戻す。


「まさか、殿下がアレ程の愚か者だとは思いませんでした。最後のお慈悲、でしたのに」


「なん、だと」


「あのパーティでお前がきちんと『妹』を婚約者としてエスコートしたのであれば、俺は病を克服したという体で公爵家を継ぎ、臣下としてこの国に仕える覚悟だったのだよ」


「公爵家は王家の血を引く一族。よく似た顔を持つ後継者が存在しても、おかしくはありませんからね」


 『兄』が、そして『妹』が述べる言葉を、牢の中の青年は信じられぬという表情を浮かべて聞いている。

 つまり、自分が愚かだと言われていることを受け入れがたいという顔で。


「ですが、殿下は愚かにもわたくし以外の女を、両陛下の許しもなく新たな婚約者とするつもりでエスコートなさいました。そうして、衆目の中での婚約破棄」


「そこまで愚かであれば致し方あるまい、そういうお言葉を我らは両陛下より賜っている。俺を王太子として、お前を『王太子殿下によく似た正体不明の狼藉者』とする許可をな」


「な……」


 しかし、自分自身の愚かな行為は予測され、それに対する処分も既に決められていたのだとかれらは言う。


「かの男爵令嬢も、『狼藉者の仲間』として罰せられることとなっている。そうでなくとも、婚約者がいるとわかっている男性に近づくようなはしたない娘としてお前以外からは白い目で見られているがな」


「馬鹿な! 侍従や側近たちも、何も言わなかった………………あ」


 そこまで反論をしかけたところで、王太子だった青年は口を閉ざした。

 それまで自分に忠実であった側近の者たちや、侍従たち。最近は小言を紡ぐこともなく、自分が男爵令嬢と睦み合っていても何も言わなくなっていた。二人の仲を認めたからだ、と思っていたのだが。

 自分が愚かであるから、見捨てられたから何も言わなかったのだ。

 王太子として育てられた彼は、そのくらいは理解できる頭を持っていた。


「『病弱な義兄』は病死として届けられ、わたくしの実家は弟が継ぐこととなりますわ。もっともそのようなこと、『狼藉者』には関係ございませんわね」


「そん、な」


 そうしてこの後、自身には未来はないのだということも。


「それでは、ごきげんよう」


「では。さようなら、兄上」


 『王太子』と『その婚約者』は、囚人に礼をすることなくその場を後にした。

 牢屋の中にいるのは、ただの正体不明の狼藉者に過ぎないから。




「やっと終わったね」


 王太子は、長く妹として見てきた令嬢に視線を向ける。その肩を抱き、自身の方に寄せた。


「はい、お兄様」


「いやだなあ。もう違うだろう?」


「そうですわね……愛しの殿下」


 妹であった彼女もまた、王太子となった義兄に肩を擦り寄せる。

 愚か者が愚かな行為に走ったことで、二人は何の問題もなく結ばれることとなった。

 兄と妹ではなく、いずれ王となる王子とその后として。

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