迫りくる恐怖
ああ……なんか緊張してきたな……。
思えば自分から校内放送をしたことなんてない。
唯一、OBたちをパニッシュメントした第2回放送では自分で校内放送を始めたが、あれは怒りに身を任せていた放送だった。
色々計画立てて放送をするなんて初めてだ。
だが二宮から公式SNSの情報のログイン情報ももらったし、さらに二宮先生に許可は取った。
雪乃宮先輩にも声をかけて、ちょっと協力してもらっている。
準備は万全。舞台は整った。
後は──そろそろ始まるこの4限が終わればいよいよ決戦の時だ。
──あと数分で理数科の公開授業が始まる。
ちらっと後ろを振り返ると、10名近くのママさん方が教室に入っており、会話に花を咲かせている。
保護者は教室の後ろに立っているのだが、俺は窓側の一番後ろの席なので保護者の会話の声が聞こえやすい位置だ。
小学生ならまだしも、高校にもなると流石にそこまで見学に来る親は多くない。
クラスメイトたちも休み時間で談笑しているし、この感じなら重苦しくない雰囲気で公開授業が始まりそうだ。
しかも4限を担当するのは高橋先生。
フランクで気前のいい、30代前半くらいの男の数学教師だ。
ガチガチに緊張するような先生ではないし。むしろこういう場でも和ませてくれそうな期待すら持てる。
ちなみに根っからのアニメ好きでたまに、二宮などの理数科のアニメ好き生徒と談笑していたりする。
と、ちょうど高橋先生が入ってきた。
俺も机の上に教科書やノートを広げて準備をするが、今回の数学の授業の予習は完璧だ。
ちなみに理数科のカリキュラムは普通科とは異なり、特に数学は普通科と比べてかなり内容が進んでいる。
今の範囲は三角関数で、今日の授業テーマは正弦の加法定理の応用だ。
正弦の加法定理とは以下の公式だ。
sin(α+β) = sinαcosβ+cosαsinβ
定理名よりも公式のほうがしっくり来る人も多いかもしれない。
前回の数学の授業は、
この公式一つを覚えておけば、正接の加法定理や、2倍角の定理、さらに積和や和積の公式の導出など、色々と潰しが効くと参考書に書かれているので重要な公式なんだろう。
だが、この4限の授業をまともに受けるよりも大事なことがある。
──この後に控える校内放送の構成についてだ。
今回の放送は色々と不確定要素が多い。
前回の第3回放送では二宮に完全に構成を任せていたが今回はその二宮がいない。
放送を成功させるべく、考えられる色々なパターンを頭の中でシミュレーションしておかないと。
と──その時。
…………。(しーん……)
急に後ろの保護者たちの会話が止まり、一瞬にして無音になった。
かと思えば、その数秒後には──
──ガヤガヤ……。
──ガヤガヤ……。
次は逆に騒がしくなる。
何が起こったのか後ろを振り返りたくなるが、流石に何度も後ろを振り返るのは目立つ。
この保護者たちの僅かな変化に気づいたのは、最後列の席に座っているごく一部の生徒のみだろう。
──キーンコーンカーンコーン……。
ここで授業の始まりを告げるチャイムが鳴る。
雑談をしていたクラスメイトたちも黙って、先生の方を向く。
「おーし授業始めるぞー……ってお前らなんかいつもより静かだな。普段からそれくらい静かにしてくれるとやりやすくて助かるんだけどな?」
わはは、と教室に笑いが起こる。
……流石高橋先生だ。
こういう時のためのお決まりのつかみを持っているのか、場を和ませる術を心得ている。
俺も放送の時に使えそうなつかみとか考えよっかな……。
「じゃあ数学の授業始めていくz──」
……。
どうしたのだろう?
高橋先生が俺の方──いや、正確にはどうやら俺の後ろの方を見て固まっている。
「し、失礼……では授業を始めます」
なぜか敬語で授業が始まった。
◇
「加法定理は非常に重要だからしっかり覚えておけよー」
授業は前回の授業の復習から入っている。
保護者の方もいるので、丁寧に進めているのかもしれない。
「公式はちゃんと覚えてきたか?」
高橋先生が黒板に公式を書いて説明する。
おかしいな……いつもはもっと雑に板書してるのに……今日は保護者の目があるからってやたら丁寧に書いてる気がするな……。
しかも、ちらちらこっちの方を見てるような気もする。
というか……さっきからクラスメイトも教室の後ろを気にする素振りを見せている。
なんだ?
めちゃくちゃド派手な厚化粧のママさんでも来てんのか?
「あっやべっ……」
高橋先生が持っているチョークが折れる。
今日は何本目だろう。さっきから短時間で何本も折っているけど……。
黒板に備え付けのチョーク入れを見ても、替えとなるチョークがなかったらしく、
「すまんチョーク切れたから……ちょっとダッシュで職員室に取りに行ってくる。雑談でもしててくれ」
と、言って高橋先生は教室を出ていった。
理数科棟から職員室までの距離は割とある。
少し時間がかかるだろう。
ま、雑談でもしながら時間でも潰すか、と思ったが──
──チラッ。
──チラッ。
──チラッ。
クラスメイトたちは雑談に興じることはなく、あからさまに後ろの保護者を見てなんかソワソワしている。
……ここまで来たら俺も後ろを振り返りたくなってきた。
すると──
「ん、ん」
俺の背後から保護者の咳払いが聞こえてきた。
いや……保護者にしては少し声が幼いような気もする。
というか、どっかで聞いたことあるような……いや気のせいか。
…………。
──チラッ。
…………。
──チラッ。
クラスの奴らもさっきからずっと後ろを気にしている。
なんだこの妙な雰囲気の静寂は……?
一体俺の背後に何があるんだ……!?
──気になる……っ!
そんな疑問に抗えず────俺は後ろを振り返った。
そこには──特に特筆すべきものはなかった。
ママさん方と自分の妹の姿があるくらい。いたって普通の光景だ。
俺は前へ向き直る。
……。
ん? あれ?
なんだこの違和感?
なにかありえないものを見たような……。
「………………………………っ!?∆˚˙¥†π†œ∑†ø¥®∑¥≈∫≥!?」
バグり散らかした思考の末──俺は再度後ろを振り返った。
──凛と目が合う。
──そして可愛く微笑み返してくる凛。
──ゆっくりと顔を前に戻す俺。
……。
…………。
………………なんでこいついんの!!!!!?
しかも……しかも……なんでこの前出てた番組と全く同じ格好で来ちゃってんの!?
気合い入れ過ぎだって!!
ある意味厚化粧のママさんの方がマシなんだけど!?
「あの……」
そして──教室内の静寂を突き破ったのは、生徒ではなく保護者だった。
この声は……さっき授業が始まる前に会話に花を咲かせていたママさんの一人だ。
「もしかして──神月凛さんですか?」
永遠にも感じる一瞬の後──
「はい──母親の代わりにお兄ちゃんの様子を見に来ました」
言い終わるや否や──野太い男たちの雄叫びが響き渡った。
※近況ノートに寄せられた温かい不幸の言葉に感謝!
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