第4章 ヒロイン探し編

夏休みが終わる直前は憂鬱だけど、2学期が始まったら案外楽しかったりする



 ──窓の向こうから、かすかにセミの鳴く音が聞こえる。



 やわらかい日光に頬をくすぐられ、寝返りを打ち、鉛のようなまぶたをやっとの思いで持ち上げる。

 すると眼前には、2段ベッドの縁に腕を置き、手の甲の上に顎を置いて朗らかな微笑みをたたえる女性の顔があった。


「ようやくお目覚めか?」


 目の前の女性は横になっている俺に合わせて、可愛く小首をかしげてくれる。


「……?」


 まどろんだまま、仰向けになって見えたのは、見覚えのある少し圧迫感のある天井。


 ──ここは、寮の2段ベッドの上か……。



 女性に背を向けるように寝返りを打ち、視界に飛び込んできたのは──



 9月3日

 11時25分



 という表示の置き時計。


 ……。


 …………。


 ………………。


 次第に意識が覚醒し──状況を完璧に把握する。


「どうした? まだ眠いのか?」


 背後から、二段ベッドに身体を寄りかけて立ちはだかる女性──もとい、担任教師の声が聞こえる。

 まるで怒りを必死に抑え、努めて平静を装っているかの如く、その声音は不自然なほどに優しい。


 ──動揺は一瞬。されど対応も一瞬。


 この絶望に差し込んだ僅かな光明とも言うべき最適解を、わずか数刻ではじき出した俺は──


「……すぅ……すぅ……」


 ──寝たふりを突貫した。


「……寝てるのか?」

「……すぅ……すぅ……」

「そろそろ起きろ。さもなくば──実力行使に出るぞ?」

「──っ!?」


 ……いや落ち着け。


 いくらドスの効いた声で脅したって無駄だ。

 狸寝入りの術を唱えた俺に対して、先生はなす術はない。

 いくら先生でも、寝ている生徒相手に馬鹿正直に説教を垂れるわけがない。


「今、肩がビクってしていたぞ? 震えてるのか?」


 という声の後、二段ベッドがミシッ、ミシッ、と音を立てる。


 背後から聞こえる音から判断するに、どうやら先生はベッドの階段を上ったようだ。


「大丈夫か? 寝苦しいのか?」


 と、先生が俺の背中に触れ、さすってくれる。


 ……もしかして、俺の身を心配してくれているのか?

 この暴力教師に、人間らしいところがあったというのか……!?


「それならお前が苦しまないように私が──」


 突如、背中をさする手が首元へ移り、


「──今、楽にしてやるからな」


「それどっちの意味!?」


 生命の危機を感じた俺──白崎凛空は、飛び起きずにはいられなかった。




 ◇




 俺が通う柊木学園高等部は言わずとしれた名門進学校だ。

 柊木グループという国を代表する企業が運営母体となっているこの学校は、安定した進学実績を誇っている。

 さらに今年度からは理数科という新たな科が新設され、ついにこの夏、広大な学校内の敷地の隅に理数科生徒のための柊木寮が完成した。


 ちなみに広大な敷地内には初等部、中等部、高等部の校舎の他に、コンビニや書店、喫茶店などの施設もあり、学外の人も利用可能だ。



 そして──そんな理数科生徒の初めての夏休みが、ついに終わってしまった。


 夏休みが始まるまでは、どんな楽しいことが待っているのかとワクワクが止まらなかった。


 しかし現実はどうだ?


 ばったりとマドンナ的同級生と街で出会うこともなければ、田舎に帰って男だと思っていた美少女幼なじみとのドラマチックな再会もない。

 気になるあの子から夏祭りのお誘いもなければ、空から女の子も降ってこないし、短期バイト先での異性との出会いも、人工呼吸も入れ替わりも異世界転生も召喚もない。


 強いて特筆すべきことを挙げるとすれば、家を出て柊木寮に入ったことや、旧部OBたちによって第2回放送・第3回放送の動画も作成され、世間のcubeへの関心が冷めないように適度なタイミングで動画が公開されて相変わらず大反響があったこと、そして妹の凛が偽りのお兄ちゃん大好きキャラで顔出しして、神月凛の知名度が飛躍的に向上したこと、その兄が柊木学園高等部理数科にいるということが確定したことぐらいだろうか。

 うん、めっちゃ色々あった夏だわ。


 他にも来崎さんがSNSのcube公式アカウントにちょいちょい絡んでくるようになったり、神崎が何故か9月の俺の空いているスケジュールを確認してくるなど、挙げればキリがない。


 だが、そんな些細なことはどうでもいい。



 今はとりあえず──処刑の時間だ。




 ◇




「被告人佐藤。弁明はあるか」


 静まり返った薄暗い教室。


 手足を縛られて壇上に座らされている佐藤の荒れた呼吸の息遣いが、その静寂を乱している。


「議長! 結論を出すのは待ってくれ! その盗撮写真は非合法な手段で入手したものだろ!? そんなものは無効じゃないか!?」


 黒板に貼られているのは、他校の制服を着た女と被告人が仲良く手を繋いでいる写真だ。

 有志たちの調べによると、この女は3組の坂口優子という女子生徒らしい。


『合法か非合法? そんなことはなんてどうでもいい』

『問題は佐藤、お前とこの写真に写る女子との関係だ』

『死刑だ! 女といた時点で死刑確定だ!』


 佐藤の周囲を取り囲むのは、パーティー用のトンガリ帽子を被ったクラスメイトたち。

 彼らからは彼の悪行を追及する声が上がる。


「佐藤、理数科の掟を言ってみろ」

「……理数科男子たるもの、彼女作るべからず……」


 震えたか細い声が教室に響く。


「では──この女、坂口優子とお前は付き合っているのか?」


 厳しい視線が佐藤に向けられる。


 教室にいる全員が佐藤の次の言葉を待つ。


「つ、付き合っているわけないだろ!?」


『嘘だ!』

『最近こそこそ寮を抜け出していると思ったら……』

『掟を破って逢瀬を重ねていただと……早く奴に祝福を!!』


 教室に飛び交う怒号。

 議長が手を上げると、怒号か一瞬にして霧散する。


 彼らの手には、鉄パイプに彫刻刀、スコップとセメント、スタンガン、怪しげな化学薬品など、思い思いの凶器が握られている。


「まあ落ち着け。ここは議長の俺が責任をもって追及する……佐藤、本当か? 3組の坂口優子と付き合っていないのか? 可愛い子じゃないか」


 佐藤に向けられる視線がより一層厳しくなる。


「付き合っていない! たまたまばったり会っただけなんだよ!」

「最近一緒によく一緒にいるという目撃情報も寄せられているが?」

「……ぐ、偶然だ! むしろ付きまとわれて迷惑してるくらいなんだよ!」


 佐藤は声を張り上げて身の潔白を主張する。


「そうなのか……ちなみにここにお前の携帯があるんだが」

「い、いつの間に……」

「携帯のロックが件の女子生徒の誕生日で解除できたことについて意見を聞かせてくれないか?」

「ぐ、偶然だ……」

「壁紙が手を繋いだツーショット写真については?」

「ぐう、ぜん、だ……」

「極めつけは、「付き合って1か月♡」というプリクラ画像が出てきたんだが……」

「……」


『『『殺せええ!』』』


 嫉妬に燃えた男たちが佐藤に一斉に飛び掛かる。


「お前ら待て!!」


 議長は大声を張り上げて、すんでのところで死刑執行を制止する。


『議長! 何故だ!?』

『我らの祝福を執行しなければ!』

『犠牲なき正義など──存在しない!』



「頼む! 情状酌量の余地を! ほんの出来心だったんだ……頼む! この通りだ!」


 椅子にくくりつけられながらも、佐藤は必死に頭を下げて哀願する。


「佐藤、顔を上げな……」


 と、議長はきつく縛っている縄をほどき始める。


「議長……ありがとうございます!! この恩は絶対忘れません!!」


『議長! このゴミクズを許すのか!?』

『大罪人だろ!』

『気が狂ったのか!?』


「聞いてくれ、佐藤はじきに、再び俺たちの同志になる」


『……どういうことだ?』


「こいつの携帯で、先ほどの彼女への熱い思いを本人にボイスメッセージとして送ってやった」


 佐藤の顔が青ざめる。


「お、おい議長。そ、それは一体……」

「だからお前、付きまとわれて迷惑だったんだろ? 付き合っている者同士でも本人にはなかなか照れくさくて想いを伝えられないと聞くしな。俺が代わりに送ってあげたんだよ。そしたらちょうど今向こうから電話がかかってきた」


 スピーカーをオンにして佐藤に渡す。


「も、もしもし……」

「付きまとわれて迷惑ってどういう意味?」

「ゆ、優子……! 聞いてくれ──」

「そっちから告白しといて何様?」

「違う! とにかく話を聞いてくれ。クラスメイトの悪ふざけなんだって!」

「そんな言い訳が通じると思ってる? 悪ふざけでも言ったことに変わりないよね?」

「落ち着いて一旦俺の話を──」

「もう二度と連絡してこないで」


 ピコン、と無機質な通話終了音が教室に響く。そして──


『『『やっぱり俺たち親友だ!!』』』


 クラスメイトから熱い祝福が佐藤に送られて祝福会は幕を閉じた。



 相変わらず理数科では──女の影がある者に人権はない。




 ◇




 この調子では容姿が整った年頃の妹がいるだけで迫害されそうだが──隠しているオレの妹の存在がバレたら一体どうなるのだろうか?

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