幕間 兄と妹

兄と妹の雪解け 1


 とりあえず神崎からの報酬は一旦、自分の部屋にしまった。

 あんなもの渡されても扱いに困る。



 明日は学校だが、今日のうちにやっておきたいことがある。


 ──夏休みまでの登校日も残りわずか。


 夏休み中に俺は柊木寮に入る。その準備として、この家から柊木寮に持っていくものを整理しておく必要がある。


「こんなもんか……」

 

 柊木寮に持っていくものを確認するためにスペースが欲しかったので、リビングで色々と広げている。


 まあほとんど柊木寮に備え付けで色々用意してくれてるから、そこまで準備するものは多くない。



 ──と、ちょうど薄着で真っ白な柔肌を見せながら通りかかった凛が、なにか言いたげにこちらを見ている。


「もうそろ柊木寮に移るから荷物の準備してるわ……後でちゃんと片付けるから」

「……ん」


 よし、持ってくものはこんなもんだろう。いくつかは新たに買って準備するとして──


「……おにい、向こうにTVはあんの?」

「…………」

「……ん?」

「あ、ああ……共有スペースにあるっぽい」


 突然の凛からの質問、というよりも”おにい呼び”に対して数秒ほど固まってしまった。


 その呼び方を最後に聞いたのはいつだったかは思い出せない。


「……そか」

「……」


 ところで一体、何の確認だったのだろう?


 もしかして、何か凛なりに旅立とうとする兄に気を使ってちょっとした会話でもしようとしたのか?

 それにしては会話の内容が意味不明だが……、


 でも……これからは顔を合わせることもほとんどなくなるだろう。


 寮に入ったからといって、別に寮に帰っても実家に帰ってもどちらでもいいので、帰ろうと思えばいつでも帰れる。

 まあ実際は春休み、夏休み、冬休みにちらっと実家に帰った時にたまに顔を合わせる程度で、それ以外で会うことはないと思う。



 そう考えると、この機会だから改めて凛にお礼を言っておくのも良いかもしれない。

 多少兄妹の仲がギクシャクしていたとしても、何もお礼を伝えないまま家を去るほどにひねくれていない。



 ──学生の身分を謳歌して遊ぶ兄。


 ──学生の身分を享受することを拒み、遊ばずに若くして手に職をつけて仕事に邁進した妹。


 うん、我ながら本当に情けないコントラスト。


 凛が遊んでいるところを最後に見たのは──これが自然と浮かんでこない時点で相当おかしいよな。


 我が家の今があるのは母親、そして凛のおかげなのは間違いない。



「凛」

「……なに?」

「まあ、その、なんだ……色々ありがとな。いや色々ってなんだっていう話なんだけど、まあ……ほんとに助かった」


 ……思ったよりも情けない感じになってしまったが、凛は何も言わず、俺の言葉をしっかり受け止めている。



「きっと凛も色々思うところはあったと思う…………でも思い返してみたら、今まで凛が俺を責めるようなことなんてなかったよな」


 凛は小さい頭をコクリと縦に振った。


「その優しさは嬉しくもあったし……」



 ──ちょっとだけつらくもあった。



 妹──それも義理の妹に、気を遣われているという事実が、自分のつまらないプライドじみたなにかを、ソワっとなでられているような感覚になった。


 あいにくそんな自尊心なんて全然ないと思っていたのに。

 これだから思春期ってやつは恐ろしいのか。



「柊木学園はシングルの家庭に対して学費はちゃんと補助が出ているし、さらに寮に入れば一人分の衣食住も少しは浮く」


 あと……手を付けていいのかよくわからない臨時収入がある。

 神崎が何を考えているのかはよくわからないが、凛と面識はある以上、うちの家庭事情は知っていてもおかしくはないが……。



 ──神崎は一体何を考えてるんだ?



 ……何も考えてなさそう。


「……とにかく。もう自分のやりたいことを犠牲にしてまで、お金を稼ぐ必要もないとは思う」

「……あたしは今の仕事が好き」


 凛が口を開いた。


「……そっか。じゃあ仕事頑張ってな」

「……うん。おにいもあたしが出てるやつちゃんと見てよ」

「うっ……まあそれは……前向きに善処する方向で一度持ち帰って検討する気がする」

「……それ絶対見ないじゃん」


 凛の口角が少し上がる。

 久々に見た懐かしい妹の表情に少し見とれてしまった。



「……それとおにい、ごめんね」


 凛は突然──謝罪の言葉を口にした。


「え。急に何?」

「……あたしが有名になったきっかけのキャラ」

「え? まあ……ってか別に謝られることでもなくね?」


 凛が一躍世に出た時に演じていたのは──たしか超ブラコンでお兄ちゃん大好きな妹キャラだった。


 当時、中三だった自分は流石にちょっとどう触れていいか困った記憶がある。


「……あれがきっかけで、あたしのこと避けるようになったじゃん?」

「……」

「……もしかしてきっかけ忘れてた?」


 ……完全に図星。

 言われてみればそうだっかもしれない。


 そんな俺を見て、凛は呆れまじりに笑っている。



 離れていた互いの心の距離が、今更ながら少しずつだけど近づいて──



「あたしのラジオ、なんで出たくないって言ったの?」

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