第31話 絡新婦の叫び
目が覚めるとそこは宴会場のような広間だった。薄暗くてぼんやりと行燈の灯りが室内を照らしており、均等に並べらせた御膳と座布団が視界に入る。
ここは何処だろうときょろきょろ見渡せば、灯りに照らされて何かがぞろぞろやってくる。河童、妖狐、天狗、鬼、化け猫。様々な妖かしがやってくると御膳の前に座った。
さぁさぁと女の艶のある声がする。振り返ると花魁衣装に着飾った花菊が妖艶に笑いながら旦那様方とミズキを指した。
「生きの良い人間の娘ですわよ。おいくら出せますか?」
その言葉を皮切りに男の妖かしたちがわいわいと騒ぎ出す。いくら出す、なら俺はこれぐらいだ。飛び交う声に売られていると気づいたミズキは手の甲にある所有印を見せようとして目を見開いた。真っ赤に塗り潰されていたのだ。拭いても拭いても消えない、そこで自分の服装に気付く。
それは真っ赤な花魁衣装で、いつの間にと驚いていれば妖かしたちは盛り上がり始めた。
「なかなかに可愛い子じゃぁないか! なら、俺はこれぐれぇ出す!」
「何の、わっちはこれぐらいよ!」
値段競争を眺めながら花菊は愉快そうに口元に手を添えて笑っていた。彼女は本気でミズキを売るつもりなのだ。ミズキは泣きそうになる、もう紅緑には会えなくなってしまうのかと。
着物の裾を握った瞬間、どんっとけたたましい音が城内に響いた。それはミズキの耳にも届いて何事かと周囲を見渡す。
何かを破壊する音になんだと妖かしたちが騒ぎ、次に廊下をどたどた走る足音がした。ぱんっと襖が開け放たれて遊女が飛び込んでくる。
「花菊様、
花菊はどうして此処がと眉を寄せ、紅緑という言葉に妖かしたちは震える。この音があの男によるものなのだと理解したのか、次々と立ち上がった。
「何があったか知らんが、巻き込まれたくはないぞ!」
あの男に目をつけられるのは御免だと言って妖かしたちは飛んで逃げ出した。そこに残るのは花菊とミズキのみ。花菊は舌打ちをするとミズキを掴み抱き抱えた。
「この子を渡すわけにはいかない。まだ恨み晴らせていないのだから!」
遊女に時間を稼ぎなさいと指示して花菊は大広間を出た。
背後から悲鳴が聞こえてくる中、ミズキは抱き上げる花菊の顔を見ると彼女は焦っているようだった。奥の部屋に繋がる襖を開けてミズキを投げ捨てる。畳に叩きつけられて身体に痛みを感じながらミズキは顔を上げた。
花菊は震えていた。がたがたと肩を揺らしながらも、顔を引き攣らせて睨むような瞳をミズキに向けている。
「もう、お前を殺すしかない」
涙の混じった声だった。わらわがやったことが知れたのならば、もう気にする必要などない。お前を殺してわらわも死ぬと、花菊の覚悟を決めた言葉にミズキはあのと声を振り絞る。
「紅緑様を愛していたのですか……?」
「そうよ。貴女が来る前からずっとね」
花菊は悲しげに笑いながら答えた。
遊女の妖かしを下に見る奴らは多い。けれど、紅緑は違う。遊女だろうと誰だろうと態度は変わらない。面倒な時は面倒そうに、嫌な時は嫌そうにするそんなところが良かった。何度告白しただろうか、けれど彼に断られた。
好みではないと言われて確かに自身は幼子ではない、それは仕方ないと理解していた。いたというのに、お前はそうではない。紅緑はお前が好みだと言った、何処がわらわと違うのだ。美しさならわらわは自信がある、身体の作りだってそうだ。
「お前がいなければと猿神に情報を渡したわ。ぐちゃぐちゃになってしまえって願ったのに……お前は生きている」
「それは……」
「お前は、どうして……何故、お前なんだっ!」
そう叫ぶと共に花菊はがっとミズキの首を掴んで締め上げる。その力は気絶させるための時以上に強く、殺す気なのだとミズキは感じ取った。
息ができない、苦しい。嗚呼を溢し、涙が零れ落ちる。死ぬと思った。そう思ったけれど、首を絞める花菊が涙を流しているのを見て抵抗ができなかった。彼女はそれほどまでに紅緑を愛していたのだと知って。
ずっと愛していたというのに横から現れて、掻っ攫われては恨みたくもなるだろうと。悲しくて、嫉妬して、怒りを覚えて。その気持ちが分からないわけではなかったから。ミズキは抵抗する手を離して——無数の触手が花菊の身体に巻きついた。
ふわりと持ち上げられて花菊は投げ飛ばされた。ミズキは咳き込みながら首を押さえて息を吸い込む。顔を上げれば表情のない紅緑がじっと花菊を見つめていた。彼女は震えながら涙を流している。
「どうして……どうしてわらわじゃ駄目なのだ……」
「好みじゃないのさ」
泣き崩れる花菊に紅緑は言う。アナタの見た目もそうだけれど、性格もワタシ好みではない。アナタを嫌ってはいないけれど、妻にしたいとは思わないと。
「なら、どうしてその人間はいいのよ!」
花菊は叫んだ。そんな人間の何処がいいのだと、悲痛な叫びだった。紅緑はそれに「そうですね」と一つ置き、答える。
見た目はそう好みだった。これが幼子ならばさぞ良かっただろうと思った。けれど、彼女は妻にしてくれと言った。恐ろしいだろう自分にむかって言う姿、涙の溜まった瞳は美しく、覚悟を決めた色をしていた。
『あぁ、良いな』
そう思ったのだ。死ぬかもしれないというのに、彼女はその覚悟を持って言ったのだ。なんと、なんと愛らしいか。そう思って連れ帰り、妻にした。
妻にして、彼女を見ていくうちに愛しさというのが膨れ上がった。帰宅すればおかえりなさいと出迎えてくれて、食事を用意してくれる。自分に見せてくれる笑顔が愛らしかった。
「ワタシにはミズキしかいないのですよ」
そう語る紅緑の瞳に嘘はなく、花菊は悔しげに唇を噛むと咽び泣いた。彼の本心から出た言葉であるのだと理解して。
「殺すなら、殺せばいい!」
そう叫ぶ花菊に紅緑は何も言わず、ミズキのほうを見た。ミズキはただ、そうただ紅緑を見つめている。何を言うでもなく、ただずっと。紅緑は小さく息をついて花菊に背を向けてミズキを抱き抱えた。
「もう近寄らないでくれ」
それだけ言って部屋を出ていく。それは彼からの別れの言葉で花菊は声を上げて泣いた。
戻る最中、紅緑とミズキの間に会話はない。なんと声をかければいいのかわからなかったのだ。だから、ただ紅緑の顔をミズキは眺める。
「紅緑様!」
大声が響く。声のした方へと顔を向ければ、
ミズキの無事に二人は安堵した表情をみせる。紅緑が「戻ります」と言えば、二人は返事をして一歩後ろを歩いた。
外に出ると遊郭城の扉はぼろぼろに破壊されていた。その側には野次馬を追い返している
「ミズキちゃん、無事かい?」
「はい、なんとか……」
ミズキの返事に夜哉は紅緑の顔色を見て何か察したのようで、とにかく戻ろうかと声をかけた。
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